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ドイツの貴族(近世以前。できれば神聖ローマ帝国時代)について教えて下さい。
小説を書いたりしているのですが、いろいろとこだわってしまうため気になることが多くて困ってます。 1.伯爵の息子は子爵だそうですが、公爵などの息子はどうなるのか(長男と次男以下の違い) 2.領地の分割相続は行われていたのか 3.上記の場合、およそ何歳で継ぐのか 4.爵位のない貴族の扱い 5.辺境伯、方伯、宮廷伯などの上下(どのような序列か) 6.主な宮廷内の役職と相応の爵位 7.辺境伯と侯爵の違い 8.イギリスにおける準男爵的地位はあるのか 9.イギリスでは騎士は一代限りだが、ドイツでそのような一代限りの称号はあるのか 以上の9つです。 それなりに自分で調べたつもりなのですが、他のヨーロッパの国々と混ざって余計にわからなくなってしまいました…。 一つでもわかる方がいらっしゃいましたら、回答よろしくお願いします。
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すいません。いきなり間違えてました。m(_ _)m >確か息子が用いる称号は父親が持っている爵位のうち、日頃使わない物を拝借していたと思うのですが。 これイギリス方式ですね。ドイツ系では子供は全員両親と同じ階級の待遇を受けるようです。(女性の方が上位の爵位を持っている場合も有るので…。) イギリス方式も厳密に言うと、長子のみが親から譲られた儀礼称号を名乗れるようです。(次男以降は爵位を名乗れない) 例 当主が A伯爵 B子爵 C男爵 を持っている場合…。 当主 A伯爵○○閣下 長男 B子爵□□閣下 孫 C男爵△△閣下 http://blogs.dion.ne.jp/duke/archives/89855.html ちなみに抜かした質問は、前回の回答時にも判断つかなかった者なので >3.上記の場合、およそ何歳で継ぐのか 基本、寿命が来るまで勤める事になると思うのですが…。 バイエルン王国だと寿命まで勤めた方、途中で退位した方、廃位させられた方など色々いらっしゃいます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E7%8E%8B%E5%9B%BD >4.爵位のない貴族の扱い 爵位を持っている方を貴族と呼称するのだと思うのですが…。 イギリスのジェントリー階級の事でしょうか? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC >1.単独相続の場合、次男以下は修道院や騎士になって奉公、という形がやはり一般的なのか。それともどこぞに婿入り? 男爵家などの下級貴族は基本的に、当主が貴族としての最低限の品格を守るのすら難しいのが普通なので、次男以下は自活できる職を目指すのが一般的かと…。(修道士や学者や文化人、運が良ければ廃嫡された家に入れたり…。) ただ、辺境伯クラスになると、領邦と称される半独立国家状態に成りますので、とうぜん次男以下の息子にも、相応の職務を与える事が出来るようになります。(長男が社長なら、次男は支社長と言った感じかと) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%98%E9%82%A6 日本で言う所の陪臣と言うやつですね。(将軍家から見た場合の、各大名の家臣)神聖ローマ帝国には帝国等族身分と呼ばれる、300あまりの世俗諸侯、数百の帝国騎士、数十の聖界諸侯と帝国都市が存在しており、それらに仕える領邦等族と呼ばれる人達が存在しておりました。 >2.イギリスは騎士は次代からその称号が使えないだけで、その家格は失われないと聞き及びました。…ドイツの騎士に当たる階級の人々と、イギリスの騎士の違いって何なんでしょう。 イギリスのナイト(勲爵士)の事を指しているのだと思いますが、中世の騎士とは全く別物です。中世の騎士団の故事をまねて、功績が有った人や主君のお気に入りを集めたものですから家格の上下には影響(本人に直接帰属する物です)は…。ちなみに、入団を許された証明としての記章が所謂「勲章」です。イギリスのガーター勲爵士(Knights of the Garter)に今上陛下が最高位の勲章騎士として序せられているくらいですし…。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88 ちなみに、中世のヨーロッパの騎士を出来るだけ広範囲で包括しようとすると、騎士の従者など規定の訓練を受け、馬に乗って戦う者という事になってしまいます。騎士と呼ばれる身分のうち、その四分の三が不自由身分の家臣「ミニステリアーレ」だったりするくらいですから…。(主君がいない騎士だっています) http://www.h3.dion.ne.jp/~hiryu19/history/knight.html また、ドイツの騎士というと「ドイツ人の聖母マリア騎士修道会(チュートン騎士団)」は、外せません。(平時は修道士で、必要なら武器を取って戦う騎士でもある) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E5%9B%A3 ドイツ騎士修道会の有名なFLASHが有りますので宜しければ。 http://www.geocities.jp/napowhis01/grunwaldver2.html (鉄十字の騎士) なお、彼ら騎士たちや修道会は神聖ローマ帝国内では、爵位を持った貴族たちと並列に存在しており、帝国代表者会議主要決議までは対等の立場でした。(世俗化と陪臣化) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E8%80%85%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E4%B8%BB%E8%A6%81%E6%B1%BA%E8%AD%B0
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- pri_tama
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若干不安なところもありますので、ご指摘が有れば宜しくお願いします…。(ヨーロッパの制度は日本人の貴族とかなり考え方が違うので…。) 1.伯爵の息子は子爵だそうですが、公爵などの息子はどうなるのか(長男と次男以下の違い) 子爵を表すVizegrafは、Vize(副)とgraf(伯爵)を合わせた物(つまり伯爵の補佐役)が語源だったと思うので、必ずしも伯爵の息子が子爵ではなかったと思います。(ドイツにはあまり子爵がいなかったような気が…。いても実はフランス系だったり) 確か息子が用いる称号は父親が持っている爵位のうち、日頃使わない物を拝借していたと思うのですが。(イギリスはちょっと違ったと思いますが) 2.領地の分割相続は行われていたのか ハインリヒ1世が、フランク王国では、それまで複数の子がある場合は、分割相続を原則であった物を単独相続にあらためている為、過去には分割相続が一般的に行われていたと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%921%E4%B8%96_(%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E7%8E%8B) 5.辺境伯、方伯、宮廷伯などの上下(どのような序列か) 伯爵の中でも、特に辺境で直接敵と接する為、大きな軍事的権限を持っていた貴族を辺境伯と呼んでいたと思うのですが。 方伯は、一地方を統治する貴族(部族長等に与えた)、伯爵は都市などの統治、城伯は城砦の管理を行う貴族だったと思います。(辺境伯>方伯>伯爵>城伯) 宮廷伯は、大臣以下の職務を担当する貴族なので、単純に他の伯爵位と上下の比較は出来ません。(担当する役職による。中央集権の時代でなければ、中央にいれば偉いとは単純に言えません。ライン宮中伯を除くと諸侯との争いの中で没落していきますが…。) http://nekhet.ddo.jp/etcdata/titlespell.html http://harryhp.hp.infoseek.co.jp/kaikyuu2.html 6.主な宮廷内の役職と相応の爵位 基本的に爵位と役職は相応していなかったと思います。(まあ伯爵が皇帝や王の役人と言った意味を持ちますが…。) 公爵…王族や極めて顕著な功績を残した特別な貴族 侯爵…伯爵から派生 伯爵…皇帝などの代理として統治を担当する 子爵…伯爵の補佐をする者から 男爵…特権を国より認められた者 7.辺境伯と侯爵の違い 辺境伯の領土が、辺境でなくなったが、辺境でない事を理由に軍事の権限等を剥奪できない程に、強大化・独立化してしまった貴族に与えられた爵位が侯爵だったと思います。(辺境伯の権限は、辺境である事を理由とした例外特権で有るのに対して、侯爵はその強力な権限を、恒久的に保持する事を皇帝などに認めさせた者たちと言えるのではないでしょうか。) 8.イギリスにおける準男爵的地位はあるのか 1611年にジェームズ1世が多大な王室の借金を返済するために爵位売買を始め、そのために新しく創設されたものなので、他の国には無かったと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%96%E7%94%B7%E7%88%B5 9.イギリスでは騎士は一代限りだが、ドイツでそのような一代限りの称号はあるのか イギリスのKnightに相当する階級としてリッター(Ritter)があります。(バイエルンなど一部の国のみですが) ちなみに、今までズラズラと書いていた事を全面否定するみたいですが、ヨーロッパの貴族は爵位の表面的上下より歴史や伝統を重んじるため、後にドイツ帝国の皇帝となるホーエンツォレルン家が、格上のブランデンブルク辺境伯に封じられた後も、ニュルンベルク城伯を名乗り続けた様に、称号の逆転現象は色々な所で多発しています。
お礼
なんとういうか、もう本当にありがとうございます! 変に集めすぎた知識がこれでスッキリしました。やっぱりややこしすぎるドイツを舞台に選んだのが問題ですね;
補足
失礼なのですが…。 もしよろしければほかの質問にも答えていただけませんでしょうか。 >2.領地の分割相続は行われていたのか >ハインリヒ1世が、フランク王国では、それまで複数の子がある場合は、分割相続を原則であった物を単独相続にあらためている為、過去には分割相続が一般的に行われていたと思います。 >9.イギリスでは騎士は一代限りだが、ドイツでそのような一代限りの称号はあるのか >イギリスのKnightに相当する階級としてリッター(Ritter)があります。(バイエルンなど一部の国のみですが) と書いていただきました。これを承知した上で更なる質問です。 1.単独相続の場合、次男以下は修道院や騎士になって奉公、という形がやはり一般的なのか。それともどこぞに婿入り? 2.イギリスは騎士は次代からその称号が使えないだけで、その家格は失われないと聞き及びました。…ドイツの騎士に当たる階級の人々と、イギリスの騎士の違いって何なんでしょう。 更なる質問でお手数をおかけしますが、もしよろしければ回答お願いします。
お礼
ありがとうを通り越して、ここまでやっていただいてすみませんって感じです。本当にありがとうございます。 これで自分の中の疑問は消滅です。すっきりしました。 また疑問が生まれたら、ここで質問させていただこうと思います。ありがとうございました。