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「老」という漢字:いつからネガティブな(年をとった、という)意味をもつようになったの?

「老中」「ご老女」のなかに否定的な意味はぜんぜんないと思います。田沼意次の時代、大奥老女高岳にたいして後者が使われていました。「年をとった」の意味ではないと思います。むしろ尊敬の意味だと。 中国語でも「老師」には「年取った」の意味はないそうです。 いつから日本語では「老」が「年取った」の意味をもつようになったのでしょうか?

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回答No.4

 本当に面白いことにお気づきになられました。  老子さんもあえてではなく、自分でか、人が呼んでか、老子さんです。  これを固有名詞ではなく、普通名詞という解釈をされる方もおられますが、その場合も当然に尊敬の意味です。総理大臣もされた方が、恩師を老師と読んで尊敬し、大事にしているお会話をかたわらで聞いていてとても楽しかった。  やはり今はマイナスのフィーリングは付きまといますが、それはやはり昔もあったかもしれません。機能的な衰えは、どうしてもありますから。  そして今も昔も尊敬の意味も、フィーリングもありましたし、あります。私はそう思います。今は少し尊敬のフィーリングが薄弱ですね。  そしてまた、今も昔も、馬鹿にしたり、マイナス的に考えたりする言い方も、フィーリングもありましょう。清少納言の枕、彼女に独特の感覚と言い回しで、マイナの言い方をしている箇所もその一例でしょう。  dulatourさんが、ご注意されている事、そういう誡めは、昔のいろんな本やお話の中でも、同じように老人の経てきた素晴しいことを表現されています。そしてそれを軽く考えることをたしなめています。  質問者も決して、老人をマイナスに考えての質問ではないと存じます。  文字、ことばとしての【老】の使い方で、現在、老熟、老練とかいう意味での尊敬の意味のつたわりが薄弱にはなっていますが、それは或は、機能主義や実績主義、大量評価主義が出てきたことと表裏になっているのかもしれないと、質問者の感受性に敬意を表して、解釈しております。  漢字のご研究の白川静先生の対象とされている時代の中国の文化のことなのですが、・・。歴史は、その当時のことというのは当時の状況と意識で理解しなければなりません。今の価値評価での判断は間違いになります。あの時代の文化や人間の発達は今から想像もできないほど、今の尺度や意識で評価するのではないが、そうとうに想像もできないほど粗野なものと考えられますよ。むしろその後の時代や、そして今の時代の方がずうぅっと、【老】の意味を人間文化のうえで築いてきているのではないでしょうか。  自分が生きている、今のいい所には、このことだけではなくて、普通になっていることは、よほど注意してみないと、気づけないのではないでしょうか。

その他の回答 (3)

  • dulatour
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回答No.3

【老】 年をとって高齢となる。年数を経て古びる。おいる。年寄り。「老人・老若ろうにやく・老境・老木・老朽・不老長寿・敬老」 高齢の人の敬称・謙称。「愚老・拙老・山田老」 (年をとって)経験を積んでいる(人)。「老巧・老獪ろうかい・老舗・長老」 【老】はもともと歳をとったという意味です。そこから派生して、歳をとることによる智恵の意味になりました。 あなたが、年寄りの智恵をネガティブなものだと考えて、大切さを理解していないだけです。 年寄りを馬鹿にすると、罰が当たります。歳をとるということは体力的には劣るとこかもしれません。でもその経験知には敬意を表するのが普通ではないでしょうかね。 いまでも、【老】はネガティブなものでは無いと思いますが、ネガティブなもの思うのは、了見の狭さです。また自分がどのように育ってきた方かを考えない優しさのない人間です。 言い過ぎました。 あなたも、自然に歳をとっていくのですからね ・・・ 現代に年寄りの智恵が必要だと思わないならば、老年になる前に社会からリタイアした方がよいでしょうね。

  • tanuki4u
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回答No.2

一部訂正 探検や経験による知識の方が重要視される社会です ↓ 探検や研究による新規の知識の方が重要視される社会が、近代社会で、近代社会になったために、老人の経験知は軽視されるようになった。 国語の質問というよりは、社会学への質問が、質問場所として正しいかも。

  • tanuki4u
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回答No.1

老はもともと、年をとったという意味。 白川氏の常用字解では、老とは死に近いという意味だそうです。 老人が少なく、また、老人の持つ経験知が尊重された時代においては、「老人のように、経験知を持っている」ような尊敬される人物という意味で、老女、老中と呼ばれました。 日本語というか、日本でということでなく、老人の経験知にたいする評価が変わったのは、近代資本主義の成立によるとも言われています。 過去からの経験知よりも、探検や経験による知識の方が重要視される社会です。