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歴史の教科書に出てくる日付は新暦?旧暦?
時は元禄15年12月15日・・・今日は討ち入りが行われた日です。と毎年12月15日になるとTVで言われますが、これって旧暦の12月15日のように思うのですが 実際はどうなのでしょうか。またすべての史実の日について旧暦の日付を新暦に読み替えているとすれば季節感がずれてしまうし、厳密にいえば「今から200年まえの 今日は明暦の大火がありまして・・・・」などはうそではないかと思うのですが どなたか教えてください
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こんばんは。 忠臣蔵については、下のURLも参考になるかもしれません。 では。
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- cotiku
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解りにくいですよね。 新暦の12月15日とは確かに季節感がずれます。 年末だという意味ではあっていますが・・ 討ち入りの旧暦12月15日は寒中の月夜ですね。 14日と覚えていましたが、この質問を見て表記が変わっていることに気づきました。当時は深夜ではなく早朝に日付が替わったので今の考え方に合わせたのですね。
お礼
なるほど、1日の始まりかたも違うのですね いまでもTVなどは26時などと 使っていますし、JRの定期券も期限の日の最終電車までOKだそうですね
- shoyosi
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天正の少年使節団が10月1日に日本を出発し、よく年の2月1日にポルトガルの王に謁見した。という場合はどう考えるのでしょうか > 天正の少年使節自体、日本の歴史に登場したのは明治になってからで、それも西欧の書物によってが主でした。したがって、原則は太陽暦で当時の日本の歴史と対比させる場合、旧暦で表わしています。 天正少年使節 http://www.saikaicho.net/julian/01.html 一般的に旧暦→太陽暦 に換算する場合は下の表を見てください。
お礼
貴重なサイトを教えていただきありがとうございました
- aminouchi
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えーと、歴史の教科書などに出てくる日付は1872年以前は基本的に太陰暦の日付です。ご存知の通り、明治政府はそれまでの太陰暦を廃止して太陽暦を採用し、明治5年12月6日を明治6年1月1日としました。 ですから、TVなどで「明暦の大火」があった日などというのは旧暦の日付をそのまま新暦で言っているだけです。もちろん、厳密に言えばそれは誤りですがそれに目くじらを立てても仕方ないでしょう。太陰暦のある日を厳密に太陽暦の何日にあたるかを考えるのは厄介ですからね。何しろ、太陰暦だと「うるう月」というのがあって、一年が13ヶ月の時があったりしますものね。
補足
ありがとうございます。長年の疑問が解決しました。しつこいようですが、では、天正の少年使節団が10月1日に日本を出発し、よく年の2月1日にポルトガルの王に謁見した。という場合はどう考えるのでしょうか。その間何日たっているのかな?いずれにせよ、世の中、物差しによって動いているということで、現代のキリスト教社会とイスラム社会の対立もそんなもんかもしれませんね。
お礼
いやーこれはすごい。ありがとうございます。歴史も科学である以上正確な理解が必要と感じました。日本の狭い世界で慣習に固執する歴史学会も変わることを期待します。