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(戦後)日本でロシア民謡が浸透した理由について
- ロシア民謡が日本に浸透した理由について、以下の要素があると考えられます。
- 1. シベリア抑留から解放された帰国者によって多くのロシア民謡が持ち込まれました。
- 2. 物悲しい曲調が戦後の日本人の心に染み入り、特に若者の間で人気となりました。
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1.と言うわけではありません。 2.曲調が心に染みたから流行した訳ではありません。 ただし、現在も歌い継がれていますように日本人の感性にマッチしているということは言えます。 3.ダークダックスは流行の後追いです。 4.「憧憬」などという生易しいものではありませんでした。 当時の世情が大きく関与していました。 下記のサイトにありますように極めて政治色が強いものでした。 うたごえ運動 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/うたごえ運動 歌曲の流行という面だけではご理解が難しいかと思います。 多少説明させて頂きますが、現在とは相当に社会情勢が異なりますので誤解無きようにお願いします。 所属されておられる聖歌隊のロシアの方とお話になる際は充分御注意下さい。 55年体制、あるいは東西冷戦という言葉をお聞きになられたことはありませんでしょうか。 誤解を恐れずに平たく言いますと、社会主義あるいは共産主義という政治思想は国家という枠組みを越えた労働者階級vs資本階級という考え方を持ち、国家という枠組みを越えて労働者階級の団結を求めます。 当時の学生運動なども、自国政府への抗議ということではとどまらずに、世界中の仲間と連携するという考え方があり、自分達はその中にあって当面は自国政府を糾弾する場合によっては自国政府を倒すのだという考え方を持っていました。 現在も日本共産党は未だに暴力革命を党是から排除していません。 一方でこの社会主義思想で成功したソ連はその勢力圏と言いますか、連邦国の拡大を目指していました。 これに呼応する人間を拡大するために文化活動なども繰り広げていました。 文化活動を広げることでいわゆるシンパを増やしていく活動を行っていました。 歌声喫茶の流行よりも後の時代になりますが、日本赤軍と称する学生を中心とした集団がイスラエルの空港で銃を乱射するというテロ活動を行ったり、航空機をハイジャックして北朝鮮へ逃亡するというようなこともやりました。 成田空港の建設反対も現在の沖縄基地反対運動とはケタ違いで死傷者も多数でました。 一般学生も60年安保闘争というのを繰り広げて国会の正門で死者も出しました。 これらの学生運動の嚆矢が前記したうたごえ運動です。 内容に些か問題はありますが、当時の雰囲気をイメージするには下記のサイトをご覧下さい ソビエト連邦 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/ソビエト連邦 上記のサイトにもありますが「カチューシャ」や「トロイカ」決してロシア民謡ではありませんので御注意下さい。 このロシア民謡と呼ばれるものの他にソ連が国歌とした「インターナショナル」や「聞け万国の労働者」などというのも謳われていました。 「原爆を許すまじ」「もずが枯れ木で」なども謳われました。 (いずれもyou tubeで視聴できます。「カチューシャ」などは旧ソ連軍の制服を着た女性が唄っている動画があるかと思います) ベトナム戦争もこの社会主義の拡大を畏れたドミノ理論というのを論拠として始められました。 このベトナム戦争反対闘争の際にフォーク集会というのが行われて学生が新宿駅を占拠したことがあります。 フォークソングも背景としてはご指摘のロシア民謡とよく似たものを持っています。 「さとうきび畑」などがあります。 この時代を歌った「いちご白書をもう一度」などというのもあります。 以上相当に粗雑な説明をさせていただきましたが、歌曲そのものには何の罪もありません。 ロシアの方にはつまらん故事来歴などは抜きにして日本人が好きだからという程度にされておかれる方がよろしいかと思います。 日本の歌曲は古賀正男が朝鮮のメロディーを持ち帰って演歌なるものを広げる前まではスコットランド民謡などを基にした大正メロディーとよばれるものがありました。 現在も歌われています。 海外の歌曲を取り入れるのは日本人にとって極々当たり前のことだと言って下さい。 そもそも日本文化というのは外国のものを取り入れて日本化した文化です。 茶道にせよ華道にせよ元は中国発です。 雅楽も元々古代中国のものです。 仏教も儒教も日本仏教であり日本儒教です。 本家のインドや中国のものとは違っています。 全てが日本化してしまったことから、元の国で廃れても日本では継承されています。 この古いものが継承されるのが日本文化の特徴です。
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- takuranke
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#1です。 >【活動家】が中心になって 企画していたわけですね? 意図した企画ではないと思います 歌声喫茶に便乗したと言うのが正確なのではと思います。 金の卵といわれた昭和30年代の東北の集団就職者にも人気があったそうで、 こういう人たちはえてして労働条件が悪かったりしましたので、 影響を受ける人は多かったと思いますが、 そういう人たちを取り込もうと言うのは希薄だったのではと思います。 知人ですが、学生運動のコロ16歳くらいで就職していて、 関係ないと思っていたと言う人が結構いました。 高校や大学に行っている人の勧誘の場は学校のほうが多かったようです。
お礼
なるほど、うたごえ喫茶は何も活動家が始めたわけではなく、 便乗された、、というわけですね。 >高校や大学に行っている人の勧誘の場は学校のほうが多かったようです とのこと、伯父(既に他界)は東○大学に在学中にのめり込んだようです。 再度の回答ありがとうございました。
- takuranke
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革命歌や労働歌のようなもの、物悲しい歌は(だけではないと思いますが)シベリア抑留者が持ち込んだと思います(昭和22年から帰国事業が始まっています)。 昭和23年(1948年)2月10日に、 声楽家関鑑子氏の指導のもとに中央合唱団が日本共産青年同盟の音楽部門として結成され、 「うたごえ運動」が始まります。 この運動は、合唱団の演奏を通じた大衆的な社会運動・政治運動でした。 なので、もともと共産主義や社会主義的要素がありました。 後年には、「うたは闘いとともに」のスローガンのもと、企業で不当差別されている人を励ます曲が多く創作され歌われています。 そして、うたごえ運動発足の年の11月に公開された「シベリヤ物語」で、この運動に大きな影響を与えています。 (ちなみにこの作品はカラー作品で、当時の日本人に相当な衝撃を与えたようです)。 灯と言うロシア料理の店で流していたレコードにあわせて自然発生的に歌いだしたと言う記録があるようで、この店は「うたごえの店 灯」として改装したそうです。 が、 一説によると、 この映画に全員で歌うシーンがあり、 これをまねして、生演奏(ラジオとも)をしていた飲食店で流れたロシア民謡に合わせて、居合わせた客全員で歌ったのが歌声喫茶の始まりというのもあります。 >さて、3、4についてですが、戦後の混乱期 『歌声喫茶』は 若者の間に”連帯感”を持たらせ、未知なる共産主義の思想に憧れを持つ若者(インテリ層)を刺激させたということでしょうか? もともとうたごえ運動に影響を受けていたようで、 活動家から大衆への広がりに貢献したのではと思います。 歌声喫茶ができる前、うたごえ運動と同じ年に全学連(全日本学生自治会総連合)が結成されています、当初は日本共産党の強い影響下にありました。
お礼
うたごえ運動の発端と流れを解りやすく説明してくださり ありがとうございます。 早速『うたごえ運動』について こちらを読みました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%9F%E3%81%94%E3%81%88%E9%81%8B%E5%8B%95 それが【大衆的な社会運動・政治運動】だったということは 『歌声喫茶』は 若者の間に”連帯感”を持たらせ、共産主義の思想を 広げるために【活動家】が中心になって 企画していたわけですね? 実は 全学連にいた(後左翼の活動家となった)親戚がおりまして、、 彼等は ”活動に忙しく” 私も子供だったので 面識はないのですが、 うたごえ運動に深く関与していたと思うと、不思議です。。 【うたごえ】自体とても平和な響きがありますので、、。
お礼
大変、勉強になるお話をありがとうございます。 私は60年代の生まれなので、当時の社会情勢などは全くと言って いいほど分かりませんが、学生運動にのめり込んでいた(後に 左翼活動家となる)親戚がいたので少し 関心がありました。 社会主義が【労働者階級vs資本階級】位は 把握していましたし、 私自身 夫の母国である 旧ユーゴに数年居住もしています。 聖歌隊の話に戻しますと、 次回クリスマスパーティーの企画として メンバーで 何か面白い歌を紹介し合おうじゃないか、ということに なりました。 すると旧ユーゴ出身者達が 小学校時代 日本の 『笹の葉サラサラ~』の歌を ”有名な日本の歌” として 母国語で 歌ったものだ、という話から発展し、日本では トロイカや カチューシャが、、 となった次第です。 もう一度 Wkikipedia を読みますと、はそれらが 【”いわゆる” ロシア民謡】となっていますが、例えば 『カチューシャ』のページに行くと、作曲が1938年ですし 英語のページには a Russian wartime songと正しく説明されていました。 https://en.wikipedia.org/wiki/Katyusha_(song) おっしゃる通り、歌曲そのものには何の罪もないわけですものね。 それらの歌曲の裏にあった政治的・社会的背景は 伏せておいた方が 良いと私も思います。 >海外の歌曲を取り入れるのは日本人にとって極々当たり前、 >そもそも日本文化というのは外国のものを取り入れて日本化した文化です。 茶道にせよ華道にせよ元は中国発です。 雅楽も元々古代中国のものです。 仏教も儒教も日本仏教であり日本儒教です。 その通りですね。 いくら日本人が ”琴” は日本の伝統楽器だ、 と主張しても guzheng (中国琴)の方が断然古いですし、 当地(北米)では koto よりも知名度が高いのは当然かもしれません。 頂いた回答はとても勉強になりました。 ありがとうございます。