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仏教的な「空」について教えて下さい。
2年前に亡くなった祖母がよく般若心経を読んでいました。 そして、よくこんなことを言っていました。 祖母「空って知ってるかい?」 自分「知らない。」 祖母「私もよく分からないんだけどね、それをいつか 理解したいと思っているよ。」 そして、祖母は92歳で亡くなりました。 長生きでした。 今さらになって「空」の意味を調べてみたのですが、 なかなか難しいようです。 どうか、教えて下さい。
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般若心経の中に何度も出てくる文字です。 ということはこの世のものは一切ないものと同じです。 あらゆる物、目、耳、鼻、口、心が感じるものは、 何一つ永久不変なものはないからです。ものにとらわれるから 悩み苦しみ怒るのです。 お婆さんの言うとおり一切(空)で生きられれば苦しいことから 開放されます。でも、なかなかできることではないです。 理屈より般若心経を読んでいるといつかはわかるかもしれません。 お婆さんはいい財産を残されましたね。
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般若心経で 舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。 とあり直訳すると。 舎利子よ。色は空に異ならず、空は色に異ならず、色は即ち空、空と色は同じである。受・想・行・識も斯くのごとし。 と教わりました。(仏教系高校の宗教の授業で) 極端の言うと、空が全てである。と唱えているのでしょう。 修行するときは空、即ち無であるべき。何も考えない、何もない、なにも求めない、何も感じない・・・・・・・。 仏の境地、悟りの世界と言った感覚的なものなのでしょうか。 空=無、無心 邪心の無い心=仏の世界 だと思います。 これをお釈迦様は苦しい修行の末こう悟ったのでしょう。 私は僧侶でも、宗教家でもない一般の人ですけど。
《空》とは 縁起のことだと思います。空観として 《無我》説ともかかわり 一般に ものごとの因(因果関係)と縁(環境や情況の関係)を明らかにして見ることではないでしょうか。 何を隠そう わたしも 質問《Q:〈我れ〉はある?ない? どちらですか = http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3454478.html 》でおそわりました。 たとえば 《〈空〉とは何か。空とは何であるかが知りたい》という欲求があります。ソクラテスではありませんが まづこれを知らないと分かることが 空観ということだと思います。まだそこでは 何のことか分かったことにならないのですが 問い求める心と姿勢とで いわば空観のモードになります。 世界のすべて あるいは いっさいの人間関係の歴史的・社会的な経験情況について その因縁をその縁起関係として 明らかにして捉えるならば それは 空として見ていることだろうと考えます。つまり そのように目覚めている(ブッダである)のだと考えます。 あの世・この世 前世・来世 超自然・超経験は 関係ないと言っているのだと理解しています。 ★~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 祖母「空って知ってるかい?」 自分「知らない。」 祖母「私もよく分からないんだけどね、それをいつか 理解したいと思っているよ。」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ その当時の現在 それが 今としても現在であり しかも永遠の現在として あなたにとっても お祖母さんにとっても 縁起していくと考えます。つまり そこには 会話の文字を超えての気持ちや心が なお 明らかになってくるかも分かりません。さらに これこれが知りたいという欲求の芽生えから 空観モードになるかどうかではないでしょうか。 地獄・極楽は 関係ないはづです。もちろん 天国にいらっしゃいますよという表現で ご挨拶をしますが。 また 空として見ると どうなるかについては 縁起関係が明らかになるなら 一般に 苦から楽へと回転するというと思います。ブッディスムでは 善と悪よりは 苦楽のほうで 捉えるようです。 余計なことですが 人びとが ブッディスムを扱うとき 早く 彼岸の問題から此岸へと 立ち戻って来てほしいと願います。
- mmky
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[仏教的な「空」について教えて下さい。] 「空」というのは例えていえば、あの世の天国にいるおばあちゃんのことですね。これに対して「色」とは生きていたおばあちゃんのことですね。あの世からこの世に生まれ「空即是色」、この世からあの世に生まれる「色即是空」という意味ですね。仏教的には更に深い意味があって、すべての世界(色)は仏の想い(空)でできており、その空の一部(仏性といいます)が人の霊を作っている。ということですが、簡単にはあの世のおばあちゃんのことですね。おばあちゃんもあの世にかえって「空」は理解したと思いますよ。
直ぐな自己を確立しているということが、ものごとの本当を見る姿勢です。真っ直ぐ見ていて、素直に為すということが、障害がないことではないでしょうか。
- Mumin-mama
- ベストアンサー率45% (1140/2503)
私自身、宗教家ではないので的確な答えではないかも知れませんが、 般若心経は、人が一生の内に何度も病気や挫折や愛する人との別れ、死への恐怖などで苦しんだり、悩んだりしますが、そんなときに、もしそんな自分が、五感が無いものとしたら、自分を「空」の状態に置けたら、それらの苦しみから解放されるのではないか、また無常の中でも楽園を発見できる理性や智慧がもてるのではないかと言う教えだと思っています。
- qsxdrfvgyh
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「空」(くう)は、「実体がないという真理」のことです。 でも、これだけでは分からないでしょう。 なぜならば、言語を超越した不可知の領域にあることだからです。 ですから、記述できません。 禅宗風に言うと、不立文字(ふりゅうもんじ)です。 心で感じるのみです。 悟る最終段階では、直観するのみです。 究極の理解は、言葉では、誰も記述できません。 初歩的な、きっかけくらいは記述できる人がいるかもしれませんが、 それを安易にここで求めず、様々な思索の末に達する方が感動が 大きいと思います。 与えられるだけでは、感動は激減してしまい、惜しいと思います。
- kigurumi
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何事にもとらわれない という意味じゃないでしょうか。
お礼
回答していただき、ありがとうございます。 天国の祖母も喜んでいることでしょう。