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馬場信春
ウィキペデイアでも見たんですが、馬場信春はやはり強いという解釈でいいんでしょうか? 70回くらいの戦で1度も負傷しなかったというのはやはり豪傑といってもいいような気がするのですが・・・ ウィキペディアでは明らかに“強い”“最強”とかっていうのは当然かもしれませんが書いていませんので、いまいち確信が持てません。 どなたかお教え下さいませんか><
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個人で強い(度胸千両)と文献等では 上田宗箇でしょうかね 秀吉の家来ですよ 敵の城に自分の供回り数人で乗り込み 門の鍵を内から閉めて 敵将の首を持って帰ってきています でも 信春は師団長ですから そんな個人戦は 若いときだけでしょう 自軍の用兵の巧みさでしょうね 絶対無理はしなかったということでしょうね 粘り強く絶対引かず 負けなければ勝ちという信玄の戦法をもっとも よく理解していた武将ですね 勇ましいこと即ち強いということではないことをよく知っていたとおもいますよ でなければ勝ったり負けたりでしょう そうなると 自軍への求心力が保てず さらなる負けにつながっていく怖さもまた知っていたんでしょう 武田の軍団は家康との設楽三方ケ原での合戦の時に ようやく本当の軍団として 一糸乱れず行動できるようになったとも文献にあります 信玄が死ぬ間際です 昔 戦国の世は 盟主と盟友の関係で軍団編成が成っておりまして (兵農分離は他の大名より信長だけ少し進んでいました) 今 おもうほど 綿密な連係行動は取れませんでした(スピードある即座の連絡方法がない)ので 持ち場を決めて あとはまあ勝手に戦うという感じなんですよ 長篠戦では いろいろありますが勝頼が引けない状況に持っていった信長の戦略勝ちなんでしょう 戦のカンというのは信春にはあったとおもいますよ 鉄砲への竹束を盾に無理せず 戦機の気が塾するのを 辛抱強く待ちつつ いかにして 勝頼を引かすかそのことばかりだったでしょう 死ぬ気だったんだなぁと おもいましたね 相手は柵を構えての 砦構えですし 城 砦の攻撃は 攻めるほうが 被害がおおいのでね さっさと引いていれば(失う物はもったいないでしょうが) 次回の織田との合戦は わからなかったでしょうね せめて名は残りましたけどね そうおもっています よけいなことですが
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- remonpakira
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不死身と言われた鬼美濃ですね。 個人の武で輝きは普通ですが、戦上手であったのは確かなようですね。 なので部隊長としての強さは確かかと 長篠の戦いでは殿を務め、敵方の『信長公記』に 「馬場美濃守手前の働き、比類なし」と評されるぐらいですからね。
- uresiiwa
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むしろ「負傷をしなかった」というのが誉れであるかどうかは、戦国においては微妙なところではないでしょうか。 師団長・大隊長クラスで考えると負傷を恐れず自ら敵中に駆け行って自軍を奮い立たせるようなところも必要となると思います。そういった人々は逆に自分の負傷を自慢にしたりしています。(北条氏康の向こう傷、など) 馬場信春の場合は、精強な甲州兵を率いての優勢の戦をきっちり勝ちきるような戦い方としてはきっと素晴らしい武将だったのだとは思いますが、傷負わずをもって最強とは言いすぎかと思います。 個人的には、古代ローマのカエサルや、戦国時代でいえば蒲生氏郷のように、自ら危険を顧みないことで自軍を奮い立たせる武将が好きです。 が、もし馬場信春も同じように危険を冒すこともしていたとすれば、むしろ「運も強い」という点がすごかったのかもですね。
- Pinhole-09
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馬場信春の強さは侍大将として用兵の巧さにあります。 信玄の武将のうち戦の駆け引きについては、第一人者と見られています。 軍議では真っ先に意見を聞かれること多く、あらゆる情報を基にして、誤ることすくなかったといいます。 最期となった長篠の戦でも、いち早く敗戦を察知して手兵を集め、退路にあたる伊那街道の入り口を堅めて、勝頼以下の主力が敗走後、しんがりとして追撃を防ぎ討ち死にしました。
- wildcat
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強いと言っても「個人戦」で強いのか「団体戦」で強いのか、部隊を率いて勝利に導く「統率力」があるのかというこことになります。 馬場美濃守は武田二十四将の一人であるし、また武田軍そのものも戦国時代の諸大名の中でも力のある軍団を持っていたと思います。 ただ、武田軍の強さは「江戸時代」に「甲陽軍艦」の中で紹介されているだけですので「史実」としてどうなのかは確実でなないと思います。 馬場美濃守信春はこれより強い人間よりは弱いが弱い人間よりは強いでしょう。 この時代で個人で強いといわれる人は、足利13代将軍の義輝、伊勢守信綱、真柄直隆、宮本武蔵などでしょうか。 部隊を率いての強さでは「上杉謙信」に勝るものはいないでしょう。 勝つためには手段を選ばないという意味での強さは「豊臣秀吉」の右にでるものはないでしょう。
お礼
なるほど、そうでしたか。 ありがとうございましたッ!