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中世封建時代の貴族について

中世のヨーロッパでは基本的に諸侯が独立した存在で、国王はそのまとめ役に過ぎなかったということです。 だとすれば、王家の譜代の家臣でもない限り貴族が国王の宮廷に出仕したりする事は 全然無かったのでしょうか? それとも盆暮れ(ヨーロッパにそんなのないですけど)の挨拶にくらいは出向いていたのでしょうか?

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  • k-reiko
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回答No.1

中世ヨーロッパの社会においても社会的な階層の変化はありえました。もちろんそれぞれの階層内部だけではなく、身分を越えた上昇もありえたということです。社会的上昇への基は、勤務は常に自由に導く。というものです。日本の中世武士のようにヨーロッパ中世の生活においても勤務を果たすのと引き換えに、上からの仁慈や恩顧、が下から求める権利や支配、権力と結びついていたのです。もっと詳しくは「ヨーロッパ社会の成立」というカール・ボーズルの本のVI章に詳しくあります。 ま、要するにしっかりした封建制が確立していた地域では諸侯であっても勤務する義務があったということです。

その他の回答 (3)

  • Mumin-mama
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回答No.4

ANo.3です。訂正をお願いします。 神聖ローマ時代(誤)→神聖ローマ帝国時代(正) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD

参考URL:
http://www.geocities.jp/japan_aristocrat_association/kizoku.html
  • Mumin-mama
  • ベストアンサー率45% (1140/2503)
回答No.3

>中世のヨーロッパでは基本的に諸侯が独立した存在で、国王はそのまとめ役に過ぎなかったということです。 神聖ローマ時代、800(962)~1806年まで 国王と諸侯が独立した存在で、皇帝がそのまとめ役だったのでは? 皇帝は自分の常駐の城を持たず、時々国王に召集をかけ、次の皇帝の選出や戴冠、戦争、税金、土地の分配、裁判、婚姻など今の国会のようなことをやっていたようです。 フランクフルト・アム・マインの市庁舎の2階、ゴスラーのカイザーザール、アーヘンなど、その会議が行なわれたところで有名です。

  • oska
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回答No.2

>王家の譜代の家臣でもない限り貴族が国王の宮廷に出仕したりする事は 全然無かったのでしょうか? 貴族の所領安堵など、国王とは上下関係があります。 決まった日時には、宮廷に出かけていますよ。 余談ですが・・・。 リヒテンシュタイン公国、ルクセンブルク公国、モナコ国などが現在でも当時の諸侯の子孫が(憲法上)統治していますよ。