キリスト教のトップ、ローマ教皇ヨハネパウロ二世が
「人間はサルから進化した」と認めてしまったと記憶しています。
だからキリスト教的には、その問題はもう終わっています。
でも、本当のところ、世界はどうなってできたのか?
ということになると…どうかな。
ダーウィンが進化論を練り上げるとき、
多くの意見をそこに追加した、アルフレッド・ラッセル・ウォレスを知っていますか。
進化論を「ダーウィニズム」と呼んだ人であり、
それに対して、ダーウィンが
「同時にこれは、ウォレシズムでもある」と言った人…だそうです。
ウォレスはダーウィンと、最後の最後にたもとを分かちました。
それは、このセリフに象徴される、ダーウィンとの決定的な考えの相違です。
「人間よりもずっと高次の知性の存在」
ウォレスはもちろん科学者です。
でも、実際の生物学者の中にも、こういう考えの人はけっこういます。
ダーウィンの進化論は進化論の原則として確かに存在し、
しかし、それだけでは説明できない「都合よすぎる出来事」が
進化に関与している…と、私も思っています。
それを「神」と呼びたがるのは宗教家ですが、
宗教家でなくても通じやすい言葉なので、
実在がハッキリしない「それ」を、「神」と呼ぶのが一番わかりやすい。
アインシュタインが「宇宙信仰」という言葉を使ったのをご存知ですか。
「どっちが正しい?」というあなたへの回答にはなってないですが、
「どっちか片方だけが正しい」とも限らないよ … と。
あともうひとつ。
DNAというのは、実に不思議なものです。
言語を使う知性がない時代に、言語で書かれ、
数学が存在しない時代に、四進数を使って記述された。
自然発生したにしちゃ、利他的な存在で、自分んための存在価値はまるでない。
しかも、また生まれるつもりらしく、
自分の作り方を記録している、「再生確信犯」。
生物の体の作りの記述をそのまま、体の中にもって「自然発生してきた」だと?
体のタンパク質はすぐに分解されちゃうのに、
化石になっても壊れない核酸(DNA)という物質を使い分けている…。
DNAは、それだけがあっても何もできないんですよ。
DNAを読んでタンパクを組み立てる酵素がないと。
でも酵素の作り方は、DNAに書いてあるんです―――せーの!で同時に自然発生したのかな。
こういう全てが「自然に偶然に発生してきた」なんて、
私なら「あほかー、アタマ冷やしてこい!」と言いたいね。
だから「神様」説も、まだ捨てられないんですよ…
誰かがこじつけたりしないで、全部スッキリ説明してくれないとね。
お礼
言ったようにS・J・グールドは科学と宗教は別の世界でお互いが干渉するから問題になるのであって、相手を認めれば良いのだと「Science and Religion in the Fullness of Life」で論じています。