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欧米人に向かって、「あ、気づかなくてゴメンね」
前から気になっていたので、必ずしも英語の質問というわけではないかもしれないけど、訊いてみます。 欧米人と会話をしていて、相手が「眠くなってきた」あるいは「トイレに行きたい」といった時(orそんなそぶりを見せた時)、 日本人としては、「あ、気づかなくてゴメンね」とか言いたくなります。 発作的に。 あるいは、「あ!キミ、いたんだ、気づかなくてゴメーン」みたいなことも言いませんよね。 たぶん、ですけど。 そういうのは明らかに文化習慣の違いで、言う必要はない? どうなんでしょうか。 あえて、英語で「ゴメン、気づかなかった」などと言うと、変な誤解が生まれるような気がします。 不要ということでいいですか? みなさんのご意見をお聞かせ下さい。
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Gです。こんにちは!! 私なりに書いてみますね。 >欧米人と会話をしていて、相手が「眠くなってきた」あるいは「トイレに行きたい」といった時(orそんなそぶりを見せた時)、日本人としては、「あ、気づかなくてゴメンね」とか言いたくなります。 これは問題なくSorryを使った表現は使えますし使われています。 これは一種のマナーとして知っておくべきことを怠ったと言うことでもあるし、相手がしたい事・しなくてはならないことをする機会をあげてあげなかった、と言うフィーリングからのSorryであるわけですからまったく問題ない表現です。 そして、更にこれを言う事もマナーの一つとして良いとおもいます。 よく気がつく、思いやりのある人だというイメージを出す事になりますね。 本心からかマナーだからなのか、理由はあるでしょう、しかし、少なくとも気遣いの言葉は必要でしょうね。 人間関係の潤滑油と言われるゆえんでもあるわけですから。 レストランでなぜかナプキンがなく手を拭くためにティシューを出して自分だけそれを使うと言う事はマナーにそれるわけですが、それに気がついて、あっ、どうも気がつかなくてすみません、どうぞ使ってください、と言うのはテーブルマナーと言うか人間間でのマナーであると思い、日本だけの事だとは私は思いません。 このようにSorryと言うべきところを言わないのであれば、自分の過ちを認めずに自分の事は棚において、他の人に関して口先だけで礼儀不足だとか言うのと同じになってしまうわけです。 >あるいは、「あ!キミ、いたんだ、気づかなくてゴメーン」みたいなことも言いませんよね。 しかし、この場合は状況が違う可能性を含んでいますね。 二つの状況が考えられるからです。 一つは、その人がそこにいると言うことを気がつかなくてはならない立場にいる、と言うのであれば、Sorryはまったく問題ないでしょうし、接客マナーとしては常識としても良いでしょう。 その常識を持たない人はこちらにもたくさんいます。 ま、接客サービスのレベルが違うと言えばそうなんですが、この点ではこちらは「疎い」と感じることはあると思います。 (日本でのサービスレベルと比較してではなく) もちろん、ですから、何人かいて、それらのヒトを紹介する時に一人省会話スレをしてしまったとかに気がついたのでSorryを使うことも問題ないわけです。 人間間のマナーですね。 てっきりその人の存在を忘れていた、と言う状況もありますね。 これも、Sorryは問題なく使います。 社交辞令ではなく「謝っている」んだと言うことを相手に伝えたいわけですから。 これらのをしなければかえっておかしいと言うことになるわけですし、品格も疑われる時もあるのではないかと思います。 それを避けるためにも言うと言う人もいるでしょうね。 しかし、来ているとは夢にも思わなかったけどいたことに気がついた、と言うのであれば「英語では謝る」理由がないわけです。 このせりふが日本で言われるのでしたら、文化の違いと言うか日本語表現の中で相手が期待している表現だとも言えるのではないでしょうか。 参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたらどんどん突っ込んでまた書いてくださいね。
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- Parismadam
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はじめまして。 ご質問1: <欧米人と会話をしていて、相手が~といった時~日本人としては、「あ、気づかなくてゴメンね」とか言いたくなります。発作的に。> 相手が日本人でもそうですか? だとしたら、個人の性格の差ということになります。 個人的には、相手が日本人でも外国人でも、「眠たくなってきた」「トイレに行きたい」と言われたら、「どうぞ」「お構いなく」と相手の自由を尊重する返事をしますが、「気づかなくてゴメン」とは通常は言いません。 ただ、状況が夜遅いとか、こちらが一方的に話して相手が話をさえぎる間がなかった、といった場合なら「それは失礼」「すみません」といった謝罪の言葉は添えるのが礼儀です。 ご質問2: <あるいは、「あ!キミ、いたんだ、気づかなくてゴメーン」みたいなことも言いませんよね。> そんなことはありません。場合によってはSorry、Pardonあたりの軽い謝罪でかわすことはあります。 ただ、欧米人はまず、あまり謝らないのは事実です。 理由は、責任追及を避けるため、といった説明もよく耳にしますが、ほかの理由として、日本人には想像しにくいことですが、「謝ることで相手に重荷を負わせるのを避ける」という配慮があります。 つまり、謝罪されるほどのことでもないことに謝られた相手は、「謝った人に罪悪感を持たせた、という自分に対する罪悪感」が出てくるのです。 「すみません」を、「あのー」といった呼びかけや「有難う」の代わりに乱用する日本人にとっては、意外な盲点だと思われます。日本人に慣れている外国人なら、日本人の「すみません」も多様性があることを知っているので気にしませんが、そうでない欧米人には日本人のsorryの多用は、「なんで?」となる場面が多いようです。 従って、このような場面なら 「あ!キミ、いたの?気づかなかたよ」 ぐらいでさらりと交わし、すぐに会話の流れに入れてあげるのが礼儀になります。 ご質問3: <そういうのは明らかに文化習慣の違いで、言う必要はない?> 状況によりけりです。 あまり、謝罪の言葉を使いすぎると、かえって失礼になることもあります。その状況が真に謝罪を要する場面では必要ですが、そうでなければ、上記のような負担感を相手に持たせてしまうのです。 判断は個人差もあると思いますから、自分だったらこの場合不快だ、謝罪して欲しい、と思われる場面では、自分の主観的な判断に基づき、謝罪してもいいと思います。 ご質問の例で言えば、自分がずっといたのに気づいてくれなかった場合、それを「不快だ」、と感じる場面と感じない場面があると思います。 前者は、少人数で見えるところで会話しているのに気づいてくれなかった場合など、後者は、沢山の人がいて見分けがつきにくい場面などでしょう。 不快だと誰でも感じそうな場面では、不快な気持ちにさせてしまった相手に対して、謝罪の言葉をかけるのは、礼儀というより、人としての自然な「心使い」だと思います。 自分は礼儀正しい、礼節がある、と思っている人でも「形」だけにこだわる人も少なくありません。真に礼節をわきまえている成熟した人は、「相手への敬意」「相手への繊細な心配り」に溢れているのです。 礼儀の基本は「心」、それは「相手を気遣う気配り」にあります。それには文化の違いはないのです。 ご質問4: <あえて、英語で「ゴメン、気づかなかった」などと言うと、変な誤解が生まれるような気がします> そうですね。 場面によってはさらりと流すのが、洗練された大人の社交テクニックになることもあります。 例: 「あ、いたの?気づかなかったよ。よかった、君がいてくれて」 「あ、いたの?気づかなかったよ。僕って熱中すると周りが目に入らなくなるから困るんだよね。」 ご質問5: <不要ということでいいですか?> 状況によりけり、ということです。 また、礼儀やマナーは個人差もありますから、「自分的には必要」だと感じる場面では、自らの感性を信じて使用されるといいでしょう。 謝罪は、あくまで「社交」の一テクニックなのです。それを上手に使えるには、本来の性格に経験が大きく作用すると思われます。 以上ご参考までに。
お礼
御礼が遅くなり、失礼しました。 長文のご意見に感謝いたします。 確かに、日本人にとって使いやすい「ゴメン、ゴメン」といった軽い謝罪は、翻訳しがたいですね。 だいたいのところは、"Oh!"あたりで済ませるんでしょう。 「社交」の諸レベルや諸要素について考えるきっかけにしたいと思います。
- ucok
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#3ですが、お礼を拝見しました。 >口に出しても、出さなくても、どちらでも悪くないということでしょうか。 いや、そうではなくて、今風に言うと「空気を読む」すなわち、相手がほっしている言葉をくみとる、ということだと思って前回回答したのですが、とはいえ・・・ >日本では「うれし恥ずかし」として許容される傾向があるのではないかと…… 私は「眠くなってきた」あるいは「トイレに行きたい」と言って、「ごめん」と言われた記憶がないのですよね。なので私の回答は、質問者さんの世界にはそぐわないかもしれません。世代ギャップ??
お礼
御礼が遅くなり、失礼しました。 この問題(というには些細ですが)を考えているうちに、だんだん、個々の人間関係による面が多いような気がしてきました。 気づかれないことを「恨めしく」思うタイプの人には、普通よりも多めに、気遣いが必要になる、ということがあるかなと… とにかく、ありがとうございます。
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
んん、私は日本人ですが、「眠くなってきた」あるいは「トイレに行きたい」と言った時に「あ、気づかなくてゴメンね」と言われたら、かなり恥ずかしいです。というのは、できれば「今まで我慢していたわけではなく、今、たまたま眠くなったり、用を足したくなった」と思われたいからです。やっぱりここは、あっさり「(眠いなら)じゃ、そろそろ帰ろうか」「あ、どうぞ(トイレへ)」と言ってほしいですよね、日本でも英語圏でも。 ただし、例えば「実は、さっきから眠くてさ」とか「さっきからトイレを我慢してたんだよね」と“打ち明け”られたら、「Oh, sorry, you should've said so.(ゴメン、言ってくれればよかったのに)」と言うのが一般的です。でなければ、「Oh, sorry, I guess I was talking too much.(あら、ごめんなさい。私、しゃべりすぎだわね)」などと笑顔で言う手もあるでしょう。いずれにせよ、あまり恐縮されたら、「眠い」とか「トイレ」とか言わなきゃよかったな、と思うのが古今東西の人情ではないかと思います。 >「あ!キミ、いたんだ、気づかなくてゴメーン」みたいなことも言いませんよね。 例えば、すぐ後ろに友人がいるのに気づかずに、ずっと背を向けてほかの友人と話し込んでしまったときには「Oh I'm sorry! I didn't notice you were here.(あ、ごめん、ちっとも気づかなくて)」と言って、慌てて輪に入れたりはしますよね、日本でも英語圏でも。
お礼
ありがとうございます。 そうですね。「ごめん」と言われて恥ずかしくなることもありますね。 ただ、日本では「うれし恥ずかし」として許容される傾向があるのではないかと…… 要するに、ご見解では、洋の東西を問わず、似たような感情はあるので、口に出しても、出さなくても、どちらでも悪くないということでしょうか。 結局、「我慢」をめぐる問題というのもあるのかな。
- d-y
- ベストアンサー率46% (1528/3312)
Sorry for overlooking you. Sorry I did'nt notice. Sorry for the oversight. のような言い方が、ないわけではありません。 要するに、文脈や暗黙の了解によって「気づくべきだった」という理解が当事者間である程度共有されていれば良いわけで、「気づかなかったこと」について「ゴメン」と言うことに違和感がない場合も結構あるのではないかと思います。 ただ、ご質問中で挙げられている事例などでは、 Sorry for keeping you so long. Sorry we couldn't talk today. のように、「気づかなかった結果としてしてしまったこと」について「ゴメン」と言う方が、「気づかなかったこと」を問題にする表現より、ずっと素直で分かりやすい気もします。
お礼
ありがとうございます。 違和感がない場合もけっこうあるだろう、ということですね。 すると、先を見越して「きみ眠そうだね」とか「トイレに行きたそうだね」と言うのもありうるのでしょうか…… (後者はちょっとまずいかな)
- thepianoman
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おっしゃるとおり、特に必要無いと思います。西洋や大陸では、異文化異人種異宗教が混在するため、誤解を避けるために「言葉のコミュニケーション」が重視されます。よって「空気を読む必要が無い」のと同時に、誤る必要の無いところで誤られると逆に「なぜ誤るのか」を聞かれるでしょう。一方、そのように言葉によるコミュニケーションの大切な場所での禁物は「言葉足らず」だと思います。相手に誤解の無いよう、わかりやすく物事を説明するのがあちらの文化だと考えて宜しいかと思います。異文化の人たちにもわかりやすいように、物事を細かく説明する習慣をつけると便利だと思います。
お礼
丁重なご説明をありがとうございます。 たしかに、「なぜ謝るのか、あなたは何も悪くないのに……」(逆に言うと「私は何も咎めてはいないのに」)という雰囲気になるでしょうね。 せいぜい、「OK」とひとこと言うくらいで良いんでしょうね。 まあ、日本人が変わっているといえば変わっている、ということなんでしょう。気をつけたいところです。
お礼
御礼が遅くなり、失礼しました。 長文にわたる御意見に感謝します。 なるほど、ホスト的な立場にある人は、くまなく出席者に目配りをする必要がありますから、声を掛け損ねてしまった場合には「謝る」というのは、自然な態度ですね。 それから、“来ているとは夢にも思わなかったけどいたことに気がついた、と言うのであれば「英語では謝る」理由がないわけです”とのご指摘には、すごく頷かされました。 ケース・バイ・ケースのみごとな分類だ、と感心しました。