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「神」は必要か?
・・・てなタイトルにしてしまいましたが、もっと砕いて言いますと、「人間は生きる上であの世が必要か」ということです。 私は10年以上前に最愛の姉を二人立て続けに亡くしたのですが、その時に「神様もいないし、あの世もないな」と痛切に思い、また姉の最愛の友人だった人とも心ならずも議論してしまいました。「神は詭弁だ」と・・・ その方は寂しげに姉の死に顔に見入っておられましたが、今自分の思い上がりを戒めるのです。「神は詭弁でも、その詭弁である神を必要としているのが人間なのだ」と・・・ 私は無神論者です。ですが、物語としての「神」、物語としての「あの世」の必要性を痛感しています。それが加わることによっての人生の精神的豊かさを思うのです。皆さんは如何でしょう? 「神」(超越者)を必要としていますか? あの世(実際のものというより物語を完成させるものとして)の価値を重んじられますか? 私はいずれも「イエス」です。今更ながらに「あの世」を作り上げた古人の知恵に深く頭を垂れるものです。人は「あの世」を思ってこそ自らの人生の価値を深めることができるのだと・・・ いろんな方面から多くの意見を賜りたく存じます。「神は必要か?」「あの世は人生に必要か?」・・・宜しくお願い致します。
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わ、面白そう。知ってる方もいらっしゃるようなので混ざりにきました。 僕もこちらのQの多数派の意見と同じです。僕自身、神サマがほんとに居るかどうかは別として、いるとでも考えん事にはこんな人生アホらしくてやってらんねーべよ。みたく、いると仮定して生きた方が精神衛生上より好ましい結果を生むであろうことは確かです。 また、真の意味で「公平な世界」とはどういうものかを考えたばあい、輪廻転生とか死後の世界などという要素を加えれば、非常にきれいで万人を納得させるモデルが作れることもまた明らかです。 ですが、世界のありようをつぶさに見ていくと残念ながら神サマなんて居ないんじゃねーの的な見解に傾かざるを得ません。実際、全知全能の神サマが創られたにしてはこの世界の出来は確かにお粗末に見えます。 ただ、もし神サマが「信仰」という要素を重視していらっさるのなら、あらゆる材料が神の不在を指し示すこの状況はむしろ、必然というか、神サマにとっては都合のいいものでしょう。 もしもある日、どっかの科学者が神の実在を実証してみせたとします。「私の発明した神サマ発見器によって、神サマは100%いると証明されました。突撃インタビューを試みたところ、生前に功徳を積めば天国行きは保証するとおっしゃってます。その後はもう酒池肉林のウハウハです」。それを見て、ああ、じゃあ私も今日から善人になって功徳を積もう、なんて決心したとしてもそれはもちろん、信仰でも何でもありません。保証された利益と引き換えに今、代価を支払っているという意味では単なる商取引と同じです。 僕には信仰心をうんぬんする資格なんてありませんが、少なくとも僕の中では信仰とはそんなもんじゃありません。 いやしくも信仰とは、理屈や証拠で「信じられる」から信じるものではありません。あるかないかもよう分からんような頼りなげなものに対して、あえて「信じることを選択する」という行為を指しているのです。 もしも僕が神サマの立場だとしたら、どっちを向いても神サマなんているハズないわと思わせるような出来事ばかりのこの世の中で、それでもあえて信心深く生きている人を見つけたばあい、それはさぞかしその人を可愛く思うことでしょう。なんかごほうびをあげたくなっちゃうかも。 読み返すとけっこう長文ですね。どうも失礼しました。
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- zep1100
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こんにちは、zep1100です。 とても私の入り込んでいいジャンルのスレッドではない気もしますが ついついお目汚しにおじゃましました。 前回は丁寧なお礼を頂きありがとうございました。 masatoshi-mさんもライダーとは知りませんでした。 ええ、私も鼻水タラしながらブイブイ走っていますヨ!(^^) 私と回答数ポイント数共に同じ位ですがファンの多い素敵な方のようですね。 まーくんにはシットしちゃいますワ。(笑) さて。 結論を言いますと私は無神論者です。 街角で神を信じますか?等と聞かれても「否」と即答します。 「転んでいつまでも泣いていても誰も助けてくれやし無いんだよ! そいつがリアル(現実)ってもんだぜ。」 愛する者が居さえすれば、私に神は必要ありません。 神を信仰することとで、(宗教が違うことによって) 世界各地で紛争が絶えません。 信仰する神が違えば人は殺し合いをしても良いのでしょうか?と 宗教に勧誘する人に私は問いたい。 勿論、心の拠り所といった意味では重要であるとは思います。 これだけ世界で信じられているんですから、 意味がないわけはありませんよね。 有名な言葉に、以下があります。 神はその人が乗り越えられる試練しかお与えになりません その言葉を聞けば、「そうか、この苦しさは乗り越えられるんだ!」 と頑張る気持ちにもなるかも知れません。 ただ、前途したとおり大きなマイナス面も否定できません。 私は、人は神によって生かされていると感謝する前に 自然によって育まれている、と教育した方が尚良いと思います。 ならば自然破壊につながる戦争なんて起きないでしょうから。 などといいつつ、2ストのバイクなんて乗っちゃってますが・・・(汗) ああ、カストロールのオイルの焼ける臭いは最高!(^^; 生の執着、死の恐怖を抱きながらも 私は死ぬその瞬間まで精一杯生きようと日々頑張っています。 なので、死後の世界があると辛いナー。 えーっ???まだ終わってなかったの~?うそーん!って。(笑) あくまで私見ですが、失礼しました。 それでは、お風邪などには気を付けて、お元気で~。
お礼
こんにちは、zep1100さん。(^。^) >masatoshi-mさんもライダーとは知りませんでした。 ええ、私も鼻水タラしながらブイブイ走っていますヨ!(^^) 何十年もバイクに乗っていますが、未だに飽きませんね、バイクは。今からの季節は本当に仕事をおっぽり出して野山を駆けたくなる。でも私は紳士なので鼻水はタラしません(ぉぃ)。 >私と回答数ポイント数共に同じ位ですがファンの多い素敵な方のようですね。 いえいえ、いたずらに在籍期間が長いだけで(笑)、「ファンが多い」ということは決してありませんよ(でも「素敵な方」というのは当たってます。どうして分かったの~~?(ぉぃ))。長いこと在籍していますので、たまたま知り合いが多くなった、というに過ぎません。だってホントのファンならせめてお歳暮ぐらいは送ってきていい(ぉぃ)。 >神を信仰することとで、(宗教が違うことによって)~~宗教に勧誘する人に私は問いたい。 ホントにそうですね。「あんたらの心に平安をもたらさないような信仰をして何が楽しいの?」と言いたいですね。しかし「戦いや争い」と「宗教」という概念は何ら矛盾することなく彼らの意識の中に併存しているようです。根本的に「宗教観」が違う。 >私は、人は神によって生かされていると感謝する前に~~自然破壊につながる戦争なんて起きないでしょうから。 なるほどなるほど、これまたひとつの人間観、教育観ですね。本当に大自然は我々の「母親」です。アニミズム信仰の時代より、この自然観は脈々と受け継がれてきましたし、また我々日本人に最も馴染みやすい自然観であるかもしれません。これを「母」と呼び「神」と呼ぶのをやめて「『あるがままの自然』として呼んで何の不都合もないじゃないか」と。そうすれば「自然破壊もやむのじゃないか」とおっしゃっているわけですね。傾聴に値するご意見だと思います。 >私は死ぬその瞬間まで精一杯生きようと~~死後の世界があると辛いナー。 「一所懸命頑張って働いてきたんだから、ゆっくり休養(睡眠)を取らせてくれ」と(笑)。いやそのお気持ち、よ~く分かります(笑)。「『死後の世界』に安息の場所を求めたいのに邪魔すんなー」てなところですね(笑)。 ご回答、有難うございました。治りかけの風邪もある人たちから邪魔されて、なかなか完治しません(ぉぃ・・・笑)。zep1100さんもお元気で~ (^.^)/~~~
補足
多数のご回答をお寄せいただきまして有難うございました。本日締め切るにあたり、改めて皆様にお礼を申し上げます。 「あの世」も「神」も非常に微妙な問題を秘めているようです。これが「あるか・ないか」ということになると更に議論を呼びそうな雲行きですが、この話にはキリがない。議論としては面白くないこともないでしょうが、「ある」「ない」も含めて、「あの世」も「神」も、人間の生き方を決したり、その精神を形作っていったりするのに、極めて重要な働きをしているんだなと、という思いをさらに深くしました。 ある未開の部族の酋長が「昇りつつある太陽」を指差して「あれが神だ」と言ったそうです。それで「沈みゆく太陽」を指差して「あれが神か?」と文明人が問うたら「いやあれは神じゃない、太陽だ」と・・・ 同一物に対してすらこれだけのイメージの差。興味深い話ではあります。 今ここ福岡・博多の地には雪が降っております。しかもかなり激しく・・・「弥生の雪」というのは福岡ではかなりめずらしい・・・ もうすぐ本格的な春がやってきますね。「心躍る季節」とはまさにこの季節のことです。開きかける様々の蕾や花を見て、そこに無意識の裡に「神」を感じ、「命の共鳴」を覚えているからかもしれませんね(笑)。命は今まさに「春爛漫のとき」を迎えようとしています。 皆様とまたどこかでお会いできたらと思います。どうぞお元気でお過ごしくださいますよう。本当に有難うございました。
- neterukun
- ベストアンサー率17% (993/5831)
神主の孫のneterukunです。 私自身行ったこともないんで存在は肯定は出来ないんですけど、肯定したいと思っています。 生きる上ではやはり必要でしょうね 地獄にいかされる・・わるいことはやめとこう 死ぬことは息が止まるくらい苦しい・・ その後はせめて、安らげる所に行きたい。 だから極楽、天国は存在すると思うんです ですから道義的な観点からは 私はいると思います。 いらないと思う方のご意見もそれでいいとおもいます ただ、三つ子の魂というところから 子供のころからそういう善悪、完全懲罰の意識は ある程度必要ではないかと思うんですよ 悪いことしようとしたら「神様が見てはんで」 たびの安全も「神様がまもってくれてはる」 というような意識は必要ではないかと思います 確かに神様は見えません。 仏様も見えません。 でも本来その存在とは 「信じる心」であると思います。 イスラム教でも偶像がない理由はそうだったと思います。 それが一番大事なんですけどね。 また神様仏様は綺麗で地獄にいる鬼や閻魔様は いかにも怒り顔なのはそういう部分ではないかと 思うんです。 子供もやさしい顔と怖い顔のどちらによってくるかというと一目瞭然で、そういう観点からも たとえ神仏がないと科学的に証明されたとしても 人格形成のために必要なものではないかと 私はかんじます。 如何なものでしょうか?⌒(*^∇゜)v
お礼
こんにちは、neterukunさん。おお、neterukunさんは神主さんのお孫さんでしたか。私も年に一度、亡父の慰霊祭に護国神社に行っているのですが、その時に見る神主さんの姿は何となく威厳があり、風格もあって、いいものですね。毎年同じ方なのですが、いつまでもお元気で祭礼を取り仕切ってほしいと願っています。 >生きる上ではやはり必要でしょうね~~ある程度必要ではないかと思うんですよ そのとおりですね。こうした観点からの地獄、極楽はホントに必要でしょう。私も子供の頃に「ウソをつくと閻魔様から舌を抜かれる」と言われて縮み上がり、真っ正直な少年に生まれ変わりましたものね(ぉぃ。また舌抜かれるぞ・・・(^_^;))。父親不在の寂しさも母親から常に「あなたのお父さんはここにいるんでしょ?」と私の胸を指差され、何となく安心したような気持ちにさせられたものでした(笑)。 >でも本来その存在とは 「信じる心」であると思います。 おっしゃるとおりです。 >そういう観点からも たとえ神仏がないと科学的に証明されたとしても 人格形成のために必要なものではないかと 私はかんじます。 「人格形成のための神仏」という考え方は私も賛成です。それが迷信を深める元となるような導き方は将来に禍根を残しそうですが(笑)、やはり子供の頃に「お天道様が見ている」という思いを持たせることは大切でしょう。ホントに悪事はバレますからね(政・官・業界ではバレていない悪事も多数あったりなんかしていますが・・・笑)。陰でこそこそやって、それでほくそ笑んでいるような子供じゃ先が思い遣られますもんね(笑)。 ご回答、有難うございました。
- gomuahiru
- ベストアンサー率37% (593/1595)
こんにちは、masatoshi-mさん。 必要か不必要かというのは随分刺激的なタイトルですね。 (苦笑) このタイトルに忠実にお答えするならば 「必要な人には必要、不必要な人には不必要」でしょう。 (そういってしまうと身もフタもありませんが、ここまでの皆さんのご意見もここに集約されるのでは?大きく括れば最初に書かれたmasatoshi-mさんの思いと変わらないのではという感を受けます) 必死に「今」を生きている人間にとっては神は必要ないーというより、神の存在は意識しなくてもいいものなのだと思います。 ある程度の年齢がいった時、自分の人生を振り返るようになった時、親しい人、愛する人の死に直面した時に真剣に「神」というものについて考え始めるのかもしれません。(不幸にして、若くして過酷な環境に身を置かれた人などはもっと早いのでしょうが・・・) 多くの生きている人間は何かに「依存」して生きています。 それは決して恥ずかしいことではありません。それは家族だったり、友人だったり、仕事だったり、趣味だったりします。 月面着陸を成し遂げた、あるいは宇宙飛行を体験した飛行士達の後日談をご存知かと思います。 人間の知恵と科学の叡智を誰よりも感じたはずの彼らが、月面から帰還してから強く神を求め傾倒していくのです。 客観的事実からいえば、それは実際「ない」と思います。 ただ人間は古来より「神なるもの」を求めてやまない存在です。 人間が死後に唯一依存できる、身をゆだねられるのが「神」なのだと私は考えます。 性別、身分、財産、人種、国籍をすべて超えて自分を無条件に受け入れてくれる存在です。それがあると考えるからこそ、たいがいの人間は「充実して」現世を生きられるような気がします。 無神論者を否定するつもりはありません。 私は何物にも依存しない、一人で生きて灰になるだけーそう思っている人はそれでいいでしょう。#4さんの仰るように「我が心のうちに神はあり」なのですから。 神は求める人にだけその「姿」(宗教によってそれは様々でしょうけれど)が感じられればいいのです。 私自身は「求めてやまない存在」ですけれど。(笑) ただ「神」が常に幸福だけを自分にもたらしてくれるものと考えないよう自らを戒めているつもりです。
お礼
こんにちは、gomuahiruさん。日陰でうつむくように咲いている楚々としたクリスマスローズを見るたびにgomuahiruさんのことを思い起こします。お元気そうで何よりです。(^。^) (お、顔文字間違えなくてよかった) >必要か不必要かというのは随分刺激的なタイトルですね。 自分としては随分おとなしめのタイトルだなと思っていたのですが、このご感想を読んで、よ~く考えてみました。すると確かにある意味刺激的なタイトルであったことに気づかされました。それこそ深い、かつ敬虔な信仰心を持った方々に喧嘩を売るようなタイトルだったかもしれません(汗汗)。でもでも本人は至ってノー天気ですので、そもそもそういうつもりすらありませんでしたが・・・ >神は求める人にだけその「姿」(宗教によってそれは様々でしょうけれど)が感じられればいいのです。 含蓄に富んだお言葉だと思います。そして異議ありません。神は「在る」ものではなく「感じる」存在なのですね。その意味では「愛」も同じですね。「在る」のではなく「感じられるべき」何か・・・ ご回答、有難うございました。またどこかで。(^.^)/~~~
- syoui
- ベストアンサー率8% (7/81)
俺的には神は必要だと思う。けど俺は神なんかいないと思う。何故か?一番の理由は犯罪・戦争がなくならないこと、俺にとって神は悪いことを排除する・人を幸運に導く、という役割を持っていると考えています。もし本当に神が存在するのならば戦争を回避させたり、死ななくていい人が死んでしまったりということがなくなるはず。でも現実はチガウ。言うまでもありません。実に悲しいです。 俺は昔お腹が痛くなった時すぐに「神様痛みを和らげてください!お願いします!」と本気で祈りました。 でも、もちろん痛みはおさまりませんでしたw ようは祈っても無駄だったってことです。 (まぁこんなことで祈る俺も俺だがw) たとえ神がいたとしても、こんな状態じゃいないのと同じ。だから俺は神=空想として見ています。 あの世は必要ですねw地獄も悪いことした人たちを処罰する意味では、必要。だけどこういう話を耳にしたことがあります。「自害した人はたとえ善人でも地獄行き」これには納得いかない・・・。確かに残された家族は悲痛な想いだろうケド、自害した人もそれなりの理由があるわけで、楽になって死のうとしたのに死んだあとにそれ以上の苦しみを味わせる・・・。 こんなヒドイことが許されるのか?! (まぁ地獄が存在した場合ですが。) 世の中は都合いいようには作られていない・・・。 実に悲しい。 最後に結論:神は必要?=役目を果たしてないのでいないのと同然、でもいいことしてくれるんだったら必要。 あの世は必要?=必要だ!
お礼
>俺にとって神は悪いことを排除する・人を幸運に導く、という役割を持っていると考えています。もし本当に神が存在するのならば戦争を回避させたり、死ななくていい人が死んでしまったりということがなくなるはず。でも現実はチガウ。言うまでもありません。実に悲しいです。 我々が神に対して作り上げる極々普通のイメージじゃないでしょうか(笑)。神を告発したくなる思いが募りますね(笑)。私は小学生の頃、「野生の王国」なる番組を見ていて、「世の中には神も仏もないな」と痛感しました(笑)。あの「弱肉強食」の世界が幼心に耐え切れなかったのですね。草食動物に対しての思い入れが強過ぎたようです(笑)。肉食動物に食べられている草食動物を見ては泣いていた、心優しき少年でしたね、あの頃までは(ぉぃ・・・笑)。 >たとえ神がいたとしても、こんな状態じゃいないのと同じ。だから俺は神=空想として見ています。 そうそう、いないのと同じ。同感同感(笑)。 >「自害した人はたとえ善人でも地獄行き」これには納得いかない・・・。確かに残された家族は悲痛な想いだろうケド、自害した人もそれなりの理由があるわけで、楽になって死のうとしたのに死んだあとにそれ以上の苦しみを味わせる・・・。 こんなヒドイことが許されるのか?! syouiさんはお優しいんですね。ホントにお優しい。こういう優しい方に出会えると私はホントに嬉しくなる。で、はっきり申し上げますが、自殺した人々は地獄へは行きません。それは「自殺」という悲惨な行為を止めたくて為される発言なのですね。だから、「嘘も方便」というヤツです。これぐらいのことを言わなければ自殺志願者があとを絶ちませんからね。自殺をして地獄へ行かなければならないとしたら、それはすべて神仏に罪を請け負ってもらう以外にないのです。 心癒される、優しいお気持ちでのご回答、有難うございました。またどこかでお会いしたいものです。
- mtld
- ベストアンサー率29% (189/643)
「必要かよりも あの世がある と考え そういう前提の生きかたをされた方がその方の為になります」 が私の回答です これに関連し更に皆様の回答に対する感想を申し述べます事をお許し下さい 上記の回答が出て来る根拠になりますから No.1様 ”答えは死ぬ瞬間までわからないと思います ” 殆どの方は死後に解ります が亡くなっても直ぐには解らないようです 特に準備無く突然亡くなった方は 私は生きている間に知る事が出来ました おかげで生き方が変わりました。 No.2様 ”死ねば、肉体はただの物体に~ ”あの世(天国)という、苦しみもない所で、先に行っていた肉親と楽しく~ ” 肉体を置いて往くのです そしてあの世で生きるのです ですから往生と言うのです でも天国へ往けるかは解りません むしろ地獄へ行くかも知れないと考え 往かない様に努力しましょう 私はその様に努力しております。 No.3様 ”必要と言うより、存在するのです 古人が作り上げたものではありません ” どの様にして確証を掴んだのか知りたいです。 No.4様 ”神は我が心にあり ” 本当の意味は 神(親)、人(子)で人=神(仏)の子ですから 人は元々神性(仏性)を持っているの意です ですから他の動物とは全然違うのです。 No.5様 ”「神は必要だ」そして「あの世も人生に必要だ」 ” これは人が神とあの世を造った(想像)事になります ”人生を捨ててしまいたくなった時に「これは神様がわたしに与えた試練だ。」と受け止める ” これは 大変前向きな姿勢です 人生とは一体何? これに答えられる宗教は殆ど無いでしょう ゼロでは有りませんが 人生とは修行です 繰り返し繰り返し修行して天才になるのです 突然変異などではありません 従いまして無為に過ごす事は修行放棄で何も身に付きません無駄な人生となります 私見ですが 悪い事でもした方が未だ まし と思います 悪い事するにも知恵が要りますから頭をひねるだけ賢くなります どの道あの世で悟らされるのです そして次の世で真面目な人として生まれ変わるのです ですから現在 大変真面目な方は前世どんな悪事を働いたか想像出来るのです。 No.6様 ”あの世にも行った事も無いから存在として居るのか場所が有るのかは解らない” 無理もありません 記憶がないのですから 実は記憶が無くなったから生まれ変われたのです 記憶がある内は生まれ変われません 既に何度も往って来たのです おそらく何十回も 私見ですが 優秀な方ほど多いでしょう。 No.7様 ”あの世なんてないさ~” 私も以前はその様に思ってました でも だからと言って悪い事をしてやろうと考えた事はありません 私事ですが隣の爺さんは策略を用いて父(故人)から境界地(ほんの少し)の売買に絡み大金(半端じゃありません)を巻き上げました 父亡き後 私としては何とか悟って欲しいと思い 策略を知ってるような 知らないようなふりをしてあげた事が返って作戦が上手くいったと思い込み 盗人猛々しい態度に私も証拠を掴んでいることをはっきりとさせました これでやっとおとなしくなりましたが(2年掛かりました) 地獄があるとも知らずに やり得と思いこんでいる様子です 先は短いですから その時が近づいたらお説教してやろうと考えております でもカネを返せと言うつもりは有りません あくまでも本人の選択に任せるつもりです それなりの判断材料は与えますが はたしてどうなるか?。 No.8様 ”宗教団体が、テロを起こし金集めの商売としてもなっている” オームですね 世間では全く解ってませんが教祖が空中に浮かんだ話は聞いたと思います あれは本当の話と思います オームだけではなく他にもありますから 始まりはTVによりますと教祖が出版社にその写真を持ち込んだところからだそうで おそらく有頂天になっただろう事は容易に想像出来ます けれどそんな事がどうして起こるのか知らないのです 良い事と思ってやっているのですが実は大変な事なのです ですからおかしな事になるのです 事件が発覚する以前にもTVで別な事をやってましたが いずれおかしくなるのは予想してました 具体的にどうなるかは解りませんでしたが 空中浮遊は他の幹部も言ってましたから おそらく犯罪に関わった者達は全部空中浮遊したと思います と言ってもちょっと浮かんだ程度と思いますが そしてそれが信仰と思っているのです オームは宗教では無いでしょう あの教祖は霊能者です 私が調べた限り教団教祖の少なくとも初代の殆どは霊能者です 金集めを商売としている訳では無く手段でしょう 参考: 霊能者の霊能は何処から来るのか霊能者自身知らないのが殆どの様です 私は霊能者ではありません普通の人です お間違いなき様 でも霊能者の事は良く解ります 皆さんも良く解る様になれますが。 No.9様 ”無神論者ですし、あの世も仏も信じていないです ” 私も無神論者でした 神は想像上の動物と思ってました 証拠を掴む十八年位前までは 否定はしても誰でも心の奥底には秘め持っているらしいです 生活経験上から無いと思っていても心の片隅に残っているのです 何十回もあの世に往って来たのですから残る訳です。 No.10様 ”あの世は事実存在するような~ ”「神」という そういう存在はないんじゃ~ ”自殺するのはあの世のよさを知っているから~ ” 既に何度も往って来たのです 記憶が無いだけです 記憶が有る内は生まれ変われないのです 自殺するのはあの世が無いと考えているからです 自殺者はあの世でどうなるか知ってますか? 宗教では自殺をしてはならないと教えるそうですが理由は教えてないそうです。 ”この世を動かす世界はあるような” 厳として存在します だから 私見ですが 何をやっても上手くいかない人がいるかと思えば 特別才能が有りそうも無い人が何をやっても上手くいく方もいるのだと思います ”「善き者は逝く」” 人の寿命は生まれた時点で既に決まっているのです 生き方と努力で伸び縮みはありますが No.11様 ”「世の中、神も仏もない」教の敬虔な信者ですが ” 世間の殆どはそうですし証拠を掴むまでは私もそうでした 唯物論一辺倒の世界におりましたので証拠が無いと認めない習性が身に沁みついてましたから 見えない物は無いものと断定したのが間違いです 現在の科学レベルでは届かないだけです 実在前提の生きかたをしましょう。 No.12様 ”辺り一面お花畑が目に入って来ました~ ”川に入ろうとしていた私の頭を「ゴッツン」って叩き~ ” お花畑のお話は良く聞きますが私には解りません けれど知り合いがTVで見た霊能者のお話によりますと未だ死ぬ時期ではない人が行く場所だそうです 川を渡るとこの世に戻れなくなるので頭をゴッツンと叩かれたのでしょう ですから戻った方のお話には花畑が多いのかも知れません 良かったですね~そのまま帰れなかったかも知れません。 ”何日も寝ていた私にその時 何故かコブが出来てました~” あの世の体に何か影響がありますと この世の体にも影響が表れるのです 説明は略。 死後の世界、臨死体験は12、3年位前にNHKスペシャルでもやりましたね NHKでもやる時代になったのだな~と当時思いました 臨死体験についての本があります 著者の経歴が面白いです 哲学博士で後に医学博士になり講義をする立場の方で学者らしく慎重に書かれてあります 名は忘れました 米国版の翻訳でした 尚私に臨死体験はありません。 No.13様 ”心の中では神様もいて、あの世の存在も認めているんだな~” 観念上のそれですね? 実在はあやふやな訳です でも実在前提の生きかたをされた方があなたの為になるだけで無く世の為にもなると思います 世の中 益々おかしな世に向かっているみたいですから。 No.14様 略 No.15様 ”心の中に神やあの世の存在に意義を見出している人達を否定はしません ” ”世界のどの地域でも似たような思想になる ”それほど神やあの世の存在を必要としている人々が多い” 心の奥底に秘めて持っているからと思います 私の始めの回答は予備回答で最終回答は言うまでも無いですね? 参考になれば幸いです。 ”人間は生きる上であの世が必要か” と考える事が間違いです 既にあるのです とはいえ無理もありません現在では坊さんがお釈迦様のお話が解らない時代ですから世間では益々解らない訳です でもその様な時代が来る事を予言した経典があります その名は 法滅尽経 この経典は大変面白く 数少ない予言書です 皆さんも読まれると良いでしょう 但し改ざんされた後があります 漢文が既に改ざんされているのです 改ざんされ輸入した物が日本仏教の様です 聞いたお話ですが宗派毎に違うそうです ですから幾つもあるとの事です 法滅尽経とは読んで字の如く 法が滅し尽す と書き 仏教がいずれ滅びる事を予言した経典です お釈迦様がなぜこんな経典を残さなければならなかったのかが問題です 最後の方に この教えは公にしてよろしいとも書いてあります 公にされておりますが改ざんされてしまったのです 誰でも都合の悪い事は隠しますが 裏返すと公にされて無い物も有るかも 実はあるのです トップクラスにいる お坊さんだけが知っている門外不出の経典(予言書)が その名は 弥勒下生経 これも先の法滅尽経と同じく幾つもあるそうです 参考:キリストの予言の一部と似た予言だそうです。
お礼
ご回答、有難うございます。様々な「私見」を大変楽しく拝読させていただきました。ただですね、私は「神は在りや無しや?」「あの世は在りや無しや?」と問うたのではありませんでした。「あなたにとって神やあの世は必要ですか?」と問うたのでした。ですが折角たくさんの「私見」をお聞かせ頂きましたので、私もそれに対する「私見」を少しばかり述べさせて頂きますね。 >No.1様~ なるほど、死後にね。まあ死後に分かるのであれば、生きている間は分からなくてもいいか・・・と・・・ダメ??? >No.2様~ 誰も好き好んで地獄に堕ちるようなことはしないと思いますが、天国って何だか退屈そうな気もするんですよねえ・・・ 地獄の方が何となく変化に富んでいて楽しそうな、と言うかまだ退屈しなくて済みそうな・・・ しかしまあ、仮に今のような生き方を貫いて地獄に堕ちるとするなら私は敢えて地獄に堕ちようと思います。天国に行ける方法が別にあるとしても、自分だけがそれを知って天国へ行きたいとは思わない。 >No.3様~ これはまあ、いろいろとあるんじゃないですか? >No.4様~ 「本当の意味」はあまり価値を持たない。その人がその人生においてある事柄をどのように解釈したか、それが重要だと思うのです。それに「人間だけが神性(仏性)を持っている」とも思わない。「生きとし生けるすべてのもの」が「悉皆成仏」なのでは? >No.5様~ そうですかね? 殆どの宗教が「人生とは何か」についての答を持っているような気がしますが・・・ 私もある意味人生は修行だろうと思っていますが、それでも苦行僧のような人生は送りたくない(笑)。 >私見ですが 悪い事でもした方が未だ まし と思います 悪い事するにも知恵が要りますから頭をひねるだけ賢くなります 怖いなあ、こういう「私見」は・・・ 私は悪いことをするぐらいなら「無為でいる方が絶対まし」と思います。頭だけ賢くなっても心がダメだとオウム教団のようになるだけじゃありませんか(笑)。 >ですから現在 大変真面目な方は前世どんな悪事を働いたか想像出来るのです。 ・ ・・てことは、現在真面目な人間たちは全員前世でかなりの悪事を働いた人間ばかりだと??? ウ~ン、バタンキュ~~(←死んだフリ)
補足
>No.6様~ なるほど、そういうものなんですね。これには「私見」を述べるのが難しい(笑) No.7様~ この方はかなりの「悟り」を開いていらっしゃる方ですので何を言われても最後まで「あの世なんてないさ~♪」とニコニコして嘯いていそうです。かなりの強敵。(笑) >No.8様~ 「空中浮揚」の話なんて私は「嘘っぱちの噴飯物」と思ってますが、まあ仮に千歩譲っても(譲り過ぎ?)そもそも「宗教的空中浮揚」になんて興味がない。それなら「リニアモーターカー」の方がもっと面白そう。麻原って霊能者だったんですか。私は「救世者気取りの妄想に取り憑かれた凶悪な殺人鬼」にしか見えませんが。仮にアイツが霊能者だとすると、「霊能者って何をするか分からないから気をつけろ」ということになりますね。怖い怖い。 >No.9様~ ここも「私見」提出不能かな?(笑) >No.10様~ そんなことはないでしょう。宗教でも「自殺のいけない理由」を教えているはずです。でもそんなものに頼らなくても「自殺のいけない理由」は世間の常識範囲で充分でしょう。即ち、「親、兄弟が悲しむよ」「君は君一人だけの命じゃないんだよ」「君自身の可能性をこんなところで断ち切るのはもったいないよ」・・・・・・ >No.11様 ~見えない物は無いものと断定したのが間違いです~ 私は目には見えないものでも信じているものはたくさんありますよ。皆さんもそうだと思います。 >No.12様~ Nスペはいいものも放送しますが、どうしようもない内容のものを放送することもありますからね。その時放送された「臨死体験」は当時収集できる「臨死体験情報」の寄せ集めで、何ら目新しい情報はありませんでしたね。おぼろな記憶ですが・・・ >No.13様~ この方も自らの生き方は自らで決することのできる人ですのでご心配には及ばないかと・・・(笑) >No.15様~心の奥底に秘めて持っているからと思います~ No.15さんも私も、それは否定していないわけですが・・・尤も「実在のもの」としてではなく「人類共有の無意識に潜むもの、深層心理を突き動かすイメージ」としてですけどね。
- thukuyomi
- ベストアンサー率33% (4/12)
はじめまして。こんにちは。 私のHNを見ていただけるとお分かりと思いますが(神話も好きということなので)、私も神話大好きです。 でも、私自身は無神論者です。あの世や神の存在を、物語・ノンフィクション的には楽しんでいますが実際の存在は信じていません。 学生時代は物理を専攻し、今は化学に関係する仕事についています。何故この選択をしたのかと言うと、宇宙の起源や生命の起源について科学的に知りたかったからです。クローンについても勉強した事がありました。 で、ミクロ・マクロ的な視点から見た結果、自分なりには今の心情となりました。けれど、それも今後変わる可能性もありますけどね。 しかしですね、心の中に神やあの世の存在に意義を見出している人達を否定はしません。 私は世界各国の神話を趣味で色々調べましたが、古代のエジプト然り、ギリシャ然り、北欧然り、中南米の文明も、もちろん日本もですが、皆 独特の死生観を持って暮らしてきたようです。その死生観は文化の一部となって、または文化の重要な担い手となって今に伝わっています。 それらを見て、世界のどの地域でも似たような思想になるのだなぁ、それほど神やあの世の存在を必要としている人々が多いのだなぁ、と言う事がわかりました。神話は人々の願望、こうだったらいいなぁと言う潜在意識が生み出したものだと思うのです。 確かに、実際はともかく神やあの世を信じていた方が心に救いがあると思います。神やあの世というものは生きている人のためにあるのだと思います。 楽しく生きた者勝ちです。現実がどうかは関係なく、神を信じて救われるのなら、楽になれるのなら、その人にはその存在が必要なのでしょう。 私もつらい、本当につらい別れが今まで何度もありました。死別です。なのでそう思います。 結論的は人それぞれではないでしょうか。私が無神論者でありながら神を信じている人を否定はしないように、神を信じている人にも無神論者を否定はしないで欲しいとは思います。(「この宗教を信じないと不幸なりますよ」等・・・) 長くなりましたが、この辺で・・・。
お礼
おお、月読命さん、神話の世界からようこそ(笑)。 >で、ミクロ・マクロ的な視点から見た結果、自分なりには今の心情となりました。けれど、それも今後変わる可能性もありますけどね。 随分と説得力のある過程を経てこられましたね(笑)。でもそれで決め付けることをしないで「けれど、それも今後変わる可能性もありますけどね。」と付け加えられるあたり、本物の科学者の香りがします(笑)。「可能性」を語らない科学者は(信仰者も)私に言わせると「『科学』という信仰(『信仰』という信仰)をしているだけです(笑)。 >私は世界各国の神話を趣味で色々調べましたが、~~こうだったらいいなぁと言う潜在意識が生み出したものだと思うのです。 私も神話世界には随分お世話になりましたが、まさにthukuyomiさんのおっしゃるとおりですね。そもそも数千年の歴史を持つ神話世界に現在まともに太刀打ちできる知識体系があるとも思えない。神話はまさに人類の宝であり、人間精神を奥深いところで支えている普遍的な物語ですね。人はやはり最後には神話に行き着くような気がしてなりません。 >結論的は人それぞれではないでしょうか。~~(「この宗教を信じないと不幸なりますよ」等・・・) おっしゃるとおりでしょう。人それぞれに結論があるのだと思います。それにしても「この宗教を信じないと不幸なりますよ」という思い上がりは一体何なのでしょうね(笑)。随分昔に一頃流行った「この手紙を○人の人に送らないとあなたは不幸になりますよ」という「不幸の手紙」と何ら変わらない、単純極まりない「威嚇の構造」ですね。臍が茶を沸かす(笑)。私はこうした似非信仰者、似非宗教家、似非坊主どもが大、大、大、大嫌いです(強調し過ぎ? ^-^;) 人の心を扱うフリをして、その実弄んでいるだけだからです。な~んにも分かっちゃいないインチキ人間どもですね。人の心の弱みに付け込む連中を私は絶対許さない。「俺が相手になってやるからどこからでもかかってこい!」という気分にさせられます(笑)。 説得力のあるご回答を有難うございました。
- eviko
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evikoです^^ それが・・全くと言って良いほど何も変化無し。。 臨死体験???というにはあまりにもシリアスに掛けていて現実感は頭のコブ位でしたね。。なんじゃ?今のは・・?って感じでした~^^ それにしても爺ちゃんには感謝感謝です^^
お礼
・・・そうですか、全くと言っていいほど変化なし・・・(^_^;) ま、そういう例もあるでしょう・・・(^o^; でもでも、evikoさんにおじいちゃまへの「感謝の心」が目覚めただけでもめっけものというもんです(笑)。わざわざご説明に来てくださり有難うございました。(^.^)/~~~
- chapanese
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masatoshi-mさんことマーちゃん (うっ、また失礼を省みず、お許しください) もう春の気配も感じるこのごろですね。 お礼ありがとうございました。 他の皆様の御意見もとても興味深く読ませていただきました。 皆様やはり心の中では神様もいて、あの世の存在も認めているんだな、と思いました。確かに人間最後は死ぬわけだから自ずとそう感じるのかもしれないし、生きている以上信じるか否かはさておき、宗教にめぐりあい、その教えについて考えたりすることありますものね。 masatoshi-mさんは「わたしの内面世界にもう少し降りてみたい」とおっしゃってますが、ドロドロしていますよ(笑) 「健康で他人に迷惑かけなければ150歳まで生きたい」 といわれてますが、ほんとうに健康第一ですよね。 「長生きしたくない理由」といいますと、 健康というのは哀しきかな年齢とともに衰えていきますし、いつまで元気でいられるかわかりません。また他人に迷惑かけてまで生きたくない、というのはあります。私自身が働けなくなって、自分で自分を養えなくなったらそれで終わりだって思います。しかも年金ももらえるかわからないですしね。(笑) 前にも申し上げましたがわたしは親から抑圧されて育ちました。 「お前のせいで・・・」「お前なんか・・・」とののしられ、殴られてきました。 だから父親が急に亡くなったときも「自分のせいで苦労して死んだんだ」という罪悪感が抜けないでいます。 そのせいか私はどこか冷めた、自分勝手な人間です。自分の評価はとても低い、臆病な人間です。人に迷惑かけることがとても怖いので、自分の気持や事情はなかなか話せないのです。 ですから、わたし自身「自分で自分を養えない」「自分が人に迷惑かける」ということはものすごくつらいのです。 それだけじゃありません。残された母はよく言ってます。「100まで生きるって」。自分が健康でとか迷惑かけてなんて思ってません。親の面倒は子供が見るものって思ってます。。 だからわたしは長生きしたいとは思わないのです。 図太く生き残りたくないです。ただでさえ罪深い自分なのだから。 わたしはどこかムリをしていました。 外面の強い自分と内面の弱い自分、いままでかろうじてつないできたけど、そのきわどいバランスはある一件であっけなく崩れてしまった。。 11さんが、「いまのところ全敗」とおっしゃってますが、わたしもいまのところは全敗だと思います。(笑)だから長く生きたくない、という気持が働いているのでしょう。 自分の親、親戚、友人などの死を経験し、またこうした自分の心を見るにつけ、「勝手な自分を許してください」「健康無事ですごさせてほしい」「心穏やかにすごさせてほしい」と心の中で手をあわせたり、神社仏閣で手を合わせている自分がいますから、 やっぱり神様ってものを必要としているのかな? わたしは今を生きるしかありません。 先が見えない分不安にもなるけれど、お迎えがくるまで人生を投げ出すわけにもいかない、だけど、ほどほどがいいなって思うんです。 「人は皆大河の一滴、最後は海へと帰るのだ」と思うようにしているので、「あの世」というのは「自分が生まれた源」と考えると「死の影におびえる」ということはあまりなくなりましたね。 ちょうど自分の生き方について考えるよい機会を与えてくださいました。 こういうご質問をたててくださったmasatoshi-mさん、および回答者の皆様に感謝いたします。
お礼
>masatoshi-mさんことマーちゃん ・・・(*^.^*)・・・(←バカ) >皆様やはり心の中では神様もいて、あの世の存在も~~その教えについて考えたりすることありますものね。 人間の精神の中には極めて《聖なる層》があって、それが「超越者」や「信仰」を夢見させるのだと思います。(「夢見させる」という表現は適切ではないかもしれませんが、私の中ではしっくりくる表現ですので、どうぞお許しください(笑))。しかしながらこの《聖なる層》は聖なるがゆえに(?)純粋(純情)過ぎて、一度思い込むと暴走する恐れがあるのですね。「何でこんなに頭脳明晰な人がこんなくだらない、訳の分からない狂気の教団を信じているんだろう」と思うこともしばしばですからね。 >前にも申し上げましたがわたしは親から~~罪悪感が抜けないでいます。 精神的に深い傷を負っていらっしゃるようですが、人は皆多かれ少なかれそうした痛みを心の奥底に抱えていると思います。それをどう癒し、そこからどう立ち直っていくかが問われているわけですが、仮に癒えない傷であろうとも、「その傷こそ自分自身なのだ」と思って、私は私の中の癒えない傷とは心静かに付き合うことにしています(笑)。もっと言えば「その傷こそ自分自身の個性を作っているのだ」と・・・ 心に負った深い傷はそうそう簡単に消えるものではありません。長い時間が過ぎて、「もうそろそろ大丈夫だろう」と思っていても、遠い記憶になったはずの傷の痛みがまるで昨日のことのように不意に生々しく甦ることがあります。時間を超越して存在する「心の傷」は時間を決して医者にはしません。そういうときには、心静かにその傷と付き合うことにしています。するとその痛みも案外悪くない。その痛みを通して他人の痛みがいくらかでも理解できるような気分になるんですね(笑)。
補足
>だからわたしは長生きしたいとは思わないのです。 図太く生き残りたくないです。ただでさえ罪深い自分なのだから。 そういう状況がある下でなら、chapaさんのお気持ちもよく分かります。私だってそう思うでしょう。でも、ひとつ言わせていただけるなら、chapaさんはchapaさんの本当の個性にまだ気がついていない。本物の個性は「・・・だから私は・・・」とは考えないのです。「私は・・・」と考える。 >「人は皆大河の一滴、最後は海へと帰るのだ」と思うようにしているので、「あの世」というのは「自分が生まれた源」と考えると「死の影におびえる」ということはあまりなくなりましたね。 「死の影におびえない」という心境は、ある意味信仰心を持った人の特権みたいなものです。信仰心というのはかくも「精神の安定」を人間にもたらすものなのですね。「人は皆大河の一滴、最後は海へと帰るのだ」という気持ちは私に言わせるなら実に深い、そして敬虔な信仰心の表明です。そういう心を持てるなら、人は決して「死の影」におびえたりすることはなくなるでしょう。 再度のご回答、有難うございました。中で敢えて失礼な発言をしたかもしれませんが、悪意はありません。120%、chapaさんへの心からなるエールのつもりで書きました。またどこかでお会いできたらと思います。(‘ー‘)/~~
- eviko
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すいません再びevikoです^^ 思い出したんですけど・・神様は合った事無いけど天国って有ります。科学的な根拠?無い私の不思議体験です♪m(__)m何年か前インフルエンザで高熱が続いて41度の熱が何日も続いて「ヒーヒー」してた時の話です。 横になりボーっつとしながらも意識は有り下で姉が包丁を使う音が聞こえていました、ふと目の前がグルグルしてきて気づいたら川の側で小さい私が一人で立っているのが目に入りました、小さい私はしばらく川の側をウロウロしながら何か困っているようでしたが突然意を決した様に川に入ろうとします、私はただそれを見ているだけでどうしようありません。「アチャチャ又いたずらしてるよ・・」相当やんちゃだったと聞いていたせいか心配よりもそんな事を思っていました。。その時急に幕が開くように川の向こうに視界が明るくなり辺り一面お花畑が目に入って来ました。とまばゆい光の中太陽を背中に誰かが「ドドドドーーーッ」っと物凄い勢いで走って来ます 「じ・・爺ちゃん・・・」 何故か亡くなった祖父がえらい勢いで風で顔の形が変る位の勢いで走ってきて「トゥァーーー」との掛け声でジャンプで渡り川に入ろうとしていた私の頭を「ゴンッツ」って叩き(生前よく、何も言わずにゴツってされてましてその理由は子供ながらに言われずとも理解出来る事でしたが・・)手を繋いでどこかに行ってしまいました。小さい私は頭をさすりながらぺろりと下をだしニコニコしてついていきました。 何だったんだ??不思議な思いにかられて居た私は様子を見に来た姉にその事を話すと「あーさすがだね、おじいちゃまって昔陸上選手で国体出てたんだよ、短距離、と幅跳び、やっぱ昔取った杵づかだね~」 「(‥ )ン?そうゆう事かい?」 私は三途の川に足を踏み入れようとしていた所を祖父に助けて貰った様です。夢かもしれないけど。。夢じゃない・・だって何日も寝ていた私にその時何故かコブが出来てましたから^^;。。。よかったあの世に助けてくれる人がいて。。じいちゃんありがとうm(__)m
お礼
あ、evikoさん、再びのご来訪&ご回答、有難うございます。(^。^) う~ん、所謂「臨死体験」というやつですね。この臨死体験をした人はその後の人生観が変わってしまうと言いますね。やはりevikoさんもそうでした? 宇宙飛行士も、宇宙へ行って地球を眺めたりすると人生観が180度変わってしまうことがある、と聞いたことがあります。何だか非常に敬虔になり、信仰心を更に深め始めるらしいのです。それほどに宇宙は神秘的であり、宇宙創造主たる神は感動的なのでしょうね。私はそうした方向へ進んでしまう人間の精神性を実に興味深く眺めています。「人は心のうちに『神々』を宿しているんだな」「人の心はそのまま『宇宙』なんだな。心は『(小)宇宙そのもの』なんだな」と思って楽しくなるのです。 evikoさんのおじいちゃまは優秀なアスリートだったんですね。そのお陰でevikoさんは命を救われたんですよ。感謝しなければいけませんよ(笑)。私たちが先祖を思う以上にご先祖様は私たち子孫のことを思ってくださっているのかもしれません。私たち子供が親を思う以上に親が子供のことを思っている、その図式と同じですね。「親思う心に勝る親心 今日の訪れ何と聞くらむ」・・・ってこんなときに松陰を引きずり出してもおかしな話ですが(笑)。
- poor_Quark
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私もどちらかといえば「世の中、神も仏もない」教の敬虔な信者ですが、仏壇には手を合わせますし、神社仏閣の散策も好きです。それは神仏にすがるためと言うより、単に気持ちが落ち着くからですが、人口密集地で緑のあるところを探せばやはりそういうところになるかと思います。「神」や「あの世」などの概念を内包する宗教は、都会に緑を残す手段としては、そうとうに強力です。 さて、人間がほかの動物にない特質としては、他人の立場に立ってものを考える知性と、人の痛みを知ろうとする想像力があるかと思います。それらを「人間性」と呼んだり「情」と考える歴史的な背景が私たちにはあるし、もちろんだれしも自然に備わっていると考えてよいと思います。 この世で虐げられたまま死んでしまった人や不本意にも不慮の死を遂げた人に対して、「冥福をお祈りします」と言ったりしますが、これはあの世で幸福にすごせますよう、という意味でまさにあの世の存在を前提とした表現です。 それは、私たちは自らの人間性や情に照らして、不幸にして、長かるべき人生半ばで亡くなった人のことを思いやり、死の圧倒的な理不尽さにたいして少しでも抵抗したい、という人間のささやかなイクスキューズなのでしょう。 またそのことを裏返せば、「神」や「あの世」などの超常の概念のどこかに、まだ生きてこの世にある私たち自身が、生きることの悲哀を一身に背負い、懸命に生きていこうとする姿と一体となった想いが多生は影響しているのではないでしょうか。 私は中年にさしかかって、特に自分自身の人生の終わりが見えはじめた現在、去ってしまった親しかった人を想うとき、悲しくもほのかに暖かい想いとともにかれらと在ることが、とても幸福に感じるのです。また、私がいなくなったときそういう風に私のことを想ってくれる人がこの世に一人でも残すことができるのなら、こんな人生でもあながち不幸とはいえないのかもしれない、そんな風に考えています。(いまのところ全敗ですが) だれも死を免れ得る人はいません。死の影に恐れおののきながら生きるのか、あるいはそうであればこそ前向きで懸命に生きようとするのか、「神」や「あの世」が我々のこころに映し出すものは決して軽いものではないのでしょうが、自らの「死」というものを解決できない以上、詭弁などではなくやはり必要な存在であり、まさに「人間性」の一部なのではないか、私はそう思います。
お礼
>私もどちらかといえば「世の中、神も仏もない」教の~ そうですね、私も神社仏閣を散策するのも訪ね歩くのも好きですね。落ち着く、ということもありますが、かつての文化が今に伝えられているその姿を見るのが好きなんですね。因みに私は「神話」も大好きですよ(笑)。 >この世で虐げられたまま死んでしまった人や不本意にも不慮の死を遂げた人に対して~~~懸命に生きていこうとする姿と一体となった想いが多生は影響しているのではないでしょうか。 おっしゃることに同意です。人間の生き死には、それが故意によるものでない限り、どうしようもないものですからね。いや、ひょっとすると故意によるものですら、どうしようもないものかもしれません。その圧倒的な運命の前に、私たち残されたものはただ項垂れるしかありません。そして諦めようとする気持ちも込めて「命(この世)に縁がなかったんだね」とつぶやくのですね。死ぬ必要のない命が無残に砕け散るさまを見て平然と受けて立つことのできる人などいません。幼児の虐待死や無差別殺人等を目にすると体の中で血が煮え滾り、沸騰する思いを味わいます。命の、或いはこの世の不合理に立ち会う瞬間でもあります。 >私は中年にさしかかって、特に自分自身の人生の終わりが見えはじめた現在、~~~こんな人生でもあながち不幸とはいえないのかもしれない、そんな風に考えています。(いまのところ全敗ですが) 最後の(いまのところ全敗ですが)の意味が今ひとつよく呑み込めないのですが(笑)、実に穏やかで静かなご心境のようですね。私はまだ人生の終わりが見え始めるような年齢には達しておりませんので、poor_Quarkさんのような明鏡止水的心境にまでは至れませんが、おっしゃっていることのお気持ちはよく分かるような気が致します。
補足
>~「神」や「あの世」が我々のこころに映し出すものは決して軽いものではないのでしょうが、自らの「死」というものを解決できない以上、詭弁などではなくやはり必要な存在であり、まさに「人間性」の一部なのではないか、私はそう思います。 最早「悟り」のご心境ですね。poor_Quarkさんがお幾つの方かは存じませんが、これはある程度年齢を経なければ分からない心境でしょう。理屈を捏ねているだけでは到底達することのできない「悟り」です。勿論年齢を経ても自らの人生観の中に「あの世」も「神」も組み込まないという生き方も充分成り立つわけですが、これは最早「あるか、ないか」の議論の対象となるような次元での「あの世」「神」であり、poor_Quarkさんのおっしゃるような「神」「あの世」とは別種のものです。「神話なしで人は自らの人生を完結できるのか」という私の人生観に照らし合わせるなら、poor_Quarkさんの到達されているようなご心境は「かくもありなん」という感慨を覚えます。 ご回答、有難うございました。
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お礼
あ、deadmanさん。お名前からしてあの世の方?(ぉぃ) 私はある意味deadmanさんに嫉妬心を覚えています。だって、○○さんから「是非お会いしたい」とアプローチかけられてる。私もそういう言葉を掛けられてみたい(ぉぃ)。あの人もdeadmanさんの回答常連者だし・・・(←嫉妬の目(コラ)) >また、真の意味で「公平な世界」とはどういうものかを考えたばあい、輪廻転生とか死後の世界などという要素を加えれば、非常にきれいで万人を納得させるモデルが作れることもまた明らかです。 うんうん、そうですね。私もかつて、そのように考えていた時期がありました。でも人生斯くの如し、少しもきれいでなく、万人を納得させることもなく、不条理極まりない人生が、あるいは世の中が、未だ私の前に投げ出されるばかりなのです(笑)。 >もしもある日、どっかの科学者が神の実在を実証してみせたとします~~保証された利益と引き換えに今、代価を支払っているという意味では単なる商取引と同じです。 うわっ、おもろ、ホントにおもろ。なるほど、ここまで頭の良い方だったんですね、deadmanさんは。だから女性ファンが多い(ぉぃ)・・・ 実に鋭い考察ですね。言うことなし!!! >もしも僕が神サマの立場だとしたら、どっちを向いても神サマなんているハズないわと思わせるような出来事ばかりのこの世の中で、それでもあえて信心深く生きている人を見つけたばあい、それはさぞかしその人を可愛く思うことでしょう。なんかごほうびをあげたくなっちゃうかも。 今度生まれ変われるとしたら私はdeadmanさんに生まれ変わりたいかも(ぉぃ)。 >読み返すとけっこう長文ですね。どうも失礼しました。 いえいえ、とんでもない。長文でもなんでもないですよ。deadmanさんの文章ならこれからでもずっと読んでいたい(笑)。(でも「ライバル」ってこともホントだからね(ぉぃ)) 何だかホンワカした気分になってしまいました。心癒されるご回答、有難うございました。ライバルの戦いはこれからもつ・づ・く(←バカ)