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人間は・・・

人間は自由ですか?

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noname#80116
noname#80116
回答No.15

 No.5です。非常に古くさい議論を 紹介のかたちで 掲げます。参考になればさいわいです。  問題は われわれ人間の自由意志にかかわり しかも 旧い議論では その自由意志と そして 恩恵(いわば神の意志)との関係の問題であろうと存じます。  引用の中の括弧内すなわち 〔・・・〕内および(・・・)内 そして しるし= * の箇所は わたしの注釈です。  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  〔自由意志と言いつつ それは 思うようにならない。これが 現実である〕。それでは 〔自然本性にそなわった 人間の〕自由意志をわたしたちは 恩恵(すなわち神の意志 もしくは 人間の自然本性にかかわる《なぞ》のちから この恩恵)により無効にしているのか。断じてそうではない。かえって わたしたちは自由意志を立てるのである。   * たとえば 悪夢を正夢にしないようにと そのように考え意図す   るその自由意志を かえって 立てると言います。  なぜなら 律法(すなわち 経験行為の法則のごとき倫理規範)が 信仰(すなわち なぞをもった経験判断)により無効にされず かえって立てられるように(ローマ人への手紙3:31) 自由意志も恩恵により同様にされているからである。  * 自由意志は 神の恩恵もしくは現実の力に勝てなかったのですが  その恩恵によって 自由意志は かえって建てられると言います。  実際 律法は自由な意志決定によるのでないなら 実現されないのである。  * つまりは 信仰(こころにおける なぞをめぐる志向性)をとお   して 神の恩恵が 愛として はたらき われわれの意志による自   由な選択によっておこなう行為を 成就させる。律法の内容を成就   させる。    そのとき 一人ひとり《わたし》の自由意志によるおこないが    関与しているし 関与していないものは 恩恵とも成就とも言わな   い こう言っていると考えられるでしょうか。    と言っても この問い求めている生活内容としての勝利が いま   は保留されていると思われます。成就と 簡単に言えるものでもな   いはづです。    つまり 神の信仰の持つ生活態度にかんする有効が この現実に   おいては 無力であり わたしたちは 弱い。しかも この弱いと   きに 信仰としてのなぞを持っているから その有効性にもとづき   意志するところが ただちに実現して 社会的に有力とならないと   しても 自由意志は かえってまったき自由として 立てられてい   る。とも考えられるかも知れません。    つまり いまだ有効性なるなぞが力を持たない段階でも 力を持   って実現した段階においても けっきょく同じように すでに そ   の可能性の幅いっぱいに わたしたちの自由意志は 伸びて行って   よい こう述べていると考えられますが いかがでしょうか。 (アウグスティヌス:〈恩恵は自由意志を確立する〉=《霊と文字》§30 金子晴勇訳) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  つづけて アウグスティヌスの議論によれば 《恩恵により自由意志が確立されていく》過程が いくつかの段階として 考えられると言います。律法・罪などなど 旧い用語が出ますが。  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  しかし そこには次の中間段階がある。つまり  1.律法により罪の認識(ローマ3:20)が〔現われる第一段階〕  2.信仰により罪に対抗する恩恵の獲得が〔現われる第二段階〕  3.恩恵(なぞだから 《ただ(只・無償)》だということ)により   罪の悪徳からの魂の治癒が〔現われる第三段階〕   (これによって 人びとは 世界と和解できる。)  4.魂の健康により意志決定の自由が〔現われる第四段階〕  5.自由な意志決定により義に対する愛が〔現われる第五段階 その   あと〕  6.最後に 義に対する愛により律法の活動(つまりはむしろ自由意   志の望んだところ)が 成就されるのである。  あたかも鎖の環のように互いに連結させてわたしが述べたこれらの〔中間段階の進展にかんする〕真理はすべて 聖書のなかにその表現が見いだされる。すなわち   1.律法は言う。《むさぼるな》(出エジプト記 20:17)と。  2.信仰は言う 《わたしの魂をいやしてください。わたしはあなた   にむかって罪を犯しました》(詩篇41:4)と。  3.恩恵は言う 《見よ あなたはいやされた。もう罪を犯してはな   らない。あなたにもっと悪いことが起こるかもしれないから》(ヨ   ハネ5:14)と。  4.健康になった魂は言う 《わが神 主よ。わたしがあなたにむか   って助けを叫び求めると あなたはわたしをいやしてくださいまし   た》(詩篇30:3)と。  5.自由意志は言う 《わたしは喜んであなたにいけにえをささげま   す》(詩篇54:6)と。  6.義に対する愛は言う 《不義な者らは喜びについてわたしに語り   ました。しかし 主よ かれらはあなたの律法にしたがいません》   (詩篇119:85)と。   (アウグスティヌス:承前) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  現在過程として 《有効であり しかもそうなのだが 現実におけるその無力のまま での勝利》ということだと思いますが いかがでしょうか。  つまりは 現在において わたしたちは 最後から=つまり目的の成就のほうから すでに 何の無理もなく 自由に 出発してもよいのだと考えます。そのために このような古くさい議論が 問い求められたのだと考えます。

回答No.14

あえて人間として物理世界に生まれたことにより不自由さを作った。 でも精神は自由。自由にいろんなことをイメージして物理世界で実現する。 それが発明につながってるんじゃないかな? トーマスエジソンは少年のような人だったと思う。 たとえば”夜が昼のように明るくなったら良いな。”と望んで自由な精神でイメージした。 その上で努力に努力を重ねて電灯を作った。 彼は言ったよね。”天才とは1%のひらめきと99%の努力” つまり1%のひらめきとは”こうなったら良いな”と人間の望みからくるイメージ。 それからそれを達成するまでの果てしない努力。 彼はすごい努力家ということだよ。 その努力が天才といわれる人を作り出す。 つまり人間は自由な精神を使って目的・目標を実現するために不自由な世界に生まれてきたんじゃないかな? 裏話で言われてるのがなぜエジソンは電球を発明したか? 彼は夜の暗闇がとても怖かったらしいよ。笑。 ”怖がり”が天才を生み出したとも言えるのかな?笑。 続けて失礼しました。

回答No.13

>人間は自由ですか? 人間という定義に”不自由さ”という言葉が含まれると思う。 寿命で死んだ後(自殺は別)には精神世界に魂は残るから”自由”はあると思う。 人間は物理世界で生きる”不自由”さがあることに意味があると思う。

回答No.12

 人間は自由です。自分で不自由になっています。  自分で不都合を作って、がつんとしたことで、自己と存在、功績を確認しようとしています。

  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.11

目が見えない人は代わりのように聴覚が研ぎ澄まされるといいますが聴覚障害者は視覚に頼りがちです。だからと言って視力が良くなるわけでもなくて、むしろ目の酷使で、頼りの視力さえ著しく低下する破目になったりもします。 では、いわゆる健常者は自由なのかといいますと、自分のことを、まっとうと言う意味で人並みだ或いは、それ以上だと意識するともなく自認している人ほど私に言わせれば、こんなに想像力貧困で、それゆえ不自由な者もないなあと思わせられる人が少なくないのです。 もちろん身体の条件以外でも、自分の不足不満足感に囚われてガンジガラメに陥っている「不自由な」人も多く見てきました。 たとえば私自身のことで例を挙げますと、生育環境から来た問題や内部的な身体障害を抱えつつ生活上あらゆる面で不自由どころか危険にさえ晒されながら生きてきました。 その不自由や危険をなんとか緩和するために、あらゆる手立てや工夫を講じ、それにつられて思いがけず発達してきた種々の能力もあります。 また、長らく、いわゆる健常者と障害者の中間に身を置いてきましたから、両者とも且つ両者のそれぞれに対する気持ちも理解できます。そして何事であれ一方的な視点ばかりで考えないよう自分を戒めることに役立っています。 しかし、これらは環境の問題や身体障害あってこそだったのであり、もし何不自由のない環境や身体だったら手に入れることも磨かれることもない能力だったことでしょう。代わりに、これまで手に入れられなかった様々な良いもの、有利な立場を多く手に入れていたでしょうけれど、恐らく、今よりもっと思慮浅く、立場の弱い者に対してキツく思いやり薄く、傲慢甚だしい人間だったかもしれないと思います。 このように、得たものは得られなかったもののうえに成り立っています。 つまり不自由のうえに手に入れた自由。 短歌や俳句(自由律含めて)の精神にも似て。 衣食足って礼節と言う。しかし、また 貧者の一灯 艱難汝を玉にす、というコトバもある。 不自由をどう料理するか。できるか。 玉になれずに磨り減るばかりの者はどうなるのか。 それにしても何ら不自由のない者ってあるのだろうか。 しかし自由にしたところで、それは不自由あってのことかもしれない。 不自由を料理できない、玉になれない者が本当に不自由なのかもしれません。 何につけてもそうだと思いますが、とくに哲学では、どの位置に視点を据えるかで思考の行方が左右されます。御質問者様は「自由」を、どの位置において問われていらっしゃいますか。 そのへんが、よく分かりませんので回答しにくいですが 究極は、この宇宙や、この世界というものが全き自由において出現したのかどうかということに関わってくることになりましょうか。 本当のところ人間は自由でないとしても、嘆くべきことでもないのかもしれませんし、自由か否か自体、大した問題ではないかもしれません。 それよりも、自由であろうとするあまり、今よりもっと不自由にならないよう気をつけたいと思っています。

  • tips
  • ベストアンサー率14% (829/5762)
回答No.10

こんにちは。 自由だとおもっていました。

  • ri-zyu
  • ベストアンサー率30% (184/611)
回答No.9

生死の問題も心も問題も全て天に任せれば自由です(悟)=(全ての悩みからの解放) 開き直りとは少し違いますよ。

noname#117439
noname#117439
回答No.8

自由と言いますか、心を解き放とうと努力していますね。 ↓こんな風に論議すると鉄が津的です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.7

圧倒的な強制が作用している場合だけは、自由とは言えません。 アウシュビッツのガス室にいるユダヤ人に対して、仮に誰かが、あなた方は自由です、と言えたとしてもそれは自由という言語の意味を超越していることになります。 これ以外の場合(圧倒的な強制がない場合)でも、不自由と感じる場合はあります。 しかし、その多くは意志によって不自由でなくせる事柄でしょう。 意志を発揮できるというそのこと自体が自由ということになります。 意志を発揮できないと信じてしまうのは、イラショナルビリーフ(不合理な思い込み)である場合が殆んどでしょう。  

  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.6

人間は本質的に自由です。なぜなら、人間の本質は考える動物だからであり、何者も内面の自由を奪うことは出来ないからです。 人間が自由でないのは、偏見にとらわれ理論と現実は必ず一致するはずだという信念が奪われている時、人間自身が作った宗教や政治体制にしばられている時など、限定されている状況だけだと思います。しかし、これが困ったことに、自由なはずな人間は、現実には、そこらじゅうで鎖につながれているわけです。 自由を内面的な自由にすぎないものから、外面的にも自由であるように切り替えるには、日本国憲法や関連法を読みあさり、自分の主張を実社会でもかまわず押し通すことが必要となります。 例: ●有給休暇の日程設定件は従業員側にあり、特別な事情がない限り雇用主や管理職はそれを拒否する権限はありません。よって私は毎年、本当に1ヶ月近くの夏休みをとります。それでは会社が回らなくなるという苦情を上司が言った場合、「それを考えるのは、私ではなく、管理職の仕事でしょ」で撃退。また、長期休暇は会社での慣例上、認められないといわれた場合、「良いですよ。でも私もお人よしではありませんから、今の会話、全部、録音してあります。必要なら連合なり弁護士なり労働基準監督署なり、使えるものは全部使いますから、覚悟しておいて下さい」で撃退。 ●結婚について両親から反対されている人へのアドバイス。「日本国憲法を読め。婚姻は両性の合意のみに基づき成立すると書いてある。親といえど干渉権はない」。以上。裁判に持ち込めば、絶対に勝てます。 ●会社でドレスコードについてうるさいことを言われた場合。「服装は憲法に定められた表現の自由の一部として認められており、窓口業務など、制服が支給される職種でない限り、会社には社員の服装に干渉する権限はない。そもそも就業規則には、服装は清潔なものであることとしか書いてないではないか」。これで本気になって会社と戦ったことはないのですが、判例を見る限り、就業時間内に労働組合のTシャツを着ていたくらいの例しか、原告敗訴のケースは無いようです。ただ、営業の場合は、やはりフォーマルな服装のほうが望ましいでしょう。 ●パワハラやセクハラを受けている場合も同じ。「パワハラや過労が原因で自殺した人には、労災認定が降ります。そんなことも知らないあなたには、管理職の資格はありません」で撃退。 ●普段の行動が原因で昇進に差別を受ければ、また、裁判うんぬんで脅し。 とにかく、戦わないでいると、権利というのは奪われていく一方であることに、注意しましょう。

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