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分詞構文について
また疑問が起きてしまいましたので質問させてください。 特に文法が得意な回答者の方々が書いてくれることを望んでいます。 分詞構文にいろいろな用法名がありますね。 これはなぜ学校文法では教えているのでしょうか、ということなのです。 分詞構文の用法はその分詞構文が主節にどのような意味を追加しているのかと言うことですね。 しかし、その意味合いを知らなければわからないことなのと違いますか? (この理解は私にとって大きな質問になりますので、この理解が間違っているのであればどうか指摘してください) そうすると、いろいろな用法用語選択は意味がわかってからとなりますね。 意味がわかってから用法用語を思い出してその中からその意味合いとマッチする用語を選ぶと言うことになりますね。 つまり、試験などでその文章の意味合いがわかっているのかどうかを調べるのであればそれなりに必要性は私も感じます。 しかし、意味がわからなければ選べないと言うことなのではないか、つまり、意味がまずわからないで選らないわけですから、選べると言うことはもうすでにその文章の意味がわかっている、と言う事ですよね。 意味がわかっているのであれば、その意味を分類する必要もなくなっているということではないのでしょうか。 つまり、分類した用語にマッチさせる必要を求めるのは何のためにするのか、と言う事になるのです。 簡潔に、分詞構文の用法用語の用法名の数々を覚えなくてはならなく、そして、文章の意味がわかった時点でなぜその名称とマッチさせる必要性を学生に要求するのは何のためなのか、と言う質問になります。 それとも文章を見ただけで用法がわかり、用法がわかるから意味がわかるようにつながると言うのでしょうか。 それともその用法を一つずつ当てはめていってヒントにするのでしょうか。 辞書の使い方でそういうのがありますね。 日本での英語教育を理解するには必要だと感じる項目だと信じています。 前回と同じくいろいろな方々からの私を目覚めさせるつもりで書いていただけることを願っています。 よろしくお願いいたします。
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最初質問のポイントがわからなかったのですが、なぜ分詞構文の説明における原因、条件、時、結果、付帯状況など用法の説明から入っているの?ということでしょうか(つまり文法の問題より、教え方の問題)。 英語は文法以前に、生きた言葉や書き言葉として存在しており、そのうち分詞構文も多彩な表現があってある場面を描写する表現・方法の1つですよね。 なので本来下記のような対応関係(流れ)ではないのか、というふうに捉えました。 [1]英語を話す人(例えばネイティブ)は、いろんな分詞構文を自ら書け、それぞれの場面を説明することができる。意味がわかって書いている。 ↓ [2]文法書もしくは学生向け参考書には、それらの文が「原因、条件、時(以下略)」の用法で分類された上で、説明がされている。しかし例文は限られていて、用法のほうが重要に見える。 ところで 「言語学」とは、ヒトの言語を客観的に記述すること[⇒最初にことばありき] 「文法」とは、言語のより小さな単位を連結してより大きな構造を作る際の規則(以上Wikipediaより) 言葉が生きており(変化しており)、かつ人の感情にも働きかけ、人の情緒をも揺るがすことを考えると、[1]のように多彩な文章とその表現するところを見せ説明した上で、各文が[2]のように分類されるのだよ、となってしかるべき([1]⇒[2]の流れ)。 しかし、学校においてはまず用例の分類や語句の説明から入っているのではないか。すなわち、[2]⇒[1]になっているのではないか。その場合「原因、条件、時(以下略)」などについて、豊富な具体例がなければわからず、選べないのではないか、分類にフォーカスが当たりすぎていないか、というふうに捉えました。 試験においては、分詞構文の問題は英文そのものが出るため、「原因、条件、時(以下略)」などを問うことは少ないと思います(授業では最初、分類当てテストをやる教師はいると思います)。 ただ、多くの教える側の日本人は(特に中高においては)、実際に英語をネイティブや外国人相手に日常的に使っておらず、最初に自らネイティブのごとく多彩な英文を見せることができないため(実力と時間の両方の問題)、過去の教材をたより参照すると思います。 「すでに例文とともに分類が書いてある。⇒これを授業等で教える」 そんな状況になっているのではないでしょうか。 つまり多彩な分詞構文の英文をランダムに最初に黒板に書いて見せ、その場面を情景とともに説明でればいいですが、実際にそれは日本の教育現場には求めるのは難しく、学校においては多くの場合[2]を切り口にしてしまっている、あるいはそれしかないのが実情だと思います。 また生徒も、分詞構文の英文自体を最初見ても、それ以前に習った構造と違うため(また生徒は英語で考えていないため)、分類を切り口にするしかないのが実情なのだと思います。 たぶんGさんもそうでしょうけれど、私やネイティブが分詞構文をみても、いちいち「これは条件だな」みたいに分類判断はしませんが、それは数え切れないくらいの英文、それを使う場面にふれてきたからだと思います。 生徒はその素地(英文にふれ英語でその情景を思い描く)がありません。 さて分詞構文は特殊な形だとしても、一般的な会話によく使われるセンテンスにおいても、教育現場では[2]ような分類や品詞の解釈の捉え方から入ってしまうため、大学を出た人で英語を話したい(もう試験に拘束されない)人でさえ、分類や品詞にとらわれてしまっています。 本来英語はことばなので、英文を耳にし目にしたとき、そこにハートを感じたり感情移入が起こったりがあるはずです。英文を理解しながら話者の気持ちを理解することに努めることは、日本語で英語を教え、考えている多くの日本人にも同時に出来ることです(感情移入をしない人には、むずかしいが)。しかし、そのあたりにポイントを置いたアプローチはほとんど行われていないのでしょう。 学校英語と社会英語という名称が許されるなら、教えている側も「今教えているのは学校英語」「これは社会英語なので、俺が英文を沢山書いてみせる。学校英語に当てはならない部分があるかもしれないが、英語をハートで感じてくれ。」と言えればいいのですが、そんなことは起こりえないでしょう。
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- Ukay
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No.2です。 >しかし、なぜ、これは「分詞構文の理由用法ですから意味はこうなります」的説明に対して誰も(私以外には)ぎゃあぎゃあ言っていません。 今回のような指摘がものすごく気づきにくいところだったのと、他にぎゃあぎゃあ突っ込むところがあまりにもたくさんあったのとが重なったんでしょうw >何か教えるべきものと教えなくてもいいものとが逆になっているような気がします。 これもつくづく感じてました。学校英語や受験英語で必要とされ、教えられる能力や技術と、コミュニケーションとしての英語で本来必要とされるそれらとは、大きなギャップがあるんじゃないかと。 本来の英語で求められていることは、相手の言うこと書いたことが分かって、自分の言うこと書いたことが相手に伝わるかどうか、が基礎(あるいはすべて?)なんだと思います。そのために大切なのは、単語の持つ意味や文法の構成などを、頭で覚えるのではなく、体と心にしみ込ませることだと思います。その練習方法なりを学校で教えるべきなんだと思います。 けれども学校では相変わらず穴埋め問題や、並び替え問題なんかをやっていて、消去法や文法的な論理で回答していくやり方教えています。例えば受動態の英文の和訳を能動態にしたら、意味はあってるのに×されます。 そんなことしても英語力は一向に上がらないと思うんです。 これだけ大きなギャップがあるのは、学校英語の存在理由が、コミュニケーションツールとしての英語を強化することではないからな気がします。調べたわけではないですが、役人が英語力を強化しようと思っているかどうかさえ疑問です。
お礼
またのご回答ありがとうございました。 お礼が遅くなりすみませんでした。 私のもっている考え方と100%に近いお考えですね。 教えるのに便利な用語・英文を理解し英文を作成しやすくするために用語ではなく、試験のための用語製作がどれだけ悪影響を及ぼしているか明らかなはずなのにいまだにこだわっているのはなぜなんでしょうね。 文法は絶対に必要だし、用語を知ることも必要です。 強要の一つとしても大切でしょう。 しかし、あまりにもこだわりすぎることに対して疑問を持たない人が多すぎるし、今回の質問での「意味・価値を持たないとこれだけ言われている用法用語の使い方の正当性を説得するコメント」さえありません。 (文法を大切にする人たちのご回答がないのはそれだけ説得性がないはずはないと思うのですが、書いてくれないのは自信がないと言うことなのかなとちょっと感じてしまっている私です。 挑発や誘導と言うことではなく) すべての段落にかかれたことに関して「同じ意見です」で終わらせてください。 そうしないと私の考えを出す為の質問だと、思われたくはないので。
こんにちは、No6です。 今日本ではものすごく悪性なカゼが流行ってます。 アメリカではどうなんでしょうか? 質問者さんも健康に気をつけてくださいね。 (おかげで、今日は学校休みでしたけど) 多分私は、(多分じゃないな・・・) この中で一番の初級者です。 だけど、だからこそ言えることもあると信じてます。 >お友達の中には同じような考え方を持っているので、その実用性の皆無に関してどういっていますか? 仕方ない、で終わっているのでしょうか。 それとも、説明の仕方に矛盾を感じているのでしょうか。 あまり話しあったこと、ありません。 でも、「この場合は、withって意味だから・・・」 という風に会話していて、 用語を使った記憶もありません。 そもそも私は、この質問を見るまで、 そういう問題意識も持っていませんでした。 >外国語である英語を習うのに何でこんなにも無意味に近い、大学の英語課程で教えればいいだけのことを躍起になって教えているのでしょうね、何かコメント書いてくださいませんか? 私はそんなに悲観的になっていません。 確かに校内テストではいまだにそんな問題がでるし、 授業もそんな調子ですが、 少なくとも大学入試では変わってきていると思います。 私はまだそういう時期ではありませんが、 傾向をのぞいてみるために、 よく赤本(・・って分かります?)を見ますが、 その手の問題は確実にへってます。 今の入試の主流は、 長文と英作文です。 相変わらず分詞構文は多いですが、 用語で答えさせられたりはしてません。 英作文でも、私は分詞構文はあまり使いません。 (単純にbecause~、as~って書いてます) 大学入試がそういう風に変わってきたのも、 質問者さんのように考える方が 大学内にも増えてきたからだと思います。 そんなに遠くない将来の内に、 高校での教育も変わっていくんじゃないでしょうか。 私は英語あまり得意じゃありませんが、 がんばるつもりです。 そうすれば、 将来大好きな「歴史」を勉強するとき、 役に立つと信じてるからです。
お礼
お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。 >アメリカではどうなんでしょうか?質問者さんも健康に気をつけてくださいね。 ご配慮ありがとうございます。 子供たちと接することが多いので注意はしていますが今のところ長年かけてついた(らしい)免疫が聞いているようです。 学校内での情報、試験(赤本も含めて)状況、ライブで貴重な情報だと感じます。 ありがとうございます。 >大学入試がそういう風に変わってきたのも、質問者さんのように考える方が大学内にも増えてきたからだと思います。そんなに遠くない将来の内に、高校での教育も変わっていくんじゃないでしょうか。 大変いい傾向だと思います。 と言うことはそれなりに教師の方々に見今までとは違う教育方針が覆いかぶさってきたと言うことでありご苦労があると思います。 日本での英語教育歴史ですね。 急速に変わっているのかこの2000-2010年の特徴と言われるのではないかと「期待」しています。 そうじゃないと、何十億という学生たちが6年間「通った」英語クラスのせいで卒業しても英語を使えない、しゃべれない、と言うレッテル(犠牲者たちと私は呼んでいますが)をまた40年も50年もやることになってしまいますからね。 <g> ありがとうございました。
今現在、分詞構文を習っている高校生です。 自分の場合も、「時」・「理由」・「条件」・「付帯状況」などに分類し、 省略されている接続詞を答えさせられています。 でも、まだ素人の私でも、 実際に文章を読むときにはこんな分類なんかしてません。 唯、文法問題で問われたときだけ、 そういうふうな分類を考えます。 No4さんの回答をみました。 専門的すぎてよく分からない部分もありましたが、 とても刺激的な意見でした。 >これらは本来「文章の理解」に必要なものではなく、 #1でかいたとおり、 分詞構文の用法用語の用法名が必要なのは、 「文法としての分詞構文そのもの」について論議する場合のみ、 ということみたいです。 素人の自分でも分かります。 多分この部分、正しいです。 分詞構文の用語は、文法理論上必要なだけで、 実際の読み書きには、あまり実用性がないんだと思います。 実際、こんな用語ひっぱりださなくても、 省略されている接続詞だけ教えてくれたほうが、 生徒としても助かります。 じゃあ今私が習っている英文法ってなんだろう、 と思うと、とても悲しいです。 No4さんは4番で専門的な説明もやってますが、 1番ではものすごく分かりやすい説明もしてます。 素直にすごいなと思います。 ぜんぜん回答になってなくて、ごめんなさい。
お礼
ご回答ありがとうございます。 現役授業体験進行中という状態なのできちんとしたお礼は出来るだけ早く書かせてもらいます。 お友達の中には同じような考え方を持っているので、その実用性の皆無に関してどういっていますか? 仕方ない、で終わっているのでしょうか。 それとも、説明の仕方に矛盾を感じているのでしょうか。 外国語である英語を習うのに何でこんなにも無意味に近い、大学の英語課程で教えればいいだけのことを躍起になって教えているのでしょうね、何かコメント書いてくださいませんか? では、また書きます。
補足
お礼が遅くなりすみませんでした。 >自分の場合も、「時」・「理由」・「条件」・「付帯状況」などに分類し、省略されている接続詞を答えさせられています。でも、まだ素人の私でも、実際に文章を読むときにはこんな分類なんかしてません。 構文の意味さえわかればいいのです。 でも、、、、、 >唯、文法問題で問われたときだけ、そういうふうな分類を考えます。 よって、私は試験だけに使える試験文法を学生にやらせている、と言う事になってしまうと私は考えています。 しかし、これほど、教育方針として、このようなことをやっているのは何か理由があるはずだと私は感じているのです。 なぜこのような教え方をするのか、教師ではない私にはわかりません。 しかし、50年も同じ方法をとってきて、同じ説明の仕方(これは「理由用法なので~という意味になります」というような)をしてきたのは何か理由があるはずだと思うのです。 >分詞構文の用法用語の用法名が必要なのは、「文法としての分詞構文そのもの」について論議する場合のみ、ということみたいです。素人の自分でも分かります。多分この部分、正しいです。分詞構文の用語は、文法理論上必要なだけで、実際の読み書きには、あまり実用性がないんだと思います。 まったく実用性のない、つまり、英文を作ったり理解したりできるようになるのにはまったく必要のない、しかも学生から「青春」と言う時間を取りさり、英語に親しむためと英語自体になれるようになるための多読などの時間を取り去ってでもこれをやっているわけです。 >実際、こんな用語ひっぱりださなくても、省略されている接続詞だけ教えてくれたほうが、生徒としても助かります。 わかりやすいでしょうね。 接続詞に慣れるに、用語自体を理解し覚える必要さえありませんからね。 >じゃあ今私が習っている英文法ってなんだろう、と思うと、とても悲しいです。 しかし、こういう用語を使った説明がわかりやすいと言う学生もいることを知ってください。 わかりやすいと言っても英語がわかりやすくなるわけではないと言うことに気がついていないのでしょう。 これは「条件用法です」と言えば終わりだと思っているのかもしれません。 >No4さんは4番で専門的な説明もやってますが、1番ではものすごく分かりやすい説明もしてます。 素直にすごいなと思います。 文法の説明は難しく説明しなくても出来るはずと私も考えていますので#1での説明はいいものだと思います。 #1さんの英語力の高さがわかりますね。
>実は、本当の意味では、 フランス等は「英語圏」ではありません。 傲慢な言い方でした。 訂正します。 申し訳ありません。
#1です。 時間が空いたので、 ちょっと蛇足でコメントさせてください。 昨日大学の研究員同士で顔合わせがありました。 ミーティングの終わりに、 みんなで「スパイダーマン3」を見ました。 映画自体は、思いのほか面白かったのですが、 台詞と字幕のニュアンスの違いが、 どうしても気に障りました。 別に字幕が間違っているわけではないが、 どこかずれている。 「焦点」があっていない感じがするのです。 「それ」で気づいたことがありました。 「英文法のスペシャリスト」の意見も聞いて参考にしています。 結論からいうと、 分詞構文の用法の定義は、 「文章としての分詞構文」ではなく、 「文法としての分詞構文」に 「焦点」をあてている、ということです。 これを少し説明してみます。 日本では、分詞構文(particial construction)を 分詞が作る「句」の副詞的な使い方、 と見るのが一般的ですが、 イギリス・オランダなどの本当の「英語圏」では、 通例これらを分詞節(participle clause)の副詞的な使い方、 と捉えています。 実は、本当の意味では、 フランス等は「英語圏」ではありません。 そして、イギリスでは「分詞構文」を 「句」ではなく「節」として捉えています。 ここで確認しておきたいのは、 「節」は、 機能(function)と構造(structure)の 2つの観点から見ることができる、 ということです。 ・機能的に見た節 (1)名詞節 (2)形容詞節 (3)副詞節 ・構造的に見た節 (1)独立節(いわゆる、文のこと) (2)等位節 (3)従属節 (4)小節 このような「機能・構造」2面性からの分類は、 文法のあらゆる箇所で見受けられます。 (その最たる例が、 「文型」・「動詞型」という区別です) そして日本の学校文法では、 (私はあまり、「試験文法」という用語が好きになれません) 機能(function)による分類が一般的であるわけですが、 分詞構文が構造(structure)な発想から生まれた以上、 「節」の意識はどうしても残るわけです。 そして「節」である以上、 どうしても「主部+述部」という理解の仕方が根源にあり、 それゆえ「主節」と「分詞節」をつなぐものが必要になります。 それが「省略された接続詞」です。 以上のことを端的に示すために、 「分詞構文の用法用語」を使っている、 というのが実情のようです。 (少なくとも日本では) これらは本来「文章の理解」に必要なものではなく、 #1でかいたとおり、 分詞構文の用法用語の用法名が必要なのは、 「文法としての分詞構文そのもの」について論議する場合のみ、 ということみたいです。 (安藤貞雄;「現代英文法講義」参照) ↑この人が例の「友人」ではありません。念のため。 少し専門的な内容になってしまったかもしれません。 勿論私の実力不足のせいでもありますが、 この議題そのものがそもそも専門的ですので、 大目に見てください。 もっと実力のある方が 再解説してくださることを願っております。 最後に、 >はい、では、あと一ヶ月くらい見ていてください。 吉宗の峰打ちが鞘に納まるときがきます、自然に。 私は自分が答えた質問に対しては、 大抵「随時受信」に設定しています。 じぶんの意見には最後まで責任をもちたい、 ということもありますが、 私自身が他の方から勉強させて頂きたいからです。 この質問に対しても、 (多分もう回答はできないと思いますが) メールでチェックできるように設定しております。 リアルタイムではみれないかもしれませんが、 最後まで勉強させていただくつもりです。 では、最後にもう一度。 Ganbatteruyoさんの武運長久を祈っております。
お礼
再度の登場、ありがとうございます。 もう少し待ってください。 頭の整理が必要な体調の崩れを使役動詞されてしまい受動態の気分で能動態に移せない現在完了形をここ2-3日完了していない経験を進行形で受けていますので。 現在完了進行形を感じています。
補足
Gです。 再度のご回答ありがとうございました。 はい、私も >このような「機能・構造」2面性からの分類は、文法のあらゆる箇所で見受けられます。 と思います。 しかし、学校文法では区別していないですね。 ごちゃ混ぜと言う感じです。 と言うか、区別していないからごちゃ混ぜと言う事になるわけですが。 つまり、言い換えれば英語そのものを理解していないために学生さんたちはわからなくなると徹底的にわからなくなり、擁護を通しての知識が英語力だと思い込んでしまうのでしょう。 >どうしても「主部+述部」という理解の仕方が根源にあり、それゆえ「主節」と「分詞節」をつなぐものが必要になります。それが「省略された接続詞」です。以上のことを端的に示すために、「分詞構文の用法用語」を使っている、というのが実情のようです。 それは教育方針としては有益だと思います。 つまり、用語なしでは説明がはかどらないですね。 専門用語とはそのために作られたわけですから。 ですから、ある文章を理解しているかどうかを測るためには用語を選ばせると言う測り方をするのが試験では仕方ないのかもしれませんね。 しかし、これは譲歩ですから~と訳します、と言う説明では、何で譲歩だとわかるんだ、と言う疑問をもっと生徒に持ってもらいたいと私は感じているわけですが、何か教育方法として私には理解していない部分があるのではないかとも感じているのです。 貴重な情報、ありがとうございました。 >Ganbatteruyoさんの武運長久を祈っております。 吉宗は自分では峰打ちをしています。 武運はすでにあり、です。 長久は私の田舎の本家の家名です。<g>
- Ukay
- ベストアンサー率34% (25/72)
英文を読む時に、分詞構文の用法用語を覚えていても役に立たないと僕も思います。 なぜ役に立たないことをしているのか。 僕の推測ですが、分詞構文の用法用語を生徒に覚えさせるのは、採点者側に沿った配慮じゃないかと思うんです。 例えばテストで「分詞構文の○○」と答えさせるのは、 回答者が分詞構文で表わされる用法を知ってるかどうか、の確認だと思います。 もし分詞構文の中に用法用語を作らなければ、こういった問題は作れず、実際に和訳をさせて確認することになると思います。 これって採点側にとったら負担ですよね。「時」「理由」だけを見ればいいところを、和訳された文章を見なければならない。また文章を採点するのはややこしいというのもあると思います。 あとテストを作る人にしても、1問により多くの時間を生徒に取らさなければならない=問題の量が減る、ということが起こってしまいます。これは生徒の勉強時間の減少に繋がると思ってるんじゃないでしょうか。 色々考えましたが、こういった考え方しかしっくりきませんでした。 でもこれは、生徒にとったらただの負担ですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私もこのことは大きな要因となっていると思います。 教える側の「楽を求める欲求」、と言ったら言い過ぎというのであれば、配点効率の考慮、とでもなりますね。 しかし、なぜ、これは「分詞構文の理由用法ですから意味はこうなります」的説明に対して誰も(私以外には)ぎゃあぎゃあ言っていません。 むしろ、おかしいのはわかっているけど仕方ないんじゃない?的姿勢しか見えないのはもしかしたらどこかに私には見えないものがある、と思うのです。 どうして、「理由用法なのかを判断できるようになる」と言う教え方はしていませんね。 意味はわかるのですが何用法ですか?と言う質問もこのカテでたまに見ますね。 意味がわかっているのであれば何用法であるのかがなぜわからないのか、なのです。 これらの用法名の説明が学校でははっきりされていないのでしょうか。 (譲歩なんて私には意味がわかりません。 知りたいとも思いませんが) 何か教えるべきものと教えなくてもいいものとが逆になっているような気がします。 この点もう一度ご意見を聞かせていただくとうれしいです。 ありがとうございました。
Ganbatteruyoさんは、 本当に精力的ですね。 私はもうなんか、疲れてきました。 そろそろ頃合だし、 またしばらくネットの世界から離れるつもりです。 そのまえに、一連のやり取りでお世話になった Ganbatteruyoさんに恩返しさせてください。 (ところで、Ganbatteruyoさんのご質問、 「文法的には正しいけど」が注目度のランキング上位に入ってます。 わずかでも関われた私も、誇らしいです。) 私は別に文法に通じていませんが、 尊敬する友人の一人に、 本当の意味での「英文法のスペシャリスト」がいます。 その友人とこのテーマを肴に話し合ったことがありますので、 それがご参考になられれば、と思っています。 昔の学校文法などでは、 分詞構文といえばまず、 「時」、「理由」、「条件」、「付帯状況」などに厳密に分類し、 「省略」されている接続詞を答えさせられたものですが、 ハッキリいって、これは無意味です。 理由はGanbatteruyoさんが仰っているとおりです。 分詞構文は、 むしろそういう厳密さを避けて、 文章にリズムをつくり、 相手に前後の文脈から判断させるためにあるのだと思います。 ようするに、曖昧さを楽しむ余裕が大事なんです。 そうでなければ、 あんな誤解を招きやすい表現をわざわざ使う意味はありません。 もっとシンプルな表現はいくらでもありますから。 (それは本来、関係詞についてもいえることなんですが) 分詞構文の用法用語の用法名が必要なのは、 「文法としての分詞構文そのもの」について論議する場合のみです。 よく、「分詞構文の主語と、 主節の主語が一致しないときは主語は省略できない。」 とかいいますが、本来はあれもあまり感心できません。 「省略すると分かりにくくなるときは、 省略しないほうがいいよ。」というだけです。 よくそんなくだらんものまで、 ルール化するなぁと、「感心」してしまいます。 個人的には、 生徒に説明するときには、 意味を明確にするために、 分詞構文の省略された接続詞を明確にしてもいいと思ってますが、 用語を覚えさせる意義って、何なんでしょうか?・・・ 友人もそうぼやいてました。 私にいえることは、こんなレベルまでです。 申し訳ありません。 さて。 私もそろそろ、 自分がやらなくてはいけないことにカムバックします。 このサイトにもどって6日間の間に、 いろんな人と対話できました。 いろいろあったけど、 結果的にはいい経験になりました。 またの機会には、 ぜひGanbatteruyoさんからまた勉強させてください。 それでは、Ganbatteruyoさんの武運長久を祈っております。
お礼
#1ご回答ありがとうございます。 >Ganbatteruyoさんに恩返しさせてください。 はい、では、あと一ヶ月くらい見ていてください。 吉宗の峰打ちが鞘に納まるときがきます、自然に。 >(ところで、Ganbatteruyoさんのご質問、「文法的には正しいけど」が注目度のランキング上位に入ってます。わずかでも関われた私も、誇らしいです。) それだけ関心が高いのでしょうね。 今回はかなり話題を狭めたのでどうなるかわかりませんが、しばらく締め切らないで置いておきます。 もっとも学術的に難しすぎるのかもしれませんがその難しさに挑戦してもらいたいですね。 <g> >あんな誤解を招きやすい表現をわざわざ使う意味はありません。 何か分詞構文で書くと箔が付くみたいなフィーリングを持たされた人が多すぎるのかもしれません。 便利な表現ではありますが、おっしゃられたように最も気軽で簡単な表現方法をなぜ大切にしながら身につけようとしないのか私にはわかりません。 >「省略すると分かりにくくなるときは、省略しないほうがいいよ。」というだけです。よくそんなくだらんものまで、ルール化するなぁと、「感心」してしまいます。 ルールを作るために作る、そうする事で何か意義があった時代がそのままつながってきているのでしょう。 でも、それは私の「推測」に過ぎないかもしれないからこそ文法のお得意な方々に教えをこいでいるわけです。 >用語を覚えさせる意義って、何なんでしょうか?・・・ これも私の質問の主旨です。 >Ganbatteruyoさんの武運長久を祈っております。 再起奮闘なされることを心からお待ちしております。 ありがとうございました。
補足
もう少し書いてみますね。 >分詞構文の用法用語の用法名が必要なのは、「文法としての分詞構文そのもの」について論議する場合のみです。 私も同意します。 分詞構文の意味合いを論議するときに、専門用があると便利なのです。 しかし、これは~用法だからこういう訳になります、と言う説明には使えないはずなのです。 しかし、このような説明の仕方をしている文法学者さんたちが存在することに対して批判がないのはなぜでしょう。 そんな説明のしかたはおかしいよ、って何で追及しないのでしょうかね。 分詞にはこういう風な意味合いでの使われ方がありそれを用語化するとこうなります、になるだけのことです。 >よく、「分詞構文の主語と、主節の主語が一致しないときは主語は省略できない。」とかいいますが、本来はあれもあまり感心できません。 「省略すると分かりにくくなるときは、省略しないほうがいいよ。」というだけです。よくそんなくだらんものまで、ルール化するなぁと、「感心」してしまいます 出来ませんと書かれた文法説明を聞くと私は「よくもまあ」「またかよ」と感じます。 出来ないのではなく、「しない」だけなのですね。 出来ないからしないのではなく、したらわかりにくくなるからしない、みっともないと言われたくない、と言うような理由でしないのですね。 しかし、肝心の試験文法学者さんたちは、そんなフィーリングは感じないままに、みっともないことをやっているわけです。 はい、私も「関心」します。 覚えることがたくさんあるのにもかかわらず普通の人だったら使う機会さえない用語の日本語の意味を覚えなくてはならないのは何でなんでしょうね。 おかしな文法説明を一生懸命になって理解しようとし、理解できたら文章の理解が出来たと思い込んでしまっているのですね。 私はこれを6年間やってきたら、そしていい成績として残ったら、自分は英語力があると思ってしまうのも仕方ないと感じています。
お礼
ご回答ありがとうございます!! せっかく書いてくださったのに俺が遅くなってしまいました。 ごめんなさい、私の質問がクリアではなかったようです。 問題状況はこうです。 分詞構文と考えていい文章の理解を聞いていると言う設定です。 今見ている例文が載っている文法解説書なんですが、説明は; これは条件を示している分詞構文なので、~なので、と訳されます。 と言う感じなのです。 これを読んだ人が実際にどう受け取ったかがわからないのです。(疑問点#2) これは第X文型なのでSVがこう拡張されますのでOではなくCになります。と言う説明のしかたとまったく同じ事を今回出しました。 何でこれを知らない人がこの説明がためになっていると言えるのか、ということなのです。 鵜呑みにしてそれを「文法的説明方法」と洗脳されてきたのではないかと思うわけです。 だから、そのまま次の世代にこの説明方法で教えることになる、ということなのかな、と思うわけですね。 なお、学校文法と言う表現は(試験だけに使える)試験文法と言う表現に私は変えました。 なぜなら学校では使える文法も教えているからです。 これは誰も批判することは出来ないでしょう。 もう一度上の理解でご回答いただければうれしいです。 ありがとうございました。