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あまり有名でない武士の名前を教えてください。

中1の男子です。 古事記や日本書紀などを読んでいて思ったのですが、有名ではないけれど、がんばった武士や将軍がいると思うのです。 だいたい「鎌倉~戦国」までの範囲で教えてください。 ちなみに古事記と日本書紀なら古事記の方が僕はお勧めします。 (古事記伝はまだ読んでいないのでお勧めできません)

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  • koon1600
  • ベストアンサー率51% (200/390)
回答No.7

まあ、有名でない人などというのは星の数ほどいますが・・・ 畠山重忠 鎌倉の功労者の一人で鎌倉武士の鑑とまでいわれる人物ながら、同じ時代の那須与一や熊谷直実に比べ、いまひとつ影が薄い人物です。平家物語では良く出てくる人ではありますが、読んだことの無い人には非常に縁遠い人かと思います。 北条時頼 北条執権家は最初3代は有名ですが後は時宗(大河)くらいしか有名人がいません。時頼は5代執権で幕府の基盤を築いた人物です、鎌倉の水戸黄門でして徒然草にも顔を出すのですが、どうも有名人とまでは行かないようです。 蜷川智蘊 有名でないというより、一休さんの新右衛門といわないと分からない人。室町の武士で文学に優れていた人物です。 服部小平太 今川義元への一番槍を挙げた人物。しかし膝を切られたため義元を討ち取ったのは下で出しますが毛利良勝という人物。あんまり戦功もなかったのですがそのうち大名になります。しかし、秀次事件で切腹。 毛利良勝 今川義元を討ち取った人物。その後も近衛として戦っていましたが本能寺の際に二条城で討ち死に。 とりあえずこのくらいで・・・他にも、探せばかなりの数の人物がいますから、適当に探してみても良いかと思います。

souzoukun
質問者

お礼

うぉぉぉぉ!! こんなに教えてくださってありがとうございます。

その他の回答 (6)

  • 1582
  • ベストアンサー率10% (292/2662)
回答No.6

薄田兼相

souzoukun
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • bagrus4
  • ベストアンサー率32% (16/49)
回答No.5

佐竹義重はどうですか? 佐竹義重は「鬼義重」の異名があった智勇に優れた常陸国の戦国大名です。 宇都宮氏・結城氏・那須氏・羽柴秀吉・武田信玄と手を結ぶなどして、敵対していた伊達氏・北条氏に対抗していました。 天正17年、蘆名氏の養嗣子に入れていた蘆名義広が摺上原の戦いで伊達政宗に大敗すると、白河結城氏・石川氏などの南奥諸氏が伊達氏に寝返り、伊達政宗と北条氏直に挟まれて窮地に追い込まれます。 天正18年、小田原の役が始まると長男義宣と共に参陣し、常陸国54万石の支配を認められ、反抗的な江戸重通・大掾一族を追放・殺害するなどして常陸国内を統一しました。 慶長5年の関が原の戦いでは、懇意があった石田光成の西軍につこうとした義宣と東軍につくように述べた義重が対立したために、佐竹氏な曖昧な態度をとることになり、慶長7年、出羽久保田18万石に減移封されました。 佐竹氏は幕末まで存続し、戊辰戦争では新政府軍にぞくし、当主義尭は侯爵を授けられました。 現秋田市長佐竹敬久氏は子孫になります。

souzoukun
質問者

お礼

ありがとうございます。 佐竹義重は知っていたのですが、こんなに細かいのは知りませんでした。 ありがとうございました。

  • akikoll
  • ベストアンサー率16% (3/18)
回答No.4

真田親子です。関ヶ原の戦いのとき真田家を存続させるため親子・兄弟別れて戦いました。

souzoukun
質問者

お礼

少し悲しいですね。参考になりました。 ありがとうございます。

  • hazu01_01
  • ベストアンサー率31% (341/1067)
回答No.3

戦国から江戸時代に生きた武士ですが、岡田竹右衛門元次はどうでしょうか。まず、はっきり言って話題になりません。 しかし、意外と面白い人物ですよ。 彼は徳川家康の武将である松平康親、松平康重の2代に仕えたものです。徳川家にとっては陪臣ですが、家康、秀忠に目通りを許されていた。日ごろの武辺が際立っていた。結城秀康に1万石で誘われたにもかからず松平周防守家に残った。後に老中になる土屋忠直の母を妻にした。子供は江戸町奉行になった神尾備前守元勝、奥州中村藩主相馬利胤の室になった長松院(茶阿局の養女、徳川秀忠養女)、松平周防守の老臣となった同名の岡田竹右衛門元直。などと逸話が多い人物です。

souzoukun
質問者

お礼

ありがとうございます。 岡田竹右衛門元次は僕は聞いたことないです。 後で検索してみようと思います。 ありがとうございました。

  • mikotsuta
  • ベストアンサー率37% (16/43)
回答No.2

室町幕府第六代将軍 足利義教(あしかがよしのり) 四代将軍「義持」の死後 くじ引きという異例の方法で、選ばれた将軍です。 しかし、その政治手腕は天才的で将軍の権威の確立と政治的全国制覇、宮廷や幕府の綱紀粛正を行ったのです。 (1) 3代「義満」以来、公家風になりつつあった武家の風潮を旧の戻し皇室(公家)と武家の区別をはっきりさせた。 (2) 関東公方「持氏」の征伐。 (3) 幕府権力の及ばなかった九州地方の支配権の確立。 (4) 有力守護を弱体化させる。 など、功績は大きかったが、峻厳苛酷な政治のため家臣「赤松満祐」に よって暗殺されてしまった。

souzoukun
質問者

お礼

くじ引きというのは知りませんでした。 ありがとうございます。

  • takatan77
  • ベストアンサー率30% (16/53)
回答No.1

梁田正綱(名のほうは字が違うかも)など良いのではないでしょうか。織田信長の家臣で,大きな手柄も上げているのですが,ほとんど名前が出てきません。

souzoukun
質問者

お礼

そうですか。参考になります。 ありがとうございました。

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