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戦国武将のポジションとは
日本史に興味が無かったのですが、 最近になって少し興味を持つようになりました。 織田信長や武田信玄といった武将は、なぜ闘っていたのでしょうか。 誰の命令でやっていたのでしょうか。 公家ってなんでしょうか。 朝廷や幕府ってどういったものでしょうか。 征夷大将軍ってどんなポジションでしょうか。 後醍醐天皇とか、天皇って付く人は一番偉かったのかなと思っています。 いつの時代も天皇がてっぺんなのでしょうか。 いろんな言葉が飛び交っていて、全てが点なのですが、 線でつながってこないです。今の日本でいうところのどういったものに 相当するのかが見えてきたら嬉しいなと思っています。 宜しくお願いします。
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昔昔、猛獣やケガ、病気などに備えて、複数の人間が集まって暮らすようになりました。村の誕生です。 獲物や生産物を巡って争いがおこり、いくつかの村が連合して「国」になりました。 卑弥呼と呼ばれる女性が君臨した国が「邪馬台国」です。そのことは、中国の「魏志」という歴史書の「倭人伝」という所に書かれています。 そのころ支配者は天皇ではなく、「大王(おおきみ)」と呼ばれていたようですが、日本には文字がなかったので、詳しくはわかりません。 日本人が文字を知って、歴史を書き始めたころには「天皇」とその家臣である「貴族」がいました。 「なんでオマエが日本を支配するの?」と問われた時のために、高天原という神様の世界の神様から、「『あれがオマエの子孫が支配する大八洲豊葦原瑞穂国だ』と言われて降臨したのが、天皇様の祖先であるぞ」という神話をデッチ上げました。 それはウソだという人もいますが、大半の国民が「なるほどね」「日本人はみな天皇の赤子なんだ」と納得して民族・部族皆殺しのような徹底的な殺し合いを(ほとんど)しなくなったのですから、♪それでいいのだ~♪。 というわけで、文字で記録が残せるようになったころ、すでに天皇は大和(奈良・京都あたり)に存在して、日本で一番偉いのだということになっています。てっぺんなのです。 天皇は朝廷という場所で政治をしました。朝廷というと朝やるものなのに、日本では夜開催しましたので、中国の皇帝は「おかしい!」と言っています。でも、やることは同じ。租庸調という税金を集めて、天皇や貴族の報酬にしたり、道を作って商売しやすくしたり、川に堤防を作ったり、後にはお寺を作って国家平穏を祈願したり・・・ いまと変わりません。 貴族は、初期の天皇に協力して「天皇の政治」を補佐した人たちやその子孫です。 貴族の中のあまり身分が高くない人を「征夷大将軍」にして、東北に住む人たちを支配下に入れました。武力による日本統一です。これが征夷大将軍の始まりです。 他方、貴族やお寺、神社などは、自分たちの領地を守ったり税を運ばせるために、身分の低い者に武器を持たせました。 それが武士の始まりです。武士たちは、最初はマジメに仕事をしていたのですが、貴族は立ち入り調査に来ないことがわかると、段々不マジメになり、税金などをごまかして自分の懐にいれるようになりました。 もっとほしいもっとほしい、ということで武士が団体を作り始め、大きな団体交渉権を得るため、天皇の子孫の平氏や源氏をボスにして争い、やがて源頼朝が征夷大将軍となり、朝廷に対抗して鎌倉幕府などを作りました。 幕府とは、征夷大将軍などの軍人(武士)が、支配地の支配するための相談をした場所のことです。つまり、ミニ朝廷。 平氏や源氏の本家はあまり優秀な人が出なかったせいで、分家が力を得てきました。それが源氏の分家の足利家などです。足利家は「室町幕府」を作りました。 室町幕府の始め、天皇家は北朝と南朝(後醍醐天皇系)に分裂しました。後、足利家が支援した北朝が勝って、今の天皇陛下は北朝の子孫です。 余談ですが、大戦後熊沢という人が「俺は南朝の皇位継承者だ。俺を即位させろ」と占領軍に直談判するという事件がおきました。一時期大問題になりましたが、結局はほとんど無視されてこん日に到っています。 閑話休題 ところが、室町幕府の跡継ぎ問題などで、地域ボスたちが京都に集まって応仁の乱という戦争を始めました。誰が敵で誰が味方か分からない、無意味な戦争を京都でやっている内に、地元にいた下級武士が力を付けてきて、互いに争うようになりました。これが戦国大名の始まり。 織田信長も武田信玄も戦国大名です。領地を盗らなければ自分の領地が盗られるという社会になったので、より多く盗り自分の力を強くするために戦国大名たちは戦いました。誰からの命令も受けていません。 天皇はとうの昔に実権をなくしていましたが、戦国大名でも、「日本が天皇のものだ」「人民は天皇の赤子だ」ということを認めていましたので、皆殺しはほとんどしていません(ボスが腹を切れば終わり)、天皇が「戦争をやめろ」という勅書を出すと、とりあえず(一時的に)戦争をやめたりしていました。 ということで、質問者さんが尋ねた言葉はぜんぶ出した、線でつなげた、と思います。
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- kitsunetoneko
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いつの時代も,一応,日本では,天皇が,てっぺんです..今でも,天皇陛下が,てっぺんです..現在,天皇は,日本の象徴ですから,政治には,関与しませんが,日本は,いわゆる,立憲君主制を,取っていますし,年号も,西暦と,元号(昭和,平成,○○ ‥など)の両方を用いています..明治期まで,日本の天皇(帝)は,当時の京都に居ましたが,普段は,平安宮などの宮殿や,御所の,奥深くに住まわれていて,ほとんど外出することなども無く,天皇の命令(詔勅)が出ると,天皇の配下の,朝廷官吏の貴族達などが,それぞれ手配し,実行していました..公家とは,主に,五位以上の,位階などを授けられた,古代日本などの,京都の朝廷の官吏や,貴族達のことを指すようで,いわゆる,文官貴族や,官吏のことを指すのですが,朝鮮半島の,李氏朝鮮などでは,宮殿を守ったり,地方を守ったりする,武官貴族や,官吏達の地位は,文官貴族や,官吏達に比べて,かなり低いのですが,日本の場合は,戦いや,戦闘を生業とする侍や,武士が,朝廷のトップの天皇や,上皇,法皇などに引き立てられ,当時の,伊勢地方(現在の三重県)の,一豪族出身の,朝廷の武官貴族などにすぎなかった,平清盛氏の一族などは,朝廷の,文官貴族しての,最高位である,太政大臣(李氏朝鮮の官職では,領議政か)にまで上り詰め,高倉天皇の後見人などになって,娘を,高倉天皇の正室(妃)にすることなどで,その権力や,勢力範囲などを,拡大して行きましたが,地方の侍や,武士達などの反感を買い,平清盛氏の一族以前から,朝廷の武官貴族や,武士として,名高い一族だった,源頼朝氏等の,清和源氏の武士達などに,源平の戦いで負けて,平清盛氏の一族のほとんどは,壇之浦で亡くなってしまいました..それ以降も,後鳥羽上皇の,承久の乱など,朝廷の天皇と,地方の武士の勢力は,度々,大きくぶつかり合い,戦いますが,武士や,武家勢力が,勝利し,応仁の乱では,武士同士が,激しくぶつかり合い,戦った為,当時の京都の朝廷のある辺りや,御所,街などは,荒廃し,当時の京都に住み,地方の武士達などを治めていた,武士達のトップの,足利将軍は,京都から追放され,治安が,非常に悪化していましたが,そういった混沌とした時代に,現れたのが,戦国の風雲児,覇王,第六天魔王こと織田信長氏で,足利将軍家などに近い存在だった,武田信玄氏と,対立したのでした..
- あずき なな(@azuki-7)
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天皇 日本人のトップ 武士や公家はみんな天皇の家臣 征夷大将軍 天皇の代わりに日本の統治を任された武士のトップ 関白 天皇の代わりに日本の統治を任された公家のトップ 戦国武将は天下統一のために戦ってました 征夷大将軍になるには全国を統一しないと みんな言うこと聞かないので (天皇は軍隊を持っていなかったので 征夷大将軍は天皇の代わりに戦う役目も持ってました)
お礼
お礼遅くなりましてすいません。。ご回答ありがとうございました。 関白のポジションもいまいちよくわからなかったですが、見えてきました。ありがとうございました。
- 96megabrown
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信長は自分の陣地を広げて天下布武という目標のために戦してたくさん殺戮して、 信長の妹を政略的に嫁がせた浅井長政が守ってた地にある 比叡山延暦寺に火をつけたり、その他の武将などもお前強いから俺の部下にしてやるみたいなこととか、 いろいろやって天下布武を成し遂げました。 武田信玄は信濃国を戦で勝ち取った人です。 自分の陣地が増えれば配下も増えます。 簡単に言うと国取り合戦ですね。 征夷大将軍は、東北を征服するための強い人みたいな表向きで、征夷大将軍って肩書きをあげれば天皇にはむかわないだろう見たいなのもあったと思います。 今で言うとこのポジションはないですね。明治時代にやっと廃止されました。 天皇はいつの時代も別格でエンペラーという感じです。 武将たちが陣地を広げてる最中でも、天皇は地域地域を守ってる頭領ではないので、 自分の陣地を広げなくてもかまわないですからね。 しかし天皇系の家系の人で野心がある人は自分が天皇になってやろうとか、自分の子供を天皇にしたい、 そうすれば圧倒的な権力が手に入るから、と考えてました。 今は国の象徴として外交に国内にと忙しく仕事量も多いようです。 以上ざっくり日本史でした。
お礼
お礼遅くなりましてすいません。。とてもわかりやすく説明していただきましてありがとうございました。人の欲望や野心が時代を壊したり作ったりしてきたのかなと感慨深く拝見しました。ありがとうございました。
- eroero4649
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>織田信長や武田信玄といった武将は、なぜ闘っていたのでしょうか 誤解を恐れずにいえば、ヤクザの縄張り争いです。戦国時代というのは今でいうなら政府の力がなくなって警察が機能しなくなったようなものです。警察が機能しないので、ヤクザ同士が抗争して縄張りを争ったのです。 >公家ってなんでしょうか。 天皇家に近い家の人たちです。平安時代などには、本人の実力は関係なくどの家に生まれたかでどこまで出世するのかだいたい決まっていました。その中で由緒ある家柄の人たちを公家と呼んでいます。 >朝廷や幕府ってどういったものでしょうか。 時代によって大きく変わります。今の日本政府と戦争前の大日本帝国は違うでしょ。 >征夷大将軍ってどんなポジションでしょうか。 最初は「派遣軍総司令官」という意味でした。当時大和朝廷の勢力外つまり外国みたいなものだった関東、東北地方を征服するために派遣された軍隊は、そこを征服したら統治を行なわないといけませんよね。それをするためにいちいち京都に許可を貰っていたら統治が回らないので、行政の権限も与えたのです。「っていわれてもなにいってっか分かんないっす」といわれてしまうとこれ以上優しく説明するのは難しいです。割り算ができない人に二次関数を教えてくれといわれてもね。 >後醍醐天皇とか、天皇って付く人は一番偉かったのかなと思っています。 「偉いという体裁でやっている」のです。それは今も同じですね。一応、今の内閣も発足すると天皇に「こういうメンバーでやりますので、許可をください」とやります。すると天皇はそれぞれの大臣に任命書を渡すのです。この任命書を受け取って初めて内閣が正式に発足するのです。だから今でもときに深夜に任命式をすることもありますよ。今上天皇にあらせられましては、ご高齢なのにお疲れ様ですとしかいいようがないのですが。 >いつの時代も天皇がてっぺんなのでしょうか。 てっぺんの意味には二つあります。「立場上てっぺん」「実際の権力を持ったてっぺん」。天皇は前者ですね。立場上はてっぺんという体裁です。 >全てが点なのですが、線でつながってこないです。 それはそうです。歴史というのはひとつの大きな流れですから、点で理解するのは高等数学の膨大な計算式の一部だけを切り取って理解するようなものです。 もちろん、ところどころで節目になる出来事があって、そこからなら以前の歴史がよく分からなくても理解できるというのはあります。例えば江戸時代末期にペリーが来航していわゆる幕末という時代が始まりますが、それ以前の知識がなくてもそこから追っていけばなんとなく幕末が理解できるようになります。
- doraneko66
- ベストアンサー率11% (535/4742)
ん?それ、普通に調べれば分かることです。 興味があるなら調べるべきでしょう。 天皇の話まで混ぜるとややこしいです。 大化の改新とかまで話が遡ります。 織田信長と武田信玄を簡単に言えば 軍隊がゲリラ取り締まるくらいの違いや感じです。
- ichikawa2017
- ベストアンサー率54% (452/836)
>織田信長や武田信玄といった武将は、なぜ闘っていたのでしょうか。 戦闘を行っていた理由はその場その時で違います。 共通しているのは一口で言えば国境線争いです。 現代で言えばイスラエルがヨルダン川の西岸地区でやっているようなものです。 これには武将というか武士という階層が誕生したのと深い関係があります。 武士というのは発祥が二種類あります。 一つは源平などと言われる人達です。 京都朝廷は軍隊というものを持たない世界史上まれにみる政府でした。 京都市内や周辺の治安を維持するための現代で言えば武装警官のような組織は持っていました。(検非違使) 当初は天皇になれなかった息子も朝廷で養っていましたが数が増えて養い切れなくなりました。 適当に領地を与えてそこからの年貢で自分で生活するようにさせました。(臣籍降下) これ等の人に源、平という苗字を与えました。 皇族には苗字がありません。 これ等の人の中から戦争を請け負う人が現れました。 戦争を請け負わない源氏や平氏がいました。 この人達と区分して武家源氏などと呼ばれます。 これが後に源平合戦などを広げる源氏や平氏のルーツです。 朝廷は全国の治安維持をこの人達に委任していました。 皇籍を離れていますので朝廷の建物には入れませんでした。 庭先に待機していました。侍(さむらい=さぶろう者)と呼ばれました。 朝廷の建物は南を向いていますがそれを見上げるような場所にいますので北面の武士と呼ばれました。 土地は全て国家即ち朝廷のものでした。(公地公民) 地方ごとに管轄する人がいましたが、本来は集めた年貢を朝廷に納めてそこから給与が支給されていましたこれを全部自分のものとする荘園という制度が生まれました。(荘園制度) 当初は朝廷の許可を得てやっていましたが時代とともに地元の有力者が勝手にやるようになりました(寄進荘園) この寄進荘園内の治安を維持する腕力の強い連中が現れました。 隣の荘園との境界に暮らす農民の間で土地争いが起きるとこの連中が乗り出してきました。 この連中の親玉が後の戦国時代の武将のルーツです。 >誰の命令でやっていたのでしょうか。 信長などの時代では誰からの命令でもありませんでした。 源平の時代の初期には朝廷内での権力争いの一環として天皇や上皇などからの命令で動いていました。 後には自分達の勢力争いで戦闘を行っていました。 >公家ってなんでしょうか。 朝廷で政務を行う現代で言えば国家公務員です。 >朝廷や幕府ってどういったものでしょうか。 朝廷は天皇を頂点とする中央政府です。 幕府というのは元々は戦闘の際の総司令部のことでした。 戦闘終了後も年貢の徴収や治安維持にあたるようになりました。 現代で言えば軍事政権ということになります。 >征夷大将軍ってどんなポジションでしょうか。 朝廷から任命された役職の一つです。 軍事力を背景として絶大な権力を振るっていた時代もあれば、単なるお飾り程度だった時代もあります。 鎌倉時代に北条氏が政権を握っていた頃から江戸時代が始まるまでは単なるお飾りでした。 任命されない時代もありました。 >いつの時代も天皇がてっぺんなのでしょうか。 形式的にはいつの時代でもてっぺんですが、実際には天皇をさしおいて権力を振るう人間がいました。 多くは上皇と呼ばれる引退した天皇ですが平安時代には家臣である藤原氏が権力を振るっていました(摂関政治) 江戸時代には征夷大将軍という天皇の家臣である徳川氏が設けた幕府が絶大な権力を行使していました。 幕末に大政奉還という儀式をおこなったのは全国の大名を統治する権限を天皇へ返還するという意味の儀式でした。 現在でも総理大臣以下各大臣が就任する際には天皇から辞令を貰うような形式の認証式というものが行われています。 一般の会社の辞令書に相当する官記には天皇の御名御璽(天皇のサインと印鑑)が記入捺印されています。 超々大雑把に説明しましたが何かあれば補足質問願います。
お礼
お礼遅くなりましてすいません。。大雑把と申されますが私には十分ためになるご回答でした。中学時代に習った言葉の断片が流れとなってつながり、とても興味深く最後まで拝見させていただきました。今世界でくすぶっていることと照らしてみると、なんとなく平和の糸口が見えてきそうでした。ありがとうございました。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9601)
spaceman18 さん、こんにちは。 室町時代の特に応仁の乱以降は中央権力(天皇を中心とした朝廷、将軍を中心とした幕府)というものの権威まで失墜し、地方では群雄割拠や下克上が流行します。つまり、身分の卑しいものでも能力さえあれば、出世できるんです。例えば、美濃の斎藤道三、大和の松永久秀なんかは典型的な下克上で成り上がった戦国大名です。織田信長や武田信玄はそれでも、守護大名の家臣、あるいは守護大名から戦国大名になった系統ですからまだ、武士階級ですけどね。中央権力が乱れると、地方が群雄割拠、大名組織内でも家督争いなんかも起きて下克上のチャンスになっていました。
お礼
お礼遅くなりましてすいません。。戦国時代がチャンスの時代だったということがよくわかりました。今なら核を使って成り上がるなんて発想でしょうか。知識が深まりました。ありがとうございました。
- twin-dog
- ベストアンサー率41% (301/721)
そこまで日本史の見識が無いのでしたら、ここで具体的な内容の質問をされても本質的な理解は難しいと思います。 まずは中学高校の日本史の教科書を読み返してください。 中学高校の日本史の教科書は内容がかなりのダイジェスト版ですが、全体の流れをつかむには向いていると思います。 一通り日本史の流れを理解された後でより深く知りたいとかいまいち理解できない箇所が有ったら再度質問されればある程度的確な回答を得られると思います。
お礼
お礼遅くなりましてすいません。。ごもっともです。教科書はもうありませんので、本屋で似たものを探してみます。ありがとうございました。
お礼
お礼遅くなりましてすいません。。たいへん詳細に教えていただきありがとうございました。まさに点が線につながり、知りたかったことが全てわかりました。戦国大名は天皇から指示を受けてるのかと思っていました。神話のお話は原点的なところを垣間見られてとても参考になりました。秩序を維持するために色々な工夫がされてきたんだなと感慨深いものがありました。fujic-1990さんのご回答を教科書に載せていただけたら私のような歴史オンチも光が見えます。歴史の漫画などを随時購入していっているので、おかげさまでより理解度が上がりそうです。ほんとうにありがとうございました。