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原始仏典を対象した研究について
現在、大学4年で卒論のテーマを決めようとしています。 専攻は建築ですが、建築と原始仏典(スッパニータ)を対象として研究をしたいと思っています。 そこで、原始仏典を資料とする場合は何を利用するのが一般的なのでしょうか?パーリ語で書かれたものを利用するのでしょうか? もしくは日本語訳を利用しても良いのでしょうか? パーリ語は読めません。学習本を買って勉強しても良いのですが、その場合、訳の精度が問題となるので躊躇しています。
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>>原始仏典(仏教?)における"家"、"住居"の概念に興味があって、それを明確にしたかったのが動機です。 なるほど。私は実際どうだったかということはあまり専門ではありませんが、教義的な方面から少しヒントをお話させていただきます。 古来、インド思想の中にはこの世という俗世を離れようとする傾向が強く見られます。バラモン教では家庭生活を営みますが、一定期間が過ぎると森林に入って生活するという習慣もありましたし、社会的な地位が高く財産のある人も、それをなげうって遍歴の遊行生活に入ることは非常に名誉なこととされていました。お釈迦様もそういった意味では、こういった生活に入った一人といえます。 このような、俗世間との関係を絶つというのは並大抵のことではないけれども、道を求める以上、必要な行為であったのでしょう。初期仏典の中には、 われは人と交わらず。我いかなる友のなし。(『サンユッタ・ニカーヤ』) あたかも林の中で、縛られない鹿が食物を求めて、欲するところに赴くように、智のある人は自主独立を目指し、サイの角のように独りで歩め。(『スッタニパータ』) 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、常に人に呼びかけられる。人の欲しない独立自由を目指して、サイの角のようにただ独り歩め。(『スッタニパータ』) このように、出家者は財産、地位はもとより、一切の所有物を持たず執着しないことが理想とされます。つまり、「三衣一鉢」は後に出てきた考えで、最初期は無一物であったとかんがえられます。そして都市を離れた森林や洞窟、川の岸辺などを瞑想の場所として選ばれた。それは、 前にも後ろにも、もし他人いたならば、独り林に住するものに大いなる安楽がある。さぁ、我は仏の称讃したもうた森林に独り赴こう。これは独り住んで専念なる修行者の楽しむ処であるからである。花も盛りの涼しい森に、冷ややかな洞窟の中に、四股を洗い終わって、独り行き一人帰ろう。吹く風涼しく香り匂う時、我は山の頂に座して無明を破ろう。冷ややかな山の斜面に、花覆われた林の中に、解脱の安楽を楽しんで、我喜ぼう。(『テーラガーター』) と説かれていることからもいえます。しかし、遊行遍歴は風雨や雷などの厳しい自然現象の中に身をおくことであり、森林や洞窟は猛獣たちの住処でもあった。このような過酷な自然の中で長年耐えるということは簡単なことではなく、お釈迦様も「独りで歩め」と説く一方で、 善き友達と交われ。人里離れ、奥まった騒音の少ないところに坐臥せよ。(『スッタニパータ』) と、出家者の友をもてとも説いておられます。このように、出家者が増えていけば、矢賀って出家者同士の人間関係が生じてきます。出家者同士の共同生活も生まれます。さらに、お釈迦様がそのような共同生活を容認せざる終えなかった要因の一つに、インドには雨季(日本の梅雨をもっとすごくした感じだと思ってください。)があって、この期間の遊行は厳しく体を壊してします。体を壊してしまうほどの苦行をお釈迦様は否定していますから、この期間だけは一定期間の定住が余儀なくされたとされます。 これをきっかけに、村里に精舎というものが立てられたといわれます。当初はただの掘っ立て小屋で雨季が終わると取り壊していたようですが、そのまま定住するものも現れます。つまり、出家者の増加、雨季の問題などにより遊行から定住に移り、徐々に「独りで歩く」より「善き友と交われ」という生活にスライドされていったようです。定住生活の移行は、お釈迦様入滅後20年か30年というかなり早い段階から始まったと見られています。 私は実際建物がどうだったかは勉強不足のためわかりませんが、このような経緯で定住のための建築物が必要になってきたということだけお話させていただきました。建物ということで有名なのは「祇園精舎」になるかと思います。余計なお世話かもしれませんが、参考にしていただければ幸いです。急ごしらえの文章なので、誤字脱字乱筆どうぞお許しください。 合掌 南無阿弥陀佛
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- 馬鹿 禿(@baka-hage)
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>>専攻は建築ですが、建築と原始仏典(スッパニータ)を対象として研究をしたいと思っています。 どのような研究になるかは気になるところですが、それはさておきます。 >>原始仏典を資料とする場合は何を利用するのが一般的なのでしょうか?パーリ語で書かれたものを利用するのでしょうか?もしくは日本語訳を利用しても良いのでしょうか? 仏教学を専攻して原始経典を卒論の題に選んだならばテーマにもよりますが、サンスクリット語(『スッタニパータ』は梵本はなかったと思いますが・・)もしくはパーリー語の経典の考察も必要となるでしょうね。 しかし、専攻が建築ということであるなら、(もちろんご存知でしょうが)現代語訳された ●中村元氏の『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波文庫 を使っても大丈夫なんじゃないでしょうかね??訳もわかりやすいですし底本としてはいいと思います。少なくとも、『スッタニパータ』について考察するのであればの目は通しておいて損はない書籍ですよ。 >>パーリ語は読めません。学習本を買って勉強しても良いのですが、その場合、訳の精度が問題となるので躊躇しています。 私の友人でサンスクリット語パーリー語経典を自分で全訳して卒論を提出して主席とっちゃった人がいましたけど、その人とて一朝一夕で訳せるようになったわけではなく、大学の四年間を語学を中心に仏教学をやっていたからできたものですからねぇ。パーリー語は私も辞書があれば簡単な文章は訳せますが、経典を訳すとなるとかなりの労力を消費しますね。卒論の本題に入る前に提出の時期が来ちゃうかもしれませんよ。。 それと、卒論であるのなら指導の教授がいらっしゃるはずです。そちらで聞いたほうがよいと思いますよ。その指導の教授によって違いますから、指導をあおいでみたほうがここよりはっきりします。その指導に従って書くのが、卒論ですからね。 答えになっていませんがこんなところです。卒論がんばってください。 合掌 南無阿弥陀佛
お礼
丁寧に答えて頂きありがとうございました。 原始仏典(仏教?)における"家"、"住居"の概念に興味があって、それを明確にしたかったのが動機です。 お話の通り、まず教授に相談してみます。 とはいえ、今回は自分でも翻訳込みなら無理だと思います。 だから修士に進んだ場合、もしくは進まなくても時間をかけて兆戦してみます。 ありがとうございました。
お礼
すみません、お礼が遅くなりました。 出家のイメージが強くて住居の存在を否定するだけかと思っていたのですが、肯定的な言説もあったのですね。 非常に興味深い内容です、参考にさせてもらいます。 今年の卒論ではできないと思いますが、縁なのか来年、別件でインドに長期滞在することになりそうなので、あっちでじっくり取り組んでみたいと思います。 ありがとうございました。