• ベストアンサー

極端な性格なので困っています

自分は凄く極端な性格です。満遍なく物事が出来れば良いな~。と思うのですができません。不器用な様に感じますが、意外と何でもできるところがあります。例えば片付けをしなければ。。。と思ったらご飯も食べずに片付けのみに専念しちゃいますし、体重も無茶苦茶減ってしまいます。だから1つの事をやろうと気合をいれると凄くお話の様にできちゃうのですが、バランスがとれてないので、年をとるとガタがきてしまいます。何とかこの極端な性格を何とかできないかなあ?といつも思います。極端でいると自分に厳しく成っちゃうし、短距離走みたいになって 他ができてないから 結局帳尻あわせに 時間を費やし、逆に非効率に思えるし、しんどいです。どうにかならないでしょうか?教えて下さい宜しくおねがいします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.1

こんにちは。 私も恐らく質問者さんと全く同じ性格です。 どうして極端な行動を選択したり、何故つい余計なことをやってしまうのか、長く悩んでいたのですが、最近ようやく考えが纏まりましたので、参考にご報告させて頂きます。 性格を変えることはできませんので、その欠点を補おうとするならば、まず自分の性格を知る必要があります。この「極端な行動」といいますのは「内向性の特徴」だと思います。 我々の気質には「外向性」と「内向性」があります。人類がまっぷたつに分類できるというわけではありませんが、概ねこのように別れ、それぞれの気質に「同じ特徴」が現れるというのはほぼ事実です。 「外向性」のひとといいますのは意思決定が迅速でたいへん積極的ですが、この分慎重さに欠けます。これに対しまして、「内向性」といいますのは何に対しても慎重な上にかなり執念深いです。 では、我々内向性というのは行動選択に至って慎重であるにも拘わらず、どうしてそんな極端な行動を選択してしまうのでしょうか。ここからが私のレポートになります。 内向性が行動選択に慎重であるということは、取りも直さず、ここでは既に結果の予測がきちんと行われているということです。結果が不利益と予測されるならばやりませんし、不安が発生している場合はこれが行動を抑制します。 では、実際に行動が選択されるためには、それが利益・報酬と判定されるか、あるいは不安が解消されるかです。つまり、我々内向性が何らかの行動を選択するときには、果たしてそれを抑制する要素が全て解除されているということです。このため、ひとたび行動が選択されますともはや歯止めが効きません。因みに外向性といいますのは不安や歯止めというのが端からないんですね。 行動が選択されてしまえば結果を変更できないのは、これは誰でも同じことです。ですが、外向性といいますのは意思決定が迅速であるため、まだ途中変更が効きます。ただ反面、その内容が一貫しておらず、やるたびにコロコロと変わってもぜんぜん気にしないです。 これに対しまして、内向性といいますのは別な行動と切り替えるのにまた時間が掛かりますし、果たして、とても執念深く、逆にやらないと決めたら梃子でも動きません。 未来の結果というものをきちんと予測し、これに対して行動を選択しているのですから何も問題はないはずです。ところが、やはりそこは人間ですから、我々はどうしても「自分にとって都合の良い結果」というものを予測してしまいます。内向性には、このような「ちゃっかり気質」があります。 自分にとって都合の良い結果を想定するということは、これに対して動機が成立し、不安が解消されると同時にそこには少なからず期待というものが発生してしまうわけです。この「期待」が猛進の原動力ですね。 ですが、現実といいますのは必ずしも自分の思い通りにはなるものではありません。で、結局この結果によって自分の期待は見事に裏切られることになります。しんどいですよね。 ああ~、またやっちまった。 行動選択に対して常に慎重であるにも拘わらず、どうして毎回こんなにしんどい目に合わなければならないのでしょうか。 内向性といいますのは、行動を選択するためにあれこれと悩みます。このため、脳内に「不安」というものが発生しやすいわけですが、この不安を解消してくれるのが「ちゃっかり」です。 但し、この「ちゃっかり」がありませんと脳はパンクしてしまいます。内向性は物事に慎重で、しばしば他人の行動を評価した批判したりします。もちろん、自分の行動にも厳しいはずなのですが、果たして自分に対してだけは何処かにこの「ちゃっかり」を持っています。でなければ身体がもたないです。で、結局ここでちゃっかりと自分にとって都合の良い方に結果を摩り替えてしまいますと、果たして、我々は行動選択を間違えたということになります。 では、ここで外向性には期待が発生しないかといえばそんなはずはありません。但し、外向性といいますのは「外部環境」に意識が向いているのに対しまして、内向性といいますのは「自分の内面的変化」に従って行動を選択します。このため、外部環境にその必要が発生していないのにも拘わらず、つい余計なことをやってしまうときがあります。「夢想壁」というやつですね。外向性が無神経な行動選択を行っても外部環境とのギャップがそれほど発生しないのはこのためだと思います。 外向性のひとには行動選択そのものに慎重さが必要です。これに対しまして、内向性は自分の都合を優先しないように注意を払わなければなりません。途中で目的を変更することが苦手なのですから、うっかりと行動を選択してしまう前に一歩に踏み止まり、敢えてまた別の可能性を検証するという冷静さが必要です。 ひとたび動機が発生してしまったならばもはや歯止めの効かないことを肝に命じて下さい。内的妄想や自意識に対して余計な行動を想定するのは禁物です。自分の都合や期待ではなく、何が正しい結果であるかを勤めて優先しなければなりません。幸い、内向性といいますのは意思決定が遅いですから、考える時間はたっぷり取れるはずです。そして、この気質が十分に活かされますならば、内向性は外向性に劣らない能力を存分に発揮することができるはずです。 但し、能力は幾らでも活かせるのですが、自分の欠点を全てカバーするというのは恐らく誰にもできませんので、その辺りはあしからず。

その他の回答 (1)

  • yume358
  • ベストアンサー率52% (625/1180)
回答No.2

回答にならないかもしれませんが、素晴しい!と思います。 カウンセラーを生業としていて思うのですが、性格はどういう性格が良い、どういう性格が悪いということのないものだと思います。こういう性格になれたらいいなあと思うことはほとんどの人がお持ちですし、私もそうです。でもいずれも個性というものなのです。相談者の方は、あることに100%集中でなく、あのこともこのことも70%でいいから分散してできるようになりたいと望んでいらっしゃるのですね。 でも古来から何かを成した人というのはこのタイプの人です。バランス良くあれこれできる人はそれなりの人です。私の息子の例ですが、4人の子どもたちのうち一番教科の成績バランスの悪い子でした。小学校から理科以外はまるで興味なし。その後も理数系に偏り、漢字などまるで書けませんでした。その子が突然「教師になりたい」と言い出し、4人の子どもたちの中で教育職など一番向かないと思っていたのに、凄い集中力で今春高校教師になってしまいました。そんなものなんだなあと思う今日此頃なのです。

関連するQ&A