詩と散文の違いについてよく引きあいに出されるのがポール・ヴァレリーの喩え「舞踏と歩行」だと思います。
舞踏は何か目的があって舞踏するのではなく、舞踏することそれ自体が目的です(詩)
一方、歩行はある目的のために、それへ向かって進んでゆくことであって、歩行自体が目的ではない(散文)
とするものですが、ヴァレリー自身が詩から一切の夾雑物(説明にしかなっていない語句など)を取り除こうとした純粋詩の提唱者、サンボリスト(象徴主義者)でしたから、自分の理想を言っているに過ぎないともいえそうです。
詩にも小説にも造詣が深かった文芸評論家の篠田一士が下記のような喩えをしていて、個人的には一番すっきりします。
氏によると、詩も小説も地上から出発して天空へ駆け昇って行く。
そして小説が、それがたとえ奇想を凝らした大長編ロマンであろうとも、やがていつかは地上へ還ってこなければならないものであるとするなら、それにひきかえ、詩は雲を貫き気層を抜けて蒼穹のかなたへ飛び去っていってしまうものである、というものです。
芭蕉も「ゆきゆきてかへらぬこころ」と言いました。この言葉には多面的な意味がこめられていることを承知の上で、いまこの文脈に沿った理解で言えば、一度発砲されたポエジーの弾道は「ゆきゆきて」もとの場所には還ってこない。詩とはそうあるものだということになるかと思います。
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ところで、ご質問文中、『小説より、詩と散文のほうが』というくだりがよく分りません。
きっと、エッセイとか随筆、紀行文が念頭にあって、『散文』とは、そういうことを指していらっしゃるのでしょう。小説も散文のひとつではないでしょうか。定型とか韻律というものを持たない(配慮しない、あるいはそれから免れた)文全般が散文です。
韻文は散文に対する概念で、ふつう韻律のあるものを言います。
「韻律」というと、同一もしくは類似の音声の響きあいである「韻」(代表例が頭韻とか脚韻と呼ばれる押韻)ばかりが強調される傾向にありますが、「律」すなわちリズム、律動感のほうがより本質的な問題です。
それぞれの国語の特質の違いによって「韻律」はさまざまです。中国の旧詩である絶句や律詩、ヨーロッパのソネットやバラッドを代表とする定型詩を思い浮かべれば、そのあたりの事情は察せられるのではないでしょうか。
イギリス、フランス、ドイツなど、それぞれにソネットの規則の違いが見られます。これはそれぞれの言語の特質の違いを表わしています。
日本の詩の場合は、音韻が単調という日本語の性格のため、韻律ではなく「音数律」でゆきますので、多くは、二音・三音のまとまりである五音・七音の音数を基調として律をつくりました。
厳密に言うと、詩と韻文とは必ずしも一致しません。英雄譚である叙事詩(イリアスやオデュセイなど)や運命劇である劇詩(ファウストなど)も韻文で書かれました。しかし現代ではおおむね叙情詩(lyric リリック)のみを指して「詩」と言い、ほぼ「詩」イコール「韻文」という扱いです。
日本では江戸時代までは「詩」と言えば「漢詩」のことでしたが、
それとは別に伝統的な定型詩である短歌や俳句、
明治時代以降、ヨーロッパ詩の決定的な影響のもとに試みはじめられた新体詩(それはやがて近代詩、現代詩となって進化してきたもの)
これらすべてをひっくるめて「詩歌(しいか)」と言っていて、これはなかなか美しい名称と思います。
詩は広義には、少なくとも現代の日本ではこの「詩歌」のことを指しますが、狭義には、新体詩及び近・現代詩のことを言います。
現代の詩は、行(ぎょう)分けをしない「散文詩」というものが典型的であるように、また在来の「行分け詩」にしても、従来の「韻律」という概念から遠ざかる一方であるように見えます。つまり、散文との区分けがますますつかなくなっています。
「口語の時代はさむい」と言ったのは1970年代半ばの荒川洋治でした(詩集『水駅』)。
以来、寒さは募るばかり。
思想はすべて相対化され、均一な情報化の現代社会にあって言葉は屹立性を奪われ、詩は垂直の力を喪いました。
朽ちた柱廊が横倒しになるように瓦解し風化し、広告文(いわゆるコピー)との区別ももはやつかなくなっています。中島みゆき や さだまさし の歌詞の方が、一般にはよほど身近で説得力を持っています。最初に記した詩と散文の違いなど、今やいかばかりの有効性があるかおぼつきません。
以上です。参考にしていただければと思いました。なお、
ご質問文は完璧です。文章として、よけいなものはいっさい省かれ、簡潔で美しい日本語による散文と私は思います。
お礼
いつもお世話になっております。お礼が大変遅くなりまして申し訳ありませんでした。「舞踏」と「歩行」の喩えは面白いです。初めて知りました。 >きっと、エッセイとか随筆、紀行文が念頭にあって、『散文』とは、そういうことを指していらっしゃるのでしょう。小説も散文のひとつではないでしょうか。 おっしゃるとおりです。散文でエッセイとか随筆、紀行文などのようなことを指したかったのです。詳しいことはよくわかりませんが、高校で文学作品のジャンルを勉強するとき、たしか詩歌、散文、小説、戯曲の四つだと教わりました。文学作品のジャンルは中国語で言うと、「文学体裁」と言います。また、散文の一番大きな特徴は「形散神不散」(形はばらばらだが、主旨ははっきりしている)です。詩と哲学との調和の産物のような気がします。 今回のご回答文の日本語は私にとって非常に難しい日本語となっていますが、大変参考になりました。私は中島みゆきとさだまさしの歌詞は両方好きです。前者は奥深いであり、後者は美しいです。いろいろ紹介してくださり有り難うございました。