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何故人は子供を産むのか?
- 人間の子供を産む理由について考えます。
- 子供を産むことは一人の人格を産む行為であり、その子供の人生に責任をとることはできないという矛盾について疑問を持ちます。
- 自分の子供が自身の生(存在)を肯定するような道を歩むかもわからないのに、なぜ子供を産むのか疑問に思います。
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補足 >これは本当に事実ですか?これはあくまで日本の、ごくかぎられた環境下における人間にのみ該当するのではないでしょうか。 仮に事実であるとすればこの「ほとんど」に含まれない人々が少なからず存在し、我が子がそうなるかもしれないことについて思考は為されないのですか。 敢えて「ほとんど」と表現した訳は、生まれ落ちた時点の人生の初まりは皆一様に泣いていますが、人生の終焉では綺麗な笑みを残せる人だけではなく(嬉し涙と言う解釈も無くはないですが通常は)涙を流して亡くなる人も少なくないからです。(実際に何人も見受けられました) なので、事実であるなしに関わらずおっしゃる通り「ほとんど」に含まれない人々も勿論存在しますし、我が子がそうなるかもしれないことについて思考は為されないのだと思います。 ただ、更に突き詰めれば単に「思考は為されない」わけではなく、他の方もおっしゃって言ますが(産みたいから産んだ、幸せな家族の為等)そういった我が子への「心配」よりも、生まれてくるまだ見ぬ我が子と自分自身の未来への「希望」の方が勝ってしまっている為だけとも思います。 こんな世の中(現実)だからこそ、まだ見ぬ者や事へ託すという至って自然行動とも思えます。 綺麗に言えば「希望」、まんま言えば「エゴ」、いずれにしてもそこに生まれ来る「子供達の意志」は垣間見られず不安や心配を遥かに超えたいかにも強くたくましい「親の意志」が感じられます。 エゴと言うと何か良いイメージが湧きませんがそれで「自然」なのだと思います。 何故ならまた話は戻りますがとどのつまり(発端)が「本能」発信からだと思うので。 余談ですが今回拝見させて頂いた中、NO.1様の考えが興味深く一番ロマンがあっていいなあと思いました。 考えをを裏付ける誰にも判る揺るぎない確証(証拠)にも気付けて(判明して)自分もそう思えれば自分の人生も違ったのではと思いました。 またNO.7様にも共感する所が多くNO.9様が一番真理に近い様な気がしました。
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- eld3399
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間違った子孫の残しかたをすると現在の地球のようになります。爆発的に増え続けている人口過剰問題です。
お礼
本能に従って、人口統制をせずに人口が増えた結果ですね。 しかしここにおいては全体主義的な話はしていません。
- ringorin55
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私は子供の頃(多分、小学校高学年くらい)から、なんで自分は生まれてきたのか考えていました。当時いじめを受けていたので、余計にそういう事を考えたのかもしれません。 そして、社会人になってからうつ病になり、以前よりも深く考えるようになりました。 しかし、結局結論は出ませんでした。 その後私は結婚しましたが、子供を欲しいとは思いませんでした。 理由は、あなたが「というのは、子供を産むと~」というところで書かれているのと全く同じです。 元々出産願望もありませんでしたし、旦那さんと二人、ずっと仲良く生きていければ良いと考えていました。 しかしここ数ヵ月で、自然と「旦那さんと自分の子供が欲しい」と思うようになりました。 特にきっかけや理由はありません あまりパッとしない回答になってしまいましたが、私については「自然とそう思える時が来た」としか言えません。 あと、これを書きながら思ったのですが、自分は旦那さんと(子供が出来たら子供も)生涯幸せに生きるために生まれたのだと思いました。 もしかしたら、自分が生涯をかけれる人(人によっては物や事かも)が出来たから、そう考えられるようになったのかもしれません。
お礼
ありがとうございます。 あなたにとってご出産は、まさに期が熟した、賜物ですね。 ただ未だ期が熟していない私は悩みやすい時期なのだと片付けてしまえるなら、こう考えたりしていないわけで…気が済むまで思考を巡らすしかないようです(笑 考えても仕方ない、とはまだ言えません。 親にとって、子供は希望そのものなのですね。
何故子どもを産むのか? 世間では聞くまでもない自明のことのようですが。とありますが、同じように疑問を持ってる方は沢山いると思われます。 さて本題ですが、私の場合はなんとなく子どもを産みました。周りの人が産んでいたから私もがんばろう!と思いました。年齢的な限界も感じていましたし。 それだけですね。「産んでみたかったから」です。 おっしゃるとおり、子どもの為に産んだわけではありませんね。あくまで大人の都合です。 人は本能によってのみ生きるわけではなくとありますが、本能の部分は大きいと思いますよ。それを使うか使わないかはもちろん自由ですけれど。
お礼
ありがとうございます。 何事を為すにも事前により多く思考することが良い、というのは幻想かもしれないと読んでいて思いました。その行為に納得したかどうかが産む別れ道なんでしょうね。
私は二人の小学生の母親で専業主婦なんですが、親であっても人生はつらいものだと感じます。 時々、生きる目的が見えない現実に死にたくなります・・・。 なぜ、こんなに自分の人生はむなしいのかと。 しかし最近、そんなことを言ってられなくなる出来事が起こりました。 東北大震災です。 身近な人が亡くなり、放射能がふりそそぎ、予想外の出費に国は財政難。 ひょっとしたら将来、日本は無くなるかも・・・そう思うようになりました。 そもそも私たちの老後には希望がありません。 誕生月に送られてくる年金定期便によれば、 私と夫がもらえる年金は月に12万円。 正直、何を希望に生きればいいんだ?と思います。 今までは「子供を産むのは個人の自由じゃん」 という考えでしたが、 「このまま日本が無くなる・・・それが現実になるかもしれない」 そうなると、愛国心のない私でも何とかできることはないか・・・そう思わずにはいられません。 その希望が もしかしたら子供を産むことなのかも・・・。 もちろん、子どもにとっちゃ迷惑なのはわかります。 勝手に期待をかけらてれても困る・・・。 でも・・・・子供の数が減れば町そのものが活気を失います。 私の住んでる周りでも高齢化が進み、人口の20パーセントが60歳以上の高齢者です。 子供が外で遊ぶと「寝たきりの老人がいるのに騒ぐな!」と怒鳴られ、 朝夕目にするのは、幼稚園バスではなく、撮り寄りを迎えに来た色々なケアハウスのバス。 私が子供だった頃は、どこへ行っても子供たちの元気な声であふれてました。 それがたった20年ほどで変わってしまった・・・ このまま更に20年後にはどうなるのか。 しかし、一方で忘れてならないのは自殺者の数でしょう。 質問者さんがおっしゃるように、 新しく生まれてくる数よりも、働き盛りの人が死ぬ方が多いという現実。 年間3万人でしたっけ・・・ 希望を持って産まれた子供達が、人生の途中で失望し 死んでいくという、 これもまた深刻な問題です。 ほんとに正直、どうすればいいのかわかりません。 でも、子供たちには、何とか、生きてる間だけでも幸せに過ごしてほしいと思っています。 そしてできれば、少しでも今の日本が続くように、 明るい希望を持てるような世の中に代えてくれれば・・・って 本題からそれてしまいましたね・・・ごめんなさい。
お礼
回答ありがとうございます。お返事遅くなりました。 苦しみは世界中に存在します。日本という括りを超えて。日本人に生まれたことが幸運かもわからないですね。 私は「幸福な現在」は持続し難いものと思います。しかし、不幸の渦中においてなお、幸福な未来を目指す、ということが大切かもしれません。子供は幸福な未来、希望そのものかもしれませんね…。
- 葵澄 (男の名前ですが)(@azumin77)
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僕は男ですが 別にそんなたいそうな理由はありません 「愛する人と、自分の子どもとの生活」なーんか幸せだなあ、と 人間は残念ながら「理性」「希望」とか言うものがあります だから素直に「子どもを産み育てる」という事が考えられない 天がどうの、存在感がどうの、関係ありませんね 生まれた子を親として育てるのは、どんな動物も同じです ただ、親の考えが、自分は何故生まれたか、とか 考えても答えが絶対に出ないものに、悩むのも人間だけですね 貴方は覚えていないだけです、生まれたことをどんなに親が喜んだか どんなに貴方を愛しいと思ったか 「生まれてくれて、ありがとう」きっと最初に言われたはずです 僕の同棲中の彼女は障がい者です。耳が殆ど聞こえません 僕の声は聞くことが出来るそうです 僕の母も片耳聞こえないし、僕が介護士なので 彼女が聞こえる方向や発音や、声の大きさに注意しているだけですが で、生まれつきの糖尿病です 血糖値があがると、神経に合併症が出ます 彼女は腕がしびれるそうで、視神経や四肢の神経にも支障が出ます 何より低血糖で意識を失くすと、そのまま目覚めないかも知れません 毎年、糖尿病で100人以上が亡くなってるんです 僕も救急車呼んだし でも彼女は悲観していません。普通の仕事がしにくいのがネックですが インスリンも3歳からお付き合いだから「慣れた」と 何より生まれてきて、色んなものを見て、いろんな人と出会い いろんな本を読み、32歳にしてやっと、年下だけど自分の王子様に 僕に出会えたと言ってました…王子ってな…恥かしいって 一杯辛いこともあって、父親が大嫌いで ちょっとの時期、悪いことばかりしてきたけど 今、生まれて来たことに感謝している…だそうです
お礼
幸福な家庭への意志ですか、なるほど。 家庭や自己存在を肯定できる感覚を持つか否かが親になる条件なのでしょうね…。 ありがとうございました。
- keyfu
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『たまたま~~だから』です。 『たまたま』です。 なんだか難しい事を考えておられますので逆にお伺いしますが… 例えば…鳥はなんで空を飛ぶのだと思います? そりゃ難しく考えれば進化の過程でどうたらこうたらとかあるのでしょうし本能で~とかもあるのでしょうが、でもそんな事…生まれてきたばかりのヒナとかには関係がありません。 たまたま生まれてきたら親が鳥で、たまたまその親は空を飛んでて、たまたま自分にも同じ羽があって、たまたま自分も飛べる…だから飛ぶ。 そりゃあ“空飛んだら落ちるかもしれない”とか“空飛んだら鷹にやられるかもしれない”とか“そんな事があればイヤだから飛ばないでいよう”って選択もできるかもしれません。 それに、“それだったらネコの方がいい!”とかそんな事を考えてる鳥もいるかもしれません。 でも結局はそんな難しい事云々よりも“たまたま”生まれてきたら鳥で“たまたま”自分には飛べる羽根があるから飛ぶ… そうやって生きてってるだけなんじゃないかって思うんです。 同じように… 地球が生まれたのも地球が太陽の周りをまわっているのも“たまたま”そうなっただけじゃないかと思うんです。 難しく考えりゃあビッグバンだのがあって宇宙が生まれてまだ解明されてない宇宙の法則とかもあって重力バランスとかもあってそれで太陽の周りをくるくる回りだしたとかなんとかになるのでしょうが…要は“たまたま”そうなったって事… チンパンジーが木に登るようになるのも『たまたま』生まれたら親がチンパンで、『たまたま』その親チンパンは木に登ってて、『たまたま』自分も簡単に木に登れたりするから…木に登ってたりします。 そりゃわざわざ難しく考えようと思えば“進化的に”とか“生存競争的に”とかになっちゃうでしょうがね… なんで子供を産むかって? そりゃ生まれてきたら『たまたま』人間で…『たまたま』オスとメスがいて…『たまたま』沈々と満々が体に付いてて…『たまたま』それをするととても気持ちよかったりするし…『たまたま』それをすると子供が生まれて…たまたま…そういうのが出来るからです。 そりゃ難しく考えればいくらでもなんとでも考えられますけどね… だって考えてみてくださいな、 たまたま私がアメーバに生まれてきたら…わざわざ子供なんて生みませんよ。 だただびよ~んと分裂しますもん。 そうでしょ? 『たまたま…』そうなってるからで…『たまたま』そうできるからなんです。
お礼
言葉を持たぬ鳥と人間を同様に考えることはできません。 ありがとうございました
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
人間はいつかは死にます。 有限の存在です。 だから子孫を残そうとするのです。 己の細胞が、いや遺伝子が子孫に受け継がれて行くのですから ある意味、死なない、という言い方も出来ます。 己が存在したことの痕跡、証拠 としたいが為に 子孫を残そうとするのだと 思います。
お礼
ありがとうございます。 つまり自分の為の出産であり、我が子の為というわけではないのでしょうか。
こんにちは。30代既婚女性です。 私の場合は… まず、そういう感じの、理由を問う思考をしすぎることをやめたこと。 (私は考えすぎて10-20代でうつを発症して、懲りました) 自己肯定感が強いこと。 親への感謝はあまりないが、自分とは関係ない、と切り離せたこと。 (機能不全家庭でしたし、合わない親なので…) 一人は産むかな、というイメージが物心ついた時からあったこと。 自分の出産機能を一度は使いたいと思ったこと。 自分の老いを感じたこと(30過ぎでした)。 こういう理由でしたね。 でも、一番は、30代半ば近くで結婚したので、老いや出産機能の限界を感じ、生物的に焦った、という気持ちだと思います。 白髪が増えたのを自覚したことが直接的なきっかけでした。 20代は自分のことばかりでとても子供を持つような精神的な成熟はなかったです。 いろいろやりつくして、自分はこんなもんか、といい意味でいろいろ知ったり諦めたりして、老いを感じて、「子供を産もう」と思いました。 あと、旦那に産んであげよう、という気持ちもありましたよ。男は産めないから。 夫の両親に孫がいないから、産んであげたいなぁというのも。 >人生は生きるに値する 無意識であっても、この感覚は、とても必要だと思います。 そうでなければ産めないのではないかな…。 私の親友は、自分は女っぽい感覚はないし、自分と同じようなものをこの世に生み出すなんて恐怖だ、と言ってますね。 私から見ると、男性的な感性の人で、結婚もしたくないと独身主義です。
お礼
成熟した感覚と親族のために産みたいという欲求、ですか。 確かにこの問題は結局「無条件の自己肯定」の問題になるのかと思います。愛でしょうか。 こういった類は思考するほど本質から遠ざかるものかもしれませんね。 ありがとうございました。
- gdky
- ベストアンサー率53% (16/30)
「誰も自分の意志で生まれた人は居ない」事実と、 ほとんどの人が「泣きながら生まれ落ち、仏の様な笑みの中去って逝く」ので「笑いながら生まれ落ち、泣きながら亡くなる」人は自分は見た事はありません。 この当たり前の2つの現象の中に全ての答えが秘められている様な気が自分はします。 >何故人は子供を産むのか? 即答するには自分にとっても大変難しいですね。 でも>何故人は結婚するのか、ならばそれは「愛情の補てんの為」だと自分は思います。 この世に生を受け初めて知る(貰う)のが親の愛情ですが、親は当たり前に先に居なくなりますから、その為の「本能」的防衛手段だと。親からの愛情を「結婚」という形で他人に求めているだけだと自分は思います。 その理由(証拠)は ★かなりの確率で「嫁が(婿の)母親」「旦那が(嫁の)父親」に似ている事(外見に限らず性格なども) ★家庭不和(離婚、不倫等)の環境下の子供達に若年層結婚が多い事 (不良やヤンキー等に良く見られる若夫婦等)(典型的な愛情不足による早期的自立) >人間は本能によってのみ生きるわけではなく、主体的に選択する自由があります。 正に自分もそうも思いますが、一見「主体的に選択しているつもりの自由」が実は、生まれながらのDNAなどに書き込まれているものだとしたらどうでしょうか。 なので結婚、そしてその後の出産も共に他の生物同様、全ての生き物の悲しいサガ「本能」だと自分は思います。 一見、主体的に選択している自由でようやく得た数々の幸せですら、実はあらかじめ決められたDNAプログラムの一環だとしたら更に虚しいですがそれで自然だと思います。 森羅万象、この世は「悲しくて当たり前」の様な気がします。 (そうでもしないとつじつまが合わない事が多過ぎるので) 何故なら誰もがいつ止まってもおかしくない(自分の意志では動かせない=そこには主体性のかけらもない)「心臓と言う爆弾」を皆抱えて生きているからです。 しかしこの事実から自分で「生きている」わけではなく明らかに何か見えない力で「生かされている」事実に気付きます。 また自分を愛してくれた人(両親)に単に「似た人」を好きになる事(いいと思ってしまう事自体)は自分はとても悔しいです。 何故ならそれは愛してくれた本当の人(両親)ではないから。 話しがそれてしまったり、自分の考え自体歪んでいるとも思いますが、結婚も出産もせずに親が亡くなるまでは死なない事が自分のささやかな目標(義務)だと思っています。 >何故人は子供を産むのか? 「主体的に選択しているつもりの自由による本能」
お礼
ありがとうございます。結婚についての件はなるほどと感じました。 >ほとんどの人が「泣きながら生まれ落ち、仏の様な笑みの中去って逝く」 これは本当に事実ですか?これはあくまで日本の、ごくかぎられた環境下における人間にのみ該当するのではないでしょうか。 仮に事実であるとすればこの「ほとんど」に含まれない人々が少なからず存在し、我が子がそうなるかもしれないことについて思考は為されないのですか。
私は左半身片麻痺の身障者で母子家庭ママです。私の実家は超熟年離婚をして別々に生活をしている為誰に頼る事無く主人が遺してくれお金と遺族年金で母子2人仲良く生活しています。私は思うのですが、生きている事自体素晴らしい事だと思います。障害者になってから特に感じるのですが、歩ける喜び・自分で排泄出来る喜び・出来なかった事が一つづつ出来る様になる喜びは子供の成長と同じ感覚なのではないかと感じました。そこで人生苦しい事ばかりの様ですが、その苦しみがあってこそ手に入れた幸せが大きいのではないか?と感じました。私は身障者になった後に主人をガンでなくしましたが、主人は最期迄私達の為に生きようとしてくれました。私は自分が存在した証と主人が生きた証としてこの先息子が苦労をしてでも自分の進路は自分で決め進んで行き家庭を築いてくれたら良いと思っています。自分で感じた生まれてきて良かったと感じた経験を息子にも感じてその後主人の様に『俺は自分の人生精一杯生きた!!』と納得出来る死を迎えて欲しいです。そんな経験をして精一杯いきる事が出来る様に子孫の為に人は子供を産むのではないでしょうか?な~んて考えてます。
お礼
ありがとうございます。 あなたのような方にとって全ての苦難は乗り越えられる試練なのですね。その強さを尊敬いたします。 絶望さえも乗り越えるべき壁なのですね。 そして我が子にもそう生きていくべきだと。
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お礼
再び回答ありがとうございます。 今回みなさんの回答を何度か読み返すうちに認識を新たにし、「明日世界が終わろうとも、私はりんごの木を植える」というルターのことばを思いました。 不安や心配を遥かに超えた「親の意志」ですか…。生きることに苦しみが絶えないことも、時として絶望的になることも事実で、しかしそれでも人間はこのような力強い意志を本能として存在していることも事実なんですね。 私は未熟であるがために自分の苦しみに負けていたのかもしれません…。自覚させていただきありがとうございました。