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長唄「勧進帳」の歌詞について(意味と文法の質問)

こんにちは。 長唄「勧進帳」の歌詞の文法的な構成と意味が分からず困っています。 分からないのは以下の文です。 これやこの 往くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の山隠す 霞ぞ春はゆかしける この中の「霞ぞ春はゆかしける」という部分です。 「ぞ」は「ける」と係り結びの関係で「霞」を強調しているのですが、その間にある「春は」が、どういうことなのかよく分かりません。辞書には「は」は終止形と結びついて係り結びをなし、その語を強調するとあるのですが、「ける」は連体形です。終止形ではありません。そもそも、二重の係り結びなんてあるのでしょうか? また、歌詞の大意として 「逢坂の山は春霞で見えないが、もう一度見たいものだ」 という訳があるのですが、これを見る限りでは「春」は「霞」を修飾しています。「春は」は「ゆかりける」という述語と結びついて「春をもう一度見てみたいものだ」という意味かと思っていたら、「霞」に結びついているではありませんか。もう何がなんだか分かりません。 ご存知の方がおられましたら教えてください。 なお、私は古文を勉強しているわけではなく、古文のことはよく分かりません。ですから何か他の古文を引用されると、それを調べるのにまた多くの時間と労力を費やしてしまいますので、他の引用は一切やめてください。どうかお願いします。

みんなの回答

  • kwan1234
  • ベストアンサー率18% (111/603)
回答No.1

 私は、この文で実質的に言いたいことは「春が懐かしく感じられるものだなあ」ということだけではないかと思います。あとは全て決まり文句ではないでしょうか? >これを見る限りでは「春」は「霞」を修飾しています それはあまり意味がありません。「春の霞}と言っても「霞の春」と言っても「かすむ春」と言っても同じことです。 >「春は」は「ゆかりける」という述語と結びついて「春をもう一度見てみたいものだ」という意味かと思っていた 「ゆかりける(注・原文は「ゆかしける」)には「もう一度見てみたい」と言う意味はないと思います 長唄でも新内でもあまり厳密に文法を考えない方がよいように思います

loiter
質問者

お礼

書き込み下さりありがとうございます。この質問を書いた時は、あまりに混乱していて、自分でも何を尋ねたいのかよく分からないような文章になってしまったのですが、ご親切にお答え下さり感謝しております。 おおよそ決まり文句にすぎない、とのご意見はそれまで考えたことがありませんでしたのでなるほどと思いました。 ただ、引用部分より少し前の歌詞では、この場面がまさしく春(3月)であることを明言しており、春でありながら「春が懐かしい」というのも少し変だと思いました。 でも参考になりました。ありがとうございました。

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