※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:糞ジジイは・・・やはり糞ジジィだった!?)
森口貢は本当に長崎被爆者か?疑惑が浮上
このQ&Aのポイント
中学生から「死に損ないのくそじじい」と叫ばれた語り部の森口貢は、1945年8月4日に佐賀の田舎に疎開したため、8月9日に長崎で被爆していなかった。
しかも、当時8歳だった森口貢は、長崎が被爆した直後の長崎にも行っていなかったため、被爆時の長崎も被爆直後の長崎も見ていない。
森口貢は、原爆投下から11日後に長崎に戻っただけなのだから、「長崎被爆者」と称していることは明らかに偽称であり、「語り部」に相応しくない。
長崎の自称被爆者で語り部の森口貢は、元「日教組」所属の反戦反日教師でした。
■自称被爆者「森口貢」プロフィール
森口 貢(もりぐち みつぎ)
男、被爆時年齢8歳
1945年7月末から8月初め、家近くの造船所が激しい爆撃を受けた。
避難した防空壕近くでも爆発した。
ここは危ないとして6年生の姉と1年の弟と3年だった私、子ども3人を母は連れて、8月4日佐賀の田舎に疎開した。
5日後原爆が投下された。
父の工場は消失し、姉兄は学徒動員中だったが、奇跡的に生き延び、引き返した母と共に私達の所に戻ってきた。
20日爆心地を抜けて長崎に戻った。
戦争は本当に怖い。
平和は尊い。
原子爆弾による被害の実相を広く国の内外に伝え、永く後代まで語り継ぐとともに、歴史に学んで、核兵器のない恒久平和の世界を築くことを誓う。
上記のとおり、中学生から「死に損ないのくそじじい」と叫ばれた語り部の森口貢は、1945年8月4日に佐賀の田舎に疎開したため、8月9日に長崎で被爆していなかった。
しかも、当時8歳だった森口貢は、長崎が被爆した直後の長崎にも行っていなかったため、被爆時の長崎も被爆直後の長崎も見ていない。
森口貢は、原爆投下から11日後に長崎に戻っただけなのだから、「長崎被爆者」と称していることは明らかに偽称であり、「語り部」に相応しくない。
「語り部」は、1時間に1万円の「講話謝礼金」を受け取っている。(ソース:ピースウィング長崎)
森口貢は、実際に被爆体験をしていなかったにもかかわらず、「長崎被爆者」と偽称し、1時間に1万円の「講話謝礼金」を目的に、伝聞や妄想や政治的イデオロギーを語っている詐欺師ですか?
なんで左翼ってこんなのばっかなんでしょう・・・
お礼
本人が学校に電凸して、メディアにリークしたそうでうね。 左翼記者に。 だから糞ジジィまでの経緯が報道されないそうです。