日常会話でしたら、江戸時代後期の町人とは楽に通じるはずです。というのは、江戸末期に生まれ(1839年)明治時代に活躍した落語家三遊亭円朝の落語の口述速記録が残っていますが、これを読むと、ほとんど現代の言葉と変わらないことが分かるからです。
もちろん、お互いの「常識」が違いますから、行き違いは出るでしょうけれど、それは言葉の問題ではありませんから。
そのようにして、口語を記録した古文書を調べていくと、室町末期の日本人となら、お互いに何とか「簡単な日常会話」ができそうです。この頃は、キリスト教の宣教師が来日し、布教のために日本語、しかも口語を学習していました。彼らの日本語出版物(伊曽保物語など)や作った辞書(日葡辞書など)を読んでみると、もちろん今とは発音も単語の意味もずいぶん違いますが、基本的な語彙や使い方はそれほど変わりません。
例えば「「さればこそ まがいもない あれが 取って 食らうた もの ぢゃ、それ 打擲(ちゃうちゃく) せい」(やはり、まちがいない。あいつが取って食べたのだ。それ殴ってやれ)なんていう感じです。
また、この時代には狂言が成立しています。狂言は能と異なり、日常会話に用いる口語がたくさん使われています。台本の成立は室町末期から江戸初期が大半です。
「某(それがし)、訴訟のことござって、三年(みとせ)以前、西国へ下ってござるが、訴訟、思いのままに叶うてござるによって、このたび都へ上ろうと存ずる」(鈍太郎)と言われれば、何となく意味は分かるでしょう?
これを読めば(聞けば)ある程度意味は分かりますから、まぁ、江戸初期の人とは簡単な会話ができるだろうと思います。