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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ちびっ子ロシア人について)

ちびっ子ロシア人のアメリカ訪問について

このQ&Aのポイント
  • ロシア人のちびっ子がアメリカに簡単に行けるのか疑問です。
  • 以前はソ連とアメリカは対立していたが、今はちびっ子のアメリカ訪問は嫌がらせが少ないのか知りたいです。
  • 国際情勢に詳しい一流大卒の方の意見を聞きたいです。

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回答No.1

私はその Skate 大会を観ていないのですが、1990 年台に New York の大学に居た頃、夏休みの最中に Campus に Russia 人の子供達 (15 歳って言ってましたから中学? 高校?) がドッと Summer School にやってきたことがありました。 幸い第二外国語に酔狂で Russia 語を採って半年間 Russia 語の授業を受講した直後だったので覚えたばかりの Russia 語で「何処から来たの? それ何処よ(^_^;)? 今何歳? えっ Summer School なの? New York は他に何処に行った? 楽しい?」などと話しまくりました(^_^)/。 Russia 語の授業は旅行者用 Russia 語実用例文集みたいなものを分厚くしたような教科書で、予習復習で丸暗記させられた上に書き取り問題集を 1 冊宿題に課せられたのですが、半年で子供達相手に会話できるようになっていたのには嬉しかったですね。・・・日本だと 10 年、延べ数千時間も英語の勉強をさせられても会話どころか読み書きも辿々しい Level にしかならない教育法なのがもどかしいです。 >ほんの数年前までは社会主義のソ連と資本主義のアメリカは激しく対立していてお互いに行き来は不可能でした。 ??? もう 10 年以上前 (1991 年) にソ連は崩壊しましたよ(^_^;)。 私が New York の大学で Russia 人の子供達と仲良くなったのは大学で Mozart 没後 200 年祭なんてやっていた翌年か翌々年辺りでしたから 1992 年か 1993 年・・・Russia からの中高生 Summer School はそれ以前からやっていたようですので、Perestroika (перестройка) で 1980 年台末期のソ連時代から始めたか、ソ連崩壊時に始めたのではないかと思います。 >今はロシア人のちびっ子がアメリカに行っても嫌がらせや好奇の目で見られることは少なくなったのでしょうか? 少なくとも私が居た大学に来た Russia の子供達は歓迎されていましたし、そもそも New York には Russia 系移民がたくさんいますし(^_^;)・・・。 一軒家を Share していた階下の住人は Jewish 系だったのですが、その友人で Bakery を営んでいる Jewish Ukraine の人が週末になると売れ残った自家製 Bagel を山と持ってくるので、私の冷蔵庫には Bagel が常に 10 個ぐらい入っていましたね(笑)。 私は New York に 10 年余住んでいたので日本で売られているモチモチの Californian Bagel は口に合わず、Jewish や Ukraine Bagel でなければ Bagel ではないとまで思っています(^_^;)・・・日本では New York Bagel なんて看板を見て入ったら「モチモチ・べえぐる」ばかりで本当の New Yoker Bagel には未だ出逢えていません。 厳密には Russia と Ukraine では違うのですが、まあ旧ソ連 (USSR) という括りにはなりますね(^_^;)。 US は移民の国で他民族国家なのですが、民族が異なっても成人式の際には American であることに誇りをもって国家への忠誠を誓う国ですので Russia 系であろうと England 系であろうと American ですし、外国人観光客を好奇の目で見たり嫌がらせをするような人はいません。・・・外国人観光客を好奇の目で見たり、騙したり、嫌がらせをしたりするのは、太平洋を渡った日本の東にある US ではなく、日本海 (彼等は東海と言うらしい) を渡った日本の西にある国のことではないですか(^_^;)?・・・まあ観光客相手に Taxi が料金をボッタクルのは New York でも普通にありましたが(^_^;)・・・。 Russia のちびっ子が US で嫌がらせや好奇の目で見られるなんてことは 20 年前にもなかったですよ。 むしろ女の子は女神様扱いでしたね(笑)・・・私が居た大学では Ukraine 系 Jewish American の学生達も Fraternity を作っていたぐらい沢山いたようで、金髪碧眼 (まあ栗毛も多かったですが) の女の子達は独特の Boots を履いて JAP と呼ばれていました。 JAP・・・日本人野郎ではなく Jewish American Princess の頭文字です・・・つまり、女神様扱いですね(笑)。 まぁ 2004 年に 17 歳で Wimbledon Tennis 世界大会を制した Marija J Sharapova みたいなのがうじゃうじゃいれば、日本人の私から見ても「女神様降臨の地(^_^)/」とか言いそうですし(笑)・・・。 >できれば国際情勢に詳しい一流大卒の方のご意見アドバイスを聞きたいなぁ~ 国際情勢に詳しいわけではないし、日米共に専攻は理系だし、最終学歴は決して Ivy League のような一流ではない地方の米国州立大 (Graduate) でしかないのですが(^_^;)・・・。

daigakudaigaku
質問者

お礼

筆舌に尽くしがたい最高です とても誠実な回答ありがとうございます。 とても参考になりました、ありがとうございました。

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その他の回答 (1)

  • StuG3
  • ベストアンサー率26% (18/68)
回答No.3

ソ連崩壊以降、ロシア人のアメリカへの移住者は格段に増えました。 特に90年代の一時景気が良かったときに、ロシア東欧からの移民は歓迎され 大都市近郊の工業地帯には現在も多く住んでいます。 デトロイトはその典型のようなもので、中東からの移住者も多くいます。 もともとデトロイト周辺のミシガンやオハイオ州は、20世紀はじめごろから 東欧からの移民が多いのです。 ロシア人の子だからといって、特別視は基本ありません。

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