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[うさぎは亀に追いつけない]
「ウサギは亀に追いつけない」という、パラドックスがありますよね。それの答えは、「物体は移動するときに、その移動線上のすべての点を通るのではなく、瞬間移動の連続である。つまり、ウサギと亀の差がゼロになるときは、ごく短い距離をうさぎが瞬間移動(テレポート)して、追いつき、追い越している。」というのは間違っていますでしょうか?つまり、この世にあるものは、移動するとき、すべてテレポーテーションの連続なのです。同じ時間、同じ瞬間に別に地点に物体は移動し、瞬間移動のように同時に違う地点に存在しうるのです。こうだとすれば、物体は移動しない、止まった矢のパラドックスも、解けます。どうでしょうか?
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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回答番号:No.5 補足 ただし、兎は亀を追い越せない。追い越す時点となる、瞬間・その地点までは、つまり、追い着くまでは。その間を無限に地点を区切ることはできる。 つまり、その地点にいたる無限の間は、兎は亀を追い越せない。 その地点から先は兎が先を行く。 この地点を含む、前後の関係を追い越すという言葉で示す。 ということなのでしょうね。 当たり前の話。
- otnemip
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すみません。 ふつうこういう件にレスする場合、他の方が先に出してるレスを充分読解してからするべきなんでしょうが、読み解くのに高度で、それはしませんでした。お許し下さい。 いい歳して恥ずかしいが、大昔の学生の頃、このパラドクスに興味をひかれたのを思い出してしまいました。 私は文系だったのですが、これについての答えに理系の友人が速度と距離の数式を持ちだして説明するのに対し「これを作った出題者はそんな答えを求めてるんじゃねえや!おめえは哲学とやらを知らんの~~う!おめえの様な奴はそのうち夜店から亀でも買ってきて実験でもしかねんの~う!」などといい気分になって居丈高にののしり楽しい放課後をすごしたのを思い出しました。 たしかに面白いんですよ、コレ! 当時私が主張したのは「可能性」についての論であった様に思います。 つまり、もともとウサギが亀を追い越す様な場合は時間の取り方でいくらでも有りうる、 のに対し、「追い越せるはずがない」という説は 「追い越せない場合の数をどんどん積み重ねてそういう機会が無限に存在するから、ゆえに、追い越せない」と言ってしまってるにすぎないわけです。 追い越せぬ可能性も追い越せる可能性もともにもともと「無限に」有るわけで、 「無限」を不用意に濫用しても証明にはならんよ!ケッ! というのが当時理系に対し意味の無い敵愾心を持っていた私の、幼き日の町中にとどろくかの「ののしり声」でありました。 ずいぶん昔の事になりましたが、これで良かったものか、自分も知りたく思いました。 これでは間違っていたのでしょうか?
- kigurumi
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あ、わかった。 今回も小難しい数式はわかりませんが、、、 ■■■■■・・・・・ こんなタイルを踏む競争をウサギと亀がやるとする。 ハンディーをつけて50個目から亀はスタートする。 亀は1秒後に1個先のタイルを踏むとする。 ウサギは、一秒後に5つ先のタイルを踏むとする。 10秒後、亀は60番目のタイルを踏んでいる。 ウサギは50番目。 10秒で亀がスタートした地点に到達している。 さらに、その2秒後はウサギは60番目のタイル、亀は62番目のタイル。 まだ 亀の方が前にいますね。 スローモーションにしましょう。 亀は63番目のタイルに向かって手を伸ばしている。 その上をうさぎが通過。 亀が63番目に到達したときは、ウサギは65番目のタイルを踏んでいる。 おかしい ウサギが亀に追いこうとしても、さらに亀は少しだけ前に移動しつづけるので、永遠に追い越せないのではないか。 んーーー。 では、このウサギに永遠に亀を追い越させないようにするにはどうしたらいいか。 バイパスを通過してもらうしかない。 □□ □ □ ■ ■ 確かに5つのタイル上を通過するが、ウサギは1秒間に5タイル進むが、亀と同じ黒タイル1個しか進まないことになる。 亀が毎秒黒タイル1個なら、ウサギも全部で白タイル4個+黒タイル1個で、黒タイルだけカウントするなら、一秒間に黒タイルは1個となり、50個先から出発した亀の踏んだ黒タイル数と同じになり、永遠に追い越せないことになる。 隠してある幕をひっぺがすと「ずるいよ。別の道を正規のマラソンコースだと偽っている」ってバレちゃう。 観客にしたら、ウサギが樹に囲まれた別ルートに消えては、一秒後に次のタイルを踏む姿が見えるので、継続した姿が見えず、テレポートしているように見える。 空中を飛んでいる矢をデジカメで撮影するとき、一秒間に60こま撮影可能なものなら、静止に近くて人間の目では停止しているとしか認識できない画像は撮れます。 シャッター速度が、飛んでいる矢と同じ速度に近くなるほど、ブレの無い画像を撮影できるでしょう。 つまり飛んでる矢と同じ速度に撮影者が擬似的にカメラを使ってなるってことです。 ただし、人間は重力の法則を知らなくても、いつか落下するということを知っている。 だから、写真を見ても、永遠に空中浮遊している不思議な矢 だと大騒ぎしない。 ウサギがテレポートしているように見えた場合、<世にも不思議なすごい勢いで走っているのに、ちっとも進まないウサギ>とか<テレポートするウサギ>としないですよね。 というわけで、永遠にウサギは亀を追い越せないようにさせるには、亀とは別ルートを移動させれば、両者とも前進しているのに、ウサギは亀より5倍早くても、永遠にウサギは亀を追い越せないことになる。 ってのも駄目? 現実そんな摩訶不思議なことは起こらない。 マラソンコースでは監視者がランナーが正規のルートを走っているか確認しているから。
>つまり、ウサギと亀の差がゼロになるときは、ごく短い距離をうさぎが瞬間移動(テレポート)して、追いつき、追い越している。 う~ん。無理無理のこじつけで追い越そうとしているという感じですが 兎と亀の話がどういうことを言おうとしているのか分かっているのかな。 兎が何故亀を追い越せないか? これを心理的に言うと 兎は亀のやっていることが気になってしょうがないからということなのかな? 亀がゴソゴソと何かやっている。 やがて亀は歩き出す。 兎はさっき亀のいたところに行ってみる。 フムフム(この時間は瞬時。時間0と考えていいです) 兎がいた所から亀のいた所に行くまでの時間に亀は自分のペースで歩いておる。 兎は亀の足跡が知りたくてしょうがないんだね。 兎は今いるその地点からまた今亀のいるその地点に行ってみようとする。 フムフム 亀はまたその時間に自分のペースで歩いている。 その繰り返し。 ウサギは何故亀を追い越せないか? 答えは亀を気にし過ぎてそれの後追いをするから ということかな。 何故兎はそんなに亀のことが気になるかって? 何故だろうね? そのパラドックスから抜けるには 兎は亀ことを気にしないで 自分の道を自分の生き方で自分のペースで歩めということになるかな。 もし亀のことが知りたいなら ゆっくり亀と話してみる機会をつくるってみるのがよさそうだね。 亀がどう思っているかは別にして
- kigurumi
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んーー 物理 毎回赤点だったので、物理的な説明は他の人にまかせるとして。苦笑 物理だったか数学だったか忘れましたが、「太郎さんはバスに乗り遅れたため、奥さんの運転する車で後を追った。 バスは現在C地点におり時速30キロで一定の速度で走っているとする。 家はその1キロ手前にあり、太郎さんの乗った車は時速40キロで一定の速度で走っている。 何分後に太郎さんの乗った車はバスに追いつくでしょう」ってテストによく出ていましたよね。 私、「そんなのいいから、奥さんの車で会社までいっちまえー いつもより早く着いてコーヒーのめるぞ」と思った。笑。 だから赤点取るんですよねぇ・・・。 さて、上記の方法だと、いつか太郎さんの乗った車はバスに追いき追い越す。 でも、そのパラドックスだと、永遠に追いつかないことになる。 私なりに考えると、パラドックスになる原因は、細切れしたため引き起こったと思えるんですね。 (英語の授業中にそのパラドックスは紹介をされ、教師は「でも アキレスが1メートル行く間にも、亀は前進しており、どうしても追いつかないことになる」とどんどん細切れにして説明していた。 人間の目は精巧ですが、映画の静止画像の連続を見ると、動いていると認識する。 過去と現在の映像の違いから、連続した動きだと認識し、静止画像だと認識しない。 どうしてそんなことが怒るのか、脳が勝手に補修するから。 無いものをあると脳が都合よくしたりする。 (盲点で実際は見えないはずなのに、脳は補修して、盲点の部分も見えていると我々に認識させる。) ------ ------- 途中で切れた棒を見ても、脳はつながっていると我々に認識させることがある。(脳の中の幽霊ふたたびの本の中だったかな? その説明。) 人間の中には、動いているものを静止画像と認識する人がいる。 ずっと向こうの静止している車が、1秒後に、手前にテレポートし、1秒後に、さらに手前にテレポートしている。 だから速度を認識できないので、横断歩道が渡れない。 これが、あなたのテレポート説でしょうか。 じゃ、これはどうでしょう。 電車の中でりんごを上に投げる。 りんごは上に行って手の中に戻る。 りんごの軌道は↑と↓ですよね。 じゃ 電車の外から観察すると、りんごの軌道はどうなるか。 放物線の軌道ですよね。 どっちが正しいりんごの軌道? 両方。 電車の中にいる自分と、りんごの速度は一定なので、リンゴは横移動しているように感じない。 自分自身がりんごと同じ速度で横移動しているので、自分からみたリンゴの横動きは0。 電車の外の人は、リンゴと同じ速度で横移動していない。 だから電車の外の人の速度0とリンゴの速度は違うので、りんごは横に動いていることになる。 で、飛ぶ矢と一緒の速度で観察者が移動していたら、矢は止まっていることになるが、矢と同じ速度で移動しない観察者が起点の起点からだと、差が出て矢は動いていると認識する。 電車に乗っていて、電車が動き出して、突然 止まってあれ?って思ったことありません? 実際は、横の電車が動いたのだが、勘違いで自分の電車の方が動いていると脳は認識した。 電車の風景が変わるので、どんどん自分の電車の方が速度を増していっていると脳は誤認識した。 隣の電車が行ってしまい、駅のホームの静止画像が目に入り、駅のホームの速度0と自分の速度を一致させたので、電車は動いてないと正しい認識をし、「ああ 隣の止まっていた電車が出たのか」と納得する。 飛んでいる矢が静止していると感じるとき、自分が動けば、自分の速度を0だと設定したとき、矢の方が動いているという認識になる。 我々はものすごい速度で今現在移動しています。 いや パソコンの前に座っており、速度0? いえいえ~ 実際は時速1400kmで移動しています。 うそ? いえ 本当。 日本だと地球の自転速度は1400km/h。 どうして静止していると感じるのか? だって風景が変わらないから差で速度を認識する人間なので、差が認識できないと、移動していると感じない。 我々は動いているのか、移動しているのか? 地球の外の人いわく「おまえら すごい速度で移動している」 地球の人、お前らこそすごい速度で移動している。我々は停止している。」 時点の速度を0としたら、0になるか? 公転ありますから。 さらに 太陽系 銀河系も移動しているかもしれませんから。 どこを速度0にしても、絶対に静止しているとはならないんですねぇ。 こんな説明じゃ駄目でしょうか。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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兎と亀の競争はテレポーテーションの連続ではなく、相互に二(ふた)筋の線上の運動移動として現象存在しますでしょうね。 このソフィストの提題では、この二筋の線の距離で、同じ距離に進んでいる、時間を対照し認識することが、求められているのですよね。 永遠に追いつけないという言葉の中には、時間の観念が入っていますから、一定の距離に到った時間を比較対照しての結論は、永遠に追いつけないかどうかの結論となると存じます。
- noname002
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「…ヘーゲルが運動そのものを矛盾と呼んだことを差し引いて、それが運動の表現に関わることだと考えて、運動の記述を考察してみたいと思う。運動の記述において、たとえば物理的な位置の移動に関する運動を記述するときのことを考えてみると、一定の時間にどれだけの変位を持ったかという記述をする限りでは、そこに矛盾した表現は入り込んでこない。 一定の時間の幅を持って運動する物体を観察するなら、それが今はここにあってしばらく後にはあそこに行ったというような記述が出来る。この一定の幅の時間をどんどん短くしていくことを考える。これはどんなに短くして0に近づけようとも、それが一定の幅を持っているのであれば、「今はここにあってしばらく後にはあそこに行った」という記述になり、そこには矛盾は生じてこない。 しかしこれを究極的な値である0にしてしまうとそこに矛盾した表現が生じてくる。一定の時間の幅があれば、どんなに短い時間であろうともそこに変位というものを観察することが出来るのが運動である。一定の時間の中で変位がなかったら、その物体は運動しているとは言えなくなるだろう。ところが、時間0の世界では、時間が0であることによって、そこには変位を観察(計算)することが出来なくなる。時間0の世界では物質は静止している(変位が0)と考えざるを得ない。これは論理的な要請となる。 時間0の世界を考察の中にいればなければ運動における矛盾は生じないだろうと思われる。しかし、この時間0は、運動の分析においてはどうしても避けられない現象のようにも思われる。なぜなら、我々が観察できるのは、たとえ一定の時間の幅の存在する対象の姿であろうとも、視覚的映像としては瞬間を写したと受け取るしかない静止画像ではないかと思うからだ。 我々が運動を正確に捉えようと思えば、そこに静止を持ってこざるを得ないというのが論理的な要請ではないかと思う。だから、運動を論理で表現しようとすれば、そこに矛盾したような表現が入り込むことが必然になるのではないだろうか。 数学における微分という考え方は、運動の記述を極限という概念を使って表現しようとするものだ。この極限では、0であって0でないというような矛盾したと思える表現が生じてくる。極限は限りなく近づくのであるから0ではないんじゃないかと感じる人もいるだろう。確かに、それが「限りなく近づく」という運動を表現しているあいだは、それは決して0にはならない。しかし、微分の計算を行うときには、その計算において瞬間という1点における係数を計算する必要が出てくる。そのときには、限りなく近づくのではなく、極限値と一致する0の世界を設定しなければ計算が出来なくなる。 微分係数というのは、微分可能な関数のグラフの1点における傾き(接線の傾き)を与える。もし、この傾きを計算するときに、1点しかないのであれば、1点を通過する直線は無数に存在するので、傾きは一つには決まらない。しかし、それが微分可能なグラフであれば、その1点の周りに無数の連続な点が存在し、その点で運動しているという捉え方で、その点における微分係数が決定する。1点では微分係数は決定しないが、その点における極限を考えれば微分係数は決定する。 1点を通る直線は無数に存在するが、それが運動をする通過点の1点であれば、微分係数の傾きを持った直線は1つに決定する。1つであって1つではないという矛盾した表現が、そのグラフで表現される運動の様子を決定する。これは、その矛盾を排除してしまえば、各点における観察をしなければ運動の経過を決定出来ないことになる。つまり、経験しなければ結果としての運動について何も記述できないということになる。 経験せずとも、その運動について何らかの言及が出来るようにするためには、運動を論理で捉える必要がある。論理的記述に成功すれば、経験していないことでも論理的帰結としてその運動に対して正しい記述をすることが出来る。だからこそ論理によって運動を捉えることには大きな意味がある。だが、論理的な記述をしようとすればそこに矛盾したような表現が入り込む。これこそがゼノンが素朴な直感で指摘したことだろう。…」 以上は私が、ふだんお世話になっているブログからの抜粋です。 『運動における弁証法的矛盾』 http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/51494121.html 御参考に。
- miniture_min
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根本的に問題の解釈を間違っています。 あなたの考え方は、離散値と呼ばれる数値を使っています。 この問題の前提は『亀とウサギが同じ位置存在する事が可能』である事が前提です。 何故なら、この問題は現実的な問題として定義した上でのパラドックスとして作成されているからです。 現実的に考えるなら、亀とウサギは瞬間移動をしません。 ですから、間違いです。 正しい解答は、『運動とは分割できるものではなく、それらひとまとまりのものとして扱わなくてはならない。運動そのものが分割されるのではなく、運動の軌跡である空間だけが分割される』です。
- littlekiss
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こんばんは、WHITE-HALLさん。 1/2+1/4+1/6→通分6/12+3/12+2/12→あわせると11/12 1/2+1/4+1/6 6/12+3/12+2/12 11/12 【QNo.866697 分数の通分について】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa866697.html
はじめまして 哲学と数学の素人ですがおじゃまします。 ウサギも亀も人間もテレポテーションしてはいませんよね。 少なくとも私自身はテレポテーションしたことがありません。 気のせいでテレポテーションしているのを知らないのでもなさそうです。 ひとつ仮定してみましょう。 ウサギは100m/100秒の速さですすむことが出来るとしましょう。 亀は10m/100秒の速さですすむことが出来るとしましょう。 今、亀はウサギの100m前方からスタートするとしましょう。 スタート後100秒後にはウサギは亀のスタート地点に到達しますが、亀はその10m前方を走っています。 スタートしてから110秒後にはウサギはスタート地点から110mに到着しますが、そのときには亀はその1m前方を走っています。 111秒後、ウサギは111m地点、亀はその0.1m前方 111.1秒後、ウサギは111.1m地点、亀はその0.001m前方 111.11秒後、ウサギは111.11m地点、亀はその0.0001m前方 … もうやめます。 … 111.1111…秒後、ウサギと亀は111.11111…地点で並ぶことになるまでのはてしなく極小な単位への追いかけごっこを永遠に繰り返すことになります。 結論を言うと、 [111+(1/9)]秒後に[111+(1/9)]m地点で並ぶことは明らかなのです。 しかし、(1/9)を自然数であらわすと0.111111…という風に永遠に小数点以下が続くことになります。 これと同じように、距離差をパラメータ次元に設定すると、小数点以下へ永遠に追いかけていくことになるのです。 これが数字のマジックなのです(十進法世界のマジック?)。 パラドクスの原因は、比較に用いるパラメータとして距離差という物理量を選択したことに原因があります。距離差を前提にするため距離差が存在しない世界への思考的ジャンプが不可能になってしまうようです。 差異は限りなく極小単位へ変移していくのですが、差異が消滅することが出来ない。 数学の世界では、x軸y軸上の平行でない二直線で表現できる単純な問題なのですが、ロジック(言葉)だけでこれを解析する場合、パラメータの選択によって無限論理に落ち込むのです。 私たちが一般に数直線と言っている軸上には完全に埋め尽くされない無限のブラックボックスが隠れているのですね。それにとらわれてしまわないようにしたいものですね。
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