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神の存在を証明できるか?(改)
削除されたので再度質問します。利用規約違反があったとのこと。以後気を付けます。以前回答してくださった方々、申し訳ありません。 それで、改めて質問します。 神の存在を証明できる方いらっしゃいますか。 あるいは存在しないことを証明できる方でも結構です。 よければ、その理論をお教えください。 そして、下に私の見解を記します。よければ、これに関するご意見もお聞かせ願います。 -------------------------- 神の存在を証明できるか? 「できる」と私は考えます。ここで言う「神」とは、キリスト教的な神のことで、当然人間の目には見えません。それなのに、なぜ見えない神の存在を証明できると言えるのでしょうか。その根拠は大きく分けて以下の2つです。 (1)人間は目に見えないものを識別する能力を持っている。 (2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる。 -------------------------- (1)人間は目に見えないものを識別する能力を持っている。 例えば、「1、2、○、4、5・・・」という虫食い問題の○で隠されているのは当然「3」ですね。しかし、なぜ○で隠されて見えない「3」が分かったのでしょうか。要するに、見えている数字の並びとの相互関係から推理した結果それが分かったというわけです。 同じように、例えば推理小説の名探偵などが実際に事件を目撃したわけではないのに、現場の状況や遺留品、関係者からの証言などに基づいて推理した結果、あたかもその事件を目撃していたかのようにそれがどのように起きたかを言い当てることができるのではないでしょうか。 このように人間は見えないものでもその存在を識別する能力を持っているということが確認できました。ですから、「神は目に見えないから信じることができない」という論理は人間の能力からすれば当てはまらないということができるでしょう。 では、以上を踏まえて、次に、(2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる、という点についてご説明しましょう。 -------------------------- (2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる。(その1) 上で証明したように、人間には「見えないものでも推理によってその存在を識別する能力」を持っているということでした。ではその能力を使って、見えない神の存在を識別できないものでしょうか? 私がここで言う「神」とは、キリスト教の唯一神で、万物の創造者のことです。聖書によると、存在するすべてのものはこの創造者によって造られました。つまり、宇宙も地球もその中にある動植物、そして人間も神が造ったということです。 もしそれが事実なら、そのような神が造ったもの(被造物)を観察する時、見えない神が存在することを識別する手がかりを得ることができるはずです。 では、それらの被造物を人間と比較してみましょう。 まず、人間以上に大きいものは存在しますか。はい、当然存在します。例えば大型動物がそうですし、もっとスケールを大きくすれば地球も太陽もさらには大宇宙もあり、それらと比較するとき人間の存在の小ささを実感せずにはいられません。 また、人間以上に強い力が存在しますか。それも存在します。台風や地震や火山、さらには太陽の核エネルギーなど挙げればきりがありません。 では、次の質問はどうでしょうか。人間以上に賢いものが存在しますか。さて、その点どう思われますか。人間は地球上で最も賢い生物だと考えていますし、実際そうなのですが、しかし多くの研究者たちが様々な分野の研究をしてきたにもかかわらず、現実には人間の知性では到底及びもしない高い領域(人間ではまだ理解できていないこと)が存在することがいよいよ明白になってきました。 あなたは人間にはまだ「未知の領域」があることを認めることができますか? 次に、その具体例を考慮してみましょう。 -------------------------- (2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる。(その2) 人間ではまだ及ばない「未知の領域」について、その具体例を考慮してみましょう。 例えば、鳥は人間が飛行機を発明するよりもはるか大昔から空を飛んでいました。ライト兄弟が飛行機を実用化するまでにどれだけ多くの人が苦労して「空を飛ぶ」ための研究をし、また失敗を繰り返してきたかを考えてみてください。 重力のある地球上で空を自由に飛行するということは実際には並大抵のことではないということです。それには綿密に計算された飛行設計が必須であり、それなくしてどのように空を飛ぶことができるでしょうか。 にもかかわらず、鳥は当たり前のように空を飛んでいます。人間の研究者たちは鳥の体の構造などについても研究を深めてきました。内臓の軽量化、骨の構造、羽毛のしくみなど飛行のための工夫が施されていることに彼らは驚きました。 では、そのような鳥の飛行設計や工夫を鳥自身が考えて設計し、製作したのでしょうか。そんなことはあり得ません。では、どうしてそのような人間でも驚くべき綿密な飛行設計や工夫が施されているのですか。 それは、人間よりも高い知性を持つもの(そのような設計・製作ができる者)が実在するということを意味しているのではないでしょうか。そのような設計・製作者なしでどのようにしてこのような高度な飛行技術が実用化され得るのでしょうか。 -------------------------- 結論 被造物(例えば地球上の動植物など)には人間以上の知性が見られるという事実から、 (1)被造物は綿密に設計され、製作された、ということが分かり、 さらに、(1)に基づいて、 (2)被造物を設計・製作した者、つまり創造者が実在する、 ということが推理できる、または証明できるのです。 しかも、それには人間にとってもっと重要な意味があります。例えば、人が何かを作る時それには何らかの目的があるはずです。同じように創造者が何かを造る時それには目的があったはずです。つまり、それは神が目的をもって私たち人間を造ったということを意味しています。 ということは、「なぜ自分は存在しているのか」、「人生の目的は何なのか」などという古今東西の人々が考え続けてきた疑問の答えを創造者は知っているということになります。ですから、神(創造者)が存在するかどうか、または人間が神から造られたかどうかは、私たちの人生観をも左右させるほど重大なテーマであることがお分かりでしょう。
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- codotjtp
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其の考え方だけを踏襲しますと、 多重人格者達のノンレム睡眠の仕組みをも説明し尽くせますでしょうか?
- codotjtp
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共通の精神世界が普及し得る最適な領域は…? http://kotobank.jp/word/%E6%9C%80%E9%81%A9%E9%80%9A%E8%B2%A8%E5%9C%8F
お礼
ご回答ありがとうございます。 そもそも、「共通の精神世界が普及し得る最適な領域」とは具体的に何なのか、私は正確に理解していないかもしれませんが、それは人々の心の状態が関係していると思います。 私はhttp://okwave.jp/qa/q7559241.htmlのNo.12で正義とは何かについて回答しました。そこを是非見ていただいてのことですが・・・。 結局、人々が自分勝手に、つまり利己中心的に生活しているなら、「共通の」精神世界が普及することはできないでしょう。ですから、正しい心の状態にある人々に対してのみ「共通の精神世界」(例えば宗教など)は普及し得るのではないでしょうか。 ただ、その「共通の精神」というのがどういう類のものかにもよると思いますが。ここで述べたのは、飽くまでそれが理想的なものだとの仮定に基づいた見解にすぎません。
- codotjtp
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矢張り、心の作用は体の機能に優先していない様ですので、 信仰は後付けで…。 http://www.asahi.com/science/update/0627/TKY201206270531.html
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに、人間は時によって体(肉体)の要求に負けて意思(心)が屈してしまうことがあります。しかし、多くの人は自分の意思で肉体をコントロールする(潜在的な)能力を持っていると考えます。 例えば、どんなにつらくともトイレに着くまでは体からの要求(つまり便意)をはねつけるのではないでしょうか。ですから、それがどれだけ重大な問題であるか、その認識度の高さによっては意思(精神)の力で肉体を制御し得ると思います。 信仰はその認識度を高める働きがあると思います。例えば、異性とのみだらな関係がなぜ罪なのかを高く認識した結果、性的な欲望を制御することができ、清い生活を送るようになるかもしれません。 その点で興味深い回答をhttp://okwave.jp/qa/q7559052.htmlのNo.16でしましたのでご参照ください。
- nung
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>それにしても、nungさんとの討議はとても楽しいです。私は自分の考えを率直に言う方なので、逆に率直に指摘される方が分かりやすくて助かります。でも、もし失礼に感じる部分がありましたら、どうかお許しください。 こちらこそ、暴言ばかりで、また、本来の質問の内容から離れた回答ばかりしていて、大変申し訳なく思っています。 回答した後、いつも、あんな事書かなければ良かったと後悔しています。 なぜか、ついつい止まらず、長々と書いてしまいます。 多分、私も楽しんでいるのだと思いますが、個人攻撃に偏ってしまう自分に、罪悪感を覚えてしまいます。 思いがけず楽しいと言って頂き、ほっとしました。 そんなことおまえに言われたくない、大きなお世話だと感じていらっしゃると思います。 持ち上げたり落としたりで、本当にすみません。 また、関係無い話になってしまいますが、yangmask さんは、中村天風師をご存じでしょうか? 日本人としてに初めてヨガの聖者となり、日本にヨガを伝えた人物です。 天風師がその師匠のアグリッパ師から、「いったいおまえという人間は、この世に何をしにきたのだ。」と問われました。 天風師は、修行の末にある悟りを開き、「進歩発展のためです。」と答えます。 アグリッパ師は、「良くそれを悟ったなあ」と、天風師を誉めます。 進歩発展とは、何のことか、全く分かりませんでしたが、その後、私はどこかで、ある話を読みました。 それは、人間は何の為に生きているのか、という命題に対して、一つの仮説を与えてくれた話です。 記憶だけで書くので、オリジナルとは微妙に違うと思います。 どこで読んだのか忘れたので、オリジナルがどこにあるのか、知りたいとも思います。 宇宙ができてすぐの、ある時、ある場所で、ある知性体が発生しました。 その知性体は、「我考える故に我有り」と考え、自分の存在を認識しました。 しかし、別の知性体が、まだ存在しないため、対話する相手も無く、絶対の孤独です。 その知性体は、原子や星や惑星しか存在しない宇宙で、強烈に、「知りたい」と感じました。 しかし、知りたいと言っても、考えるための材料が無ければ、それは困難です。 そこで、知性体(以下、超越知性体)は、生命体を作り、自身の一部(魂)を分割してその中に封じ込め、あらゆる事を経験する仕組みを作り上げました。 その際、生命体が、元となる超越知性体の記憶を持っていては、自作自演となってしまい、新しいことを知ることができません。そこで超越知性体に関する記憶を消して、生命体自身の魂が、自分自身の力で進歩発展する様に仕向けました。 個々の生命体は、小さく限定された自我の中で、もがき苦しみますが、肉体を離れて超越知性体に帰一すれば、その苦しみさえも、素晴らしい経験の一部なのです。 また、それぞれの魂の進歩は、そのまま、超越知性体自身の進歩でもあります。 こうやって、超越知性体は、あらゆる事を経験し、進歩発展を実現し、宇宙の真理を探求しているのです。 聖人とは、小さく限定された自我の境界線を無効にする事で、この仕組みを悟った人間なのでしょう。 天風師の、進歩発展のためという悟りは、こうしたことかも知れません。 尚、私は、この話をなるほどなあと、感心しましたが、信じているわけではありませんので、あしからず。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、「超越知性体」ですね。聖書の場合、全能の神は当初ただお一人で生活していました。その後、ご自分が享受している幸福な状態を他の者にも分かち合いたいと考え、一人の天使を創造しました。その初めて神によって造られた初子の天使が、後に地上にイエス・キリストとして遣わされた方でした。その後、神はその初子の天使に命じて大勢の天使たちを造らせ、さらに後に最初の人間男女をも造らせました。以上が聖書による創造の概略です。幾分類似しているところがあるようですね。 しかし、問題となるのは、「超越知性体」にしても「全能の神」にしても実際そのような者が存在するのか、そして、本当に人間はそのような存在によって造られたのかという疑問です。それが正しいと言える根拠を挙げて証明できなければ、それはただの「意見」となり、その人が「ただそう思っている」に過ぎないだけになってしまいます。ですから、今回のテーマのように神の存在を宗教的な要素によらずに証明することはとても重要なことだと考えています。
- codotjtp
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混沌からネットワークが出来上がるのでしょう。 http://eetimes.jp/ee/subtop/features/wireless_m2m/
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 混沌(無秩序と理解します)からどのようにネットワーク(秩序あるもの)が出来上がるのか?? それには何らかの意図的な介入が必要となるのでは?
- codotjtp
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完全に主観的な自己の存在証明さえもが…。
お礼
ご回答ありがとうございます。 それにしても、一体、それにはどんな意味が・・・??
- nung
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>この説明するという能力は家庭内でも職場内でもあらゆる人間関係で必要とされるからです。これはコミュニケーション力ということですね。きっと役立ちますから、是非訓練してみてください。 それはその通りですね。確かに、実生活でも、説明能力は足りないと思います。 ところで、直観について、もう少し。 人間誰しも、今まで生きてきた経験を無意識的に分類して、頭の中に膨大なデータベースを作り上げています。直観とは、そのデータベースを背景にして生まれる物であり、一概に非論理的とは言えない物だと思います。 そのデータベースの守備範囲が広ければ広いほど、また、各分野の理解が深ければ深いほど、直観の精度は増しますし、あらゆる現象に対して、より深い理解が得られます。 そのデータベースは、どこから来るのかというと、両親からの教育、地域社会、学校、職場、その国の文化、等から来る直接の経験。それに、本です。 (さらにプラスして、人類全体のトランスパーソナルな潜在意識(深層心理)=神?もあると思います。これに直接アクセスできれば、一個人の思考を超越した直観が得られるのかも。) 例えば私は、恐らく3000~4000冊くらいの本を読んだでしょうか。 傾向としては、多い順に、欧米のSF、心理学、日本の歴史小説、ニューサイエンス、仏教哲学、ヨガ哲学、等です。 また現在は、タイ人の妻とタイ在住であり、タイの異文化と、上座部仏教を直接肌で感じています。職業としては、タイのローカル企業で働いており、タイ人社員とのコミュニケーションも取れていると感じています。 尚、私は元来無宗教でしたが、最近はどちらかと言うと、仏教徒(上座部仏教)かも知れません。 コミュニケーションは、説明よりも先に、相手を理解して、共感することから生まれます。 理解や共感の無い説明は、単なる押しつけに過ぎません。 そして、偏ったデータベースは、理解や共感の守備範囲を狭めてしまいます。 あなたがどうやって、キリスト教を信仰するに至ったか、読ませて頂きましたが、やはりあなたのデータベースは、聖書に大きく偏っていると思います。 私は、自分の欠点を認めましたが、それは事実なので、それを認めても、自分が揺らぐことはありません。 しかしあなたは、「聖書の正しさ」が揺らぐと、ご自身の存在自体が揺らぐのではありませんか? 私には、あなたが、聖書に必死になってしがみついているように見えます。 たった1冊の本に、自分の考え方と自身の存在を委ねると言うことは、安定しているように見えて、実は非常に不安定な状態なのではありませんか? 無意識的に不安定さを感じているからこそ、それを必死になって守る必要があるのではないですか? そして、あなたが聖書に大きく依存する事によって、ご自身の直観の精度を著しく限定させているように思えてなりません。 それが「盲信は直観を阻害する」と言うことです。 (つまり、人類全体のトランスパーソナルな潜在意識(深層心理)=神?へのアクセスも阻害されると言うこと) ところで、私は難しい抽象的な言葉が苦手で、こうした議論には良く負けますが、あなたに言われるほど、そんなに極端に、説明能力が足りないでしょうか?
お礼
>あなたに言われるほど、そんなに極端に、説明能力が足りないでしょうか? 失礼にお感じになったのでしたら、どうぞお許しください。このような文章をすぐに書けるわけですから、説明能力が極端にないというはずがありません。むしろ、ある方でしょう。しかし、今回私が勧めたのは、論理的な仕方で説明するということでした。以前の討議ではnungさんが自説の根拠として「直感」を挙げており、右脳的な考え方でいけばそれも分かる(自分は納得している)が、しかし、他の人にそれが正しいと説得・説明するための根拠としては難しいという意味でした。 >人間誰しも、今まで生きてきた経験を無意識的に分類して、頭の中に膨大なデータベースを作り上げています。直観とは、そのデータベースを背景にして生まれる物であり、一概に非論理的とは言えない物だと思います。 まさに、そういうことだと思います。エジソンも「天才とは99%の努力と1%のひらめきである」と言っているとおりです。「ひらめき」、つまり直感とは努力して蓄積された知識を背景にして生じるものであり、無からは生じないはずです。(調べてみると、このエジソンの名言も種々異説があるようですが。) >コミュニケーションは、説明よりも先に、相手を理解して、共感することから生まれます。理解や共感の無い説明は、単なる押しつけに過ぎません 特に後半の見解には同感です。まさにそのとおりです。しかし、コミュニケーションは相手を理解すると同時に、自分のことも相手に理解してもらわなければならないのでは? そのためにはやはり自分が何をどう考えているのかを言葉に表現して、つまり説明するということが基本になると思います。 >あなたがどうやって、キリスト教を信仰するに至ったか、読ませて頂きましたが、やはりあなたのデータベースは、聖書に大きく偏っていると思います。 なるほど、そのように思えたのでしょうか。確かに、私が聖書に信仰を持っていることは事実ですが、それにしか眼中にはないということはないと思います。例えば、そもそも私の示した神の存在の証明文は聖書など宗教的な物事を論拠としていませんし、他の回答者さんに対するお礼を見ていただければ分かるように、進化論やその他の科学的な見解にも対応しています。先回、「なぜ、どのように、分析、分析」ということを勧めましたが、私は科学や歴史やその他いろいろな分野に関心があり、特に自分が抱いた疑問を解消すべく調査を怠らないようにしています。 ただ、私のお礼で示した見解について、「結局は聖書を信じているんでしょ?」と言って退けられるなら、私はそれを悲しく思います。特別な根拠もなく、「お前は黒人だから」とか、「お前はユダヤ人だろ?」などと言って、人類は歴史上、他の人たちに偏見や差別を示し、ある時は暴行をさえ加えてきました。例えば、奥様と一緒に日本に来た時に、奥様が外国人だというだけで差別されたら腹が立つでしょう? 「一体、何を根拠に?」と感じるはずです。それで、もし私の見解に不備があればしっかりとした根拠を挙げて明確な反証を示すことこそが重要なのであって、それさえ示せばそれで十分ではないでしょうか。 >しかしあなたは、「聖書の正しさ」が揺らぐと、ご自身の存在自体が揺らぐのではありませんか? 私には、あなたが、聖書に必死になってしがみついているように見えます。・・・ 私は私なりに聖書がなぜ正しいと言えるのか、その根拠を理解していると考えています。そして、未だその根拠を覆すような理論を聞いたことがないというだけのことです。私はそもそも仏教の(といっても普通の)家庭で育ったわけですが、キリスト教の伝道者が示した見解はそれまで私が信じてきた事柄に影響を及ぼし、改宗させるまでになったわけです。私は「真実を真実とみなす」ということを心に定めています。それはたとえ自分がそれまで信じてきた事柄に反していたり、自分の都合の悪い事柄であったとしてもです。 >そして、あなたが聖書に大きく依存する事によって、ご自身の直観の精度を著しく限定させているように思えてなりません。それが「盲信は直観を阻害する」と言うことです。(つまり、人類全体のトランスパーソナルな潜在意識(深層心理)=神?へのアクセスも阻害されると言うこと) 確かに、私の右脳力は乏しいと感じています。nungさんほどの直感力はないでしょう。しかし、まず私は上で示したとおり、盲信してはいないと思います。以前も述べたとおり、私は何でも鵜呑みせず、(何度も繰り返し言うようですが)、何にでも「根拠」とか「証明」を求めます。ですから、私が何かを信じるためにはそれを信じるに値するという根拠が必要であり、またそれが正しいということが証明されていなければなりません。全く左脳全開の考え方ですが。ですから、「盲信」ということはないと思います。 さらに、私は祈りを通して神との交流を楽しんでいると考えています。そして、聖書は神からのメッセージであり、それは私が幸福にかつ賢明に生きるための指針となっています。ですから、私は祈りによって神に語りかけ、聖書によって神の言葉を聞くという仕方で神とのコミュニケーションを図ってきたということができます。それは何か霊感があるとか深層心理へのアクセスなど、または霊能力者のような形ではありませんが、しかし、神の後ろ盾があるというのはこの上なく力強いものだと実感しています。 それにしても、nungさんとの討議はとても楽しいです。私は自分の考えを率直に言う方なので、逆に率直に指摘される方が分かりやすくて助かります。でも、もし失礼に感じる部分がありましたら、どうかお許しください。
- codotjtp
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身を捨ててこそ浮かむ瀬も有れ。 #50の回答に#49での謎かけのヒントが網羅されています。 (投票しました。)
お礼
ご回答ありがとうございます。 codotjtpさんの理論と私の示した証明との間にはどんな共通点、または相違点があるのでしょうか。
- littlekiss
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【オブジェクト指向のヒューリスティクス】 http://www.netlaputa.ne.jp/~hijk/study/oo/heuristic.html 【オブジェクト指向】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%96%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88%E6%8C%87%E5%90%91 【QNo.4737509悪の共同自治にあたって われわれ現代人は 協力しうるか】 http://okwave.jp/qa/q4737509.html
お礼
ご回答ありがとうございます。 オブジェクト指向とは?? 神の存在の証明との関連性についてはよく分かりませんでした。すみません。
- codotjtp
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『絶対無』は『(量子力学の)不確定性原理』によって象徴化されています。 従いまして、若し其の点への疑問を感じていらっしゃるのでしたら、 其の場合には、更に詳しい専門家方々からの御意見を賜れる為に、 別のページで関連の質問を出された方が宜しいのではないでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 多重人格者とは違いますが、ナルコレプシーという病気は睡眠の異常があることで知られており、その患者の場合、ノンレム睡眠に移行せず、レム睡眠つまり浅い夢見の状態に留まっているようです。実は私もその患者の一人ですが。この病気の原因に脳内のオレキシン神経が破損していることが知られています。 ところで、多重人格者は生まれた時から多重人格だったわけではないでしょう。彼らは成長過程で何らかのトラウマになるような経験(多分あまり正常でない、好ましくないもの)を経て、その結果そのような多重人格者となったのかと推察します。実はナルコレプシーの場合も、何らかの強烈なショックやストレスなどが原因で生じるとのことで、私にも思春期の頃に覚えがあります。 ですから、ノンレム睡眠というのは深い眠り、つまり安眠であり、私の経験上、ナルコレプシー患者がそれに移行できないのは、その原因、引き金となったショックやストレスのゆえに心から安心して眠ることができないからなのだと思います。つまり、体を横たえていても危機意識過剰のために脳内は常に臨戦状態にあるということです。私の場合、発症したのはもう20年以上も前の話ですでにその当時のショックからは完全に立ち直っていると思うのですが、精神的には立ち直れても、一旦脳にできた傷(物理的損傷)はなかなか修復できないようです。 ですから、多重人格者については詳しく分かりませんが、以上のような症例を考察するとある程度洞察できるものもあるかと思います。ところで、「其の考え方」とはどの考え方?? そして、なぜこのことが神の存在の証明とつながっているのか?? 謎かけをしておられるのですね? でも、もうできればこの質問も終了しようと思っていますので、よければもう少し分かりやすく回答していただけませんか。