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「ころび芸者」と「山師運上」(田沼意次批判の狂歌)
田沼意次の治世時に歌われた狂歌、 「世にあふは 道楽者に おごりもの ころび芸者に 山師運上」 このなかの、「ころび芸者」と「山師運上」の意味がわかりません。
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ころび芸者→芸者が売春すること 山師→でたらめ、とか、はったり、とかを象徴する言葉 運上→事業税のこと 上記では意味が通じないので、若干の解説を‥ 江戸時代、市中での営業が公認されていた色街は吉原遊廓のみで、岡場所などと呼ばれる他の 遊女屋は違法営業です。タテマエですが。 その他にも隠れて(半ば公然と)売春をする例として風呂屋の湯女や「ころび芸者」がありました。 芸者は芸を売る者であり、売春は禁止されていましたが、実際に芸だけで身を立てるのは難しく‥‥ です。芸者が売春稼業に転落することを「ころぶ」と表現した訳ですね。 どこかのサイトに載っていたのが面白くてコピーしたのですが↓ 「ころぶは上手、おどるはお下手」「転びすぎましたと女医者に言い」 山師運上について 狂歌の正確な意味や含みは分かりませんが‥ ・田沼政権によるワイロ政治を「やましい税金徴収」と揶揄したのか ・違法な「ころび芸者」を黙認して、たっぷり税金を取ったことを揶揄したのか
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- komes
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運上というのは江戸時代では営業税のようなもので一定の税率で課税されたものです。 田沼意次は幕府の財政を改善する努力をし、重商主義をとりました。 その為税制を改革し種々の新税を作ったのです。 山師というのは鉱山、林業を請け負うものでそれまでは冥加金という利益の一部を納入するだけですんだのが一定の税率で納入を義務付けられるようになり増税になったのです。 その他にも同様冥加金制だったのが運上制に変更されるものがありましたが代表として取り上げられたにすぎません。 しかし田沼意次の努力で幕府の財政は急速に改善されました。
- suicyo
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ANo.1 です。可能性の一つとして‥ ふと思いついたのですが、田沼意次と同時代の著名人である平賀源内は、異才の人とも 「山師」とも言われています。 田沼意次同様、評価が二分される人物ですが、在世中は悪く言われる方が多かったとするならば、 狂歌に田沼意次とセットで揶揄されたのかもしれません。