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ひいおじいちゃんが・・・
僕のひいおじいちゃんは、対ソ連の諜報員だったようなのですが、そのような、いわゆる「スパイ」というのは、全員が全員陸軍中野学校(またはその分校)を出ているのでしょうか?ちなみにひいおじいちゃんはシベリアにいき、捕虜になってしまいその後消息が途絶えたそうです。ですから今も生きているのか死んでいるのかわからない状態です。
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私の場合には叔父がシベリアで捕虜になりながらの帰還兵でした、数少ない生き残れた人間の1人だったそうです、当時、日本は徴兵制でしたので、軍の学校を卒業した人間は少尉だのの下級将校の1人としてシベリアに行っていたものと思います、みんなが陸軍の学校を卒業していたわけではないと思います、スパイというのも、たまたまそのような通信などの任務を上から命令されてスパイのようなことをしていたのではないのでしょうか? とにかく、冬のシベリアで辛かったことは「寒さ」と「飢え」と「強制労働」だったそうです、体の弱い人間から亡くなって行ったとのお話です、叔父の戦争仲間の多くはシベリアで死にました、共同墓地のお墓が今のシベリアにもちやんとあるそうです、10年に1回ぐらいは仲間のお墓参りに叔父は行っていましたが、その叔父も今から5年ぐらい前に「胃ガン」が発症し肺に転移しすでに亡くなりました、あの当時の話は今から考えてみると、あまりしたくはなかったようです、悲しい時代でしたからね。
補足
私の祖母つまりひいおじいちゃんの娘にあたるものですが、彼女が言うには、ひいおじいちゃんは相当頭がよく、祖母の母、つまりひいおじいちゃんの妻が、旦那の仕事を知らないためあとをついていって何の仕事をしていたのかどうか突き止めようとしたら、途中まで追いかけていたものの、いろいろなドアを通っているうちに奇妙にも消えてしまったらしいのです。そして、徴兵制ではあったものの、自ら志願して軍に入ったそうなので憶測の範囲内でしかないのですが、やはり何らかの特務機関にはいたのでは・・。と思っています。