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足利義昭のその後は?
- 足利義昭は織田信長に反抗して追放されましたが、なぜ殺されなかったのでしょうか?
- 義昭はなぜ将軍職を降りたのか、秀吉からの圧力があったのでしょうか?
- 足利義昭と徳川慶喜には幕府の崩壊後も共通点がありますか?
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1 日本史においては「実権を失った名目上の偉い人は殺さない」のが原則です。 例えば徳川慶喜がそうですね。最後の徳川将軍で、本来なら権力打倒の象徴として処刑されるものですが、勝海舟の助命嘆願により処刑されませんでした。同じことは幕末動乱で最も武闘派路線だった会津藩の松平容保もそうです。 他にも、幕府から反乱を起こした後鳥羽天皇や後醍醐天皇も島流しにはされても、処刑はされませんでした。後醍醐天皇に至っては殺さなかったばかりに後に足利尊氏に担がれて鎌倉幕府は滅亡してしまいます。 この国は「ある程度以上に偉くなると責任を追及されない」のです。サクラのなんたらかんたらを見れば分かりますでしょ。偉くない芸人は反社と関わると怒られて、首相や官房長官になると関わりがあってもむしろ怒られません。 2 その椅子に座り続けられるだけの力と、座る意味がなくなったといえるでしょう。元から足利将軍というのはあまり強い権力はありませんでしたが、実権は信長から秀吉へと移り、もう二度と自分のところに権力が戻ることはありません。椅子がボロボロになりすぎて、ゴミ同然になってしまったということですね。 特に義昭から見たら文字通りに虫けら同然の秀吉が天下人になってしまったのはショックだったのではないかなと思いますね。本来は秀吉の出自なら、義昭と会うことがあったら土下座して顔も上げることはできないくらいですからね。 3 なんとなく、いわんとすることは分かります。「で、最高権力者の立場になってなにがやりたかったの?」というのはありますね。ただそれは彼らに限った話ではありませんけれども。 ただ義昭は何度も(概ね無謀な)武装蜂起をしては恭順しましたが、慶喜は戦争をする気は最初から最後までなかったのではないかなと思います。鳥羽伏見の戦い辺りの腰砕けな感じからするとね。典型的なお坊ちゃん気質ですが頭は良かった慶喜は「戦争になったら幕府は勝てない」というのは見抜いていたのではないかなという気がします。
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- あずき なな(@azuki-7)
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1 権威が衰えたとは言え将軍です さすがの信長も殺せなかったでしょう 殺せば上杉や武田など幕府寄りの大名を敵に回して戦うことになるし そのリスクはさすがに大きすぎます あとは義昭が無能すぎて殺すに値しなかったと言うのもあるかと 2 義昭は将軍職を降りてはいません 死ぬまで征夷大将軍でしたよ? だから秀吉が将軍になれなかったのはそれが原因でもあります
お礼
ありがとうございました。 権威が衰えたとは言え将軍です さすがの信長も殺せなかったでしょう……そうでしょうか???うまく表現できないのですが、信長は「権威も含めてこれまでの既製品を否定した」ことに日本史の中での、あるいは世界史的に見ても意義があるのではないでしょうか??? 殺せば上杉や武田など幕府寄りの大名を敵に回して戦うことになるしそのリスクはさすがに大きすぎます……確かに、戦国時代というのは「リスクのカタマリ」だと思うのですが、それ以上のエネルギーを信長は持っていたような気がします。 あとは義昭が無能すぎて殺すに値しなかったと言うのもあるかと……これはあると思います。 だから秀吉が将軍になれなかったのはそれが原因でもあります……そうですか???
- tzd78886
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もはや自分を脅かす力が無いと見做されたからです。同じ理由で今川義元の子、今川氏真も生き延びています。豊臣秀頼が滅ぼされたのは、大柄でカリスマ性もあり、徳川秀忠を脅かす危険性が高いと家康に判断されたから。
お礼
ありがとうございました。ご回答の趣旨、知識はありませんがわかるような気がします。
お礼
ありがとうございました。 この国は「ある程度以上に偉くなると責任を追及されない」のです。……笑笑、そういえば、ニュアンスは違いますが、どんな政治家も、お亡くなりになると「偉大な政治家」に変身しますよね。 サクラのなんたらかんたらを見れば分かりますでしょ。偉くない芸人は反社と関わると怒られて、首相や官房長官になると関わりがあってもむしろ怒られません。……政治のことは全くわかりませんが、個人的には、これは「やってはいけない一線」を超えているという印象を持っています。「ゆるみとおごり」でしょうかねぇ。それとも「体質」でしょうか??? 本来は秀吉の出自なら、義昭と会うことがあったら土下座して顔も上げることはできないくらいですからね。……いくら「下剋上」の時代を経てきたといえど、血筋としての「プライド」というのがありますよね。 なんとなく、いわんとすることは分かります。……「なんとなく」で十分です。少し自信がつきました。笑 ただ義昭は何度も(概ね無謀な)武装蜂起をしては恭順しましたが、慶喜は戦争をする気は最初から最後までなかったのではないかなと思います。……なるほど。対照的なのですね。 「戦争になったら幕府は勝てない」……勝てない戦いをどうやってしのぐか?? というの 昭和の時代の軍隊に学んでほしかったような気がしてきました。