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英語の韻律

欧米人が書いた英文と、日本人が書いた英文と比較すると、欧米人のほうが平易な文章を使っているのがよく分かります。もっとも大きな差を感じるのは、韻律のあるなしです。 声に出して読んでみると、欧米人のほうが「音楽的な響き」があります。しかし、日本式英語ではまったく無視されています。学生時代に韻律のことを尋ねてみたら、「ふざけるな、このアメリカかぶれが!」と言われたことがあります。 この事はどうでもいいとして、なぜ日本の英語はアメリカと大きく掛け離れているのでしょうか?中学で学ぶ(~or you'll be sorry)という「脅し文句」も気になっています。 おそらく明治時代から続いている教育方法かなと思いますが、いったい誰が発案したのでしょうか?

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回答No.4

アメリカに住んで40年目になりました。 何か私なりにお手伝いできるのではないかと思います 簡単に書きます。 使われない文法にかじりつき辞書的な意味に基づいて表現を作ると、実際に使われている表現とは似ても似つかない物になっているからなのです。 実際に使われている表現・文章とはそれなりに「スムーズ」と言える、つまり、違和感のない表現、となるわけです。 言い換えると、こちらの人たちにとって普通の表現が、英語の響き、として成り立っているわけです。 私の手元に日本人が書いた、それも英語の教授、教師、専門家、著名者と自称している人たちが書いた英語があります。 彼らが英語として言おうとしている事が英語式に書かれていないのを見てこれじゃみっともないと感じるのは私だけではないはずです。  これまで、実際に使われている英語表現に接するようになったわけですから、実際の英語表現と彼らが書いた英語表現とが違う、なんだかわからないけど違う、と感じるのは当然ともいえるでしょう。 フィーリングの流れが文章に使い慣れた、聞きなれた単語のつながりがないのです。  欧米人がこのような表現を見て批判するのはただ欧米人が日本人と比べ感情的に素直に口にする、というだけではないのです。 言わずにはいられない心境にさせるほどだからなのです。 日本語を使い慣れていない人が、自分は日本語を知っていると言って日本語を書いた物を見たら、普通の日本人であれば、おかしいかどうかすぐわかりますね。 綺麗な日本語を書く人もいるでしょう。 そしてそうでない人も。 でも、そうでない人が自分はただの外国人の一人だといえばかえって「すごい!」となるでしょう。 しかし、自分は日本語の専門家である!と言い散らして母国で本やブログを書いていい気になっていたらどう感じますか? 日本人としてみたら日本語らしくさせる要因が足りなすぎる、と感じるでしょう。 (私の日本語みたいに) そして、こちらで日本語を教えている日本人だったら「言わずには言われない心境」でしょう。 そんなところに実際の英語表現に基づくのではなく、使えない試験文法に基づいただけの「造文」では、英語的韻律はでてこないでしょう。 またそれを批判される環境がなくてはいつまでも彼らによって日本人は洗脳され続けるのです。 事実何十年も彼らの罪はいまだに抹殺されずに生き残っているのです。 日本の英語教育歴史でいつこのような人たちを抹殺しようとして立ち向かった人たちがいたでしょうか。 犠牲者がまた犠牲者を作っていくわけですね。 そうすると、実際にもっともっと英語に接しようとする人たちの表現力との差が今まで以上に広がってきているわけですね。 まったくの私個人の主張でしたが、参考になりましたでしょうか。 理解しにくいところがあったり追加質問がありましたら締め切る前にまた書いてくださいね。 

harding
質問者

お礼

中学から高校にかけて英語を学んだのに、英語に不信感を持つ人たち…何割か出てくると思います。そんな人たちは英会話を学ぶために語学CDやスクールに頼ったりします。 学生の頃は教師の指導を受けている訳ですから、批判なんてもちろん出来ない。学校から離れた時…「本当の英語を学びたい!」と思った時がチャンスなのかも知れませんね。 日本語との比較…そうでしょうね…日本語でもすべての人が文章が巧いとは言えませんからね。私は40代の男性ですが、今はどうなのかと思うと何も分からない。英語教育が進歩しているかもしれない。 学生時代に不快を感じた英語のありかた。残念な思いから書かずにいられなかった訳ですが、あなたのご回答、ずいぶん参考になりました。

その他の回答 (3)

  • mabomk
  • ベストアンサー率40% (1414/3521)
回答No.3

「声に出して美しい日本語」が書けるのは本当に文章がうまい人、母国語たる日本語でも「声に出して美しい日本語」の域に達するには難しいのに、況わんや「声に出して美しい外国語(英語)を書く」なんて英語を母国語としていない普通人にとっては、天才の領域(外国語の文才)ではなかろうか? 普通の外国語学習者では、まず「読みやすく、意達の文章の領域」を目指すのが至極当然の道ではないでしょうか? それ以上は、天才か神の領域(爆)、今日はこの辺でご勘弁を!

  • genmai59
  • ベストアンサー率45% (1214/2675)
回答No.2

日本人の書いた英語が一般的にリズム感で劣るのは、英語のインプット量と英語を書く練習量が圧倒的に少ないからだと思います。それから、多くの人が文法と単語の知識だけで文章を書こうとして、美しく書くことを意識していないでしょう。正しく書こうとするのが、せいいっぱいなのです。 日本人の書く日本語だって、あまり文章を書き慣れていない人の文章はけっこうひどいです。また、小学生の作文などでは、リズム感などまったく無視された読みにくいものがあります。日本人の英作文能力は一般的には小学生レベルかそれ以下ですから、きれいな文章が書けなくて当たり前だと思います。 「美しく」書くことを指導していない教育が悪いとも言えますが、現在の学校教育の授業時間では、とてもそこまで英語力をつけさせるのは無理とも言えます。文章力をあげるには、大量のインプットと書き慣れることが必要ですから。 それから、英語と日本語ではそもそも持っているリズム感が違うので、日本語的な発想が抜けない人は、英語のリズム感がつかみにくいという面もあるかもしれません。

harding
質問者

お礼

言われてみれば確かに、言いたいことを英語にする場合、日本語の意味に引きずられてしまいます。英英辞典に頼っても、欧米では生活手段のための英語ですから、日本人には敵わないのかもしれませんね。 私の質問はちょっと過激で、消されるかな?と不安がありましたが、一度聞いてみたいなと思っていました。それから、genmai59さんのご回答に思わずうなってしまいました。英語を学ばれている学生への思いやりを感じましたから。「ありがとうございます」と言いながら「頭を下げたくなる」心境です。

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.1

それは義務教育の教科書を書いてきた歴代のおじいちゃん先生 でしょう。昨今ではそんな英語は使っていないという批判する 本もでていますが、教育界はヒエラルヒーの歴然とした世界な ので学閥からしても批判の対象になりにくかった事情がありま す。なにしろ権威のある泣く子もだまる英語の権威なのですか ら。

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