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日本語の成立について
日本語の成立について質問します。 まず成立時期は、弥生時代と考えてよいのでしょうか? 弥生人=現代人の祖先と考えてのことです。 次に日本語の成立ですが、 縄文語+朝鮮語+中国語+南方民族の言語=日本語と考えていいんでしょうか? それとも縄文語は無関係ですか? あるいは北方系の言語も混ざってくるんでしょうか? 日本語と朝鮮語(ハングル)はイントネーションがとても似ていて言語的に親戚だなと実感することができます。 おそらく外国人が聞けば、ハングルと日本語の区別はつかないでしょう。 しかし中国語や南方民族の言語はまったく入っていないように思われます。 ここで別の疑問が生じます。 たとえば中国人と朝鮮人が一緒に住むようになった場合、言語はどう変化してゆくのでしょうか? 両方の言語がまざった第三の言語に変化してゆくものなのでしょうか? そうではなくて、どちらかの言語に吸収されてしまうのでしょうか?
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5000年以上前だと思われます。なぜかと言うと、言葉の類似性を調べる方法として、主用単語の半減期を使うのですが、5000年以上他の言語と離れると、偶然に同じ単語が使われている、いわゆるノイズの中に含まれてしまうので、他の言語との関連性を追及できなくなるのです。日本語は半減期法を持ってしても類似言語との関連を追及できない(沖縄語を除く、この場合はグリム法則で追及が可能なぐらい近い)ので、日本語が他の言語と分離したのは、それより古いと考えられます。もちろん縄文時代か旧石器時代になりますね。ただ縄文系なのか弥生系なのかはわかりませんね。おそらくいくつかの言語のミックスでしょう。 どの言語が混ざっているのかは、日本語が他の言語と離れすぎていて今や追求することは困難です。ただ文法などからすればウラル・アルタイ語族系の可能性が高いでしょう。 そもそも言語がどのようにできたのかは、よくわかりません。私は現在の言語は一つの祖語があると考えています。その理由は、現世人類が一つの祖先から派生したことが遺伝子によってほぼ確実になってきたからです。もし今の言語がすべて別の祖語だとすると、その最初の一人(イブと呼ばれている女性)は、何カ国後も話せたことになり不自然です。その女性が生きていた頃には、すでにネアンデルタール人から分離しており、脳の容積や文化を示す遺跡などから言語を持っていたことが明らかと思われます。 人間の言語の発達段階は、幼児を見るとわかるとおり、単なる泣き声から、単語、単語の羅列、時系列的な文章、文章と発達します。個体の成長は進化の後を辿りますから、人類の言語の最初もこのようなものであったと考えられます。現在ある各語族の分化は、文章になる前に分かれたものでしょう。だから大きく文法が異なるのだと思われます。したがって人類の共通の祖先の女性は、原始的な文法ができる初期の人だと思います。 つまり後で混ざったにせよ、もともと同じ物がまた一つになったのでしょうね。 異なる言語が出会ったときの問題ですが、公に使用される言葉が優位になると思われます。なぜかというと言葉とはコミュニケーションの道具ですから、公に通用しないと用を成さないからです。したがって権力を握った民族の言葉が生き残るでしょう。ただし古い言葉もすぐにはなくなりません。使う人々の人口の減少にしたがって徐々に使われなくなります。しかし一部の単語に残滓が残る可能性は高いでしょう。たとえばラテン語などの単語は現在も使われています。いずれにせよ言語としては消える運命にあります。国語となることができた言語だけが生き残るのです。
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すみません、難しすぎて、直接の意見は述べられないのですが、関係がありそうだなと思うことだけを書きます。 タイトルは忘れましたが、昔、カッパブックスの本で、南洋の言語と日本の古代言語との関係について書かれたものを読んだことがあります。その方は航海術の専門家で、太平洋を縦横に航海されるうちに、偶然のことから日本語とポリネシア語の類似性に気付き、独自に調べてこられたそうです。古事記の中の「トリフネ」など、いくつかの言葉は、南洋の言葉をルーツにしている可能性が高く、その意味に従うと、今まで意味不明だった古事記の叙述が鮮明になるということでした。いくつも事例があり、また航海の経験によって検証されているので説得力がありました。この方によると、原日本人のルーツのひとつは、南洋からカヌーで日本列島に渡って来た人々に違いないということです。 もうひとつは、金達寿さんの「古代日本と朝鮮文化」という本です。達寿さんの探索は、たまたま奈良を訪れた際に旅行ガイドブックの中に見つけた記述だったそうです。古代の飛鳥地方の人口構成が書いてあり、「帰化人」の占める割合があまりにも高いことに驚いたそうです。次いで、古代日本から続く日本の地名や神社名が、「朝鮮語由来」のものがたいへん多いことにも気付かれます。無数にあるのですが、たとえば「なら」とは朝鮮語で「クニ」を意味するといったたぐいです。 結論的には(私の雑なまとめ方ですが)、古代において朝廷をはじめとする日本人がいて、そこに朝鮮から人々がわたってきたというより、朝鮮半島と西日本一帯は、ひとつの民族圏になっており、朝鮮半島のクニを失った人たちが、「高天原の神話」(その母型が朝鮮の檀君神話)とともに、日本列島を制圧していったらしいということです。 ですから、古くは、朝鮮半島の言語と弥生人の言語は、同一であり、それぞれが別々のエンクロージャーの中で変化していったのだろうと、国語学者の一部も言っているそうです。 岸田秀さんなどは、もっとはっきり、「任那が日本の植民地だったのではなくて、日本が任那の植民地だったのではないか」と言っておられます。確かにそう考えたほうが明快になってくることが、あまりに多いと僕も思っています。 非常に一般的な説でしょうが、南洋由来のものをも含む、原日本語ともいうべき縄文語があり、そこに朝鮮半島から渡来してきた人々の言語がリンクしていったのだと思います。両者の関係性が、一方的な制圧だったのか、それとも共存性の高いものだったのかにも、その後の言語の変化は影響されます。ただ、後者は文字を持っていたので、その記述の中に多くの縄文語も(ものの名前とか地名とか、そういった現地性の高いもの)多く取り込んでいったのではないかと想像します。両者がどのような割合で混血していったのかはわかりません。しかし、異なる民族が出会った時、お互いがお互いの言語を学ぶ必要に迫られるのではないでしょうか。 万葉仮名を見ていて、あるとき、気味が悪い思いにとらわれたことがあります。日本人が例えばまったく言葉の通じない国に漂着したとします。そこで、意志を伝えるために、現地の言葉を覚えようと、メモを取ろうとしたら、ひらがなで現地の音を写したりしますよね。万葉仮名も、漢字を持った人たちが、一生懸命現地の音を写し取ったもののように見えて、一瞬気味が悪くなってしまったんです。日本の古代史は、まだほんとのことを教えてないんじゃないかなって、その時ちらっと思いました。 言語の変化については、ユダヤ人のイディッシ語のことも興味深い例ではないでしょうか、国を失って放浪した彼らは、聖典を読むヘブライ語とは別に、漂着した国の言葉を学び取って日用のコミュニケーションを取りますが、閉鎖された彼らだけのコミュニティで使われるために、しだいに変質して、彼ら独自の言葉になっていきました。 以上、素人の妄言です、ご容赦を。見当違いでしたか?
お礼
ありがとうございます。 古代において、朝鮮半島と西日本一帯は、ひとつの民族圏があったという説は初めて聞きました。 おそらく弥生時代のことをいっているのだと思いますが、金属はほとんどが朝鮮からの輸入であったので、交易は盛んだったと思われます。 一方で縄文人と弥生人との文化的交流はほとんどみられないので、縄文語が日本語の成立にどれくらい影響したのか、疑問のおもうところです。 また万葉仮名の成立はそれよりずっと後世になりますので、日本語成立の傍証には使用できないと思われます。弥生時代の木簡などが多数見つかればいいのですが。
- pitagorajr
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日本語について考えてることです。ただの随筆ですが。英語を一単語ずつ書いて縦に並べていく縦書きをすると読みやすいと思うのです。ただ英語は長い単語や短い単語があるからそうはできなかった。中国語は一単語の幅が狭いから、縦書きになった。関係ないかな。ごめん。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。 日本語の成立が5千年以上前だとすると納得できることが多いです。 渡来系弥生人は中国語など文字にも完成された言語をもっていましたから、わずか数百年で日本語に変貌をとげてしまったは思えないからです。 そうすると縄文語が、日本語の原点といえそうです。 ということはアイヌ語との関係も考える必要がありそうです。