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武士の名前について
武士の名前に備前守とか周防守とかついているけど治めているところとは関係ない名前がついているのはなぜ?
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こんにちは。 ◇官名 ・「~守」「~頭」等の名称を「官名」といいます。「官名」とは,戦国期から江戸期にかけて,武士が任官(または自称)した官位,つまり,朝廷(天皇)から授けられる「位」の名称です。 ・ですから,実際に住んでいるところの名称がついている方がおられる一方,まったく関係のないところの名前がついている方もおられます。あくまでも「位」だからです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6%E5%AE%98%E4%BD%8D ◇禁中並公家諸法度 江戸時代になりますと,「禁中並公家諸法度」により武士の「官位」を武家官位を員外官(いんがいのかん)とすることによって,公家官位と切り離しましたので,実質的には徳川幕府が「官位」を授けることになりました。
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- fumkum
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>武士の名前に備前守とか周防守とかついているけど治めているところとは関係ない名前がついているのはなぜ? 全てが関係ないというわけでもありません。「薩摩守」は領主の島津家が独占します。他の家では使えなくなっています。同じ様な例が、加賀守の前田家。陸奥守の伊達家。土佐守の山内家などです。多くは国持大名クラスです。 また、多くの受領名(国守・介など)は代々世襲されます。会津松平家の肥後守、出雲松平家の出羽守などは初代以来独占的に用いていますし、その他の大名でも下のサイトで確認できますが、同じ受領名もしくは、数種類の受領名を使いまわしている例も多く見られます。この多くは、先祖(主に初代藩主)が任官したなどの由来を持っています。しかし、受領名の多くは、領地と関係ない受領名がついています。これは、凡そ室町時代から、受領に実体がなくなり、名目だけになったかことが1つの原因です。鎌倉時代~南北朝期を通じて、守護が国守等の治める国衙機構の権能を吸収し国守等を有名無実化していった結果が二つ目の原因です。そのため、次のような傾向が現れます。 特に戦国時代には、凡そ二つの傾向が現れます。一つは、三河を統一した家康が三河守に朝廷から任命されることによったように、統治の正当性を得ようとする傾向です。当然領有地と関連した受領名となります。さらには、これから侵略しようとしたり、途中まで侵略した国への侵略の正当性を得るために、任官した例もあります。信玄の信濃守などはその例です。もう一つは武士が私的に○○守などの官名を名乗ったり、大名が家臣に朝廷の許可なく官名の名乗りを許し、家臣の統制、上下関係に利用する傾向が現れたことです。織田・豊臣・徳川の中央政権も戦国大名の延長ですから、朝廷の正式な任命はあるとはいえ、官名を統制下におき、任官を通じて、大名や旗本統制、封建的身分秩序の構築に利用します。官名はの多くは領国、職名を離れ、任命されます。 以上、参考まで。
- oska
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>治めているところとは関係ない名前がついているのはなぜ? ○○守という称号は、授かった本人が隠居・死亡すると幕府へ返上します。 そして、後継ぎは改めて○○守という称号を授かります。 が、代々個人が継承する性格のものではありません。 新たに(分家などで)立藩した場合は、開きがある○○守を与えます。 領国とは全く関係ない地域の守が誕生するのです。 どうしても○○守称号が欲しい場合など、空きが出るまで待つ場合が多かったようです。 □□守であっても、○○守に空きが出ると幕府に申請し、□□守を返上、新たに○○守に任じられます。 当然、人気がある○○守獲得には莫大な賂が必要だった事でしようね。 江戸時代は、正一位とか大納言とか位は、幕府の奏上によって朝廷が与えます。 余談ですが、水戸光圀こと徳川光圀よりも、伏見稲荷の狐の方が官位は上です。 伏見稲荷の狐は、正一位ですよ。^^;