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仏教の「空」の思想を簡単に端的に教えてください
いまひとつ理解できません。 バカな俺にでもわかるように例をもって説明していただければありがたいです。
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- QES
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ごく簡単に、自動車を例にとって説明しましょう。 あなたの近くに止まっている自動車を見てください。ボデイとタイヤが目に入るはずです。 しかし実は、エンジンが(燃料タンクもバッテリーも)外されているかも知れません。勿論その場合走行することは不可能だから、自動車とは言えません。 ではエンジンの存在を確認する以前(自動車と言えるか言えないかわからない段階)に、なぜ自動車と判断できますか。 実は、人は実態を見て判断するのでなく、自分の脳にある自動車という概念を、目で見た外観と照らし合わせて同じ物と判断(思い込みを)しているのです。 パソコンの場合はCPUの存在でなく、液晶ディスプレイとキーボードをみただけでパソコンと判断(思い込みを)します。 同じことで、人の場合は個々の人の内面まで窺うことは不可能なため、容姿など表面的なものでほとんど判断します。 我々は、在ると思うものの実態を見ているのでなく、記憶の一部と照らし合わせている(実態でなく空)に過ぎず、これから思い込み、執着、束縛が生まれ苦悩につながると説かれています。 決して十分な説明とは思っていませんが、本質の理解できていない人の説明は抽象論に拘泥し、余計に混乱を招いていると思います。
この経験世界は すべて ものごとも人間存在も 相対的であるという意味です。 仮りに この空観がわからない人の分からなさから ブッダの覚りというその分かり加減まで さまざまな程度があるとすれば それらは すべて 程度問題であるに過ぎないという意味です。ゼロと一との間に 連なっているという意味です。ブッダの覚りが 一である つまり 円満であるかどうか これは さらに 専門の方に聞いてください。 人間は みな どんぐりの背比べであるという意味です。 したがって 人は皆 対等であり 対等な者どうしが 互いに 自由であると 空観ないし仏教が 主張しているかどうか これも 専門の方に聞いてください。 仏性が皆にあり 平等だと言いながら その社会思想は どうでしょうか。戒名に値段の差がありますが いかがでしょうか。 空観ですら 一般に普及していないのですから それを説いたブッダの覚りには どこか 足りないところがあったのではないでしょうか。 いかがお考えになりますか?
お礼
アドバイスありがとうございます。 世界中に広まった仏教に各国・各宗派の共通項が少ないように思えます。つまりブッダの教えが膨大過ぎていったい仏教とはどんな教えなのかぼやけてしまって一般的にはさっぱり知られてません。それぞれの解釈が違いすぎるんでしょうね。これはブッダの不手際?というよりは何でもかんでも受け入れてしまう我々のメンタリティーの問題かもしれませんね。
- yuyuyunn
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こんにちは 私が思うのは 広く広くこだわらない心 おごらない心などの意味だと思っています
お礼
「空」とはこころの状態の事をいうんですね。ありがとうございます。
- mmky
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ushimadoさんは聡明なお方とお見受けします。 意味不明な答えでは納得されないでしょうから仏陀の真の教えでお答えしましょう。 仏陀の真の悟りは、「人間は本来、霊的存在である、霊的存在であるがゆえになんらの苦も死さえない、これでは霊的な進化もない。そこで一時期肉体に宿って生きることで様々な苦しみを経験する、それが霊的進化につながっている。」というものですね。 これを肉体生命をもった人間に説明するのは非常に難しいことだったんですね。本来の霊的生命に気づかせるために肉体など無い苦など無いなどと高度な否定論法をつかっているのですね。諸行無常とか諸法無我などですね。これまでは良かったんですが後世、霊的なものは目に見えないので理解できないということで「無」は何にもないんだという間違った解釈が出てきたので、そこで竜樹が「無」の代わりに「空」つまり霊的転生の姿を導入したんですね。それも中国から日本に渡ってくると、「空」は何にも無いんだということに成り下がってしまいましたが、本来の「空」とは霊的転生のことですね。空即是色、色即是空 は空が霊体で色が肉体ですから、あの世からこの世に生まれ、この世で死ねばあの世に生まれる転生輪廻そのものをいってるだけですね。 日本の古い仏教界は完全に仏陀の悟りを失って形式に成り下がっていますが本来の仏の教えに間違いはないんですね。 あなたの前の質問に関して、浄土系に限らず「無や空」の間違った解釈から仏教界全体では死んだら何にもなくなると信じてますので、かれらのもとでは「戒名」が浄土にいくんでしょうね。こんなことがおかしいことは子供にでもわかりますよね。子供にもわかることが坊主にはわからないんですね。中国のちょうか禅師「七仏通戒偈」がいうとおりなんですね。実際は霊魂が浄土にいくのが正しいということですね。 参考までに
お礼
ご回答ありがとうございます。 非常に高度な文面で理解が難しかったです。 というか私自身仏教に疎いものですから5回ほど読み返してやっとなんとなく分かった程度です。ホントすみません・・・
- magga
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竜樹の空の思想でなく。 ブッダの語った喩えの中の一つの「空」なら何とかかけると思いますw 「空」つまり空っぽと言うことですね。概念で価値判断できるものは本来無いというか、見た瞬間から判断するまでの間に他の物へと変化消滅してますからねwそんな感じで理解してます。 ドゥッカ=苦ともいいますね。 本当はもうすでに違うものになっているのにそれに気付かずに「有る」と思って得ようとし「貪り」拒否し「怒り」無関心から「無知」の心が生まれて悩んだり苦しんだりしているんだよと。本当はドゥッカ=苦=空なんだよ。と。 その方法はこうこうこうすれば良いんだよ。 試してみたらどうでしょう。と。 お役に立てば幸いです。
お礼
空=苦 ですか・・・難しいですが為になりました。ありがとうございます。 つまり物事に自分勝手に点数をつけるなってことですかね?
お礼
これは分かりやすい!ナイスです!ありがとうございます。 >実は、人は実態を見て判断するのでなく、自分の脳にある自動車という概念を、目で見た外観と照らし合わせて同じ物と判断(思い込みを)しているのです。 京極夏彦の『姑獲鳥の夏』という小説にそのような事が書かれてたのを思い出しました。脳が卸問屋の役目をしていて、その卸問屋が蔵の中から記憶に近いものを引っ張り出してくるというお話。またその問屋は蔵の中に商品がない場合、嘘でも別の商品をさもいま入荷してきたかのような顔をして差し出すという事もありうる。これがいわゆる思い違いや不思議体験にもつながるのかもしれませんね。 面白い話を伺えてよかったです。ありがとうございました。