討ち入りし易いようにしたというよりは、結果として討ち入りがし易くなった、ということです。
御曲内よりは市中の方が大挙して押し入るには容易です。
屋敷替えは単なる事務処理でしょう
赤穂事件がいろいろ取沙汰されるのは、浅野長矩が「遺恨があった」と言うだけで何に対する遺恨なのかという点が不明なことが原因でしょう。
結果として現代でもこのようなご質問がでてきます
幕府の加担を否定する推定理由
幕府が討ち入りに加担しなくてはならない積極的な理由がありません。
浅野長矩は幕命で切腹させられたのであって吉良義央に殺された訳ではありません。
しかも斬り付けたのは浅野長矩であって吉良義央は被害者です。
切腹を下命した理由はあくまでも殿中抜刀です。
つまり法理論上吉良義央を主君の仇とする根拠がありません。
この辺りの考え方は当時の側用人柳沢吉保の政治顧問であった荻生徂徠が書き残しています
今四十六士、其の主の為に讐を報ずるは、是侍たる者の恥を知る也。己を潔くする道にして其の事は義なりと雖も、其の党に限る事なれば畢竟は私の論也。其の所以のものは、元是長矩、殿中を憚らず其の罪に処せられしを、またぞろ吉良氏を以て仇と為し、公儀の免許もなきに騒動を企てる事、法に於いて許さざる所也。今四十六士の罪を決せしめ、侍の礼を以て切腹に処せらるるものならば、上杉家の願も空しからずして、彼等が忠義を軽せざるの道理、尤も公論と云ふべし。若し私論を以て公論を害せば、此れ以後天下の法は立つべからず
吉良義央は旗本です幕臣即ち徳川家の直臣です。
浅野長矩は外様大名です。
徳川家の家臣で構成された幕府が、同じ徳川家の家臣である吉良を敵視する徳川家に対峙する外様の家臣団に便宜を図る必要性などどこにもありません。
それこそ不忠者ということになります。
幕府というのは合議制に基づいた官僚組織です
浅野長矩の処分は、主君である綱吉が下して老中が合議の上で認めた形となっています。
殿中で抜刀した以上は切腹は当然という裁決です。
以前にも殿中で抜刀して切腹になった人間はいます。
屋敷を本所に移して討ち入りさせ易くするなどという小手先の合意が成り立つとは考えられません。
そんなに討ち入りをさせたいのなら本所などという街の真ん中ではなく入谷でも早稲田でもいくらでも場所はありました。
江戸とはいえ当時は田畑の広がるのどかな農村地帯でした。
だれにも邪魔されません。
万が一火が出ても延焼のおそれがありません。
事件の性格からしても、後日の取り扱いからしても、浅野の家臣団の行為は幕府の裁定に対する異議の申し立てということになります。
当時播州浅野家再興願いが出されています。
再興願いを却下したら討ち入りなどという暴挙にでるという予測はできません。
事前に老中は知っていたという説があるようですが、知っていれば止めるのが当然の判断です。
集団で市中の旗本の屋敷を襲うなどという行動を認めるような幕僚はいないでしょう。
江戸の治安を乱す討ち入りを認めて利益を得る老中などいなかったでしょう。
(陰謀史観の人間がどんな理屈をつけるかは知りません。)
屋敷替えの推定理由
義央は事件後の翌年3月に、高家肝煎職の御役御免願いを自ら提出しています
役を退けば日々登城する必要はありませんから呉服橋門内の御曲内に居住している必要はありません
本所で拝領した屋敷も以前は5000石の旗本松平信望が住んでいた屋敷です
高家とはいえ吉良は4200石です。
無役の旗本の屋敷としては相当な優遇処理です
本所は旗本や御家人が沢山住む武家の町です
津軽家をはじめ大名屋敷もあります。
武家は町奉行や代官の支配は受けません。
治安維持の岡っ引きや奉行所の役人が居ようがが居まいが関係ありません。
所詮彼らは屋敷には入ることは勿論のこと手出しができません。
日本橋の町人が引っ越した訳ではありません。
自分の身は自分で守るのが武家であれば当然のことです。
その本所でも松坂町は両国橋の目と鼻の先です。
本郷や麻布などよりも遥かに大手門に近い場所です。
両国橋の界隈というのは江戸有数の繁華街でした。
とやかく言われるような場所ではありません。
現在でも吉良邸の一部が再現されて区の観光名所となっています。
吉良邸跡 - 墨田区観光協会
visit-sumida.jp/spot/SpotDetail/tabid/60/pdid/478/catid/6/De...
一度足を運ばれればどんな場所かわかります。
12月に入って隠居願いを出して義周に家督を譲りました。
隠居してから本所へ行ったわけではありません。
要は幕府の担当役人には意図も無ければ落ち度もなかったということです。
お礼
丁寧なご回答真にありがとうございます。 よく分かりました。すっきりしました。 >義央は事件後の翌年3月に、高家肝煎職の御役御免願いを自ら提出しています >役を退けば日々登城する必要はありませんから呉服橋門内の御曲内に居住している必要はありません >本所で拝領した屋敷も以前は5000石の旗本松平信望が住んでいた屋敷です >高家とはいえ吉良は4200石です。 >無役の旗本の屋敷としては相当な優遇処理です >本所は旗本や御家人が沢山住む武家の町です。津軽家をはじめ大名屋敷もあります。 なるほど、納得しました。