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無は存在しますか?
この世には有るという事しかないのではないか。というのも何をどこまで分解しようが分解されたものが有るからである。(物質の無限) 無は考えられない。何故なら無は想定出来ない。想定されたものが有るからだ。(意識の無限) だから、世には無限しかない。無など存在しない。 それでも、無が存在するという方、それはどういう事でしょうか? 存在しないという意見でもいいです。
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- kobutanuki
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失礼 原子核に訂正してください
- kobutanuki
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真空とは何か 原子と電子の間に物質は有るのか
- kobutanuki
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例えば てんは部分を持たない 無限遠に部分は有るのか無いのか
お礼
無限の世界の中に部分的存在がある、という事でしょうか。 ご回答有難うございます。
No.15です。なお お邪魔します。 《しかし、言葉が指しているイメージが正確でないなら、正確な無は言葉の存在によって存在が立証された事にはならないという気がします。》 ――詭弁を使いますが 《絶対としての無》は その《言葉が指しているイメージ(* 像 または 表象)が正確でない》というよりは 《正確に規定できるか否かが 分からない》というしろもののようです。もっと ねちっこく規定すれば 《分からない》というように言い切ることが出来ず 《分かるか分からないかが 分からない》ことであるようです。そしてそのことは――つまり 《いづれであるかが分からない》ということは―― 人間の合理判断において 妥当であり《正確》だと思われます。 なぜ そういう領域が 想定されうるのかといえば 人は その経験合理性という判断基準だけでは この世界を判断していないからです。合理性に反することは 反科学的です。合理性を超えることは 非科学的なだけだという受け取りになるようです。 ですから この経験世界を超えたところについては その代理表現が 用いられます。つまりは それを《無》と言っても 《有》と言っても 同じことなのです。《かみ》と言っても 《ゴッド》でも《アッラー》でも すべては 仮りのことばですから すべては互いに対等であるというのが 正解なのだと思いますが いかがでしょうか。 この《無》の問題を共有しあえば 世界も互いに対等であると他を認め合って 仲良くなると思うのですが。
お礼
>《正確に規定できるか否かが 分からない》というしろもののようです。 絶対的な無は想定出来ません。だから想定されたものは全て不正確になります。 従って想定された無が全て不正確であるという事は正確に規定されます。 >すべては 仮りのことばですから すべては互いに対等であるというのが 正解なのだと思いますが いかがでしょうか。 言葉に優劣などないとすれば言葉が対等なのは明白でしょうけど。 ご回答有難うございました。
- bunbun001
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質問者もお気づきのように、 質問にある(物質の有無)と、(意識の有無:形而上学による)は分けて、 もう一度質問されてみてはいかがですか。 答えも混在してしまうし。
お礼
アドバイス有難うございます。そろそろ焦点も絞られて来たので、検討したいと思います。 ご回答有難うございます。
- adwd
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簡単な事です。 無とは有の対となる概念です。どちらか一方だけでは成り立たないのです。2つで一つ。セットになっています。 そして、「有る」とは常に「何か」があるのです。有ると言うには、有ると言う対象が必要なのです(無も同じ)。例えば、頭の毛がフサフサの人は毛があると言えます。それに対して禿げている人は頭の毛はありません。この状況に置いて、禿げている人の頭には毛に対しての「無」が存在します。 このように「有」、「無」という概念は、必ず「何か」についての有る無しを言います。その「何か」を外して「無」を想定する事は意味が無いのです。仮に外して考えれば、「無は存在しない、というのはありえない。「無」というものを想定している時点で「無」は存在するからだ」という理屈にならざるをえません。 別にそのように考えてもいいのですが、言葉というのは実際の現実生活を基盤としています。そこから遊離して言葉だけ、概念だけの世界でグチャグチャ考えては、それでは単なる言葉遊びに過ぎません。 哲学は、しばしばこのようなパラドクスを生み出しますが、それは現実の世界に即してなく、概念世界だけで考えるからだと思います。
お礼
何故形而上学的な絶対の無を考えなければならないか。 確かに現世の生活の中では相対的な有無があり、確かにそういう意味合いの状態の表現の仕方が有る。それはだいぶ下の行から認める所です。(さらにあなたによると、現世にはそれしかない) しかし狙いはそこではありません。私の狙いは唯物論の否定にあるのです。 彼らは、 「死んだら無になるんだ。…あぁ恐ろしい」 と言うのです。ここには、無になるなら恐ろしいも何も無い筈ではないかという疑問の他に、それ以前にその無は有り得ないんじゃないか、という考えがあるのです。 彼らの言う「無」とは、何でしょうか? 何かの事象に付帯する状態の表現としての無でしょうか? 私にはそれは、意識の完全な無、つまり絶対無であると思われるのです。 つまりこういう事です。意識の有無は客体から見れば、或る意識に付帯する状態としての有無と言え、それは有る。 しかし、主体的意識にとっては、それは絶対無ではないか。 客体の捉えたものが真なのか。 主体の世界が真なのか。 主体の目線から考えるなら、形而上学的な絶対無について考えるしかない、そんな風に思われるのです。 ご回答有難うございます。
- kobutanuki
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無や空は味わうもの 点と点を結ぶ道 行間を観る幾何のセンス 解析は冗長にして一断面 色褪せる
お礼
ご回答有難うございます。
No.13です。 《「考えても偏った思念により間違うから、考えなさんな」/ というような事でしょうか?》 ――ひらめきとして 《無》はこれだと感じるときがあるという意味です。ことばに語弊があるといけませんが 霊感であるかも知れません。 しかも そのひらめきも まぼろしであるかも分かりません。まぼろしではなく ひょっとして ほんとうに無のことだというのかも分かりません。 さらにしかも そのあたりに 想定されうるかも知れないというかたちで 一般的にも 概念規定されると思うのですが いかがでしょう。言いかえると 《無》ということば(概念)も 単なる代理の表現だという理屈になっているのではないでしょうか。 ふつうに言えば その《ことば》はあると言わざるを得ないのではないでしょうか。非科学的なように聞こえるかも知れませんが 反科学的だとは言えないそういう領域が 幸か不幸か わたしたちには 伴なっているようですよね。 さらにつまり 但し書きとしてこうです。完全な真空としての無がないという意味や 取り決めによってその期限までに時間が有るとか無いとか あるいは約束の時間が過ぎているときなお待つ忍耐が有る無いだとかの意味 そういう意味での《無》は 量や質や程度の問題としてですから いま取り扱っておられないと受け取っての回答です。
お礼
無が本当に無いのだったら、無という言葉は何故有るのか。そこには何らかの概念規定がある筈だ。その規定されたものは、漠然とした、曖昧なイメージである筈だ。何故なら本当に無を想定する事は出来ない。だから、想定されうるかもしれないという思いで、代理的な漠然としたイメージを立てて無と呼んでいる。 確かに言葉はありますね。しかし、言葉が指しているイメージが正確でないなら、正確な無は言葉の存在によって存在が立証された事にはならないという気がします。 ご回答有難うございます。
- kobutanuki
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無とは存在するのか。。。 無という概念はある 位相差によってその捉え方は異なる わけいってもわけいっても青い山 山頭火 これが道であるというような道はない しかし道というものはある
お礼
ご回答有難うございます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 真理とは何か と問い求めてはならない。というのは そのとき直ちに物体的な似像の雲霧と虚妄の雲が君を遮るからである。 それらは 私が 神は真理にましますと言った その最初の瞬間 君を照らした清澄の光を曇らしてしまう。真理 と語られるとき 君がいわば電光によって捉えられるその最初の瞬間に 出来るなら留まれ。しかし君は留まり得ない。そして君が再び滑り落ちるのは 情欲の黐(とりもち)や異郷への巡礼の誤謬によって感染された汚辱でないなら いかなる重さによるのであろうか。 (アウグスティヌス:三位一体論 8・2) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ これが 《無》についての一つの説明例だと考えます。 《もの》としてよりも 《こと》として捉えるといいかも知れません。それにしても 雲をつかむようなことだと思います。
お礼
ご回答有難うございます。
補足
例が無をどう説明しているのか、いまいちよく分かりません。 「考えても偏った思念により間違うから、考えなさんな」 というような事でしょうか?
お礼
真空と言っても空間なら無とは言えないかも知れません。 ご回答有難うございました。
補足
皆様たくさんのご意見有難うございます。そろそろ閉めたいと思います。焦点を絞ってまた質問するかも知れません。その時はよろしくお願いします。