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俵星玄蕃って本当にいたのですか
時は元禄14年12月14日。今年は赤穂浪士討ち入りから300年だそうですね。あちこちのTVで「今日はあれから300年」と盛んに報道していましたが、陽暦での実際の300年後は来年の1月16日だとか。 それはさておき、三波春夫の唄う俵星玄蕃。♪雪を踏みしめサク、サク、サク、サク、サク、サク!「先生」「おお、蕎麦屋か」。「命惜しむな、名をこそ惜しめ」。何時、何度聞いてもしびれます。あれこそ日本男児の心意気。 で、質問で恐縮ですが、この俵星玄蕃っていう人物、実際にいた人なんですか? 結構浪士ものは読んでるんですが今ひとつ分からなくて。
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質問者が選んだベストアンサー
三波さんの俵星玄蕃。いいですねぇ。 昨日、「もう一度見たい!紅白名場面」という番組で久しぶりに拝見しましたが、改めて惜しい人を亡くしたと思いました。 さて、本題ですが、俵星玄蕃はフィクションであり架空の人物です。私もつい最近まで実在するのかなと思っていたんですけどね。
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- ichien
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回答No.2
おはようございます。 芝居としての『忠臣蔵』にはかなりの脚色が有ります。俵星玄蕃も虚構ですが、モデルとして考えられる人物もいるようです。こちらのページも読むと良いと思います。
質問者
お礼
実際の討ち入りと芝居のそれとはかなり隔たりがありますよね。なんで吉良が高野になってるの?っていうような芝居通の方から見れば叱られるような理解度なもんで恥ずかしいです。 ご教示ありがとうございました。
お礼
私も見てました、名場面。 ああ、やはりフィクションですか。個人的には高田軍兵衛とごちゃになってまして。 フィクションであろうとなかろうと、いい場面ですよねー。 それともう一つ、誰だか忘れましたが、「大事の前の小事」と、箱根の籠かき雲助に詫び証文を書いた場面がありますが、あれもフィクションなんでしょうね。箱根の畑宿だったかな、資料館の中に入ったとき、この場面の詫び証文の「写し」が展示されていました。 真偽ごちゃでも忠臣蔵は大好きです。 どうもありがとうございました。