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いつの時代から歴史について勉強していますか?
現代では学校の授業で歴史の時間があり、それについて勉強出来ますよね。 では、一体いつの時代から人々は歴史について学び始めたのでしょうか? 例えば、平安時代の人々は弥生時代について知っていたのでしょうか? 鎌倉時代の人々は飛鳥時代のことを知っていたのでしょうか? それともやはり寺子屋が出来るまで、昔の歴史について何も知らないままだったのでしょうか? しょうもない質問ですが、とても気になっています。
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いつの時代も歴史は学ばれてきました。それは、学者や貴族といった方たちだけでなく、庶民のレベルでも歴史は学ばれてきました。日本は意外にも文章をたしなむ人がいて、文献は一般の家庭でもつくられています。また歴史は文章に残されたものばかりではなく、口承伝承もまた歴史の学習といえましょう。アイヌなどは身近な例です。人の語る伝達で、1000年は案外近い世界ですし、まして200年の隔たりは想像に難くない生活空間です。近年民俗学や文化人類学など興りましたが、人々がいかに歴史を顧みてきたかがわかります。ただ、それらが実在を欠き、創造の部分が多くなっている傾向は強くなります。
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- oahiopwh
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歴史とは、文字で記された昔の記録です。 よって、弥生時代は歴史学の対象ではなく考古学の対象です。 古事記と日本書紀が、初めて編纂された日本の国史です。 以後、多くの書物、文書、記録等がかかれました。 そして、高価な書物に触れることができ、 文字を解する一部の知識人が個人的に歴史を学んできました。 教育が私的なものから公的なものへ変わったのは、明治になってからです。 これにより一般人が歴史を学ぶようになりました。 ちなみに、寺子屋は読み、書き、そろばんなど実用的な教育のばでした。 読み、書きの教材として古い記録や歴史を題材とした読み物を利用したかも知れませんが、 歴史を学ぶことを目的とした教育活動はなされなかったと思います。
お礼
有難うございます。 >歴史とは、文字で記された昔の記録 またしても、私の勘違いです(^^;) 歴史とは、過去の出来事の積み重ねのことだと思っておりました。 “文字”を使って、ちゃんと残っていなければいけないのですね。 寺子屋で歴史の授業が無かったと言うことは、その後学校が出来るまでは 歴史を知らない人も多かったということでしょうか。
- dollar
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日本から離れて世界全体で見ると、最古の歴史家は古代ギリシアのヘロドトス(紀元前485年-420年)でしょう。 著書は『歴史』(全九巻)です。 読み物としても面白いように書かれているのが特徴です。
お礼
有難うございます。 紀元前の歴史家ですか! その頃の日本はまだ縄文時代なんですよね。 「歴史」を一度読んでみたいです。
- 6dou_rinne
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全国民が歴史を学ぶようになったのは明治になってからのことですが、一部の階層でもというのなら史書ができる以前のことでしょう。 少なくとも歴史を残さねばということで史書が作られたわけですから。 日本では残ってはいませんが、聖徳太子の時代には国史が作られたと記録されていますし、中国では紀元前から史書はあったといいます。
お礼
有難うございます。 >聖徳太子の時代には国史が作られた どのような内容が書かれたかが気になりますね。 >中国では紀元前から すごいですね。さすがに歴史が長い国ですね。
- 123garia
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現代人が認識している歴史の伝えられ方は 1 親から子へ語り継がれる 2 文字として記録に残す 3 考古学的な発見をする 弥生時代は近代になって発掘してわかったことであり、平安時代の人が今と同じ認識はしていないでしょう。 記録として確認できる文章は、古事記、日本書紀あたりが最古ではないでしょうか。
お礼
有難うございます。 >弥生時代は近代になって発掘 そうだったのですね。 確かに弥生から平安時代の間は千年近い月日がたっていますし。 古事記、日本書紀が記された当時はそれを理解できない(字が読めない)人 がほとんどだったかもしれませんね。
お礼
有難うございます。 >庶民のレベルでも歴史は学ばれてきました 私は、そうではないと勘違いしておりました。 学ぶことが出来るのはある程度の階級にいる、いわば特別な人だけなのかと…。