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キリスト教と進化論について
キリスト教を信じるということは、進化論はありえないということなのでしょうか?。 キリスト教の方々は進化論を実際、否定するのでしょうか?。
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- tyr134
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No.12です。 すみません、URL貼るの忘れてました、、、。 こちらのサイトです。 http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/ こちらのページにもまとめてあるのですが、「起源」については、様々な立場があるんですよ。 で、キリスト教福音派が中心となって唱える「ID論」はそのうちの一つなんですね。 下記は、上記サイトからの引用です。 ==以下引用== 進化論 少数の単純な生物が長時間かけてさまざまな生物に変化したという説。科学的に正しいとされている。どのように進化が起きたかについては論争はある。 理神論 神が自然に生命が誕生し、進化するように宇宙を創造したという説。神の関与はビッグバンの瞬間だけで、あとは自然の法則にまかせるがまま。進化を否定しないし、地球の年齢には十分に古いと認める。 有神論的進化論 進化は確かに起こったが、物質的なメカニズムではなく、神が常に働いて現在の生物たちのように進化させた。進化を否定しないし、地球の年齢には十分に古いと認める。 創造論(古い地球論) 聖書の一日は単純に24時間ではなく、長い時間をかけて神は創造を完了させた。種はそれぞれ創造された。進化は否定するが、地球の年齢には十分に古いと認める。エホバの証人の創造説はこれに含まれる。 創造論(新しい地球論) 聖書の一日は24時間であり、6日間で神は地球を創造した。進化は否定する。地球の年齢は1万年以下であると信じている。アメリカ合衆国で進化論を公立学校からの教育から締めだそうとしているグループが支持している創造論である。 http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/creationism.html ==引用・以上== で、カトリック派の科学者に多いのが「理神論」ですね。 ただ、多くの人は「科学」と「信仰」は分けて考えるみたいです。 >ただわからないのは、 >神が6000年前に6日で天地創造した=創造論 >だとしたら、進化論との共存はできないと思うんですよね。 >聖書のどこかを書き換えない限り。 これは、結局「聖書解釈(≒神学)」の問題です。 例えば、『聖書』にはさまざまな「シンボル」が使われています。 「葡萄酒はキリストの血」、「パンがキリストの肉」として行う聖体拝授とかが一番有名でしょうか。 他にも、オリーブは平和のシンボル、ホタテ貝の貝殻は巡礼のシンボル、赤い木の実(リンゴ)は知恵の実・原罪のシンボルなどなど。 つまり、6日や7日などの日数は実際の日数ではなくて、何かの象徴を表していると解釈するんです。 で、6は「世界ができる前」だから「不完全性」を、7は「世界が完成した」事から「完全性」を表し、これにより神は何かを意図して我々にメッセージを残しているのでは?という感じですね。 ただ、まぁこのあたりは、先ほども述べたように「科学の問題」ではなくて「宗教の問題」であり「聖書解釈(神学)」の問題ですね。 なんで、多くのキリスト教徒は「科学は科学」「信仰は信仰」と結構クールに受け止めている人が多いと思いますよ。 というより、素直に聖書の記述をそのまま解釈する人は少ないかもしれません。(まぁ、それじゃイカンといって出てきたのが福音派に代表されるキリスト教原理主義なんですけど) >人間は設計ミスがけっこうあるため、全能の神とされる方が >作ったのには、欠陥が多いということです。 これについても、色々と(神学の)説がありますね。 神様は人間(アダムとエヴァ)を作ったんだけど、そこに蛇に化けたサタンがそそのかして絶対食べるなといわれていた「知恵の実」を食べてしまいます。 これによって、「原罪」が生まれるのですが、そもそも「神」はこのことを見越していて、「知恵の実」を食べさせることで人間に「自由意志」が生まれ、これによって原初の人間から「完璧な人間」になった。 つまり、アダムどエヴァの裏切りはあらかじめ神は予見していたし、そうなることを望んでもいた。 そして、その「自由意志」でもって「自ら神を愛する」人間を欲しているのだと。 もちろん、これに対して反論する人もいますけど。 この辺りは「哲学・神学」の問題ですね。 その中でも「自由意志論の問題」でしょうか。 まぁ、そもそも現代の「自然科学」というのは、キリスト教徒が一生懸命「世界を理解して神に近づこう」とした事から生まれてきたようなモノですしね。 例えば、かのガリレオやニュートンは敬虔なキリスト教信者であり、錬金術とか占星術など、現代からみたら「オカルト」としか言いようが無いことを本気で信じ、それを追求する過程で生まれたのが「振り子の等時性」とか「ニュートン力学」などの現代諸科学の基礎ですから。 そういった意味では、信仰と科学は両立し得るんですね。 まぁ、そのせいで「権威(教会)との争い」も起こるといえますが。 なんか、だんだん進化論から離れて言ってますので、この辺で失礼します。。。 参考になれば幸いです。
- tyr134
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ちょっとのぞいてみたら、面白そうだったので参戦します(笑) >キリスト教を信じるということは、進化論はありえないということなのでしょうか?。 この答えは「Yes」でもあり、「No」でもありますね。 つまり、宗派によって立場が全然ちがうんですよ。 例えば、キリスト教な最大宗派の一つであるカトリック派では、進化論を否定しません。 1996年10月23日、ローマ教皇ヨハネ・パウロII世は、「あらたな知識により、進化論を「一つより多い(つまり二つ以上の)仮説」として認識するにいたった。この理論が、知識の種々の分野における一連の発見に従って、研究者によって漸進的に受け入れられていることは、実際に注目に値します」と公式に教皇庁科学アカデミーに対して述べました。 つまり、「進化論」を「一つの仮説」として受け入れ、後は「哲学・神学」を通して聖書との整合性・調和を保とうとしているのです。 さらに教皇庁は今年の3月3~7日にバチカンで「進化論についての会議」を開く事を決定しています。 ちょうど、今年でダーウィンの『種の起源』が出版されて150年になるので、その記念事業のようです。 これは、ルネサンス以降の科学革命において長年「自然哲学者」と「教会」の間の論争を通して培われた一種の「寛容・柔軟性」の現れともいえます。 まぁ、悪く言えば「ずる賢さ」というか「しぶとさ」というか、、、。 カトリック派が世界最大宗教(派)である理由が伺えますね。 と、まぁ話はそれましたけど、ヨハネ・パウロII世が述べるように、進化論とカトリック派は対立関係にはありません。 実際、カトリック信者の有能な科学者も多くいますしね。 それに、もともからカトリック派は、進化論を頭ごなしに否定せずに受け入れてきたともいえます。 もちろん、『種の起源』が発表された当時は、反対派が優勢でしたが、科学革命とそれを背景にした産業革命による社会の変化に対応するように「聖書と科学」の整合性を保つために「哲学的・神学的な」議論が定期的に行われるようになりました。(1888年に第一回キリスト教国際会議が開かれています) そして、1950年の、ピウス十二世(在任1939-1958)による回勅で「進化論仮説を無批判に受け入れている」として科学界に警鐘を鳴らした上で、「教会の教導職は、人間諸科学と神学の現状に従って、両領域の専門家が、すでに存在する生体物質から生じる人間の肉体の起源を探求するのであれば、進化論に関する研究や討論を禁止しない」として、進化論の研究を公に認めました。 教皇ヨハネ23世のもとで開かれ、後を継いだパウロ6世によって遂行された第二バチカン公会議(1962年~1965年)では、「現代の科学と学説および新しく発見された知識を、キリスト教の道徳と教理に結びつけることによって、宗教心と道徳感とが科学知識や絶えず進歩する技術と同じ歩調で進むようにしなければならならない」と宣言されています。 誰の本だったかはちょっとソースを忘れましたが、カトリック派の科学者が次のように解釈して見事に信仰とのバランスをとっていましたね。 現在の進化論はビック・バン説から演繹されて導き出されています。 そこで、このビック・バンを起こしたのは誰かという問題が残ります。 ここに「創造主=神」を導入するんですね。 つまり、ビリヤードの玉を神さまは一突きされました。 突かれた玉は、他の玉に当たり、それがまた別の玉に当たって次々と進化・変化していく。 この進化や変化は全く自然で、神の意志とは関係なく変化する。 つまり、この「神の意志とは関係なく変化する」事が「突然変異や自然淘汰」の課程なのだと。 ただ、本当に「神の一突き」が「あった・なかった」ということは「科学者の立場」では述べられることではないと。。。 このように、カトリック派では「進化論」と「神の創造」を何とか結びつけようと苦慮しています。 他にも、英国国教会もチャールズ・ダーウィンに対して当時の対応はガリレオに行った迫害と同じ事を繰り返してしまったとして、公式に謝罪しています。 >キリスト教の方々は進化論を実際、否定するのでしょうか? 上記からもわかるように、多くのキリスト教宗派は、なんとか聖書と現代科学の説明との整合性・調和を保とうとしています。 しかし、一方でキリスト教の原理主義(特に米国のプロテスタント系福音派)は、これにまっこうから対立しています。 そして、聖書の天地創造の話から宗教色を抜いて一般でも通用するような形(と彼らは考えている)として「インテリジェント・デザイン論(ID論)」というのを作り、これをダーウィンの進化論とともに学校で教えるべきだと主張しています。 これは、種の進化を「偉大な知性」が行っているとする説です。 つまり、「主(神)」を「偉大な知性」に置き換えただけの伝統的世界観の焼き直しですね。 これによって、「政教分離に違反していない」として非キリスト教者にも広めようとしてるんですね。 ところがどっこい、米国では数々の裁判が起こされことごとく負けています。 裁判では、「インテリジェント・デザイン論は科学の問題ではなく宗教解釈の問題」として彼らの主張を退けました。 と、まぁ「進化論を否定するキリスト教徒」は、福音派(福音主義とは別なので注意)に代表されるような一部の人たちの間だけで、一般的には受け入れていこうという受容的な態度の宗派が多いですよ。 以上、思わぬ長文となりすいません。 参考になれば幸いです。 あ、最後に面白いサイト見つけたので参考URLに張っておきます。 これは、福音派が中心となって唱える「ID論」に対する反論ページですね。
No.10です。 人間とか、地球が、光の速さを超えることはないでしょうね・・・ もしこれから人間が進化するとしたら、「肉」のレベルでじゃないんでしょうね。 神が創った、という証明は永遠にできないと思います。昔からよく言われるのが「神は無限のもの。人間は有限な理性を持つもの。劣ったものが優れたものを理解することはできない」ということ。 それをいっちゃあおしまいよって感じですが、最後の日まで人間は「神」という概念に表される事象を理論として証明できないんじゃないかと思います。 オスのメス化、とか、個体に見られる突然変異、とかは進化に関係ないと私個人は思っています。オスのメス化なんかは、たとえば平安時代にもありましたしね。その時々の社会環境によるものと、単なる遺伝子の伝達エラーによるものじゃないかと。 絶滅の危機にさらされれば、確かに人間は一気に進化するかもしれないけど、それって聖書にある「審きの日」?ともとれますね。ある意味で人間はその日、滅んでしまうわけだし。 あと、キリスト教徒の人が進化論を否定するっていうのは、なんとなく分かる気がします。 進化論「だけ」を正しいとしてしまうと、人間は「神の似姿」ではなく単なる「生物の1種」だということになり、動物と同じようにただ「生き抜く、生き残る」ことだけが善ということになりますね。 それは人間の尊厳を動物のレベルに落としてしまうっていうことであり、弱者を搾取するのを是とすることにつながっていきます。 進化論vs創世記の問題は、「人間とは何か?」という問いにつながっていると思います。 私は人間が生きる世界が「弱肉強食の厳しい自然界」ではなく、人間が生きている意味も「生き延びるため、子孫を残すため」だけではないと思うので(そもそも、生き延びるだけが目的なら、意思を含めて人間には不要なものがありすぎる)、「今進化している生物が見あたらない」ということもふくめて、「創世記も正しい」という見解に立っています。
お礼
onneさん、たびたびありがとうございます。 オスのメス化やメスのオス化というのは、同性愛的なことではなく 生殖機能まで、変化することに進化はあると思っています。 たとえば、魚や両生類、メスだけになるとメスがオスになり生殖機能を持つなど。(卵で育てる生き物に限定されるみたいですが) メスだけになり絶滅の危機を感じてはじめて、進化するのではないかと。 あとは、現在も人間のオスの精子は、なんで減り続けているのかということなのですが。 これは、人間の文化では、同時期に他の相手との交配ということが、 非常識、非モラルになり、1妻1夫制とでもいいますか、 それによって、オスの精子同士の争いがなくなり、競争がないから 全体的にすべての人間で、退化していってると話です。 環境ホルモンなどもあるのでしょうが、原因はそれだけではないのです。 キリスト教は、基本的に善悪という概念で物事を考えるということですよね?。 たぶんそこが、私のわからないところなんだと思います。 私は、人間は単なる「生物の1種」だと思っています。 動物と同じようにただ「生き抜く、生き残る」ことだけだと思っています。 そこに善と悪の概念はなく、それが自然の摂理だと思うのです。 意思というのは、文化で作られるもので、 たとえば、車が欲しいというのも、車実物や車のCMを見てはじめて 知ることにより、 思う意思ことで、その積み重ねが意思となると思います。 逆に、言葉も教えずTVも見せず教育もしなかったら、 動物と大差ないと思うのです。 狼に育てられた人間などの事例がそれを物語ってるのではないかと 思います。 創造論については、私がしっくりこないところは、 いろいろありますが、何万年前の化石の存在とか恐竜にしても、 ビッグバンにしても、それをどうやって説明するのかが、 わからないんです。 人間の設計にしても、目の構造など非効率で、あきらかに設計ミスです。 全能の神が創ったのであれば、設計ミスとかはないんじゃないかと 思ってしますのです。 尾骶骨や水かきやら、その辺も説明するのに創造論だと、 どうやって説明するのかが、わからないんです。 審きの日については、くわしくわからないので、勉強してみます。
補足
すみません。 ただケチつけているのではなく、ただわからないんです。 何の根拠で物事を信じるのか、 私は、論理や証拠だったり科学を、信じる基準とします。 物事を断定するのはずごくむずかしいことだと思います。 しかし、創造論でも、何が信じるための根拠になるのでしょうか? それが一番気になるところなのだと思います。
創世記も進化論も、両立することはありうるのではないかと思っています。 時間というのは相対性理論でいうように光に対して相対的なものなのですから、神が光の速さを超えた存在であるなら、何億何兆年という時間も一瞬となるでしょう。(聖書には6日とありますが) そして、今進化してる生物ってじつはないんじゃ…とも思ってます。 (小さく、小さく、変化しつづける進化じゃなくて、サルが人間になるような種族全体の突然変異のことです) 進化した軌跡は認められても、「今まさに進化している」「この間進化した」って生き物は見ませんし、報告も聞きませんから。 世界は、とりあえず、もうできあがっちゃったんじゃないかと思ってます。
お礼
onneさん、コメントありがとうございます。 神が光の速さを超えた存在という仮説を 証明することは、不可能に近いので、むずかしいと思います。 たとえ、神が光の速さを超えたとしても、 地球や、他の生物は光の速さを超えられないのではないでしょうか?。 「今まさに進化している」「この間進化した」生き物は見ないというのは、私もいつも思っていることでした。 しかし、人間で考えると、 人間の進化はほぼ終わったと言われますが、 それは、安全で絶滅の危機がないからだと思っています。 また、いずれオス=男性は絶滅する可能性があると言われています。 現代社会において精子が退化しているからです。 それなので、メス=女性だけになったときに、進化があるかもしれません。 しかし、現代医学では、弱い精子でも受精できるので、現実的にオスの絶滅はないでしょう。 要するに、医学や安全が進化を弱めてるわけです。 弱いものは死に、強いものは生きるという自然の摂理に 反しているわけですから、そのように安全で、絶滅の危機がなければ、 急激な進化はしません。 逆に、退化していくものは多いのではないでしょうか? オスのメス化、メスのオス化などは、それなのではないでしょうか?。 あとは、手の指が6本の部族がいたり、個人レベルでは、 突然変異があり、しかし進化論でいう 淘汰されずに、勝ち残っていくために必要なものではないために、 固定化しないのではないかと思っています。 生きていくために有利でなければ、固定化しません。 進化=生き残るために必要な変化なので、絶滅の危機とか そのような状況にならないと、大きな進化は起きないのではないでしょうか?。 また、ウィルスなどを見ると、どんどん進化しているように思えます。 熱帯魚とか鳥でも新種が見つかったりしています。 ただ新種に関しては、今まで見つかってなかっただけなのか、 進化したものかは、私にはわからないですが。。。 研究者はその固体を見れば、わかるかもしれませんね。。。
補足
あとは、 極寒地の白人と、サバンナの黒人の体型の違いも ひとつの進化なのではないでしょうか?。 進化というのは、その生きている環境に適して変化していくということ でもあります。 極寒地では、脂肪をためてずんぐりむっくりな体型になり、 サバンナの黒人は、熱を放射しやすいように、体の表面積を 少なくするために手足が長くなる。 黒いというのも紫外線に強くなるためなのだと思います。
- kigurumi
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kigurumiです。 グノーシス主義は、古代、今のキリスト教の主流派となる派閥から迫害されていたそうです。 どうして迫害されたかというと、<我々が神だとしている神(エロヒム、ヤハウエィ)は下等な神で、真の絶対的な正義の神は別にいる>としていたから。 聖職者によって子供の頃性的虐待をされたという記憶がある女性が、それでも信仰を捨てなかった理由も同じなのではないでしょうか。 私が前回書いたアメリカで起こった話を聞いて、あなたは「恐ろしい」と感じた。 独裁者が集団の方向性を決めてしまう世界。恐ろしいです。 天国に連れて行くとする団体がその信者を毒牙にかける。恐ろしいです。 自分に危害を加える団体から離れようとしない信者。恐ろしいです。 でも、私はもっと大きな恐ろしさが隠れているのではないか と思えるんです。 私は、今回のビデオの終わりあたりで、あっと思って、2回見るとき、別な視点から見てみたんですね。 やっぱり神父はやってはいないんじゃないかと思えました。 こうなると、アンカーマンに追い込まれる枢機卿もかわいそうに思えた。 アメリカで、看護士をしていた女性が、抑うつになり心理療法を受けたんです。 そして、記憶が蘇った。 少女の頃、両親は悪魔儀式をしており、自分は父親にレイプされ、妊娠し、儀式で胎児を子宮からハンガーでかき出されたという体験を思い出した。 父親は当然事実を否定した。 自分は悪魔崇拝でもないし、なにより自分の娘を溺愛していたと主張。 ところが、兄も儀式に参加したことを思い出した。 そして、ついに父親にも記憶が蘇った。 「なんてことをしたのだ」と認め、服役しました。 その父親をよく知っている人は、信じることができず、調査しました。 父親の子供を妊娠し、儀式で堕胎させらられたとする看護士は、処女でした。 性交したことが一度も無い人が、どうやって妊娠できるのか。 マリアなみの超人です。 3人が思い出した同一の記憶は、偽の記憶だったと証明されたが、それでも3人とも偽の記憶を、未だに実際体験したと記憶している。 ある神父は殺人罪で起訴された。 住民(恐らく信者)から訴えられ、最初は否定していたが、とうとう罪を認めた。 ところが真犯人が別件で逮捕され、神父は無罪だったとわかった。 どうしてやってもいないことをやったと記憶してしまったのか。 原因は愛です。 苦しむ娘を救うために、自分がやったんだと記憶を塗り替え、娘を救おうとした娘を溺愛していた父親。 自分の愛する信者たちが、嘘を言うわけないと思った神父は、信者の証言通りの偽の記憶を作ってしまった。 2件とも実際にアメリカで起った偽記憶症候群による冤罪事件。 1980年代頃からアメリカは、さかんに聖霊だ スピリチュアルだ グレーが地球にやってきて人体実験をやっている とブームになっていた。 看護士の仕事は激務で、精神的に疲れて、きちんとした精神状態を保てない状態でカウンセリングを受け、カウンセラーの無意識の誘導で、実際起っていない偽の記憶を形成してしまった。 そのビデオの神父はどうしてそんなことをやったかの説明として、「心理療法士のように専門知識が無い自分だが、住民の助けてコールは夜昼なく無数にあり、職業柄、断れなくて、親身に話を聞いてやらなければならない状態で、ストレスが増大したためはけ口として、信者の子供たちを毒牙にかけた」と言っていた。 信者の訴えた後に、信者の訴えた内容を自分がやったと記憶した可能性がある。 何故なら神父は信者たちを溺愛していたから。 だから限界を超えても、親身に相談にのっていた。 自分が愛する信者に対して、自分がやったとすれば、信者は救われると無意識に思い、専門家ではないんので、人は時に偽の記憶をつくり、それを自分が体験したと記憶を塗り替えてしまうこともあるとない。 信者は神父を、神父は信者を<とてもとても>愛していたのが原因で、偽記憶を作ってしまった可能性がある。 事実だとすれば、恐ろしい。 信者は自分がとても愛する神父に罪を着せてしまっていることになる。 神父は信者を救うために自己犠牲を払った生贄となってしまう。 イエスもそうですよね。 無罪なのに罪人として裁かれ、全人類の罪を背負って死んだことになっている。 聖書には、「許しなさい。あなたが許されるために」という言葉がある。 どういう意味かと申しますと、新約だけ読んでもわからないんですね。 旧約の方に書いてあります。 例えば不本意ながら、隣人に害を与えた場合、神への祈りを捧げる時間であっても、まず隣人の元に行って、誠心誠意謝罪しなさいと説いています。 謝罪を聞いて怒りが収まった人は、裁判に訴えることは無い。 裁判で罪だと確定しないうちは、罪は発生しない。 そして頑固に「許さない」と言ってはならない。 何故なら自分が隣人に害を与えてしまったとき、許さなかったものは今度は隣人が自分を許さず、裁判に訴えられ、罪だとされ罰を受けてしまうから。 害を与えただけでは罪ではない。 許せば、害は罪に変化しない。 そういう共同体でありなさい と説いている。 事実、神父は被害者に会って詫びたいと手紙を送っている。 そればかりではなく、隠蔽せずに自分のやったことを上司に報告している。 にもかかわらず、何故信者は、謝罪を聞こうともぜず、話し合いの場を設けようともせず、拒否した。 普通の人なら当然でしょう。恐ろしいことを自分にした加害者に会うなんてとんでもない。 でも、今回の被害者とする人たちは、ただの人ではない、聖書を絶対と信じる信者です。 許しを請う相手を許しなさいという教えを真実だとする信者ですよね。 悲劇です。 神父が本当にやったのか、本当はやっていないのかは、調査しないとわかりません。 でも、神父の謝罪を信者は受け入れないと、信仰を証せないのではないでしょうか。 そんなの超人であって人間ではない? じゃあ 聖書なんて イエスなんて くそっくらえだと信者は信仰を捨てるべきですよね。 信仰をしていないのだから、信仰をしていると偽証するのは神の法律では罪。 聖書にはやってもいない人をやったと裁判に持ち込むのは律法で禁じられている。 10戒の一つでもある。 信者じゃないから神の教えなど信じない? では、その被害者たちはただちにキリスト教信者をやめるべきですよね。 信仰など根底にはないから、そういう行動にでてしまう。 神の存在など信じておらず、都合よくカトリック教会を利用し、神父をへとへとに疲れさせたあげくに、事実であれ、どうであれ、許さないというのなら、ただの人なわけで、進化論も気軽に受け入れられるでしょう。
お礼
kigurumiさん、たびたびありがとうございます。 どの宗教も、洗脳されると、それがアイデンティティになるので、 そこから逃れるのは、むずかしいのでしょうね。 今でもオームの信者がいるのと同じで。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
kigurumiです。 まず、訂正をば。 >50パーセントの有権者が進化論を<信じている地域で、> 進化論を信じていない地域で でした。 >現在のキリスト教の神父さんが、どうやって布教活動を >行っているのかも気になりますね。 神父はカトリックの方ですよね。 日本では、カトリックが布教しているって光景は見たことがありません。 よくあさっぱらから「アナタハー カミヲー シンジマスカー。 クイアラタメナサイ!」とじゃんじゃん音楽ならして、宣伝活動しているのは、カトリックじゃないと思います。 カトリックは上品って印象が私にはあるので、そう判断しているだけですが。 ポストに入っている小冊子は、カトリック以外の教派のものばかり。 ピンポーンとチャイムを鳴らし、布教しにやってくるのは、カトリックじゃないですね。 いろいろ信者獲得方法はあるでしょう。 例えば、教会によっては、カウンセリング的なことをやったり、身の上相談に乗ったりしますと告知しているところがある。 困っている人に対する援助としては、問題は無いのですが、どうしても親切にされると、その親切にしてくれた人の勧めに対して良い印象を持つじゃないですか。 それで集会に参加するようになり、勧めもあって、入会したりするのかも。 実は私は友人のつてで興味本位で勉強会があるっていうので、のこのこついていって、見学したことあります。 とっても親切にしてもらった。 信者さん 優しかったです。 ただ 私の目は、節穴じゃあありませんので、その程度じゃ ごまかされませんでした。 勉強会、見学させてもらった後、ボランティア募集があり、誰も手を上げなかったのをみて、「おやおや」と思って、「私 その日ならお手伝いできますよ」と労働を提供した。 どういう労働かというと、真夏に虐待された女性のシェルター施設の草むしり。 優しいだけでも、信仰心が高くても、無理なんでしょうね。 炎天下の草むしりはやりたくないってのが、ふつーの人の心情。理解できます。 クーラーの効いた室内で、「おお 神よ あなたはご立派です」と褒め殺し言葉を言うほうが全然楽でしょうしね。 で、話は戻って、勉強会で偶然に発生しうることを、「神だからできた」とか信者が告白の中でそれぞれ言っているのを聞いて、「んーーー 偶然の可能性で誰にでも起こりうるって思わないんだ。さすが信者」と心の中で思った。 でも別の信者は、祈りの後、こんな疑問を言っていた。 グランドキャニオンの地層により、実際大洪水があったことことがわかり、聖書の内容は本当だったとアメリカの報道にあったが、聖書に書いてある年代と一致しない と。 「もしもし だからー この世は6千年前に神が6日で作ったんあじゃんくて、100億年前にできたんってばー」って心の中で思ったが、多勢に無勢 いえるわけない。 「はい 信者さんの世界では6000年ほど前宇宙ができたってことになっており、恐竜も地球には存在しないんですよね。 クロマニヨンもネアンデルタール人も、神が起こした洪水のせいで溺れ死んだんですよね」と心で思ったが、ぐっと堪えて聞いていた。 しーーん、 聖書と符号しないって言った人の後、誰も喋らない。 「ほら なんか誰か言え」と待ったが誰も言わない。 教訓、疑問を持っても他の信者の前でそれは口にしないのが信者の暗黙のマナーってことですね。 で、今回の質問の参考になるかもしれないので、ある話をします。 ニコニコ動画の<悪から我々を救い給え>を観て知った、アメリカでのカトリックの力。 教区はそれぞれテリトリーを持っているらしい。 いわゆる シマってやつですね。 教会はただ宗教活動だけではなく、その町の方向を決定する強い力(権力)を持っているようです。 町の人々は、教会の言うことは常に正しく、教会は神からの使いで、絶対だと思っているようです。 ある教区で不祥事が起こった。 1980年代ころから、聖職者が子供たちに性的虐待を与えており、それを枢機卿などは知っていたが、あまり問題として捉えていなかった。 そのため、被害者が増えてしまった、教会が事を重要視しなかったせいで、加害者の聖職者がやりたい放題になり、十年以上ものあいだ、子供たちは聖職者にレイプされ続けた、教会に責任がある、責任を取れ というもの。 ビデオを観て、教会の信者や町の運命が、教会によって左右されているという事実を私は初めて知ったわけです。 そんな異文化を知って、へーーーと思った。 聖職者は信者の日々の悩み事を聞き、信者が迷わないように助けてる役割を担っている。 教会は、信者の健全な精神の育成に貢献する役割を担っているので、教会と信者は一卵性双生児。 信者はたとえ進化論を知ったところで、実生活に影響を受けず信者生活を送れるのだ と感じました。 そんな教会と信者が密接な関係にある教区で起こった聖職者の信者に対する虐待。 ある信者は、自分が親しく交流をとっていた聖職者が子供に性的虐待を与えていたという話を聞いて、びっくりして、「あのお方が子供に性的虐待を与えていたっていうのよ」と娘に言うと、娘の顔がひきつり、そそくさと言葉を濁し去ろうとした。 母親はそれをみて、「まさか・・・あなたも・・・ うそでしょ!」 デマだと一笑にふすつもりが、真実だと決定してしまった瞬間。 その少女の母親は、生まれながらの信者。 父親は日系人で、成人になってから信者になった。 一家で熱心な典型的なカトリック教徒だったわけです。 町全員がカトリック教徒。 その信者を束ね導くはずの聖職者が、犯罪を犯していた。 父親は目に入れても痛くない娘を、聖職者にレイプされていたと知り、信者をやめると言った。 その言葉を聞いたとき、娘は泣き崩れた。 父親の信仰心を自分が奪ってしまったかのように思ったのでしょうか。 娘はそれでも信仰を捨てられなかった。 生まれながらのキリスト教信者の母親も、事実を知っても信仰にゆらぎが無かった。 自分たちを裏切ったのはその聖職者であり、神は自分たちを裏切ってはいない ということなのでしょう。 娘は聖職者にレイプされたことで、もう純潔ではない体では結婚はできないと思ったのか、結局 結婚はしなかった。 いつまでも、人生を再スタートできず、中年になってしまったわけです。 過去と決別し、人生をリセットするためアクションを起こした。 ヴェネディクト16世に訴えるため、ヴァチカンを訪問しました。 でも、門前払い。 メディアも負けていません。 このまま権力に屈してなるものか、悪人は裁かれてこそ神の正義が存在することになると思ったのか、その追っ払われる光景をビデオに収め、ニュースとして報道した。 これにはさすがのバチカンも無視しつづけられないでしょう。 聖職者に被害を受けた信者を冷たくおっぱらったカトリック教会として報道されたら、他の信者に対して印象が良くないので、後から教会側がコンタクトをとってきたそうです。 で、ニコ動って、視聴者がコメントを書けるんですね。 聖職者にレイプされた女性は、おっぱらわれた後、教会に行ったんです。 そこで、祭壇にひざまずき十字を切った。 ニコ動視聴者は「それでもまだ信仰するのか」とコメントを書いていた。 という信者の行動を知ってどう思います? 進化論などにびくともしないこの信仰心の正体ってなんでしょうね。 ちなみに、ニコ動のそのビデオの1/10で<悪魔を思い出す娘たち>と<抑圧された記憶の神話>の広告貼り付けたのあたしです。 1980年代にこの事件は起こっており、これはアメリカで親が子供に性的虐待を与えたとして、裁判所がごった返した時期と同じ。 ビデオの中で、加害者とされる聖職者が、アンカーマンに「あなたは子供の頃に、家族に性的虐待を与えられていませんか」と聞かれた時、しばらく黙ったあと、思い出したかのように「イエス」と答えている。 それまでは、なんてひどいことをと眉をひそめてビデオを観ていたが、この聖職者の沈黙の後の供述を聞いて「あっ」っと思った。 偽記憶症候群の可能性がある。 集団ヒステリーが原因で、事実じゃないかもしれない。 と思った。 誘導により、偽の記憶が作られた可能性がある。 証拠は無いです。でも これはロフタスの実験で証明されたのとすごく似ている。 ということで、偽記憶症候群に関する本をニコ動のこのビデオのページに貼り付けたました。
お礼
kigurumiさん、体験談など、たびたびありがとうございます。 正直、恐ろしいとおもいました。 自分は特に一神教は、全体主義的な一面を持っていて、 恐ろしいなと思います。 地域にも力を持つと、怖いことになりますね。 ただ、聖書の中身に捏造があったとしても、 人のためになる活動はしてるとは思うので、 すべてを否定するつもりはないのですが、 恐ろしいですね。。。
- taco8ch
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進化論と創造論の相克なんて、 個人的にはいちおう整理がついている問題なので、 ♪ど~でも い~でっすよぉ とも思ったんだけど、 やはり、人類史の偉業を蔑にする発言には、 俺の中のサルの遺伝子がチンピク反応してしまう。 >余談ですが・・・。 >進化論=ダーウィンというイメージですが、彼自身進化論を世に出した後、 >自分の説は間違っていた(矛盾している)として、創造論を支持していた >という話しもあるようです はあ~(嘆息)ほんとクリスチャンって 温厚しい羊なんだなあと思っちゃう。 場末の教会の説教で知ったか、 二束三文の怪しい宗教書でも読まされたか知らないけど、 カップにめんつゆ注いで出しても、 コーヒーと信じて飲んじゃうんじゃないか? それにしても、こうした与太話は、 実に1915年に発行された『ホープ夫人物語』が発信源らしいけど、 (はあ?1915年て、おいおい大正時代じゃねえか) 真相はもしかしてこういうこと? ↓ http://www.ediacara.org/hope.html 「姫路アガペーチャペル」の「中庭一也、勇子夫妻」が その辺のところ詳しいかもよ(いや、俺は責任もたんけどさ) では今日も、電車の窓から、 いろんな宗教団体の看板が出ているこの国のビルを 数え眺めながら帰途に着くのだ。おお寒い。
お礼
taco8chさん ホープ夫人物語について、ありがとうございます。 この話にまつわる要旨は、ダーウィンが自分の進化論を否定したというのは、捏造だということなんですね。
- kigurumi
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このサイトの規制が厳しくなり、どこまで引用していいのかよくわからないのですが、、、 私が読んだ本の一つ、<天使と悪魔の真実>の中で、リチャード・ドーキンスがインタビューを受けて答えています。 アメリカ人の90%は神の存在を信じているそうです。 アメリカの有権者の50パーセントは、1万年弱前に、6日で神がこの世を作ったと信じているそういです。 カトリック教会は進化論に好意的な理解を示しているそうです。 では、その有権者の50%は何を信仰しているのか。 恐らく、プロテスタントではないかと推測しています。 アメリカは世界になだたる科学先進国ですが、困ったことに狂信者によって牛耳られているそうです。 アメリカ人科学者のエリートは、世界のエリートと同義だが、アメリカ科学アカデミー会員の90%以上は無神論者。 これを、無神論者を自称する上院議員が一人もいないという事実と比べてみる。 ありえない。 科学者も上院議員も同じ人間なのに。 ということは、上院議員は嘘をついている。 例えば90%の有権者が、神の存在を信じていたとしましょう。 その投票権を持つ人に、「私は無神論者で神の存在など信じていません」と言ったら、、、、当選しませんよね。 50パーセントの有権者が進化論を信じている地域で、「私がもし当選したら、学校で子供たちに進化論を教えるよな制度にします」なんて言おうものなら、当然当選できません。 実は、アメリカの学校の少なくない数は、進化論を教えていないそうです。 だから進化論って何?な人がかなりいるらしい。 恐らく下の方が言うようにプロテスタントの中の福音主義や原理主義的な教派が地域を牛耳っている地域では、進化論を学校で教えていないのではないか と。 アメリカから来た留学生。 彼は熱心なキリスト教徒だということで、話をしたことがある。(英語で) そのとき、創世記の内容を言うと、何それ?って言った。 「創世記を知らない? 神が6日間でこの世を作り、アダムとイヴを作ったって内容だけど・・・」というと、「それが創世記ってことなんだ。それって聞いたことがある。聖書だったんだ。 残念ながらうちの学校は旧約聖書は教えない。生徒が持っているのは新約聖書だけ。うちの学校の聖書といえば、これだけ。」と見せてくれた。 英語版なので、日本語の新約聖書よりさらに薄い聖書。 日本の信者が持っている聖書の1/6くらいの厚さ。 ちなみに、彼はバブディスト系でも、南部の福音主義系でもなく、日本でもっとも多くの信者を持つであろう、あるプロテスタント系の信者。 この人に、創世記や進化論をどう思うか 答えてもらうには、まず 創世記とは何かを説明してあげなければならない。 「あなたが絶対だと信じる本に実は書かれているんですよ。」と、どういう内容か教えてあげて、つぎに、進化論とは一体どういう説かを教えてあげなければ、答えてもらえない。 進化論はともかく、信者でもない私が、何故信者にその宗教が聖なる書物としている本の内容である天地創造を教えなければならないのか。 省略しすぎ。イエスの首だけ見せて、これがイエスだって言っているようなもの。 ということで、信者にどう思うかと聞くことは愚問の部類に入るかもしれない。 日本人に「天照命が天の岩戸に隠れたというのは事実だと思うか」と聞くレベルと違う。 「それは日本の宗教ではそうなっている。それをそのまま信じないあなたは信者とは言えない」といわれても別段、、、、私 神道の信者じゃないし。 信者では無い私に、あたなは信者とは言えないといわれても、、、 男じゃない人に、「あたなは男とは言えない」と言っても。。。・・・・。 「聖書はすばらしい本です。あなたは読み学ぶべきです」って言う人に、「そのあなたがお勧めの本に書かれている内容をあなたが知らないってことは、たいしたこちゃーない本ってことですよね。何故人には勧めて、自分では読まないの? クスクスクス」ってなもんです。 エセです エセ。 だから自称信者って人も、その言葉通り受け取るべきじゃないと思えます。 科学者が「無神論者です」と言わないほうがお徳ないように、信者のふりした人。 その方がお徳なので、ふりしているだけ。 本当かどうかわかるには、聖書の内容を聞くといい。 「神様は ○○○ あらせらえたのです。 この世を○○○ なさって。」と説明する信者はエセ。 とういか、自分を着飾ってうっとり酔いしれているナルシスト。 グイグイ聖書の内容をつっこむと、たちまち馬脚が現れ、単に自己愛にふけるなんちゃって信者だとすぐわかる。 ってことで、信者って人にその質問をぶつけても、無意味だと思います。 まず 信者ではないとわかってしまい、どこに本当の信者がいるのか って砂の中から針を探すような、無駄な作業にエネルギーを費やすことになる。 磁石使うといいかも。 でも、聖書という磁石を使っても、反応が無い。 「え? それって聖書に書かれているの?」って自称針に言われるくらい、実は噂だけで実際にはいない生物なのかもしれないです。 グレーは有名でいろいろなエピソード話はあるが、実在しないのと一緒。
お礼
kigurumiさん、長いコメントありがとうございます。 かなり興味深いお話ですね。 現在のキリスト教の神父さんが、どうやって布教活動を 行っているのかも気になりますね。 宗派によって異なるのでしょうが。
- riehana
- ベストアンサー率28% (14/50)
こんにちは。 私は創造論を信じているクリスチャンです。 一般的にいう進化論というものは信じていませんが、 “個々の生物の変化”はあったのではないかと思っています。 私の中では 進化→サルから人のように、状態が複雑になること 変化→必要のないものが退化、または使う部分(手など)が 大きくなるなど、状態がシンプル(明確)に整理されること と捉えています。 変化を科学的に証明することはできても、進化を証明することは 未だ成功していない。というのを聞いた事があります。 何をもって進化と見なすかで、信じる、信じないの差がクリスチャンの 中でもあるのではないかなぁ~と思います。 人によっては変化も進化だろう!と捉えるかもしれませんし。 ただ、天地創造の神様を信じるという揺ぎ無い信仰を持っているか どうかが一番大切なことなので・・・。 余談ですが・・・。 進化論=ダーウィンというイメージですが、彼自身進化論を世に出した後、 自分の説は間違っていた(矛盾している)として、創造論を支持していた という話しもあるようです。 あくまで1クリスチャンの意見ですので、ご参考までに・・・。
お礼
riehanaさん、コメントありがとうございます。 少し気になるのは、進化と変化の違いが むずかしいですね。 チンパンジーと人間は遺伝子の1.1%程度しか 変わらないというので、 何を持って、進化と変化の基準とするのかが、 むずかしいですね。 自分は 変化の繰り返し=進化 と思っています。 さらに突然変異ということがあるので、 すべてが、変化的に少しづつ変わっていかないこともあると 思っています。
補足
進化論は、ダーウィンのころから、進歩したみたいです。 というのは、当時は遺伝子とか突然変異などの 考えがなかったために、疑問が残ることがありました。 有神論的進化論もあるみたいですが、論理が破綻するので、 広まらなかったみたいです。
- cipher_roy
- ベストアンサー率46% (411/893)
進化論の普及に関わった学者は私生活では基本的にはキリスト教徒です。 ただ、科学者は宗教的な教義と科学的な論理については別物と割り切って 一線を引いていました。 大体、今どきはバチカンのカトリック教皇庁ですら『科学を研究するのは 構わないが、進化論やビッグバンを唯一の真理と決め付けるのは認めない』 という、ある意味解釈次第でどうにでも受け取れるグレーゾーンな 主張に譲歩しています。 しかし、教皇庁とは逆に教義のみを唯一の真理としたがるカルトな一派も います。
お礼
cipher_royさん、コメントありがとうございます。 あまりにも過去のことなので、決め付けることが、 できないというのは、わかりますが、 何%はこの論が正しい、他にあるとしたら、 こういう可能性があるとか、こういう矛盾点も残るなど という見方ができるのではないかと思っています。 また90%を超えると教科書に載るレベルだと聞いたことがあります。
お礼
tyr134さん、回答ありがとうございます。 勉強になりました。 1996年のローマ教皇の発言は、 「肉体の進化論は認めるが、われわれの精神は神からもらったものであり人間の精神は進化論と関係ない」という注釈つきというやつですよね。 ただわからないのは、 神が6000年前に6日で天地創造した=創造論 だとしたら、進化論との共存はできないと思うんですよね。 聖書のどこかを書き換えない限り。 でも、それはできないと思うので、うまく逃げるしかないのだと 思います。 私はID論には、否定的です。 他のコメントにも書きましたが、 人間は設計ミスがけっこうあるため、全能の神とされる方が 作ったのには、欠陥が多いということです。 福音派の反論ページ、調べてみます。 しかし、今年の3月に発表される内容が気になります。 質問の意図は、実際どれだけ創造論を信じている人がいるのかが 気になって質問してみました。 なので、反論するのが意図ではないのですが、私の考えも書いてみました。