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どちらの証明が難しい?

ある本を読んでいて5次方程式の解法は存在しないということを知りました。 そこで疑問に思ったんですが、“存在しない”“不可能だ”という証明をするのと“存在する”“可能だ”という証明をするのではどちらが困難なのでしょうか? 質問の中の“難しい”の意味は皆さんが勝手に解釈してくださって結構です。

みんなの回答

  • zk43
  • ベストアンサー率53% (253/470)
回答No.3

存在しないの方が格段に難しいと思います。 フェルマーの最終定理なんかでもそうですし。 可能性が無限にある場合は一つ一つしらみつぶしに調べるということは できませんし。 帰納的に調べることはできると思いますが。 存在するとしたら、矛盾が生じるという手法が一般に使われます。 いわゆる背理法です。 一般の5次以上の方程式の解の公式が作れないというのは、群論と関係 します。 5次以上の交代群が可解群ではないということです。 存在するの方は、鳩ノ巣原理などが使われます。 n個の巣箱にn+1羽以上の鳩を入れる場合、どこかの巣箱には必ず 2羽以上の鳩が入るという原理です。 要するに、n個からn+1個以上選ぶとどれかが重複するということ です。 当たり前のようですが、存在を示すのに非常に強力な論理です。 例えば、2n個の連続する自然数の中からn+1個の自然数をどのよう に選んでも、そのうち互いに素なものが2つはあるといったことに使え ます。

回答No.2

「たかだか有限個の解がある」という証明まではできても、その有限個が1つなのか、たっぷりあるのかわからない問題があります。ですから"存在する"というだけでは、不十分な場合もあり得ます。一般には"存在しない"を証明した方が、すっきりしますね。多い少ないは、まあ、回答するのは控えましょう。

  • Mr_Holland
  • ベストアンサー率56% (890/1576)
回答No.1

 一般的には、「存在しない」ことを証明する方が難しいです。  例えば、袋の中にパチンコ玉が入っていて、「この中に赤色のパチンコ玉が入っていない」ことを証明しようとすると、すべてのパチンコ玉を調べて赤でないことをいわなければなりません。逆に、「入っている」ことを証明するには、1個でも赤色のものを見つければ、それで証明は終わります。  つまり、単純なケースでは、調べる個数が少なくて済む「存在する」という証明の方が簡単なのです。  「存在しない」ことを証明するには、大抵の場合、上のような総当たり戦を避けて、原理上どう考えても存在させることができないということを示すことになると思います。その場合には、その原理に対する深い知見が必要になりますので、原理が簡単でなければ、この証明も難しいものになると思います。

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