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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:チョムスキー「デカルトの問い」)
デカルトの問いとチョムスキーの解釈について
このQ&Aのポイント
- チョムスキーの著書「Language and Problems of Knowledge: The Managua Lectures」の第一章には、デカルトの問いについての記述があります。
- デカルトの問いとは、言語使用の創造的な側面を説明するものであり、言語の発音に関連しています。
- デカルトの思考とは異なり、通常の言語使用は制約がなく、斬新で、抑制から独立しており、状況に適切です。
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チョムスキーがデカルトやフンボルトを援用したり、ソシュールやスキナーを批判すると、必ずその道の「専門家」に「それは違う」「そんな一面的な理解では話にならん」と言われるのですが。 ま、それはともかく。 デカルトにとって、人間は心臓を熱機関とする精巧な自動機械であると同時に、動物と違って精神をもっており、その意味で人間は単なる精神でも物体でもない第三の独特な世界を形づくっている、ということになります。 単純な「人間機械論」とは一線を画しているとは思いますが、私の専門ではないので、あまり深入りしないことにしましょう。 さて、チョムスキーが「言語使用は創造的だ」というとき、それは、「人はこれまでに見たことも聞いたこともない文を発することができるし、理解することができる」と言う意味です。 また、「言語使用に制限がない」とは、「人は無限の数の文を発する(理解する)ことができる」ということです。 とすると、人間の「心/脳」(mind/brain)の中に、全ての言語表現が収められているはずがない。では、「心/脳」には何があるのか? 無限の数の文を発する(理解する)ためのシステム、つまり文法である。言い換えれば、無限の言語表現を生成できる有限の計算機構である。 システム(文法)自体は一種の機械のようなものです。 これでつながりませんか?
お礼
複雑な問いに対して、ご回答ありがとうございます。 デカルトからチョムスキーに曖昧ながら繋がりました。 まだ??は残りますが、わかりやすいご説明ありがとうございました。