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なぜ私は神に愛されるのか
今までの人生を振り返っても自分はずいぶん恵まれているなあと感じます。 もちろん私はお金持ちのスーパースターではありませんが、特別大きな病気 や怪我もないし、生活面でも貧困ということはありませんでした。 神の定義は別にして、客観的に見て恵まれた人生を送れる理由とは何でしょうか。 或いは、コツでも結構です。 この質問を読んで不快に思う方もいると思いますが、それは自分の人生がそうではないと感じるからだと思います。 その場合、神の気持ちになって自分はどのような人間を愛するのかご回答ください。
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- Zohar
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>感謝しない人は幸せにはなれないと誰かが言ってましたっけ。 >なぜなら、空っぽでもやっていけるのですから。 >これは私一人の手柄とは思えません。 感謝を辞書で調べたら「ありがたいと思うこと。」 結局、また私は見捨てられるんだ。 という不安が強すぎるんですよ。 みんな今までありがとうございました。 世の中には私のようなバカがいたんです。
- Zohar
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連投すみません。自分の言葉で。 今まで、どうして、神が人を愛するのか 考えたことがありませんでした。だから、今必死で考えています。 回答するのに、あせっていました。神は一人で満ち足りた存在なんでしょうか? 自分が作ったから?子どもだから? >客観的に見て恵まれた人生を送れる理由とは何でしょうか。 そもそも、恵まれた人生ってなんでしょうか? >特別大きな病気や怪我もないし、生活面でも貧困ということはありませんでした。 病気や怪我や貧困だと神に愛されていないってことですか? では、罪を犯した人は? 多くの人々から、生より、死んで欲しいと思われている人がいるとします。 この人を神は愛さないんですか? 愛ってなんですか? ただ、なんでもかんでも我が儘を許すってことですか? それは、違う…と思います。 私はこの一年、ある人と出会いましたが その人は、私に厳しいことばかり言いました。 でも、私はその人に愛情を感じました。 私は昔、ある人に、見捨てられたことがあって沈黙をとても恐れています。 でも、それも私が悪かったんです。 自分のことばかり考えて相手のことを考えもしなかった。 傷つけてばかりで、どんどん事態が悪化していく。 そして私は反省もしてこなかった。 私は愛しかたも愛されかたも、わかりません。 愛がわからない。 どうしてそんなに酷いことが言えるの?と言われたこともあります。 でも、それは私の中では普通でした。 普通といえば、みんな私を変わり者扱いするのに、普通扱いしてくれないのにって恨んで… 普通って言葉が嫌いで…。 >この質問を読んで不快に思う方もいると思いますが むしろ私の回答で不快に思う方がいると思いますが 時間をください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >そもそも、恵まれた人生ってなんでしょうか? 不幸でない人生だと思います。 >病気や怪我や貧困だと神に愛されていないってことですか? 年間3万人の自殺者がいるこの国で私はこの歳まで生きて来ました。 これは私一人の手柄とは思えません。 >罪を犯した人は? 罪とは何でしょうか。法律違反のことですか? >愛ってなんですか? 定義できるとは思えません。 >普通って言葉が嫌いで…。 普通という言葉は時に人を傷つけますね。 普通というカテゴリに入れなかったらと思うとみんな不安なのでしょう。 文献を引用するのではなく自分の脳みそで考えることはいいことですね。
- Zohar
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しかし、コヘレトの言葉は聖書らしくありません。 そこで、ヨブ記から 「これは何者か。知識もないのに神の経綸を隠そうとするとは。」 そのとおりです。 わたしには理解できず、わたしの知識を超えた 驚くべき御業をあげつらっておりました。 「聞け、私が話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」 あなたのことを、耳にしてはおりました。 しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。 それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し 自分を退け、悔い改めます。 >神の気持ちになって自分はどのような人間を愛するのかご回答ください。 神の御旨はわかりませんが、悔い改めた者だと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 己の力のみで今があるのではないということでしょうか。 感謝しない人は幸せにはなれないと誰かが言ってましたっけ。
- Zohar
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こんにちは。 聖書に「コヘレトの言葉」があります。 なんという空しさ なんという空しさ、全ては空しい。 全ては空しいから。というのはどうでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 虚しさとは空っぽということでしょうか。 空っぽの入れ物を満たしていくのは確かに喜びですが、 自分が空っぽの存在と気付くこともまた喜びかもしれません。 なぜなら、空っぽでもやっていけるのですから。
- hakobulu
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#2です。 暇なのでまた投稿します。 >与えられる幸福というのもあるのではないかと思うのです。 :これは何かしっくり来ませんね。 その逆(与えられる不幸)はあるでしょうが。 言葉遊びをするつもりはありませんが、 「与えられる不幸が無いのが幸福である」てなことはないですかね。 不幸を与えられなければ幸福の最低基準は整ったと考えてよいのではないかという気がします。 ここからは先に述べたように、自我の脆弱性の問題になってくるのだろうと考えます。 自我が脆弱な状態にあること自体が不幸だという見解もあるでしょうが、これは修正が利くはずのものである、という立場です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >:これは何かしっくり来ませんね。 幸福とは何かという問題はありますが、 個人的に感じるのは私がすすむべき道を用意してくれたと思うことが多々あるのです。 もちろん用意されたものをどう使うかは私にかかっているのですが、 まるで未来から今の自分を見られている様な手法は感服するしかないのです。 このいわばレールを私はプレゼントと思うしそこで得た喜びは私一人の手柄ではないと思うわけです。
- wiz0621
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イギリスの政治家であり哲学者であるアルジャーノン・シドニーの言葉に God helps those who help themselves. (天は自ら助くものを助く) というものがあります。天は何もしない人を無条件で助けるわけではなく、 あなたが何かをするとき(あるいは意思を持ったとき)に、 初めて助けを行うという発想です。 ちなみに、天に助けられているはずのシドニーさんは後に斬首刑 となりました。これを説明するかのように同じくこんな諺があります。 Heaven's vengeance is slow but sure. (天罰は遅れても、必ずやってくる) 両方は相反しているようにも思えます。 うまく行ってくれるときは天は助けてくれているのに、 うまくいかないときはとたんに天罰が降りかかる。 何故天にはこんな2つの側面があるのでしょうか。 最後に。これまたイギリスの海軍大臣にして首相、 大政治家であらせられるチャーチル大先生のお言葉です。 A politician needs the ability to foretell what is going to happen tomorrow, next week, next month, and next year.And to have the ability afterwards to explain why it didn't happen. 『政治家に必要なのは明日、来週、来月、そして来年 何が起こるかを予言する能力であり、(実際には) 何故"起こらなかったのか"を説明する能力だ。』 組織を運営する宗教家はこう宣告するでしょう。 うまくいっているときは、貴方は神の教えを実行し、 天が助けているからこそ成功ているのです。 あるいはあなたが何かを成そうという自律的な意思があるためです、と。 質問者さんの今の状態を説明するとすればこちらでしょう。 なんだかとても綺麗に聞こえますね。 一方、将来なにか悪いことがおきたときには、神の罰は 必ずやってくるのであって、あなたにはそれが遅れてそれがやってきた だけなのです、と。彼らは宣告、あるいは診断するかもしれません。 うってかわって、なんだかとてもおどろおどろしく聞こえますね。 組織宗教というものは、こういった起こらなかった場合の 言い訳を準備しておく、politicianの技法そのものの積み重ねでもあります。 今の質問者さんは宗教家に言わせれば間違いなく前者ですよね。 もちろん、神の視点からは二面を見すえているという事も確かにできるでしょう。 そして神ならぬ私の視点からは、それって典型的な詐欺じゃん?と見えます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、面白いですね。 ご回答を読んでいて思ったのですが、人はまっすぐ歩いているようで少しずつずれて歩いているのかも知れません。 そのずれがある程度大きくなると修正という意味で不幸或いは問題が発生するのかも知れませんね。 遠目で見ると縦に長いジグザグを進んでいる感じでしょうか。 色々な立場から色々ないい方はあるでしょうが、全ては方便でしょうかね。
お邪魔します。 >自分はずいぶん恵まれているなあと感じます。 私も自分をそう思います。まだ30年も生きていませんが^^ >客観的に見て恵まれた人生を送れる理由とは何でしょうか。 「客観的に恵まれている人生」はそれこそ千差万別に理由がつくと私は考えています。 でももっと難しいのは「主観的に恵まれた人生」を手に入れる方ではないかなあ。。。と思っています。 >神の気持ちになって自分はどのような人間を愛するのか うーーーん。。。そんな簡単に(簡単じゃないですが)「神様の気持ち」を慮れるんじゃ、それは神様ではないと思うのです。。。汗 回答にならない事をつらつらと書いておりますが、もう一つお許し下さい。 中学から高校にかけて私が一番に悩んだ事は「こんなに恵まれていて幸せな筈の自分が、心から幸せに成れないのはどうしてだろう?」と言うものでした。 本当にずーーーっと悩んでいました。 「気付ける能力」と言うものがあるのではないでしょうか? 「小さな喜びを見つける能力」とも言えるかも知れません。 ポリアンナの「よかった探し」の遊びのように。。。 その能力を磨いた者が結果的に幸せに近づけるのではないかしら、と考えています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、気づきというのは大切ですね。 幸せはそこらじゅうに転がっているのかも知れませんね。
性格が穏やかで、灰色、中間、中庸の心が、神とチャンネルが合います。だから人生も、浮き沈みの無い平穏な人生になります。性格が白黒ハッキリで好き嫌いが激しいと、神の波動が入りにくいです。人生は浮き沈みが激しくなります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに浮き沈みはあまりないほうですね。 チャンネルという概念は初めて知りました。
- mmky
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「客観的に見て恵まれた人生を送れる理由とは何でしょうか。 或いは、コツでも結構です。」 ほどほどに神にすかれているからでしょうね。あるいはほどほどに神に愛される程度の行いや生き方をしているともいえますね。 厳しく言えば、神が良しとするその他大勢の一人であるという生き方ですね。それが普通の生き方ですね。 神に本当に愛される生き方というのはちょっと違うのですね。 近年イエスにもっとも愛された人物は内村鑑三ですね。でも悲惨な人生でしたから真似るもんじゃないですね。 また、神に愛された男といえば土佐の竜馬ですね。革命家として死んでますね。これも悲惨かな。 神に嫌われても贅沢な人生もありますしね。 つまり、平凡な人生を送るということは神が気にかけない程度にほどほどに愛されることでしょうかね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 神に気に入られすぎるというのはこの世界では生きにくいということを 意味するのでしょうか。だとすると考えものですね。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
神というのは自然摂理の比喩的意味にしか私は解しませんが、その場合、存在していること自体を神は愛するのではないでしょうか。 無駄なものは生み出さないはずですし、と言ってしまえば私の嫌いな宗教的発想になってしまいますが、何であっても存在すべくして存在しているというのが真理ではないかと思います。 >客観的に見て恵まれた人生 :というのはたぶん意味がないと思うのですが、 >或いは、コツでも結構です。 :のほうは今私も考え中です。 なんとなく「知足」と「共有」がキーワードになるかもしれないと現段階で感じてはいるのですが・・・。 そのうち質問しますから、その際はよろしく。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに幸福とは主観的なものですね。 ただ、与えられる幸福というのもあるのではないかと思うのです。 もちろんそれを幸福と感じるかはその人次第ではあるのですが。 与えられやすい人とそうでない人がいるのかは分かりませんが、何か違いがあるような気がしています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >結局、また私は見捨てられるんだ。 私なら一人で生きていくことに喜びを感じますね。