- 締切済み
進化論と創造論はどっちが正しい。
欧米の先進国の著名な学者G・バーマンやH・モスといった人達は進化論を否定していますが、化石やDNAの研究などで進化は間違いない事実なのに神が世界を作ったなんて考えている人がいるのは何故でしょうか。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
みんなの回答
- enoyan6155
- ベストアンサー率57% (8/14)
出尽くしちゃった感がありますので、参考文献としてお勧めを一つ。 神は妄想である―宗教との決別 http://www.amazon.co.jp/dp/4152088265/ 騙されたと思って。我々の知らない欧米のキリスト教社会でいかに科学者が神と折り合いを付けることに苦しんでいるか、その一端がかいま見えます。
- mrsamama
- ベストアンサー率41% (35/84)
キリスト教のトップ、ローマ教皇ヨハネパウロ二世が 「人間はサルから進化した」と認めてしまったと記憶しています。 だからキリスト教的には、その問題はもう終わっています。 でも、本当のところ、世界はどうなってできたのか? ということになると…どうかな。 ダーウィンが進化論を練り上げるとき、 多くの意見をそこに追加した、アルフレッド・ラッセル・ウォレスを知っていますか。 進化論を「ダーウィニズム」と呼んだ人であり、 それに対して、ダーウィンが 「同時にこれは、ウォレシズムでもある」と言った人…だそうです。 ウォレスはダーウィンと、最後の最後にたもとを分かちました。 それは、このセリフに象徴される、ダーウィンとの決定的な考えの相違です。 「人間よりもずっと高次の知性の存在」 ウォレスはもちろん科学者です。 でも、実際の生物学者の中にも、こういう考えの人はけっこういます。 ダーウィンの進化論は進化論の原則として確かに存在し、 しかし、それだけでは説明できない「都合よすぎる出来事」が 進化に関与している…と、私も思っています。 それを「神」と呼びたがるのは宗教家ですが、 宗教家でなくても通じやすい言葉なので、 実在がハッキリしない「それ」を、「神」と呼ぶのが一番わかりやすい。 アインシュタインが「宇宙信仰」という言葉を使ったのをご存知ですか。 「どっちが正しい?」というあなたへの回答にはなってないですが、 「どっちか片方だけが正しい」とも限らないよ … と。 あともうひとつ。 DNAというのは、実に不思議なものです。 言語を使う知性がない時代に、言語で書かれ、 数学が存在しない時代に、四進数を使って記述された。 自然発生したにしちゃ、利他的な存在で、自分んための存在価値はまるでない。 しかも、また生まれるつもりらしく、 自分の作り方を記録している、「再生確信犯」。 生物の体の作りの記述をそのまま、体の中にもって「自然発生してきた」だと? 体のタンパク質はすぐに分解されちゃうのに、 化石になっても壊れない核酸(DNA)という物質を使い分けている…。 DNAは、それだけがあっても何もできないんですよ。 DNAを読んでタンパクを組み立てる酵素がないと。 でも酵素の作り方は、DNAに書いてあるんです―――せーの!で同時に自然発生したのかな。 こういう全てが「自然に偶然に発生してきた」なんて、 私なら「あほかー、アタマ冷やしてこい!」と言いたいね。 だから「神様」説も、まだ捨てられないんですよ… 誰かがこじつけたりしないで、全部スッキリ説明してくれないとね。
お礼
科学で説明出来ない物はありません。説明抱きないと言っている連中は科学が理解できないだけです。幽霊もUFOも存在しません。最新科学では人間の心さえ神経組織の賜物と分析できています。神様なんて人間の心が創った幻想、癒しに過ぎません。
- thegenus
- ベストアンサー率49% (330/673)
悪く受け取らないで下さい。 質問文にて 「化石やDNAの研究などで進化は間違いない事実なのに」と書かれていますが、具体的に説明してください。できますか? これはトンデモ狩りをする時のワンパターンを使いました。トンデモ狩りを使命に感じている科学原理主義者たちの方こそ、何故?と思いませんか。彼らは修道士じゃなく科学者なんでしょ。 『説明してください。間違いのない事実だというのなら』 そう言っておいて、できなかったらそういう人はなんなんでしょう。政治家に似ていませんかね。できないことや分かりもしないことを断言するなんて性質。人々を過ちに導く盲信は、その方角ではなく歩み方がまず問題視されるべきなのです。 生物カテで、創造論者?の動機を聞くのは科学的ですかね。必要な知識は生物学じゃないでしょう。創造論者が発言するカテに質問しないと。科学的でないのでは。ミイラがミイラ取り。科学の土俵にあがったら科学者優位に決まってるでしょ。 私としてはそういうカテを見ることがまれなので、彼らの本心を「想像で説明」しなければなりません。生物カテにそういう人が現れると知る機会を得られます。科学系のカテを見ると科学原理主義者に詳しくなります。どちらも宗教的にとりつかれた性質です。科学者が物事を想像から断言していいのですかね。特にトンデモ非難を辞さない科学者が。 宗教的な世界観が、けしからんのは科学的ではないからです。気に食わんだけです。そんな当たり前の心理に合理的理由をつけるのは見え透いた嘘です。何の宗教であれ、宗教者は自分の嘘に平気です。 ああいうトンデモは科学的ではない、とイジメている人が、実際どれほど科学的か。科学原理主義者が客観的にどこまで理性的か。有害なのは科学原理主義者の方です。トンデモは時代遅れ的なスキモノにすぎません。 科学原理主義者は、科学批判に対して中立的ではありません。客観的には、同じむじなですよ。分のいい方に寄生しているだけです。アインシュタインは物理学で飯を食う生き方を嫌っていたようです。科学的貢献と保身は違うのですね。 ちなみに、バーマンやモスは何者で、なんと言っているのですか。
補足
<「化石やDNAの研究などで進化は間違いない事実なのに」と書かれていますが、具体的に説明してください。できますか?> 出来ます。説明するには本が一冊で来ますので、止めておきますが、次の本を参考にしてみて下さい。 日経BP社刊 J・A・コイン著 『 Why Evolution Is True 』
>なのにお互いに批判しあうのは何故でしょうか。 それは創造論が「科学理論の装いをしている」からです。 7000年前に神が宇宙を創造した、というのが単に信仰上の問題だけで済むのなら「進化論は科学、創造論は宗教」と棲み分けて何の問題もないのですが(現にそうやって科学と宗教の折り合いを付けている人は大勢います)、原理主義の立場を取れば聖書の記述と科学知見が真っ向から相反する以上、聖書の記述を選択しないわけにはいかないのでしょう。 なので、あらゆる科学的な証拠の取捨選択や解釈をねじ曲げて、「7000年前に神が宇宙を作った、という記述は科学的にも正しい」という主張をせざるを得ないのです。そのための「科学理論」が創造論です。(聖書の記述そのものは「創造論」とは呼びません) そのあたりは「神を疑ってはならない」のが絶対の一神教の事情なので、私たち日本人には理解しづらい精神性なのですが、別に創造論を支持する義理も理由もないはずの日本人にも創造論を信じているらしい人がいるのは不思議です。 ノアの洪水時に線虫や魚類が真っ先に死んで沈み、高等生物になるほど高い位置まで逃げることができたのが、地層から出土する化石が順序正しく重なっている理由だ、なんて理屈は、まともな「知能」を持っている人なら即座に「じゃあなんで鳥類の化石が白亜紀の地層から出てくるの?」くらいのツッコミは入れると思うのですが(これ、小学生の時の息子が入れた実際に入れたツッコミです)。いや、その他にも即座に10くらいのツッコミは入れられるのですが。 思考だけでなく、自分の生き死にまで「神に預ける」のが正しい信仰のあり方、とされる世界ですから、進化論を認めることは受け入れがたいのでしょうね。 それにしても、神の言葉を人間の浅知恵で「補強」しようと試みることなど、神はお怒りになると思うのですが・・・ まあそれは私が心配することではないので。
お礼
無知な人は神様の存在で生きている意義を見つけています。科学者だって心の慰安には宗教が要ります。進化論(科学)と創造論(宗教)は別の次元のものなのです。でもバチカンは進化論を否定していません。クリスチャンにとって聖書の記載事項を否定する事はクリスチャンである事自体を否定する事ですから、人間が下等生物から進化したなんて、受け入れられるはずがない事は判ります。
- negigi
- ベストアンサー率60% (86/142)
何を以って正しいとするかによります、自然科学の分野で考えるのであれば、正しいのは圧倒的に進化論のです。ただ、聖書の内容の合致するかどうかの正しさであれば、創造論の方が、当然ながら、正しいのです。 私は自然科学の人間ですので、自然科学の側から。 自然科学における正しさというのは、様々な仮説検証を通して、土台を積み上げることで確認されます。ピラミッドみたいなものをイメージしてください。進化論に関して言えば、頂点はまだまだ未完成ですが、土台はかなりしっかりとしたものができており、ほぼ覆ることはないと考えてよいです。 じゃあ、自然科学から見た創造論はというと、創造論は聖書の内容に、合致して“いなければならない”ため、「神が作った」という理論以外は無視するか、頑なに否定します。結果ありきで情報を取捨選択するため、まるで逆ピラミッドのようになる様は、観察対象として面白いです。 結局のところ、進化論は間違っていると言っている科学者は、進化論を理解できていないか、宗教と科学を分離できていないかだけなんですけどね。
補足
判りました。進化論は科学で創造論は宗教のもので、違う分野のものなのですね。なのにお互いに批判しあうのは何故でしょうか。 創造論者が進化論を嫌うのは人間が動物から進化したという一点ではないでしょうか。進化は何億年といった長期間の人知の及ばない実証が難しい学問ですので、その点でも理解されないのでしょうね。進化を説明するより神が創ったといってる方が無知な人には説明し易いのでしょうか。
- apple-cube
- ベストアンサー率43% (51/118)
まず、科学で提示されるのは「間違いない事実」ではなく「限りなく確からしいこと」です。 例えば今から2000年経って、順調に技術が進歩し続けたなら、現代の科学で「証明」されたことにされていることは結局、「昔はそうだといわれていたが」と語られてしまうかもしれません。 (プトレマイオスの天動説なんか典型的ですね。) そこが科学というものの不完全性で、魅力だと思っています。 化石の研究なんて特に、科学よりも考古学の範疇で、分からない部分を研究者の想像力と知識で賄っている部分が大きい分野ですよね。 それをもって「証明された」とか「事実」というのは少し違う気がします。 個人的には、「DNAの研究」と「神が世界を作った」というのは、少し分野も論点も違うので比べられるものではないと思っています。 「猿のDNAと人のDNAが酷似している」という論と、 「ならそのDNAとやらを作ったのは神以外の何者か?」という論は、 かたや科学に近く、かたや(神という物質が人間が観察できる範囲に存在しない以上)哲学に近いので、 その両者を比較する試み自体は面白いと思いますが、両者の折り合いはつかないでしょうね。 だから両方の論が存在しているんだと思います。
補足
文明宇宙起源説ってのがあります。人知に及ばない事は宇宙人のお陰にしています。それと一緒で知識の薄い人には万物は神が創ったと言う方が話しやすいし、説明しやすいからでしょう。S・j・グールドだって熱心なクリスチャンだった事も思い出しました。宗教と科学は別の世界なのですね。
お礼
言ったようにS・J・グールドは科学と宗教は別の世界でお互いが干渉するから問題になるのであって、相手を認めれば良いのだと「Science and Religion in the Fullness of Life」で論じています。