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キリスト教と進化論について
キリスト教を信じるということは、進化論はありえないということなのでしょうか?。 キリスト教の方々は進化論を実際、否定するのでしょうか?。
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- justice_gh
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Justice_ghです。 回答で大変な記述ミスをしました。 前回の回答中に <誤記述> 2.新約聖書のみ 元々(現在も)ユダヤ教の聖書の部分 とありますがこれは記述ミスで下記の通り訂正いたします。 <訂正> 2.新約聖書のみ イエス・キリストの福音を述べ伝える書 すみませんでした。
- justice_gh
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ANo.21のJustice_ghです。 大切な補足をしておきます。 「キリスト教の方々は進化論を実際、否定するのでしょうか?。」 と御質問に有りますが、旧約聖書を読まれたことがありますか? 聖書は本屋さんに行くと、一般的に次の形態で並べられています。 1.旧約聖書のみ これは元々(現在も)ユダヤ教としての聖書(紀元前10世紀以上)であり、キリスト教(約紀元前後に発祥)、イスラム教(約紀元7世紀に発祥)も共通の「神なる父」なのであります。 ですから、この三つの宗派の共通の聖書です。 2.新約聖書のみ 元々(現在も)ユダヤ教の聖書の部分 3.旧約、新約が一冊になった聖書 があります。 ですから、キリスト教のみならず、この三つの宗派は旧約部分は同じ、人間の先祖はアダムとエバ(イヴ)ですから当然同のことながら進化論を否定したいと思います。
- justice_gh
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東京にある最も難しくとても有名な大学の出身で、心臓外科医としてもかなりの腕をもっている医師が、心臓手術をすればするほど、心臓のメカニズムを知れば知るほど、進化論では説明が付かない部分が多すぎ、進化論を否定せざるを得なくなり、神の存在を認めなければありえない、即ち人間は最初から人間だったとしか考えられない。ということでクリスチャンになられたという真実のお話があります。 それはそうとして、私も進化論は理論であって、実験実証された訳ではないので科学とは思っていません。 何万年、何十万年、何百万年、何億年もの間ダ-ウィン先生が、ある種の生物(動物)をリアルタイムで追跡調査した訳ではないのです。そういった意味では進化論は科学ではなく考古学に近いのではないでしょうか。 DNAからみれば近い種族とか、なんとか分類は出来るでしょうが、その変化を実際に観察(実験)で検証できたわけではないのです。 ですから、ノーベルさんがダーウィンさんよりも先に生まれダイナマイトを発明し、ノーベル賞を早々と考えたとしても、ダーウィンさんの進化論は科学的実証がされていないのでノーベル賞をとることはできなかったんじゃないでしょうか。まあノーベル賞を取ればいいと言う訳ではありませんが。 例えば、ハイテクを駆使して、猿を特別の進化が起こるような環境に置き、進化を加速させて人類に進化させる、というような実証がされない限り信憑性は無いと私は思います。 かといって、進化論を全く否定している訳ではありません。 狭い領域では若干そのような変化が起きているとは思います。 私は、チンパンジーは何万年経ってもチンパンジーのままだと思います。 「キリスト教を信じるということは、進化論はありえないということなのでしょうか?。」 これについては信仰心の度合いによって人それぞれでしょうね。 でも敬虔なクリスチャンでしたら否定するのは当然だと思いますよ。 なにせ、人間の祖先は神が直接想像されたアダムとエバですからね。 案外それが真実かもしれません。<笑>
- 相談 蟻(@soudan-ari)
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再読して見たところ、支離滅裂なので、補足して終了したいと思いました。 新興宗教に関しては、今一良く分かりませんが、宗教の歴史(人類の歴史でも在るのですが)紆余曲折しています。その中から、悪しきは改めてと言うのが私の信条です。 以下、コヘレトより、 さあ、喜んであなたのパンを食べ/気持よくあなたの酒を飲むがよい。あなたの業を神は受け入れていてくださる。・・・・・・ 太陽の下、与えられた空しい人生の日々/愛する妻と共に楽しく生きるがよい。それが、太陽の下で労苦するあなたへの/人生と労苦の報いなのだ。・・・・・・・神は、善をも悪をも/一切の業を、隠れたこともすべて/裁きの座に引き出されるであろう。 創造論は神を信じながらも、恐れを持ちつつ生きる人間の姿を求めていると思うのです。 以上
- 相談 蟻(@soudan-ari)
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>キリスト教の「何処に行くのか?」というのは、 簡単に言えば、どんなものなのでしょうか? 他の宗教も気になります。 旧約聖書の新共同訳 コヘレト 1:2~11より。 コヘレトとはヘブライ語の「集まっている」という意味で、指導者や教師、哲学者。 《 コヘレトは言う。なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空しい。太陽の下、人は労苦するが/すべての労苦も何になろう。 ・・・中略・・・ かつてあったことは、これからもあり/かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。 ・・・中略・・・ これから先にあることも/その後の世にはだれも心に留めはしまい。 これは、BC240年以降に書かれたとされます。そして、正典の基になる資料にはペルシア語も記述もあるそうです。現代のような混沌とした時代では、この無常さは強く感じると思います。信仰者の視点では、混沌とした社会にあった、知恵も人生も神も無意味に感じられる世界観。これは人間人でも言えます。そんな時“何処から来て、何処に行くのか?」”と問う訳です。永遠や絶対を求める人間の性質。 日本庭園の永遠性や、禅とも共通するように感じます。日本は島国の影響か、限られた空間に永遠を求める傾向があるのかもしれません。 >特に悪い新興宗教などに入ってしまう人は、 特に「何処に行くのか?」ということを、 自分で、見つけられないために、迷い宗教に頼るの かもしれないと思いました。 そうですね。ふらふらして定まらない状況が一番危険かもしれません。そんな時は、納得するまで拒否するのが良いと思います。たとえ、両親や家族、恋人でも、それ位の決意が必要でしょう。 振り込めサギなど、そんな弱みに漬込む方法なのでしょう。偏らない・孤立しないのも良い事かもしれません。
お礼
soudan-ariさん、たびたびありがとうございます。 日本のような島国でかつ土地も狭い国では、自然と共生を考えるようになります。 しかし、そうでない広大な国々などでは、宗教によって、 国民をまとめる必要があるのかもしれません。 しかし一神教でそれをすると、戦争にもなるので、むずかしいですね。
- 相談 蟻(@soudan-ari)
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コンチハ。(11:05) >少し、疑問に思っていることなのですが、 一般的な、キリスト教の方は、人間のみが生きる意味を持っている生き物だと 考えているのでしょうか?。 または、人間のみ特別な生き物だと考えているのでしょうか?。 どちらかと言えば、特別な存在と考えて居ますね。神を信じる限りにおいては、そうなるでしょう。でも、哲学や他の宗教でも言えるのでは無いでしょうか?インド仏教などは、輪廻転生の考え方があり、前世とか来世があります。日本も含めアジアの人々はその影響を受けてきました。科学的には、死ねば土になり、動物が植物の栄養になり、更に植物を餌とする動物の栄養となる。魂や霊魂は科学的に説明できませんが。でも、そのシステムが継続されれば、生き残った者は生きている限り敵と戦う。永遠に戦いは続く事になります。無論、それによって子孫の存続や、家族の平和ももたらされる訳ですが。やがて土になるという摂理に至る。 この時、「人間は何処から来て、何処に行くのか?」と疑問に至る。何処に行くのか分からない存在だから、神に従う信仰が生まれるのでは?キリスト教にはそんな特徴があると言えます。 進化論の戦いは進化として正当化されます。同じように、信仰を持って生きる人の選択枝も正当化されるべきでしょう。無論、法秩序などの現代の仕組みに従ってです。それは、進化論も同じでしょう。
お礼
soudan-ariさん、たびたび回答ありがとうございます。 いつも質問ばかりですみません。 キリスト教の「何処に行くのか?」というのは、 簡単に言えば、どんなものなのでしょうか? 他の宗教も気になります。 言葉が悪くて申し訳ないのですが、 特に悪い新興宗教などに入ってしまう人は、 特に「何処に行くのか?」ということを、 自分で、見つけられないために、迷い宗教に頼るの かもしれないと思いました。
- 相談 蟻(@soudan-ari)
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原点に立ち返って、再挑戦? >キリスト教を信じるということは、進化論はありえないということなのでしょうか?。 キリスト教の方々は進化論を実際、否定するのでしょうか?。 天文学的なTV番組などでは、暗黒星雲とかブラックホールなどが放送されて、良く知られています。宇宙誕生の歴史と人類の歴史は、瞬き(まばたき)程度の時間と言われます。 以上を前提に、瞬きほどの人類の知性が、果たして望遠鏡や電波のような送受信だけで、全てを語れるのか?それが前提になると思うのです。ここは哲学のカテです。その視点で生命は進化したと考える事は正しいのです。そして進化し続けています。生命が存在する限りです。恐らく、顕微鏡のサイズから恐竜のサイズまで。 今、時間の尺度と生物の大きさを考えました。私は、生物の専門家でない為、生物の詳しい分類などは分かりませんが、鳥類・哺乳類・爬虫類・コケや藻類などと動物以外もあるでしょう。全てを把握することは難しい。 生物が変化し続け、進化している事は誰でも認める事です。けれど、哲学的に“では、人類は一体何処から来たのか? 何のために生きているのか?”これに対する答えは?そう考える人間は居ます。これも同じ生命を持った人間です。脳の問題でしょうか?進化を研究する前から進化していたのですよね。人間がその事に気付いて研究し始めた。 >しかし、人類の誕生は、解析的アプローチと、実験的アプローチでたんぱく質、リボ核酸から、進化したということがわかっています。 解析学と言う手法は、高度に分析した結果でしょうから、それも恐らく近いでしょう。では、遺伝子のような規則性はどうして発生したのでしょう?科学的な操作は分析・合成、他に電気的ショックなども考えられます。その時代に可能なあらゆる手法です。それでも“人間は何処から来て、何処に行くのか?”は、分からないでしょう。脳は何故考えるのか?生命の解析と同じく、生きる意味も問うています。脳も進化し続けます。 では、何故それを考える必要があるのか?高度に成長した筈の人間が、戦争をする。宗教戦争も含めて、人が人を殺す。家族や同僚を殺す。自分が生きるために他者を排除する。それを正当化する為の理由や主張し根拠を作る。生物だからと言えば其れまでです。弱肉強食と言えばそれまでですが、それらも含めて進化するとは何か?余りにも非人間的では無いのだろうか?自殺者が多くなった、うつ病の人が増えた。これも進化と言えるのか?ドイツのナチス党が一党独裁の政権を樹立し、ユダヤ人を虐殺した。これも進化の過程?あれから未だ100年と経っていないのに、又世界中が混乱しているように感じます。 現代的な創造論の考え方には、その様な人間の罪(原罪)を認め、神と人々の前に赦しを請う意味も含まれていると思います。キリスト教の創造論には、そのような意味も含まれると言えると思います。進化論とキリスト教の創造論を、生命の起源として比較するのは違うように思うのです。ベクトルで言えば、基本的にスタートにずれがある。しかも決定的なずれが、そう感じます。 進化論に否定的な創造論はあると思います。ではその人達は具体的の何を根拠としているのか?それは、否定している人達に質問する他無いでしょう。テレビなどで、アメリカの自然が手付かずで保護されてあるのを見る時、(自然は生命も含みますが、生命だけではありません)、その偉大さに圧倒されて信仰が増幅される事は起こるだろうと感じます。海底でも言えるかもしれません。創造論とは別に、折角日本の近海に、マリアナ海溝などの世界深海も有るので、世界の先頭を切って研究が進んで欲しいものです。
お礼
soudan-ariさん、回答ありがとうございます。 生きる意味というのは、 自分で作らない限りないと思っています。 後付け的に、自らが作るもので、 生きていることを無駄にしないために、 自ら作るものだと思います。 はじめからあるものではないと思っています。 無念に自己や病気で亡くなってしまった方は、 無念に死ぬために、生まれてきたのでしょうか?。 または、悪いことをしたから、そうなってしまったのでしょうか?。 どこに行くというのは、 国という概念があるからには、国が国益に基づいて動いて、 その下に、個人がいるというだけだと思います。 自殺者やうつ病が多いのは、先進国だけで、 結局、国によって違うものなので、 現代において、個人を語るのに、個人の集合体の国家から、 紐解いていくことになると思います。 戦争などの話で行けば、より法規制が少ない時代は、 より進化論的に、弱肉強食であった。 でも、第二次世界対戦後に、 はじめて人道というものを考えるようになったために、 考えるようになりました。 それ以前の時代は、アングロサクソンによる有色人種差別淘汰の歴史が続きました。 また、弱肉強食のシステムを壊すというのは、退化していくということにもなります。 弱いものが生きていけるということは、強い遺伝子だけが生き残れる わけではなく、弱い遺伝子も残れるために、進化のスピードは、 遅くなります。 これは、これに善悪の人間の作った価値観で判断すると、 現代では、弱肉強食すぎると悪と判断されてしまいますが、 それは、進化論という自然界のシステムと関係なく、 人間が人間を中心に作った後から作った価値観なので、 これを持って物事を判断することはできますが、 科学や自然には善悪の価値観はないので、話がややこしくなるのがと思います。 (補足に続きます。)
補足
要するに、常に人間は進化しているわけではありません。 また、進化してる部分と退化してる部分があります。 環境にもよるので、何について、どの対象が、 進化してるかということで、話さないと、 一元的には言えません。 原理としては、 争いが少なければ、退化します。 争いが多ければ、進化します。 人類が進歩して、争いが増えた部分と、減った部分があります。 遺伝子については、私は、くわしいメカニズムは、わかりません。 すみません。なのでその規則性の理由はわかりません。 ただ、わかるのは、それが、進化して生き残った形ということだけです。 そして、チンパンジーと遺伝子が1.5%程度しか違わないのが、人間です。 チンパンジーには、生きる意味はあるのでしょうか?。 少し、疑問に思っていることなのですが、 一般的な、キリスト教の方は、人間のみが生きる意味を持っている生き物だと 考えているのでしょうか?。 または、人間のみ特別な生き物だと考えているのでしょうか?。
- tyr134
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No.12、13です。 >質問の意図は、実際どれだけ創造論を信じている人がいるのかが >気になって質問してみました。 上記についてあれから、ちょっと色々調べたんですけど、やっぱり「ID論」を唱えているのは、福音派を中心とした米国保守宗教右派だけみたいですね。 ただ、米国の大統領(ブッシュ)はの重要な支持基盤でもありましたから、その影響で各地で「進化論とともにID論も教えるべき」という運動が起こってたみたいですね。(ブッシュ始め連邦議会員はこの問題を避けていたようです) 他にも、「中絶反対・同姓結婚禁止・学校での祈りの時間復活」などかなり保守政策の実現に力を入れて運動しています。 さらに、9:11テロ以降は米国社会は右傾化傾向にあり、その影響もあって米国で猛威をふるっていたみたいです。 ちょっと古いですが、2004年に行われた米国のGallup Poll社の世論調査では全米で以下のような結果がでているようです。 ===以下引用=== 「あなたはダーウィン学説は証拠によって証明されたものと思いますか」 ・ はい、そう思います..................35% ・ いいえ、そう思いません.........35% ・ よくわかりません.......................29% (それに対して、New York Times紙の調査では、) 「世界の産業発展国では80%以上の者が進化論を受け入れている。 例えば日本では96%であり、また社会的に保守的でカソリック教徒が圧倒的に多いポーランドでも75%である。」 ※()は私の補足 http://www.aba.ne.jp/~sugita/157j.htm ===以上=== との記事が載っていたようです。 つまり、「ID論」を唱えているのはキリスト教でも福音派(プロテスタント)に代表される米国右派宗教だけであり、カトリックや他のキリスト教宗派は関係ありませんね。 なので、 >キリスト教の方々は進化論を実際、否定するのでしょうか? というのは、「一部の限定的な人だけです。ただし、米国ではその一部の勢力が猛威をふるっている傾向にある」という感じですね。 ID論者の主張をわかり安くまとめてあったので少しだけ引用します。 ID論者たちが作ってる冊子のようです。 ==以下引用=== ・ダーウィンの進化論(ネオダーウィニズム) 「進化の要因は突然変異と自然選択」 英国の自然科学者チャールズ・ダーウィンが『種の起源』 (1859 年)で提唱した自然選択説が元になり、現代の総合 説(ネオダーウィニズム)に発展。3大特徴は(1)すべての 生物は「共通の祖先」から分岐を繰り返して生まれてきた (2)進化の要因はDNAの突然変異などと自然選択(3)進化は 無目的。仏分子生物学者J・モノーは「人間は偶然の産物」 と言い切っている。 「証拠は多い」 多くの大学・高校生物教科書は、ダーウィン進化論の証拠 の事例“進化のイコン” を挙げている。たとえば、化石や 分子系統学に基づけば、共通の祖先から連続的に進化して きたことを示す系統樹を描けると主張。 そのほかの進化のイコンとして、脊椎動物の胚の比較図(独 生物学者エルンスト・ヘッケルが描いた図やそれを模した 図)、相同器官、ダーウィンフィンチ、工業暗化などがある。 「IDは宗教」 (1)「ID理論は創造論の焼き直し、宗教」であり、公教育 に持ち込むべきではない(2)ダーウィニズム批判は宗教的動 機に基づいており、科学者の間の論争はない―と主張。 (以下略) ●ID論 「IDの関与が進化のより良い説明」 宇宙と生命の誕生、生物進化にはインテリジェント(知的) デザイナーが関与したと説く。生命の誕生から生物が進化 していく過程はダーウィニストが描くような単純な1本の 系統樹で表せるものではない。生命の誕生に必要な情報の 起源、高度化・複雑化をたどっている実際の進化に必要な 情報(遺伝情報など)の起源は知的デザイナーにあるとす ほうがより良い説明だとしている。 「進化のイコンは事実歪曲やミスリードばかり」 進化のイコンは事実歪曲、ミスリードなどで満ちており、 ダーウィン進化論の証拠は存在しない。たとえば、ダーウィ ン進化論が想定する系統樹は、主要な動物門が突如出現し たカンブリア爆発の化石の証拠を説明できない。 ヘッケルの描いた「脊椎動物の胚の比較図」は捏造。米国の 一部生物教科書はヘッケルの図を使用しなくなり、実際の 胚の写真を掲載しているが、初期段階が似ているかのよう にミスリードしている。 「科学の証拠に基づいている」 (1)ID理論は、現代の生物科学、地質学、宇宙論・天文学な どが得た証拠に基づく(2)公教育でID理論を義務化する必 要はないが、論争を教えるのが良い教育だーと主張。 (以下略) http://www.worldtimes.co.jp/book/eID/IDpart3_sample.pdf ===以上=== で、下記のホームページは、現在の進化論の基礎というかトレンドというか、まぁ中心となってる「ネオ・ダーウィニズム」の解説ページです。 http://www2.biglobe.ne.jp/~oni_page/Evolution/s0070.htm 上記のページを読むと、進化論の中でもいろんな説があるのがわかりますね。 ただ、ID論をそこに含めるかは、、、、。 まぁ、個人的には依って経つ足場が違う気がしますけどね。 ただ、この論争をみていて思ったのは、「心身合一問題」に似てるな~と。 これを簡単に言えば、「体と魂は分けられるのか?」って問題ですね。 これを突き詰めると、一方(体と魂は分けられない)は「人間機械論・唯物論」に行き着き、もう一方(体と魂は別々)は「宗教」に行き着く。 前者だと、実験室で物質を結合させれば人間が出来るはずだし、後者だと何らかの形で魂の存在を証明しなきゃいけない。 結局どっちもまだ証明されてる訳じゃないんですよね。 なんか、これと似てるな~って気がしました。 ではでは、失礼します。
お礼
tyr134さん、回答ありがとうございます。 とてもくわしく調べていらしゃって、ありがとうございます。 私も、ここで質問してからいろいろ調べてみたのですが、 ID論については、理解に苦しみます。 というのは、他の回答でも書きましたが、 人体には、設計ミスや余計な機能などあり、 全能の神が創ったとは、思えないということが、 一番の反論する根拠になります。 日本人は、おおざっぱに無宗教な国なので、 進化論を信じる人が96%もいるのでしょうかね。 ネオダーウィニズムなど、ゆっくり勉強させていただきます。
- 相談 蟻(@soudan-ari)
- ベストアンサー率19% (40/208)
答えられる範囲で、お答えします。 >・・・略・・・・ 「なぜ」もなく、宗教とは信じることからはじまるというのが、私の感じていることです。進化論には、「なぜならば」があります。創造論の「なぜならば」というのは、どういう内容か、ご存知の方いましたら、教えていただけると、助かります。 なぜならば、人間には、神や仏を祀る宗教心がありました。人間や動物の命は有限です。生物の進化では、腐敗した生命は終わりと考えるでしょうか?人それぞれでしょう。愛着があれば埋葬したり、お墓を造ったりもするかもしれません。その点、宗教は死後の世界を肯定しています。その考え方をどう思われますか?不要でしょうか? それは、rasamiさん自身で答えを出して下さい。 >創造論も進化論も出来上がった背景が違うということが、 何の問題になるのか、私はわかりません。 キリスト教と進化論でしたが、キリスト教はご存知の様に、ガザ地区の戦闘のある中近東から広まりました。あの戦いは私もよく理解できませんが、宗教的なものと、政治的な利害などが複雑に関係していると思います。そこで、中東のキリスト教は、我々には理解できない部分が沢山あるのだろうと、私は思います。そこで、欧米を基準に考える事になります。日本は欧米は進んだ国として倣って来ました。でも、キリスト教は未だ十分に理解されたとは言えません。日本はキリスト教とは恐らく、相性が良くないのでしょう。日本はチャンポン信仰ですから。 >聖書に間違いがあったことが、後からわかっても、修正しないものなのでしょうか?。時代とともに修正されていけば、共通の尺度というのは、見つかると思いますが。創造論は、都合が悪いことは見ずに来てるだけなのではないでしょうか?。 聖書そのものは簡単には修正出来ないでしょう。なぜかと言えば、聖書にそう書かれてありますし、聖書そのものが研究対象でもあるからです。ここで言ってる聖書は、写本も含めてです。正典についても色んな解釈があり教派が有ります。そsて、ガリレオやニュートン等の説は受け入れて来ました。受け入れざるを得なかったからです。だって信じるのは人々ですから。 宗教家も科学の恩恵を受けている訳です。科学者も自分自身の誕生や死を考えた時、特定の宗教で無くとも何かに委ねると思うのですが。クローンなどの生命科学の技術は素晴らしいと思います。不死の生命が誕生したとしても、それを素直に素晴らしいとは思えません?人間が神に成った感じですね。今の私には受け入れ難いです。戦争が指令を持った人間が永遠に戦い続けるように思ってしまいます。 ビック・バンは学説として正しいと思います。そして、地球と同じような生命を持つ惑星が存在するかも知れません。でも未確認です。 ここで、人類の尺度と宇宙の尺度を考えた場合、恐竜の様に発見する前に人類は滅んでしまうかもしれません。(聖書に恐竜と言う動物は有りませんが) 研究する事と、信じる事は近似と思うのですが、如何でしょうか?現代の宗教って、日常からフッと迷った時に出くわす世界だとも思います。でも邪教やカルトも有るので注意ですね。それらは宗教とは言えないとは思います。 自分はどうなのか判断できないのが怖いところです。 そんな所で勘弁ください、終了します。
お礼
soudan-ariさん、たびたび回答ありがとうございます。 字数が足りずに補足の方に書かせていただきます。 ありがとうございました。
補足
創造論のなぜならばは、ダーウィンの「種の起源」で、 大筋はわかります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%AE%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90 現在の進化論は、さらに進化しているので、種の起源だけでは、 仮説レベルで不十分ではありますが。。。 おもしろいと思ったのが、船に乗って世界中、5年間のフィールドワークをしてることです。 詳細は、その旅行記などを見ないとわからないところはありますが、 現在の進化論は、これと遺伝子工学が結びついて仮説を超えた強化なものになります。 化石の発見もそうです。 (しかし、遺伝子のなぜならばは、長すぎて、説明がむずかしいです。 すみません。) 化石においては、まだ、中間の化石が発見されていないクジラやコウモリなどありますが、 キリンもそうかもしれませんが、 それが見つかっていないからと言って、すべてを否定することはできず、 大筋は、証明されました。証明されたことの方が多いため。 人間に関しても、ダーウィンの時代には、猿人などのチンパンジーから 人間への進化の過程の化石が見つかっていませんでしたが、 その後、見つかりました。 人間に関しては、ミッシングリンクは、ほとんどない位見つかっているみたいです。これに私は、驚きましたが。。。 ただ、チンパンジーからの進化の過程で、洞穴に住んでいたと思われていたのが、最古の猿人見つかったのが森林だったりなどで、その生態については、まだ完全な解明はされていないようです。ただミッシングリンクであった化石が見つかったのは、事実みたいです。 あと、現在進化しているものを、調べてみたのですが、 やはり、細菌が一番わかりやすいですね。 急に表れる強力なウィルスがそれですね。 インフルエンザの進化もそうです。 毎年のように、新たなものができます。 エイズやサーズやエボラなど、すべてそれにあたるのではないかと 思います。 人間で言えば、絶滅の危機がないので、 環境に適合するレベルの進化しか存在しません。 現代人はあごが小さくなり、親知らずがなくなる人も出てきて、 水泳選手は水かきが大きくなるなど、その辺が、現代の人間の進化です。 また、過去飢饉や伝染病などの危機から、突然変異で抗体を持った人間ができ、助かったということが言われているそうです。 新種の生物としては、 http://news.livedoor.com/article/detail/3718044/ こういうのがあるそうです。 このすべてが現在進化した生物ではないですが、 スリランカの新種のカエルは、絶滅した種類のカエルなので、 現代にて、進化した生物の可能性が高いと考えられます。 それを証明するのは、私には残念ながらできません。。。 しかし、進化論の証明にはなるかもしれません。 証明するのは、絶滅に故意の追いやって、何年も観察するか、 逆に、野生の絶滅種の変化を見ていけば、わかるかもしれないですね。 細菌レベルの実験では、いろいろありみたいですが。。。 進化を、もう一度復習すると、 突然変異と環境に応じた順応とあります。 前者は後者の意味も含みますが、一気に変化するという意味です。 前者は、絶滅の危機に襲われなければ発生しません。 なので、人間が絶滅することは、現代では考えるがむずかしいので、 人間に関しては、ありえないことになります。 後者は、環境の変化で見られることなので、現代でも、 極寒地帯とサバンナに住む人の差や、 上記に書いたことで、見られている現象です。 ちなみに、ビッグバンについては、ほぼそうだろうというまだ仮説です。 しかし、人類の誕生は、解析的アプローチと、実験的アプローチでたんぱく質、リボ核酸から、進化したということがわかっています。 そのどちらからか、または、その二つの複合物が進化して誕生したという ことまではわかっていますが、その中のどれからかというのは、 まだ解明されていません。 また、化石により解明しているのが、おおざっぱですが、 35億年前から始まり 細菌・ラン藻→真核生物→多細胞生物→海棲生物→両生類→爬虫類→哺乳類→霊長類→チンパンジー→人間となります。 ここまでは、化石があるので、実証されているものです。 35億年前の化石(微化石)があるという時点で、私はびっくりしましたが。。。 さらに前の原始生命までたどると、化石はなく、約40億年前と されています。 その大きな流れの中で、ミッシングリンクはないと理解していますが、 (枝葉ではありますが) そうでないということを知っている方は、教えていただけると 助かります。
- 相談 蟻(@soudan-ari)
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私は、創造⇒進化 を支持しています。以下にその理由を書きます。 《 キリスト教の創造論に関して》アメリカとヨーロッパの特徴 アメリカは新天地を求めて渡ったヨーロッパ人にはじまります。彼らの多くはプロテスタント系でした。そもそも新天地を求めて渡るとは、信仰的な違いがあったと言うことです。ヨーロッパにもプロテスタント系はあるでしょうが、キリスト教という枠組みで見た場合、カトリック色を帯びていると思います。その違いが、進化論に対する考え方に現れていると思います。 今読みかけの「旧約聖書神学要綱」 著者 ツィンマリ(ドイツ人)を参考に。その前に、ユダヤ教の聖書(キリスト教の旧約聖書)はBC4世紀~AD1世紀頃に掛けて正典化されました。これはヘブライ語の聖書で、キリスト教の旧約聖書はそれとは別に、ギリシャ語に翻訳されて正典になりました。 『ウィキペディア(Wikipedia)』 参照。 ここで大事な点は、写本のような形で存在した原文が正典化されたことです。表現の上では正しくまとめた事になりますが、いくら信仰的な聖人だったとしても人間の行為です。 (信仰を以て疑う) 私達が旧約聖書と言ってるのは、主にギリシャ語訳の聖書です。ですから、聖書の天地創造は、当時の信仰を継承していると言えます。進化論もビック・バンも無かった時代です。ここで両者を同列で語るには無理が無いでしょうか? そこで、同列にする為に近代的に旧約聖書を解釈をする必要が出てきます。そこで、前に振れた著書は、旧約の解釈を大きく3つ位に分類しているようです。つまり、伝承的な記述、民族史的な時代、詩歌など。細分化すれば律法や預言も増えますが、ここでは必要ないと思います。創世記の天地創造を事実と受け取るも良し。しかし、当時のイスラエル人にその事(天地創造の神を科学的に証明できる)を立証できる裏付けがあったでしょうか?無論なかったと思います。あったのは、当時の指導者達が他の異教の神々に対しては有ったでしょう。そこで唯一神の必要が有った。しかし、そこでは信仰の書として正典化する必要があった。 科学を突き詰めて行っても答えが出ない領域ってある訳です。聖書を突き詰めても得られない答えだって有る筈です。しかし、旧約聖書のヨブ記やコヘレトの言葉には、人間の普遍的と言える不条理も描かれてあります。人間社会の矛盾や、生きる意味を問うものなど。それは、当時のギリシャやエジプトなど周辺諸国の影響も受けていたと言われます。 そう考える時、創造論と進化論が出来上がった背景が違う事にきが付きます。一見両者は、対極の様に思われますが。進化論の他に、ビック・バンであっても、生物と関連付けるには、別な共通の尺度が必要かもしれませんね。そうした課題が現代的な問題と思います。 以上、私なりの解釈でした。
お礼
soudan-ariさん、回答ありがとうございます。 ちと、わからなかったことを質問させてください。 責めているわけではないので、ご了承ください。 創造論も進化論も出来上がった背景が違うということが、 何の問題になるのか、私はわかりません。 進化論もダーウィンのころとは、違って、 現代ではかなり進化したものになっています。 当時のものには、欠陥があったため修正を加え続けたからです。 聖書に間違いがあったことが、後からわかっても、 修正しないものなのでしょうか?。 時代とともに修正されていけば、共通の尺度というのは、 見つかると思いますが。 創造論は、都合が悪いことは 見ずに来てるだけなのではないでしょうか?。 宗教のように、無条件に信じることからはじめるというところと、 科学のように仮説を検証して証明されたゆえに信じるというところの 相違で、創造論は仮説ですが、進化論は証明されたものです。 なので、私は進化論は信じれる論理だと思っています。 何を根拠に信じるかということが、根本的に 違うのだと私は思います。 >進化論の他に、ビック・バンであっても、生物と関連付けるには、別な共通の尺度が必要かもしれませんね。 というのは、生物の進化や、生物の誕生と関連付けるのは、 別の論理が必要だということでしょうか?。
補足
ひとつ自分の感じていることを整理すると。 自分の考えなりと言う時に、 「私は○○と考える。なぜならば○○だからだ。」 と言うと思うのです。 創造論では、その「なぜならば○○だからだ。」という部分が、 自分は知らないのです。 そこが、物事を信じる基準になると思うのです。 「なぜ」もなく、宗教とは信じることからはじまるというのが、 私の感じていることです。 進化論には、「なぜならば」があります。 創造論の「なぜならば」というのは、どういう内容か、 ご存知の方いましたら、教えていただけると、助かります。
お礼
soudan-ariさん、いつもありがとうございます。 神とは恐れの中にいる知識として存在する意識なのでしょう。 なので、人間の中にしか存在しないものなのでしょう。 たびたびありがとうございました。