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信長は義昭追放時に征夷大将軍を要求したの?

信長は足利義昭を追放した時に、朝廷に征夷大将軍を要求したけれど 平氏を自称していたため断られたという話を聞いたことがあるのですが何か証拠が残っているのでしょうか? それともただの噂話なのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.3

よく、いわれるが、確たる証拠のない伝聞 ・平氏を自称していたため断られた ということ自体、ありえんし、まー言われても 織田さんなら 「ウチ、実は藤原なんだわね、なんも問題ありゃせんがにゃーも^_^;」 だし 本能寺の変の少し前には、当時 右大臣を辞して、無官であった信長に、 朝廷側から、関白・太政大臣・征夷大将軍、 どれでも、お好みの官職に就任してくだされ といってきたくらいです (武家伝奏勧修寺晴豊の日記『晴豊公記(天正十年夏記)』)

48946
質問者

お礼

やっぱり証拠は無いのね でもそんな(征夷大将軍を要求した)話は作られちゃうのね

その他の回答 (3)

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.4

#3さんも回答しているように、信長は朝廷から「関白、太政大臣、征夷大将軍のどれでも好きなもの持っていってくれ」といわれています。しかし、それを蹴飛ばして右大臣の官位まで返上しています。 なぜ信長が官位を返上し他の官位も蹴った(他にそれ以上の官位はない)のか理由は明白です。 官位をもらうということは、信長が天皇の部下であることを受け入れるということです。それまでの信長は絶対的地位にはいなかったので、天皇の部下であることでいろいろと政治的に利用してきましたが、官位を返上する頃つまり天正10年あたりになると信長の地位は絶対的なものになり、「日本全国の大名vs信長」でも勝てるほどの実力になっていました。毛利も上杉も信長には対抗しえる戦力はありませんでした。 だから、信長はもう天皇に頭を下げる必要もないし、彼にとって天皇の利用価値もほとんどなくなってきたといえるでしょう。この頃になると自分を神になぞらえて参拝させるなど「絶対的権力者」としての振る舞いを隠しもしなくなってきたので、信長の本心はどうだったのかもう我々に知る術はないですが、天皇家や保守的な人々からすれば「信長は天皇家を抹殺するのではないか」という危機感は相当リアルにあったと思います。 そんな信長が将軍家すなわち朝廷に対しても織田家臣団で随一のパイプを持つ明智光秀の謀反によって葬られたことがまあ様々な憶測を呼ぶわけです。

48946
質問者

お礼

無しですか

  • Willyt
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回答No.2

信長が征夷大将軍を要求して平氏であることを理由に拒否されたという事実はないでしょう。当初から征夷大将軍は源氏の頭領に与えられるという不文律があるのは周知の事実で、朝廷はそれを踏まえ、右大臣の職を彼に与えています。信長は朝廷の権威を借りた武家政治という考え方は初めから持っておらず、彼がもっと長生きしていたら、朝廷そのものを廃絶した可能性が高いですね。自分こそが日本の王だと自認してこれを公言していましたからね。彼は折角貰った右大臣の職をまもなく返上してしまいました。

48946
質問者

お礼

やっぱり無いのか

回答No.1

清和源氏の血筋でないと征夷大将軍にはなれない・・と言うのは風説だそうです。 どの血筋でも征夷大将軍になれたそうです。 ただ織田信長が征夷大将軍を要求したのは諸説あり、いまだに分りません。 天皇から勅使が征夷大将軍の話を持っていったのは本当の話です。 どうして受諾しなかったのかはなぞですが・・

48946
質問者

お礼

本能寺の頃は征夷大将軍なんてどうでもよかったかも知れないけれど 足利幕府を潰した頃は征夷大将軍に成りたかったのかなぁ~と 何かそれらしい動きをしていたのか知りたかったのです

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