- ベストアンサー
集合的無意識とイメージ(悟るって?)
集合的無意識はユングという名の学者によって分けられた4断層の最下部だというのは知りました。人間が理解するのは無理で、それが理解された時にテレパシーなどが起こるというのも調べました(これはちょい曖昧) しかし仏陀の悟りは集合的無意識の理解ですよね? その場合悟るというのはどうする事なんですか? それともう一つ。 yahoo知恵袋の回答の一つに、赤い花は自らを赤と強くイメージするため赤色の体を持つという面白い事がかかれてました。 もちろんイメージを目で見るというのは無理かもしれませんが、筋トレの様にイメージはかなり影響します。 もちろんこの現代社会に慣れきった体には強いイメージは無理かもしれません。 しかし。もし、当たり前であるがごとくの様にイメージすれば少なくとも体格を変えるほどの事は可能ですか? そして最後に、集合的無意識はどうやって理解するのですか? 3つの内1つでも答えてくれれば嬉しいです。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
1、3、顕在意識で理解する・・・思考として理解したとしても、悟ったとは言えないのが悟りなのだと思います。集合的無意識が悟りと同じかどうかは解りませんが、いずれも、いわゆる顕在意識が常態で獲得できる領域ではありません。顕在意識があると悟りが消失し、顕在意識が消えると悟りが現れます。 2、赤い花のくだりは、象徴的言い回しでは無いでしょうか。 イメージトレーニング、瞑想、自己暗示の効果は充分認め得るところです。強くイメージすれば、それに向けて動くようになりますが、イメージしただけで現実の物理的法則性を越えることはできません。
その他の回答 (1)
- cabin504
- ベストアンサー率8% (30/341)
悟りについて書かせていただきますね。 悟りと言うものは理解ではなくて 感覚だと思います。 ですから、これが悟りと言うものはないですよ。 野球にたとえますと 野球を悟った人は、野球が上手な人です。 でも、その感覚はこれですとは、出せません。 理解できる人が、野球ができる人とは違います。 その違いがあるのではと、思います。 みかんの味は食べた人にしかわかりません。 甘い、すっぱいは感覚です。 どんな風に理解しようが、どんな風に表現しようが 味にはならないと思います。