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ロシア・アヴァンギャルド
ロシア・アヴァンギャルドの起源と経過について知りたいのですがいざ調べ始めてみると「個人主義」とか「象徴主義」とかイロイロ難しい言葉ばかり出てきて参ってしまっています。 しかも、純粋に芸術という観点から興味を持っただけなのに、キリスト教とか当時のロシアの社会情勢とかもアレコレと関わってくる様で頭の中を整理しきれません。どなたか簡単に説明していただけませんか?
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ロシアは西欧に較べてやや後進的な社会体制(ツァーの支配)の中で経済は高度に発達した競争に巻き込まれ、第一次大戦への参戦、国民経済の総動員・疲弊、というような情勢に対してロシア革命が起こったわけなので、ロシアアバンギャルドは芸術にも「解放」であるとか「革命」とかいう機運が反映した結果と言えるでしょう。 芸術は現実にまだ無い価値観を提案する面はありますけど現実の社会関係に較べると圧倒的に非力なので燃え上がった革新的な芸術と社会の関わりの転換だとかいう概念も現実にぶち当たってそれこそ画餅に帰する事は、ままありがちということではないでしょうか。 ロシア革命を「結果的に変質した革命」と捉えるのを前提として話しております。 社会運動の関係、社会の気分という観点から観ていくのがむしろわかりやすいのではないかと思います。 閉塞的な状況では個人主義になり、何かが変りそうだと思ったら社会との関わりを求めていき、芸術・芸術家とはそんなものなのでは。
- ismael
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こんにちは ヴルーベリやベノワなどは、むしろ新ロマン主義・象徴主義を信奉していたと思います。 象徴主義についてはモローやベックリンを参照してください。 純粋な芸術は存在しません。芸術家も食べていかなくてはなりません。 その費用はどこから入手するのかという事を考えれば宗教も政治も関わってきますし、19世紀後半から20世紀前半は特に芸術家のパトロン(出資者、作品を買ってくれる人/団体)が大きく変わった時期です。特に「市民」が台頭してきた時代です。 アヴァンギャルドとは、芸術家/パトロンの関係に根底的な疑問を投げかけた運動です。 参考資料として良くまとまっているのは芸術倶楽部1974年1-2号です。 ご存知かと思いますが水野忠夫や桑野隆の著作を参考にしてください。 ロシア・アヴァンギャルドが結局スターリンにより「政治的な理由」により弾圧される事となったのはなぜか?まで考えないとアヴァンギャルドの本質は捕まえることは出来ないでしょう。
- three_polinkies
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1917年にロシア革命が起こり、世界初の社会主義国家が誕生しましたよね。この時に前衛的な美術家たちにいっせいに活躍の場が与えられ、大きなムーブメントとなっていたのがロシアン・アヴァンギャルドの起源です。この時期にはイタリアの未来派やオランダのデ・スティールなどの芸術活動とも交わりながら、「構成主義」的思想を展開していきます。 「構成主義」というのは分かりやすく言うと、恣意的な表現をできるだけなくし、抽象的な要素を明確な意図をもって構成することを目指した芸術ですが、ロシアン・アヴァンギャルドは芸術の枠に閉じた世界観ではなく、もっと広く社会の役にたとうとする理念をもっていました。ここに当時のロシア(ソ連)の社会情勢が大きく影響しているのでしょう。 ウラディミール・タトリンやヴェスニン兄弟、エリ・リシツキーなどが重要人物ですが、このムーブメント自体はスターリンの就任とともに急速に衰えていきます。しかしながら、現代のオランダの建築(レム・コールハースなど)に大きな影響を与えていると見られています。
補足
お返事ありがとうございます。 お蔭で1910代からの動きはよくわかりました。ただ僕はアヴァンギャルドが始まる前(1880年代からアヴァンギャルド前)、つまりヴルーベリやベノワなどが取っていた動きがまだいまいちよく解らないのです。ヴルーベリが個人主義というのを否定しようとしていた、という感じなのはわかるのですが、「何故」がよく解らないのです。 その後ロシアがたどった社会主義よりは個人主義のほうがいいだろう、というのは現代人の錯覚に過ぎないのでしょうか?