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武士とは?
江戸後期に、ロシアとの民間外交に功のあった高田屋嘉兵衛という人物がいます。『高田屋嘉兵衛遭厄自記』という資料中に、嘉兵衛が交渉相手であったロシア人相手に「武士ハ人を殺者ニてハ無之と、人民を助るを武士と申候」と語る場面があるのですが、このような「武士」観がどこから出ているのかに興味があります。当時の浄瑠璃の言葉が影響しているのではないかとも考えますが、どのような思想背景があったのでしょう。
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ちょうど、小学館から日本の歴史、開国への道がでており、嘉兵衛の事も著述されています。この本を読んでの推測です。 武士観は分かりませんが、幕府の意向を知り(幕府から蝦夷地常雇船頭に任じられ、松前奉行所に出入りしていた)拉致された自分の身を安全に帰国させるためには、平和なソフトランディングをさせることが重要で、そのために武士の定義をそのようにしたのではないでしょうか。
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- tanuki4u
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司馬遼太郎も時代の子。 武家政権は暴力装置という、基本理解からの解釈かもしれない。 先ほどの本の受け売りなのですが、江戸時代を同とらえるかに関して、かつては(すくなくとも、30年前の私の大学受験の頃は)江戸幕府を剥き出しの暴力装置として理解されていた、今は説諭国家としてとらえ直そうとしているそうだ。すくなくとも、綱吉以降は。 そこから考えるとカヘエが、そのように答えたのは、スルット普通のことかもしれない。 キリスト教云々の話では、心学での捉え方が分かるとスルット理解できそうだが、私は心学に関しては石田が説いたくらいしか知らない。 ただ、下層武士層から上層庶民層は、心学の影響が強く、この辺が浄瑠璃などの作品の作者だったりする。 考えてみれば心学はかわいそうだ。朱子学や陽明学からは、まがい物扱いされ、蘭学や国学などからは、他人扱いされている。
お礼
ありがとうございました。 文章をよく読んでみましたら、日本とロシアの関係が逆であることに気が付きました。お騒がせをいたしました。文章はロシア人側の台詞で、 ロシア人の「武士」観であるようです。 tanuki4uさんの「説諭国家」等、もう少し勉強してみます。
補足
早々にご回答いただきありがとうございました。 どうも漠とした質問で申し訳ございません。 嘉兵衛の言動に(当時の庶民の素養となった)浄瑠璃の影響があったのではないかとは、『菜の花の沖』という嘉兵衛の小説を書いた司馬遼太郎氏の意見です。 なんとなく芝居がかったような、こんな言葉の背景に、もしかしたら浄瑠璃の影響があったのではないかと勝手に推測いたしました。 また他面、西洋のような「キリスト教」という倫理的な枠組みを 持たない日本人が、こうした忠義であるとか義理であるといった「武士」層の世界をどのように見ていたのかという点に興味があります。