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諦観は達観だと思っていました

人生は無意味で、本当なんて存在しなくて、人間は不完全で、諦観が他者のすべてを許して包みこむような愛情なのかと、諦観がそんな虚無な人生を肯定しうるものなのかと思っていたのですが・・・ あまりにも諦観しすぎてしまったのか、私自信の欲も消滅してしまいました。食欲や睡眠欲など、肉体的な欲求はまだ残存しています。 ですが、生のエネルギーが消えてしまいました。人生をこう生きたい、こう描いていきたい、あれがしたい、これがしたい、全てありません。 楽しみも悲しみも何をしようと感じませんが、苦しみの強弱だけがあります。苦しみを紛らわすために、時間をつぶすために読書や勉強をしています。暗い海の底に漂っているような感覚です。向かいたいところがどこにもない、こういう場合どうしたらいいのかわかりません・・

みんなの回答

  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.2

暗い感情である「欲」「怒」「無知」が無いなら果てしなく明るくなるとおもいますよ。 幸福でありますように 悩み苦しみが無くなりますように 努力がかないますように なすべきことがすぐさまわかるように これは全生命がもっている希求だと思います まずは自分がこの希求を持っていることを認め ついで親しい人々・一切の生命にあるんだと これが認められるようになると自分勝手な感情であるエゴが破れて、 かなり明るくなると思います 実験してみてください。念じる(何度の確認する)だけでも効果的だと思います。 読書が好きなら「やさしいってどういうこと?」スマナサーラ長老の書籍をオススメします。 参考になれば幸いです。 幸福でありますようにノシ

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.1

>こういう場合どうしたらいいのかわかりません・・ じゃあどうしたいの? 今の自分がそうなった原因は自覚していますね。 ならばどうすればいいのかも分かっているのでしょう? 誰かに背中を押してもらいたいのですか。 最近、このカテに女性をちらほらお見受けしますね。 いわゆる人生相談では物足りなくなったのでしょうかね。

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