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過去とは形あるもの

先の「未来は創れない」という質問でみなさんの良質な回答を多数寄せていただきました。 どれも頷かされるものばかりでした。 けれどもそこで私が感じたことはなにか? 強い劣等感と言ってもいいでしょう・・・ また私が思っている過去というのはもっと次元の低いもののような気がしました。 私が「未来は過去によって規定される」ということの意味は、 過去というものは、その人物の「蓄積」という意味です。 みなさんから文学的、物理的視点から様々なお答えを下さいましたが、 それはみなさんの過去の(知識の)集積です。 これは或いは仕事上のキャリア(スキル)と言い換えてもいいし。 蓄財ということも出来ます。 つまり未来には資本が不可欠だと言うことです。 そしてわたしにはそのよな「未来への元手」と言うものがありません。 私の過去は空白です。 未来を作るには先ず未来の基盤となる過去=蓄財をしていかなければならない。 しかしそれにはもう私には限られた時間しかないと思うのです。 未来はそのように観念ではなく「経験」や「財産」「資格」「預金残高」 「学歴」「容姿」「知識」・・・などの有形のもので、 それを一から積み上げていくには絶対的な若さ=時間が不可欠だと思うのです。 質問を拝見して私は皆さんとの間に大きな隔たりを実感しました。 そして思ったのです。 今の燃料ではそう遠くまでは行けないと・・・ 質問の体を為していませんが なにかご意見があれば書き込んでください。 ・・・先の続編のような質問で、これはカテとしては「心理学」には当て嵌まらない質問かもしれませんが、引き続きこのカテで質問を立てさせていただきます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hakobulu
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回答No.24

#23です。 >>嫌われるという形態が実は愛することだとしか思えなくなってしまう :漠然としすぎていますよね。うやむやにせず問い返していただき大変嬉しく思います。 loser_blueさんとは直接関係無いかもしれませんが、良くある親子の関係例です。 例えば虐待の経験を持つ子が親になった場合、自分の子に対して虐待を繰り返すというパターンが割合多いらしいです。 これを、自分自身が受けた虐待という行為が(親からの)愛の形態のひとつだと思い込みたい無意識に依るものであるとするひとつの解釈です。 母親が泣きながら幼児を虐待してしまうというパターンを散見します。 親にしてみれば泣く子の姿を見て止めたいとは思うものの、こういった無意識に捉われているためになかなか自制が利かない、という構図です。 同様に、自分が(本当は)親から嫌われていたわけではないと信じたい子供(被庇護者)の無意識の願望のようなものが、「嫌うという形態=愛するということ」という錯覚(あるいは思い込み)を引き起こしてしまう。 といったような意味です。  

noname#37669
質問者

補足

>>>嫌われるという形態が実は愛することだとしか思えなくなってしまう という部分に関するご説明はよく分かりました。 愛してくれる(はずの)人(=親)から虐待を受けたということは、 親=「愛してくれる存在」としか思うことの出来ない幼児にとっては、 この行為こそが「愛する」という行為なのだという倒錯した認知ですね。 それゆえ >自分が(本当は)親から嫌われていたわけではないと信じたい子供(被庇護者)の無意識の願望のようなものが、「嫌うという形態=愛するということ」という錯覚(あるいは思い込み)を引き起こしてしまう。 と。 よく分かりました。 けれども、 この部分の前段に、 >それはさておき、「嫌われる何か」が生まれつきご自身に備わっていたわけではないでしょう。 何らかの無意識的要因によって「嫌われること」と「好かれること」の錯綜が生じていると考えるのが妥当ではないかと思われます。 と、私の異性に対する意識とこのことを関連付けてのご回答でしたが、 今回のご説明で「嫌われるという形態が実は愛することだとしか思えなくなってしまう」ということの意味は分かりましたが、 この上記部分との関連が分かりません・・・ ・・・とはいっても、これ以上は本当に際限がなくなってしまいそうですので、 あと24時間で締め切ろうと思います。 もしお暇とご気力があれば最後にお答えいただければと思いますが、 説明の責任などお感じにならずに無視されて構いません。 万が一ご回答を頂いても、その時点で締め切るつもりです。 それにしても、虐待の連鎖とよく言いますがこういう仕組みだったのですね。 考えさせられました。 お答え、どうもありがとうございました。

その他の回答 (24)

回答No.4

パンドラの箱に希望が残ったのは象徴的です。 過去の蓄積、運命、因果律・・・この類のものは、決して希望に敵いません。希望は、運命の結果を否定するのですから・・・・ 勝者は必ずしも生存者ではありません。変容することが絶望的だからです。 完全な敗者も生存しません。生存を諦めたからです。 最終生存者は、勝者に虐げられにもかかわらず自分の意志で切り抜けた者なのです。希望を失わなかったからです。

noname#37669
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 残念ながら私にはちょっと難解で理解できませんでした。 スミマセン・・・

回答No.3

何かが重要だと思っているのは自分でそう思ったからです。 何かが自分にとって重要でないと思った瞬間からそれは 重要なことでなくなるのです。 過去が重要だと思ったときからそれに自分が縛られてしまいます。 そして今できる事をしないからいつまで経っても蓄積するものが ない状態が続いてしまうのでしょう。 今から始めればいいだけです。 過去から埋めなければいけないと思うから何も始めることが 出来ないのだと思います。 出来ないことにこだわらず、できることを始めればいいだけだと思います。 時間の長短は関係ないはずです。 生きているのいつも今だけだから。 今という時間をどう使いこなすだけの問題ではないでしょうか。

noname#37669
質問者

お礼

>何かが自分にとって重要でないと思った瞬間からそれは 重要なことでなくなるのです。 それは何かを重要だと思った瞬間からそれは重要なことになる・・・ と、言い換えることも出来ます。 (すみません。反論ではありません・・・) >そして今できる事をしないからいつまで経っても蓄積するものが ない状態が続いてしまうのでしょう。 「蓄積」とは何か? 一体その不可視の蓄積なるものは誰が見つけてくれるのでしょう? そしてわたしは時々感じるのです、 人並み以下である私に皆さん根気よく回答と言うコンタクトを取り続けてくれていますが、一体私は皆さんと対等に話が出来ているのだろうか・・・? 時に私はこのようなやり取りの中で「ひょっとして自分は人並みでは?」などと感じることもあります。 けれどもそれはやはり錯覚で、皆さんが私のところまで降りてきて話してくれているのであって、私は決して皆さんと「対等」なんかではないのだと気付くのです・・・ と、相も変わらず支離滅裂で・・・ いつもご回答ありがとうございます。

noname#37669
質問者

補足

前に区民大学を担当していた区の社会教育主事さんとお話する機会がありました。 その人は「仕事が忙しくて忙しくて・・・こないだも同僚と、「これまでの貯金食いつぶしてるようなものだね」って話してたんですよ・・・」 それを聞いて、わたしは「食いつぶせるだけの蓄えがあるだけすごいよ」 と、羨ましさを感じました。 その人は振り返り、○○さんには本当の意味の教養があるから・・・ と言うようなことを言ってくれたようですが、 その言葉は私の身体をすり抜けていきました。 誰も証明しえず、自分にもその自覚がないものについて云々されても 戸惑うばかりです。 ・・・誉められることは苦手です。 誰も証拠を示すことは出来ないから・・・ 蛇足でした。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.2

>「経験」や「財産」「資格」「預金残高」「学歴」「容姿」「知識」・・・ では、これらが満たされれば今抱えている問題が解決されると思うのですか? 自己否定とは自分の学歴の否定だったのですか? >「内面を磨く」「自己磨き」ということに抵抗があります。 今になって彼らをうらやむのですか? loser_blueさんが求めてきたものは何だったのでしょうか。

noname#37669
質問者

お礼

>>「経験」や「財産」「資格」「預金残高」「学歴」「容姿」「知識」・・・ では、これらが満たされれば今抱えている問題が解決されると思うのですか? 自己否定とは自分の学歴の否定だったのですか? 説明することは難しいです。 単純に学歴と言う言葉が出ましたが、一応名目だけではありますが四大卒です。(文学部哲学科卒) ・・・・ということからも分かるように、私は思春期のころから意識的にまた本能的に世俗的な価値に背を向けてきました。 そして昨年の区民大学の自己紹介で、私の「3ない宣言」=「仕事をしない」「結婚しない」「子供を持たない」という発言に会場は俄かにざわめきました。 私の意識の上では、世俗的な価値に秋波を送ることは俗物的であるという意識は変わりませんし、所謂内面を磨く、自己を磨くという奇麗事に反発を感じることも事実です。 けれども、目に見えないものと関わりつづけてきたことに疲れてしまったのです。 人間性を深める、心豊かに生きる・・・それは前にも言ったように 人として、人が人として生きる上で欠かせない営みです。 けれどもそれは銀行の貯金残高のように目に見える数字として私の前に示されるわけではありません。 Invisible・・・目に見えないものが目に見えないものと戯れている・・・ それが私の過去であり私の人生です。 何か手に触れるもの、実体のあるものが欲しいのです。

回答No.1

劣等感は次のステップへのバネだとわたしは考えています。人が大きく成長するのは、何か問題があるときです。 私事で恐縮ですが、10代の頃は劣等感の塊でした。貧乏で家庭環境は最悪で、そんな家庭で育った私は幸せになれないんだ、そういう宿命だなんて思っていました。その生い立ちも憎かったし、特に秀でたところもない自分が大嫌いでした。しかし、本をたくさん読んだり、化粧や運動で自分の外見を変え、まずできることから克服していきました。暗い性格は明るい友達の近くにいて見習いつつ改善しました。長い年月がかかりますが不可能ではありません。 それでも限界はあります。(限界付けているだけかもしれませんが)今から頑張っても、有名大学を出た人に、総合的な学力は勝てない。けれど、劣等感を持って悩んできた分、自分は人より強い。だから人間的な部分で勝負しようと思ったのです。 価値観が人それぞれであることがわかればもう少し楽になるのではないでしょうか。劣等感をなくすのは、なりたい自分になることが一番ですが、それにはやはり時間がかかる。時間がかかると、行動相応の効果が出ていないように感じ疲れてきてしまう。そこは心の持ちようでカバーするしかないのです。 それに質問の内容を見ても、質問者様はとても思考力が優れていると思います。 それをノートに記されてはいかがでしょうか? 私も悶々と悩んでいた日々、考えたことを全てノートに書いていました。今見返すと、未熟だなと思う面も多々ありますが、よくここまでいろいろ考えたなと感心します。自分に満足している自分が気づかないことをつらつらと書いている自分がちょっとうらやましく思ったりしました。 以上勝手に自分の意見を書いてしまいましたが、少しでも面白く感じていただければ嬉しく思います。長文失礼致しました。

noname#37669
質問者

お礼

取るに足らない戯言に真っ先にお返事を頂きありがとうございます。 厳密に言えば「劣等感」ではなく「劣等性」でしょうか・・・ 劣っていると「感じる」のと、事実劣っていることの違いです。 ではそれは何によって判断されるのか? それは他者です。世間です。 「裸の王様」という話がありますね。 王様は殆ど丸裸でした。 でも王様は賢い人にしか見えない服を着ていると思っていました。 けれども本当は王様自身だって自分は裸であると気付いていたはずです。 ・・・私にもいいところがある、取り柄もあると言ってくれる人はいます。 けれども私は知っています・・・いや自分ではわかりません・・・ そしていつも感じています。 私は裸ではないか? 私は権力のある王様ではないので、 皆遠慮なしに私が裸であることを指摘します。 純粋で残酷な子供のように。 私は弱い人間です。 賢くなくてもいい、 目に見える服が欲しいと思うことがあるのです・・・・

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