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主に中世日本史での「滅亡」の定義が分かりません
質問です。どうも、中世日本史の「滅亡した」「滅びた」という言葉が、いまいちピンときません。 ○戦に負けたりして、領地を追われる ○有力者が討ち取られ、子供が居ない ○有力者が討ち取られ、子供は居るが、もはや実質的にその家の復活は無理 本当に一族全員殺されて滅びてしまうという例もあるかもしれませんが、 多くは「その家が、今までと同じような権威では立ち行かなくなる」「急激に没落する」という感じでいいのでしょうか? 「足利義昭が信長に京都から追放されたところで室町幕府(←時代区分的には)が滅亡」というのを思い浮かべつつ質問しました
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>「その家が、今までと同じような権威では立ち行かなくなる」「急激に没落する」という感じでいいのでしょうか? それでいいと思います。 たとえば、今川家の場合など、今川義元が桶狭間で倒れた後、息子の氏真は武田信玄に掛川城を落とされますが、由緒ある家柄だけに北条や織田などを点々とした後に家康の保護を受け、徳川幕府のもと高家として生き残りますが、一般的には「滅亡」と称されます。 それは、やはり、義元の時のような戦国大名としての権力がなくなったという事で、滅亡となるのだと思います。 ただ足利義昭の室町幕府滅亡に関しては、私も以前から不思議に思っています。 義昭は京都を追放された後も、京都五山の法帖頒布などの将軍としての事務処理などやってましたし、そもそも将軍というものは、天皇によって任じられるもので、天皇から解任されるか、本人が辞任を申し入れるかしないとならないので、一戦国大名のように力が衰えたから滅亡という解釈はできないように思うのです。 だからこそ、信長の後に天下を取った豊臣秀吉は、何とか義昭の養子となって将軍を継ごうとやっきになったのです。 つまり、ここでもまだ、義昭=将軍という解釈が、戦国武将の中にあったという事なのではないか?と思っています。 結局、義昭は、秀吉との養子縁組は断ったものの、領地1万石と引き換えに出家して、天正十六年(1588年)にやっと7将軍職を辞任します。 この時まで、上記の慣例的な将軍の事務処理は全部義昭がやっていたんです。 個人的には、ここで、室町幕府の滅亡だと思うのですが、一般的には、京都を追放された天正元年(1573年)が室町幕府の滅亡とされるので、常々不思議に思っています。 室町幕府に関しては、回答になってませんが、「同じ疑問を持っておられるかたがいた~!」と思って、つい書かせていただきました。 長々とすみませんでした。
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- nacam
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戦に負けたりして、領地を追われる これは一般に滅亡と言います。 会社が倒産するような場合です。 有力者が討ち取られ、子供が居ない この場合は、断絶といいます。 会社は無事ですが、社長一家が事故でだれもいなくなってしまった場合です。 その場合、他家から社長を迎えます。日産のゴーン社長などがこれにあたります。 有力者が討ち取られ、子供は居るが、もはや実質的にその家の復活は無理 これは、没落といいます。 経営不振の会社が、資産を切り売りしてもはや復活の望みが薄くなっている状態を言います。
お礼
滅亡、断絶、没落の言葉の違いを、それぞれ教えてくださって嬉しいです。 日産のことは知りませんでした。 ありがとうございました!
「滅亡」と言う言葉。 主に「国」や「幕府」などの、「大きな組織や体制」に対して使用してると思います。 >「足利義昭が信長に京都から追放され、室町幕府が滅亡」 ↑ これは、足利義昭(会社の社長さん)が追放される事に因って 「室町幕府」と言う「会社組織の看板が無くなってしまった」 と言う事です。 つまりは、「完全に倒産」して会社が無くなった状態です。 >「立ち行かなくなる」とか「急激に没落する」では、会社が赤字で経営危機を迎えてるけど、未だ「会社は潰れていない状態」で、「滅亡」とは明らかに違います。
お礼
なるほど。「立ち行かなくなる」とか「没落」とか、まずそちらの言葉の意味をはっきりと分かってなくて混同してたようです。現代語の意味も分かってないで、より曖昧にしてしまうところでした。 迅速な回答ありがとうございました!
お礼
子供が生き残ってるケースのお答えがいただけて嬉しいです。あと、足利義昭は仕事頑張ってたんですね…。秀吉の事も、詳しく知りませんでした。 私にとっては歴史は難しくて、浅くしか考えられなかった疑問だったのですが、私の方こそとても嬉しいです。ありがとうございました。