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(仏教)上座部の名称の由来は?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%BA%A7%E9%83%A8%E4%BB%8F%E6%95%99 を読みました。 「上座部」と称するのは何に由来していますか。 よろしくお願いします。

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回答No.2

補足を拝見しました。 ご存じのように、「上座部」というのは、「大乗仏教」に対する「小乗仏教」の言い換えです。「小乗」=「小さな乗り物」ということで、「小乗」という言葉の方が差別的だということから、「上座部」という言い方にわざわざ変えたわけです。 その「上座部」という言葉が「大衆」に対して優越感を与える言葉だからといってしまえば、「南伝」「北伝」というしかなくなってしまいます。まあそれでも構わないわけですが、伝統的に日本では「大乗」という言葉を遣ってきていますから、なかなか「大乗」はなくならないような気もします。 「上座部」が「小乗仏教」の言い換えであるという意味からいけば、大乗仏教の人たちは「上座部と言い換えたところで、所詮は小乗仏教だ」という意識をどこかで持っているようにも思えます。 また、大学で大乗仏教の立場からの仏教学を学んだ者としては、「お釈迦様の教えがいろいろあるのは、真理に至らしめるための手段(方便)であって、目標は一つである。だから上座部や大乗という区別はあってもそれに優劣はない」というような教えをたたき込まれています。 ですから、大乗仏教の一般の僧侶に対して「上座部」という言葉を発しても、さほど気にされることはないような気がします。 逆に、大乗仏教の人間は、厳しい修行を放棄しているという点において、「上座部」の方たちに敬意を表している部分(あるいは劣等感を抱いている部分)もなきにしもあらず、と思いますので、「上座部」という言葉に、「自分たちが差別されている」というような思いはないと思います。 また、さらに言うならば、 大乗仏教を標榜する人は、「大乗の教えは、厳しい修行をしなくても誰でも悟りを開ける(成仏できる)と説く点がすぐれている」と感じています。 それに対して上座部の人々は、「我々はお釈迦様の教えの通りに修行している。それをしていない大乗は仏教ではない」という考えを持っています。 お互い、自分の信じている教えの方が優れていると思っているという点が一つ。 もう一つ、仏教では、他の宗教と比較して、さほど宗派間での優劣の争いが顕著ではない、つまり、相手を徹底的に非難し、否定するということをしないということがあると思います。 この二点から推せば、発言自体に差別的な要素がない限り、「大乗」や「上座部」といった言い方をしても、特に問題はないのではないか、と個人的には思います。 ただ、上座部の方々が「大乗」という言葉にどこまで過剰に反応するのかは、上座部の方に知り合いがいないのでよく分かりません。 このあたりのことは、上座部に詳しい方におまかせします。

sono-higurashi
質問者

お礼

よく分かりました。 >>「お釈迦様の教えがいろいろあるのは、真理に至らしめるための手段(方便)であって、目標は一つである。だから上座部や大乗という区別はあってもそれに優劣はない」 こういうことであれば事情に疎い俗世の生活者は、なおのこと「上座部」も「大乗」も何処で口にしてよさそうです。 この点を知りたいのであれば、それなりの質問文にしておけばよかったものを、二度手間を掛けさせて済みませんでした。 回答の準備をされている方があってはいけないので11日(日)までは締め切らずにおきます。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

その他の回答 (1)

回答No.1

たぶん、詳しい方からの回答が入ると思いますが……。 質問の中にあるWikipediaにもありますように、「上座部」というのは戒律を保持しようとする人たちの集団で、戒律を緩やかにしようという「大衆部」と対立する集団(というと少し語弊があるかもしれませんが)のことです。 「大衆」とは一般の僧侶(の集団)や一切衆生を指します。 それに対して「上座」とは「長老」のことです。 Wikipediaにある「根本分裂」というのは、改革を求める一般「大衆」に対して、それまでの戒律を保持しようとする「長老(=上座)」という構図なわけです。 そこから、保守的なグループのことを「上座部」と呼ぶようになったのだと思います。

sono-higurashi
質問者

補足

誇りには、しばしば優越感が同居していて優越感には、しばしば差別意識が隠れています。 一般に「上」や「大」といった色彩の鮮明な文字を見れば、言外に「下」や「小」といった文字で表現される存在を暗示していると受け取るのが正常な言語感覚でしょう。 そこで他意はなくても上座部仏教の人達の前で、大乗仏教という言葉を口にしない方がよいのかなと思います。同様に上座部仏教に該当しない人達の前で、上座部仏教という言葉を口にしない方がよいのかなと迷います。まして「長老」と「大衆」とに考え方の違いがあるのであれば、一般の僧侶の前で「上座部」という言葉を使うのは避けたほうが良さそうにも思えます。 率直に言って、何時如何なるときに如何なる人の前でも「上座部仏教」と口にして差し支えありませんか。「上座部仏教」でない人達を不快にさせることはありませんか。卑俗な例を挙げれば禁煙できない人の前で、禁煙出来た人を偉い偉いと褒め過ぎない方がよいのに似た事情が有りや無しやという心配です。 お一人だけに頼るのは気の毒です。何方様なりと、この辺りの事情に詳しい方の見解を伺っておきたいです。 早々のご回答を有り難うございます。何度もお世話になっていそうです。またの機会にもよろしくお願いします。

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