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変化と劣化の受け止め方
- 変化とは、時間の経過によって物事が形や性質を変えることです。一方、劣化とは物事が本来の状態から悪くなることを指します。
- 変化や劣化は避けられない現実であり、それに対して抵抗することは無理です。しかし、変化や劣化を受け入れることで新たな価値や魅力を見つけることができます。
- 変化や劣化への受け止め方は個人によって異なりますが、持続的な成長や変化の中にも美しさや価値が存在することに気づくことが大切です。また、変化や劣化がもたらす経験や教訓を受け入れ、それを自身の成長や学びに繋げることも重要です。
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質問者が選んだベストアンサー
面白い質問ですね。それも若い方(20代?)からの疑問であることも興味をそそりました。 仏教でいう「無常」という概念にも通づる所もあると思います。つまり世の中に存在するもので常(変わらないこと)は無いという悟りの境地になれということです。 人は老い、鉄は錆び、草木は枯れます。それは個々の物を見ればその通りですが、人は生まれ、鉄は製銑され、草木は生えてきます。そのように自分、及び自分の持ち物は古びていきますが、種(しゅ)としては、変わらずに存在し続け、もしかしたら新しく変化していくかも知れません。 まあ衣服に関してだけ言えば、劣化して着れなくなるまで着続けるのは稀じゃないですか? 衣類が劣化する前に自分の興味が劣化してしまうでしょう。 鉄、例えば車だってエンジンが壊れる前に飽きてしまったり、新型車、新規の機能に心を奪われてしまいませんか? 殆どのモノはそのモノが変わる前に自分自身の興味が変わってしまいます。飽きることは人間の特性で、従来のものに興味を失い、新規のものを創造することが人間の特権です。 人間関係は少し違うのかも知れませんが、流れに任せていいと思います。疎遠になる関係はそれだけの意義しか無いものです。劣化するものと質問者さまが認識するならそれはそういうものだと思います。そうなっても別の人間関係が生まれて来るものです。 何はともあれ、質問者さまが世の中、人間、人生、哲学というものに興味を抱くのは意義のあることです。
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- 波 蔵(@namizou2018)
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変化や劣化を受け入れた上で、どうすれば今を楽しむことが出来るかを常に考え行動する♪
お礼
回答いただきありがとうございます。 その通りですね。 そうなれるよう私も考えて意識して努力したく思います。 回答いただきありがとうございました。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34517)
ものの見方は見る場所によって変わります。質問者さんは変わることを「退行」や「劣化」といいますが、別の言い方をすれば「進化」とか「成熟」ということになります。 お酒や発酵食品なんかは成熟によって味に深みが出て美味しくなりますね。人間も成熟することによって人間性に深みが出てきます。 だから質問者さんも、1年前の自分と何も変わらないのだとしたら、それは全く成長していないということでもあります。変わらないというのは、否定的にとらえれば薄っぺらいともいえます。 まあでも若いうちはそういうもんです。そして自分自身が若さのピークを過ぎたことを自覚すると、自分の劣化をどう受け止めるかということになるんですよ。 たまーにそこに死ぬほど抵抗する人がいますが、ある程度以上の年齢になるとちょっと痛々しくなりますね。叶姉妹のお姉さんなんかがそうですよね。
お礼
回答いただきありがとうございます。 私自身かなりネガティブな人間なので、そういった表現、また感じ方しかできませんが、もっと広く見られる方にはきっと仰るように進化や成熟であるのだと思います。 外的要因があって変化する事を考えれば、変化しんしというのは何もないという事ですので、仰る通り味気無く感じますね… 若さ故と言われれば、これも必然でしょうか。 ピークを越えれば改めて、そういう場面が来るのですね… 女性であればそこに必死になる物頷ける部分ではありますね笑 是非回答いただいた内容参考にさせていただきます。 改めて、回答いただきありがとうございました。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2725/12280)
まず、外に対する前に内に対してみてください。そう、自分です。自分が完璧だったことはあるのですか?何か一つのことに対して甘い採点をして、それでも完璧なことはそうそうはないでしょう? 世の中にそんなに完璧なものなんて何もないんですよ。変わらずにあり続けて欲しい完璧なものなんて。じゃあ、どうするか? 20何年使い古して劣化した自分は今も好きですか?興味ないですか?どう思ってますかね?物にも同じような付き合い方をすればいいんじゃないかと思うのです。人付き合いに代表される心の動きだって同じだと思います。 あるものをあるがままに受け入れる、これができればいいんじゃないでしょうかね。物ですから、劣化しきって使えないとなると縁を断ち切るように捨ててしまえばいいと思います。人との付き合いも劣化しきってしまえば、縁を断ち切ればいいんじゃないかと。 同じような物(人)との出会いはまたあるでしょう。その時に縁をつないでいけばいいんだと思います。それを繰り返していく。あなたの体の細胞が成長や劣化とは関係なく、生まれてきてはいつか垢となって剥がれ落ちていくように物にも人にも出会いと別れをこなしていくのが、いいんだと。
お礼
回答いただきありがとうございます。 確かに仰る通りで、私自身は完璧であるどころか足りないものばかりであると思いますが、自身の事で質問のように気にした事はなかったです。 なんだかんだで自分の事を大嫌いと思うレベルまでではなく上手く付き合えていたかと思いますし、その付き合い方は自分自身だけではなく他の物事に通ずる部分はあるのかもしれません。 即座に出来るかはともかくとして、教えていただいた事を意識して物事に付き合っていきたいと思います。 参考になる意見をいただきありがとうございました。 ベストアンサーを複数付けられないのが心苦しいです。 改めて、ありがとうございました。
- NOMED
- ベストアンサー率30% (522/1725)
>使い込めば味が出る これはあくまでもその製品(物)が、姿を変えていないままの状態です 質問者様も劣化していくと興味が失せるということですが、考え方を変えて、日本古来の「始末」という考えもあることを知ると良いかな・・と感じました 簡単な例ですが、一枚のバスタオルがあるとします 書かれている通り、色があせ、手触りも悪くなり、捨てて、買い換える・・・・のではなく、その後に役割をそのモノに与えるのです バスタオルなら、切って、縫って、雑巾になります 別に縫わなくても、切っただけでも、車の汚れたタイヤを拭く布にすれば良いですし、自転車を磨いても良いし、窓を拭く布にすれば良いし・・・となり、その後、使い切って捨てる・・・つまり、始末です 別にバスタオルじゃなくても、ストッキングや靴下、衣類・・なんでも良いのです 気にいって買った椅子なら、塗り替えても良いし、長く使用したあとに、背もたれや足を短く切って、ベランダや庭の植木鉢置きにしても良いし、雨ざらしになって壊れたら捨てる・・・つまり、始末です 逆に昔の日本では、ガス電気が主流ではない時代に、最後は風呂炊きの薪と一緒に、使い切った雑巾や壊れた椅子などを燃料として、昇華(消化)していました これが日本の昔からの考え方の「始末」です つまり、劣化しようとも、そのモノに新たに役割を与えて、人が最後まで使い切ってあげるという考えなのです なので、質問者様の >変わらずそのままであり続けて欲しい という考えとは真逆になりますが、新たな役割を与えて使い切ることで >自分が悪いと思う 心は、許容されると思いますので、参考にされてください 逆に、新しくモノを買う時や、ほしいな・・と思った時に、最後まで始末できるかな?という考えを加えても良いでしょう 今や断捨離ブームですが、そんなものは、始末を忘れてしまった、劣化した日本の姿だと、私は思っています
お礼
回答いただきありがとうございます。 使って終わり。ではなくその先がある考え方ですね。 確かに祖母が回答者様の仰るように壊れてしまったものや、必要なくなったものに別の形を与えて、新しく使っていたのを思い出します。 ひとつの考え方して参考にさせていただきたく思います。 "始末"という考え方も大事ですね。 改めて、回答いただきありがとうございました。
お礼
回答いただきありがとうございます。 現在23歳の若輩者です。 ご興味持っていただいたことを大変嬉しく思います。 仏教での無常という言葉は聞いた事はありますが、詳しく意味を存じてはおりませんでしたので、大変勉強になります。 確かに言われてみれば、私が思う不変の物は世の中にあらず、それぞれ違えど変わっていく物ですね。 "個"ではなく"種"として捉えるという説明が私の中でぴったりとはまりました。 人間関係も言われる通りであって、それはそういうものという捉え方で良いのだな。と思わされました。 私の中で煩わしいと感じていたものも、意義ある物であると言っていただけると悩む事が無駄で無かったと思えて嬉しいです。 自分の中でしっくりくる回答をいただけましたので、ベストアンサーとさせていただきたく思います。 改めて、回答いただきありがとうございました!