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不存在の証明はかなり困難か不可能なもの?
不存在の証明(悪魔の証明)はかなり困難か不可能なものだとされています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A8%BC%E6%98%8E 限定的な事柄でしたら、比較的に簡単かもしれませんが、ちょっとしたことでも不存在や非存在は、不可能・困難になるのだと思われます。 「何々が存在しない」などと、軽軽(けいけい)に書く不注意者は、この哲学カテにはいないと思いますが、注意深く考察すると、確かに存在しないと言えそうだなと思い付くもの・ことがありましたら、教えてください。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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回答番号:No.20 お礼欄で仰せの〔この論理の出発点は、生滅があれば、という仮定から始まります。そこが問題です。生滅を超えている場合は、不存在とは言えなくなる。不存在は、証明できないと思いませんか?〕 この文章の意味が、脈絡的に理解できないのですが。 私は、「それが生まれたものである。或いはそれには原因がある。というそれなるものは、もともと存在するものではない」という意味のことを表白したのです。それらは死ぬものであり、存在しなくなるものである、という意味で存在という資格性が欠落しているものである。という意味です。 出たりなくなったりするものが、どんなに長く、それらしくあっても、それはそのように現れ、見えている、いや見ているのに過ぎない。ということを申し上げた積りです。 そういうものでないものは、原因も持たず、生まれもしていない。 それは生滅を超えているものということで、現れてきた、生まれてきた結果である、常人の意識はそのこと認識することはできない。 認識の用具と方法、形態が違うものである。場が違う。 それだけのことであります。 そういう、常人の普通の場を超えたものは、常人の根源でありながら、常人の意識には見えない、確知、知認ができない。 そうすると常人はそれを存在しないという。 カント先生はともかく自体たる神は信仰の中でしか存在しなく、唯物の方は、人間の構想したものであるという。 しかしカントさんも唯物の人も、実は存在には全く迫っていない。 生まれてはない、原因はない。そういうものは存在し、そうでないものは存在しない。 そういうことを申し上げただけで、これこれが生まれていない、原因はない、ということを摘示してはいません。
- littlekiss
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こんばんは、qsxdrfvgyhさん。 【JavaScriptって・・・ 何?】 http://www5d.biglobe.ne.jp/Jusl/JavaSoft.html ・高度なオブジェクト作成 http://msdn.microsoft.com/ja-jp/library/cc391838.aspx ・再帰法 http://msdn.microsoft.com/ja-jp/library/cc391859.aspx ・変数のスコープ http://msdn.microsoft.com/ja-jp/library/cc391863.aspx ・データのコピー、受け渡し、および比較 ・配列の使用 ・特殊文字 ・JScript スクリプトのトラブルシューティング http://msdn.microsoft.com/ja-jp/library/cc391873.aspx
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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【QNo.表と裏】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5029768.html 存在していたものが存在しなくなった。 ここの入り口もそうですが、入り口を入った中にも、実は存在していたものが存在しなくなっております。 ≪「裏の無いものに、表はない」というフレーズがありました。≫ これは、入り口から入ったお部屋の重要な内容ですが、これはチェ・ガバラの意味をご説明している、ご回答であり、そのご質問がのURLがあったわけです。それが削除されました。 入り口のなくなった質問の意味を説明している内容そのものでした。 ご担当者のご判断でしょうが、こういうこともあるのですね。 存在したものが存在しなく為りました。 どうせなら、全部削除して欲しかったと存じます。 前者の入り口がなくなったことは経験と記憶で確認できます。 後者の内容の一部がなくなったことは、今はもう確認のしようがありません。 存在の中にも証明が困難なものもあります。帰納法はここの質問者さんも私もあまり好きではないようですが。 私たちの精進している教えでは、生まれ、なくなるものは存在しているとは、或いは存在したとはいえない、というフレーズがあります。 なくなったものは、あったことがあっても、存在はしていない。 存在とは生まれもしない、なくなりもしない、死にもしない。そういうものであるとの事です。 ですから、不存在の証明にはそれが、どうこう生まれたということで証明になる。原因がるものは存在しない。 その原因を摘示したとき、つまり、発祥が示されたら、そのものの不存在が確認される。証明される。ということになります。 そして入り口がなくなった経験がいくつかあります。 そのときは、管理者にお願いして、追加してもらうとか、一度は新たに質問を起こしました。 つまり、無くなる様なものは、いつでもあるようにできる、ということですが、難しいこともありますね。失礼しました。
お礼
なるほど。 「存在したものが存在しなく為りました。」 「なくなったものは、あったことがあっても、存在はしていない。」 「存在とは生まれもしない、なくなりもしない、死にもしない。」 つまり、存在し続けるものは、生滅を超えているのですね。 生滅のあるものは、存在し続けるものではなく、結局、不存在となる。 「ですから、不存在の証明にはそれが、どうこう生まれたということで証明になる。原因がるものは存在しない。その原因を摘示したとき、つまり、発祥が示されたら、そのものの不存在が確認される。証明される。ということになります。」 これは、大変な一般化で、大きな例示となるでしょう。 つまり、ビックバン宇宙は、結局、不存在に至ると証明されるという視点です。 この論理の出発点は、生滅があれば、という仮定から始まります。 そこが問題です。生滅を超えている場合は、不存在とは言えなくなる。 不存在は、証明できないと思いませんか?
- littlekiss
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こんばんは、qsxdrfvgyhさん。 もう、ホント、聞いてくれます? クツかぁーくし ちゅうねんぼうー はーしのしーたの ねーずみがぁー ぞうりをくわえて ちゅっちゅくちゅっ ちゅっちゅく まんじゅうは だれがくたぁー だーれもくわへん わしがくたぁー おもてのかんばん しゃみせんやぁー うらからまわって さんげんめぇー ど れ にー し よ う か なぁー ↑ 下駄(はきもの)を隠す鬼ごっこうた。 【QNo.表と裏】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5029768.html ↑ このお題をマジゆうべ考えてたのに… あっ!?という間に店じまい? そりゃ、ないっしょっ…(TT)メソ。。。 おい、おい、、、 くるっとひとまわりしてるうちにあった筈の 入り口ねぇーじゃんかぁー!!!コウギ!コウギ!広義??? 入れんかったら、いるのかいないのか確認とれんって? えっ?何? まさに、不存在の証明はかなり困難か不可能なものってか? うにゃ、そんなことない、ないないない、あった!めっーけ(^_-)-☆ ほにゃ、いきまっせぇー おっと、そのまえに 紙と書くもののご用意を では、よろしおますか? 【 円の不思議(外心から円周角の定理へ)】 (1)円の性質 http://www.rd.mmtr.or.jp/~bunryu/en1.shtml まわれ まーわれ メリゴーランド~♪
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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回答番号:No.16 qsxdrfvgyhさん⇒生存中に利用可能なだけで、 私:生存という映像が続いている間の、幻影。 qsxdrfvgyさん⇒h死に際しては、何の役にもたたないもの、 私:映像が途切れて、全ては雲散霧消。どんな地位、名誉、財産も土にならずに消える。 qsxdrfvgyhさん⇒そのような意味でしょうか? 私:そのとおりだと存じます。littlekissさんのパソコン裏技は正に在りて無し。無きかと思えばあるかの如し。 この世で、一なる至高の意識が行われておられる手品、神遊ですね。
お礼
No.16の部分では、認識の共有が出来ているようです。 さて、本題の方ですが、「無きかと思えばあるかの如し。」だと、 「不存在の証明」とは無関係ということになりそうです。 つまり、「littlekissさんのパソコン裏技」は、確かに「神遊」なのでしょうが、「不存在の証明」とは無関係な事例に過ぎないようです。「こんなのがあるよ」という一例を加えただけのようですね。 本題は、無いことを論理的に完全に証明する事例です。 それは、せいぜい、限定的な部分でしか実現できないものです。 たとえば、フェルマーの最終定理は、3以上の整数解の不存在を問うものでしかありません。 より、一般的な不存在の証明の例示を求めています。 それは、至難の業だと思われます。いかがでしょうか?
- littlekiss
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こんばんは、qsxdrfvgyhさん。 ●限定的な事柄でしたら、 比較的に簡単かもしれませんが、 ちょっとしたことでも不存在や非存在は、 不可能・困難になるのだと思われます。 ↑ ちょこっと、用例をあげてみようっと。 Excelを使ってセルの中に -1- と、キーを入れる。 するとエラーもしくは数式変換しちゃう、-1と。 さーて、困った、困った。 こんなとき、おまじないひとつ。 「-1-のあたまに ' つけて、ちちんぷいぷい でろでろばぁー。」 と、Enterキーおせば、 あらあら不思議 あら不思議 -1- が、あらわれる。
お礼
やってみました。 確かに、そのように表示されますね。 そして、表示上は、アポストロフィーが、消えています。 消えて見えるけれども、機能している記号が存在する。 これも、不存在の証明になっていますか? 「不存在の証明」とは、微妙に違うでしょう。 それとも、同じなのかな? 僕の勘違いがあれば、教えてください。 そして、これにて、暫らく連絡不能となるかもしれません。 たまに、覗く事にします。では。
補足
不存在の証明・・・ ここで言う証明は、科学的な証明ではありません。 どれほど、事例を積み上げても、帰納的な証明では、完全ではありません。 つまり、論理的に完全な証明をしたものだけを例示していただきたいという意味です。 たとえば、「フェルマーの最終定理」は、不存在の証明になっています。 ですから、論理的な証明によって、定理となるほどのものを例示していただきたいと思います。 本当に、不存在の証明は、かなり困難なものだと思います。 「フェルマーの最終定理」の場合、300年を要しました。 不存在の証明になりそうなお題を例示してください。 よろしくお願いします。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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何か、独壇場にしている方が、おられるようですね。一人か二人か或いは三人か。 不存在: 在りてなき、帚木(源語) 地上に続いて欲しいと願う、自己、家族、地上の幸せ。 名誉、地位、金、命。 生まれてきたもの、それは死んでいくもの。 始まりたるもの、それは終わるもの。 必然ならずしてあるもの。偶々にあると思えているもの。
お礼
幻に似たもの、「空」に通じるもの、 生存中に利用可能なだけで、 死に際しては、何の役にもたたないもの、 そのような意味でしょうか?
- littlekiss
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- littlekiss
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こんばんは、qsxdrfvgyhさん。 「死」について…? 「しに」ついて、と、きたならば 「しにがはち」 で、「8」 「8」ときたならば 「パチッ-☆」 と、あわせて音合わせ 【アポストロフィー】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A3 エスペラント(一部抜粋) エスペラントでも音の省略に伴い文字を省略したことを示す。名詞語尾 -o を省略する場合や、母音で終わる前置詞の後ろにある定冠詞の母音 a を省略する場合に使われる。 名詞語尾 -o の省略 省略してもアクセントの位置は変わらない。対格や複数の名詞、-o で終わる相関詞は省略できない。 apostrof' < apostrofo poezi' < poezio 定冠詞末尾の a の省略 de l' < de la e l' < e la je l' < je la tra l' < tra la pri l' < pri la pro l' < pro la その他 dank'al < danke al, danko al 「~のおかげで」 - 前置詞のように使う un', du, tri < unu, du, tri 「いち、に、さん」- 声を出して数える場合などに、リズム合わせのため省略する こんなんめっけ。 ― 郵便配達は二度ベルを鳴らす ―
お礼
省略を示すアポストロフィーですか。なるほど。 省略を証明しているわけですね。 しかし、不存在を証明していない。 「省略の事実」を表示しているだけですね? 線文字Bの場合も、語尾のsが省略されている。 アポストロフィーすらないけれども、省略の慣習を推定できました。 省略の事実を証明し、そして、線文字Bは古代ギリシャ語と解明された。さて、線文字Aは、何語でしょうか?
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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健在にしておられたと私が気づいた、littlekissさんは存在されていたようであります。 私の観念内容としての、littlekissさんは実際のlittlekissさんとは齟齬するでしょうから、そしてどなたの○○に関する観念と、その○○の実際とは異なるものですから(別のものですから)、観念は存在するが観念が、その○○だという意味では観念は存在しない。 そういう意味で観念(知覚と経験)としてしか存在していない自己と世界は存在しない。 無数の自己と世界という知覚と経験の内容が存在するだけである。 それは自己でもなく、世界でもない。 知覚と経験、紡ぎ・後編集の意識内容に過ぎない。 意識それ自身でもない。 創造物たる人間は、創造物としては存在する。 しかし、意識内容になった創造物たる人間は存在しない。 だから世界と自己は存在していない。 何かが存在し、何かが存在を知覚している、経験している。 人間の意識内容たるものは存在しては居ない。 littlekissは存在する、私のlittlekissは存在しない。 みんなのlittlekissさんもそんざしない。 littlekissさんのlittlekissさんも存在しない。 究極意識とその内容たる対象objectが存在している。 それは唯一である。普遍をも超越している意識である。
お礼
なるほど。「空」に関係した記述だと、推察しました。 有難うございました。
お礼
ご返答いただき、ありがとうございます。 まったく、異論ありません。そのとおりだと思います。 「脈絡的に理解できないのですが。」ということなので、たとえ話によって、少し解説します。 「円」と「円周率」を使います。 完全な円形は、この世には、厳密にはないと思いますが、近似のものは認識できていることになっています。普通は、円近似のものを円としています。そして、円に関係するものとして、円周率がありますが、これは、小数点以下が無限と通じて、決して我々の手によって記述し尽くすことはできません。無限かつ永遠、そして完全とは何かという話に通じていくと思います。円や円周率は、生滅を超えている(不生不滅)の例示だと思います。違っていたら、ご指摘願います。 存在的、科学的な視点ではなく、存在論的、哲学的な視点でなければ、無限、永遠、完全は、考察し、探究できません。そして、その営みはかなり精緻に展開中だと思います。 生滅の見える現象を対象として、科学的に証明というのではなく、不生不滅の哲学的な対象を、論理的に証明するという視点です。 存在的、科学的な視点で不存在を論じるのではなく、存在論的、哲学的な視点で存在と不存在の境界を見定めるという思考実験だと考えていただきたいと思います。